クラーケン
海中から飛び出したいくつもの触手が、第5艦隊のガレオン船に絡みついてくる。
「うそでしょ!? まさかアレも魔王の使い魔ってわけ?」
クラーケンは、北極大陸からローラシア大陸北方の海域に生息する、巨大なタコかイカのような怪物だ。
胴体は渦を巻いた殻に覆われていて、そこから大きな目玉がのぞいている。
合計8本ある触手は太くて長く、吸盤ではなく鋭いスパイクが伸びている。
この触手に捕われた相手は、巨大な船舶であろうとも軽々とスパイクに引き裂かれ、強靭な腕力により握り潰される。
「名もなき魔王は大陸中央の本土だけで四百匹の竜を従えてるって聞くぜ。クラーケンを従えてても別に驚かねぇ」
魔王軍は勇者連合が設立されるずっと前から、竜や魔物といった強力な生き物を戦力として持っている。
更に、それらは的確に勇者連合側にダメージを与え得る箇所へと投入されていく。
僕も勇者パーティにいた頃、何度魔王軍の使い魔に苦戦させられたことだろう。
そんな話をしている間にも、クラーケンの触手は艦隊のガレオン船へと襲いかかる。
サント・オルレアン号にしがみつきながら、周囲の艦のマストをへし折り、甲板をスパイクがついた触手で薙ぎ払っていく。
「にしてもまずいぞ。あんなもん、いくら最新のガレオン船でもどうにもならねぇ」
アノーラさんの言う通り、このままだとクラーケンによって海中に引き摺り込まれかねない。
更に、クラーケンは数本の触手で旗艦に貼り付いているようで、他の艦は同士討ちを恐れて砲撃を加えられないでいる様子だった。
望遠鏡で見てみると、船首楼の上でピエール様が、船尾楼ではセルゲイさんとチャチャさんが触手と応戦しているようだけど、あれほど大きな相手だと苦戦は必至だ。
「あのバカガキ一行だけだとどうにもならないわ! アタシが行く!」
「あっ、メリーさん!」
僕が止める間もなく、メリュジーヌさんは艦隊中央へと飛んでいってしまった。
メリュジーヌさんは旗艦の上空まで辿り着くと、クラーケンに氷の魔法『アイスクラッド』による氷塊を落とす。
上空のメリュジーヌさんに気がついたのか、他の艦を掴んでいた触手がそちらへと殺到する。
次々に襲いかかるスパイク付きの触手を、メリュジーヌさんは徒手空拳ではたき落としていく。
我流のようだけれど、動きに無駄がない。
それでもクラーケンの触手はびくともせず、すぐさま体勢を戻してまたメリュジーヌさんへと向かっていく。
最初は楽々と弾き返していたメリュジーヌさんも、段々と押されているように見えた。
「あいつ、一人で先走りやがって! 言わんこっちゃねぇ!」
アノーラさんも、メリュジーヌさんを心配しているようだった。
勇者パーティですら苦戦するような相手なのに、メリュジーヌさんが加わっても勝ち目がなさそうだ。
「シュルクフさん! ボートを一つ貸してください! 旗艦まで行きます!」
僕はメインマストの上から、船首楼で舵をとっていたシュルクフさんに呼びかける。
「なに!? 正気か、ジャック!?」
そんな反応をされるのも当然だ。
小さなボート1艘では追いつけそうにないし、ましてや僕みたいな1冒険者に任せるのは不安だろう。
「考え方があります。……任せてくれますか?」
「……よし! お前は年齢不相応なぐらいにしっかりしてるからな。任せる」
そう言ってシュルクフさんは船乗りの一人に命じて、ボートを一つ船の側面に持ってきた。
「ありがとうございます! このまま落としてください!」
「おうよ!」
合図をすると、船乗りは腰のカトラスで縄を切ってボートを落とした。
「オレも行くぜ!」
僕に続いて、アノーラさんも船のへりを飛び越えてボートに飛び乗った。
「アノーラさん、ちょっと強力な魔術を使います! しっかり掴まっててください!」
「やっぱりそうだろうなと思ったぜ。いいぜ、やりな!」
僕はボートのオールを水面から上げて、ボートを高速で向かわせるための魔術を使用する。
「風よ、風よ、風よ。荒れ狂う汝の身を束ね、立ちはだかる敵を吹き飛ばす突風となりたまえ……」
狙いを定めた魔術が発動し、後ろから強力な追い風が吹き荒れる。
「ゲイルブロウ!!」
ボートを包み込むような筒状の風が吹き荒れ、一気に水上を加速させていく。
「へぇ、相変わらずすげぇな、ジャック!」
銀色の髪をなびかせながら、アノーラさんは僕の魔術に関心しているようだった。
それより今は、メリュジーヌさんを助けに行くことが最優先だ。
だんだんと風が弱くなっていき、ボートは旗艦のすぐ側で止まった。
触手と殴り合っていたメリュジーヌさんも、僕らが来たことに気がついたらしい。
「龍人の次はジャックだと!? 何を勝手な行動をしているんだ!?」
船首楼で剣を振るっていたピエールさんが、僕らの姿を見つけたようで驚いている。
「ジャック!? そんなもんで来たの!?」
「今はそれどころじゃありません!」 僕らも援護します!」
アノーラさんが矢を放つと、クラーケンの触手の一本に命中した。
でも、体表に弾かれてしまい、大したダメージにはなっていないようだった。
「こんなもんじゃダメだ! エンチャントアローじゃねぇと!」
「……アノーラさん、エンチャントアローに雷の魔術が込められているものがありましたよね?」
その質問から、アノーラさんは僕の意図を察したようだった。
「あるぜ! エレキアローを使うから、後は任せる!」
僕はドワーフクロスボウ・デリンモデルに特殊なボルトを装填すると、クラーケンに狙いを定める。
「そらっ!」
アノーラさんがエレキアローを放つのに合わせて、僕もボルトを水面に向けて放った。
二つの矢がクラーケンのすぐ近くに着水した途端、周辺の水面に強烈な電撃が走り、クラーケンの全身を駆け巡った。
やっぱり、水の中なら雷の魔術がよく効くらしい。
「へえ……やるじゃない、ジャック!」
いきなり強力な一撃を喰らったことに驚いたのか、クラーケンが島ほどもある貝殻ごと水中へと沈んでいく。
「そうはいかないから!」
メリュジーヌさんは何を思ったのか、クラーケンの貝殻にしがみついた。
「えっ、だ、ダメですよ! 戻ってきてください!」
「うるさいわね! コイツ逃すと何するかわからないじゃない! だいだい、決着つけられないのに逃げられるのって癪なのよ!」
そのままメリュジーヌさんは、クラーケンごと海中へと沈んでいく。
「あのバカ、一緒に沈んじまいやがった……」
アノーラさんが呆気に取られている横で、僕はボートから身を乗り出して水中に目を凝らしていた。
でも、常人なら息が続かないだけの時間が流れても、メリュジーヌさんが戻ってくる気配はない。
戻ってきてください、メリュジーヌさん……!
「……なんだ、あれは?」
旗艦から身を乗り出したピエール様が、何かに気がついたようだった。
途端、海面から水柱が高く上がり、触手、目玉、貝殻と、あちこちが千切れたクラーケンが巻き上がった。
やがて、水柱とクラーケンの破片も止んでいく。
水飛沫の中から姿を現したのは、海水で藍色の髪を濡らした、僕の使い魔となった龍人の女性だった。
「……心配かけたわね、ジャック」
メリュジーヌさんは、こちらに向かって微笑みかける。
僕とアノーラさんは『龍の背』の由来となった恩人の無事を喜んだ。




