繊細な心が邪魔をする
傷つかなくて良いことに、ずっと傷ついてきた。
大事なものを、読み違えていることにも気づかずに。
自分が周りと違うこと、他の人間と何かがズレていることを、ずっと嫌悪し、引け目に感じてきた。
同じ世界を視ているはずなのに、僕だけ違う言動、異なる反応をしてしまうのは、自分が劣っている所為だと信じていた。
だが、そもそも根本からして間違っていた。
この世界に、“同じ”世界を視ている人間など、唯の一人も存在しない。
同じ世界を生きていても、心に映る世界は、皆違う。
僕たちは、誰とも世界を共有できていない。
――そのことに、僕はようやく、気がつき始めた。
以前から不思議に思っていた。
相手の嫌がることを、平気で言ったり、したりする人間がいることに。
相手の置かれた状況を見ず、自分の都合だけでズカズカ“邪魔”をする人間が存在することに。
僕はてっきり、わざとそうしているのだと思っていた。
僕のことが嫌いで、どうでも良い人間だと思っているから、わざとそういう扱いをしてくるのだと。
僕は、そんな扱いをされる程度の人間なのだと、ひとりで勝手に傷ついていた。
僕にとって、相手を気遣うことは、当然……と言うより“自然”なことだった。
敢えて意識することすら無い、僕という人間に刷り込まれた本能のようなもの。
相手の心は読めずとも、嫌な気分やマイナス感情は、何となく伝わって来る。
そういうネガティブな雰囲気を感じると、まるで冷たい棘に全身を刺されているような気持ちになる。
居た堪れなくて、苦しくなったり、気分が悪くなったりする。
それを未然に防ぐのは、善でも偽善でもなく、自分自身を守ることだ。
僕の言動で、他人を不快にしたくない。
それは鏡のように跳ね返って、僕自身の心をも曇らせるから。
……そんな風に感じ、行動するのは、僕だけではないと思っていた。
極端に自己中心的だったり、わざと他人を傷つけようというのでもない限り、皆がそうするものだと思っていた。
つき合いの長い相手なら、快と不快の境目が、ある程度は視えてくる。
だが、初対面やつき合いの浅い相手は、それが全く未知の領域だ。
だから、入学したてや新年度は、いつでも極度に緊張する。
学校に行って、帰って来る――それだけで、ぐったりと疲れ果てる。
それは僕が人見知りな所為で、自分の“欠点”だと思っていた。
最初から積極的に他人に話しかけていける人間は、僕より“優れた”人種なのだと思っていた。
東京の大学に進学した時、僕はひとつの目標を、己に課した。
消極的な自分を捨て、社交的な人間になること。
いつまでもこんな自分のままでは、この先やっていけないと思ったからだ。
地元を離れ、人間関係がリセットされる今ほど、自分を変える好機は無い。
内心の恐れを必死に押し隠し、他人に話しかけた。
周囲にいる社交性の高い人間を、密かに観察し、言動を真似ようとした。
だが、そうして観察していくうち、奇妙な違和感を覚え始めた。
自分より優秀に見え、羨んでいたはずの人々……なのに、気づけば僕は、そんな彼らに少しも憧れを抱いていない。尊敬の念も覚えない。
僕は本当に、彼らのようになりたかったのだろうか……。
“他人と話せる”ということと、“他人と親密な関係を結べる”ということは、似ているようで、“同じ”ではない。
僕の観察する人間の中には、相手が傷つくようなことを、平気でポンポン口にする者もいた。
傷つけられたその相手は、口では何も抗議せず……けれど態度や表情が、哀しみや不快感を如実に物語っていた。
少なくとも僕には、はっきりとそれが分かった。
そうしてその相手は、だんだんと、自分を傷つけた相手から距離を取るようになる。
僕にはそれが、ごく自然な成り行きに見えた。
誰だって、自分の心を害する人間と一緒にいたくはない。
なのに傷つけた当の本人は、それを自然なこととは思わず「相手の気まぐれ」と怒るのだ。
当初は、どういうことなのか全く理解できず、混乱した。
だが、さらに観察を続け、思考を巡らせるうちに、ようやくひとつの結論に辿り着いた。
――僕には当たり前に視えている、他人の苦しみや痛み。それが視えない人間もいるのだ。
自分の言動が相手にどう思われたか気づけない……そもそも、それを考えることさえ思いつかない人間が、この世界には存在するのだ。
人間という生き物が、一人一人“違う”ということは、知っていた。
けれど、それがどう違うのかは、実際に“違う人間”と出逢うまで、知ることができない。
出逢っても、その違いを深く知ろうとしなければ、気づけない。
僕はこれまで、しばしば他人の言動を不思議に思ってきた。
だが、それは実は、不思議でも何でもなかったのかも知れない。
僕たちは、同じ世界を生きている心算で、その実、視えているものがまるで違っていた。
心に映るものが違うのだから、そこから生じる言動が“違う”のも当然だ。
たぶん、彼らの心に映る世界では、僕の方がよほど不思議に視えていただろう。
他人の心の内を気にして、行動を躊躇い、言いたいことの半分も言えない――それは、他人の心を気にしない、そもそも視えていない人間にとっては、きっと奇異なことでしかない。
勇敢だと信じていた人間が、実は、ただただ恐いもの知らずなだけだった――僕がその時覚えたものは、そんな肩透かしな感覚だった。
他人をうっかり不快にさせてしまった時の、あの居た堪れなさ――それを知らずにいられるなら、他人と話すのに、緊張も恐れも要らないだろう。
悟ると同時に、強烈な妬みに襲われた。
彼らは、他人を気にしない。気にならないから、気を遣うこともない。
相手にどう思われようと、そのこと自体、気づかない。
ただ自分のやりたいこと、言いたいことばかりを視ている。
だが、それゆえにその言動は躊躇も迷いも無く大胆で、その行動力が道を拓き、評価されることもある。
その遠慮の無い物言いが、結果オーライで親密な関係を生むこともある。
その一方で、他人の感情を恐れる僕は、常に人目を気にして、一歩も動けない。
損な性分に生まれてしまったと、本気で嘆き、絶望した。
他人の感情を敏感に感じ取り過ぎるこの心が、僕の人生を邪魔する。
何もかもに怯え、恐れ、傷つく心が、僕が生きる邪魔をする。
鈍感になりたいと、本気で思った。
何も感じないように、傷つかないように、硝子の心臓を真綿でくるむようにして、この感受性を鈍く、鈍くしていきたい……と。
他人の感情は視えても、何が相手の地雷なのかが視えるわけではない。
平気で地雷を踏み抜く人間の横で、地雷に触れぬようビクビクして、気づけばまた、寡黙になっている。
いつも、同じことの繰り返し。
必要最低限の会話だけで、交友関係が広がるわけもないのに。
大学からの帰路はいつも、変われない自分に落ち込み、沈む。
電車の緩い振動に、揺蕩うように身を委ねながら、見るともなしに窓の外を眺めている。
僕は元々、風景を眺めるのが好きだ。
周囲は目にも留めないような景色に、心震えて立ち尽くすことが、よくある。
雨の日には、川面に浮かぶ波紋を、飽かず眺めたものだった。
灰色の水面に雨粒が描き出す、無数の多重円。
生まれてはすぐに広がり消えるそれが、他の円と重なり合い、一瞬、レースのように繊細な模様を創り出す。
刹那の間にしか存在しない、天然の芸術。
晴れの日には、空を見上げる。
空の色は、光の色だ。
透明な水の底を覗いているような昼の青空も良いが、夕暮れの、黄金や朱に燃える空には、いつも圧倒される。
雲の縁までが金の光に彩られた、贅沢な夕景。
何故皆、テレビの中や遠い海の向こうの絶景にばかり憧れて、こんなにも綺麗なものに目を向けないのか、不思議でならなかった。
この景色は“ありふれた”ものなどではない。
あと数分もすれば失われてしまう、今この瞬間にしか存在しない光景なのに。
今ならば分かる。
この感覚もまた、他の人間とは違うものだった。
他の人間は、僕ほどには、この世界にいちいち心動かされたりしていない。
毎日同じ風景を見ていると、季節の移ろいに敏感になる。
今は、秋。街の木々が絢爛豪華な紅や黄に染まり、その存在を主張する頃だ。
ただ一色に染まりきった姿も良いが、徐々に色を変えていく、その過程を眺めるのも好きだ。
紅葉は上枝から始まり、色の少ない虹のようなグラデーションを描きながら、ゆるやかに下枝に到達する。
枯れ落ちた灰茶の木の葉でさえ、陽に照らされれば金にも見える。
さらさらに乾いた幾百もの枯葉が、擦れ合い、さざめくような音を立てながら、一斉に地を転がっていく。
それはまるで、小動物か妖精の徒競争のようで、見ているだけで顔が綻ぶ。
夕陽に染まる草原には、穂に白金の灯を点した薄の群れ。
夜の道には、集く虫の音。青闇の中に満ちる、小さな鈴を震わせたような、密やかな命の音色。
秋は終日、飽きることがない。
けれどあるいは、この感覚でさえ、ごく限られた人間だけのものなのかも知れない。
ひょっとすると、僕だけしか知らない、誰とも共有することのできない世界。
他の人間のように上手く生きられない自分を、どれだけ疎ましく思ったか知れない。
自分で自分を否定して、自分で自分の心を抉った。
けれど、そんな時も、どんな時でも、世界は必ず美しかった。
どれだけ心が沈んでいても、視界に飛び込む景色の美しさから、僕は目を逸らすことができない。
傷ついた心を持て余しながら、それでも尚、世界の美しさに圧倒されて、一時、その痛みを忘れ果てる。
だから僕は、どれだけ嫌なことがあっても、この世界を嫌いになることができない。
他人の数倍鋭敏な心が、受ける痛みを倍増させる。
気づきたくもない他人の心の闇や痛みまで、否応なしに知ってしまう。
けれど、他人の数倍鋭敏な心が、世界の美しさをも倍増させる。
他人が気づきもしない、ささやかな風景の中の極上の美に、至極自然に目が留まる。
嫌なことに傷つくたびに、鈍くなりたい、何も感じなくなりたいと、切実に願ってきた。
けれど、この心を鈍らせたなら、きっと僕の心に映る世界は、美しさを失くす。味気なく、つまらないものに変わる。
逃げ場の無い二者択一に囚われながら、今日もまた、世界の美しさに慰められて、泣きたい気持ちになっている。
この世界をこんなにも好きになれた僕は、それだけでもきっと、幸せなのだろう。
これは、誰もが抱ける感情ではない。
けれど、世界の美しさをどれだけ知ろうと、人間の中で上手く生きられるわけではない。
結局、僕の人生の天秤は、幸福と不幸、どちらに傾いているのだろう。
自分でも、分からない。
分からないまま、生きている。
変われない心で、今日も世界の中に、僕の心にしか映らない一瞬の美を探している。
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