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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

繊細な心が邪魔をする

作者: 津籠睦月

 傷つかなくて良いことに、ずっと傷ついてきた。

 大事なものを、読み違えていることにも気づかずに。

 

 自分が周りと違うこと、他の人間と何かがズレていることを、ずっと嫌悪けんおし、引け目に感じてきた。

 同じ世界をているはずなのに、僕だけ違う言動(げんどう)ことなる反応をしてしまうのは、自分がおとっている所為せいだと信じていた。

 

 だが、そもそも根本からして間違まちがっていた。

 この世界に、“同じ”世界をている人間など、ただの一人も存在しない。

 同じ世界を生きていても、心に映る世界は、(みな)違う。

 僕たちは、誰とも世界を共有できていない。

 ――そのことに、僕はようやく、気がつき始めた。

 

 以前から不思議に思っていた。

 相手の嫌がることを、平気で言ったり、したりする人間がいることに。

 相手の置かれた状況を見ず、自分の都合つごうだけでズカズカ“邪魔”をする人間が存在することに。

 僕はてっきり、わざと(・・・)そうしているのだと思っていた。

 僕のことが嫌いで、どうでも良い人間だと思っているから、わざとそういうあつかいをしてくるのだと。

 僕は、そんな扱いをされる程度ていどの人間なのだと、ひとりで勝手に傷ついていた。

 

 僕にとって、相手を気遣きづかうことは、当然……と言うより“自然”なことだった。

 えて意識(・・)することすら無い、僕という人間にり込まれた本能のようなもの。

 相手の心は読めずとも、嫌な気分やマイナス感情は、何となく伝わって来る。

 そういうネガティブな雰囲気ふんいきを感じると、まるで冷たいとげに全身をされているような気持ちになる。

 たまれなくて、苦しくなったり、気分が悪くなったりする。

 それを未然に防ぐのは、善でも偽善ぎぜんでもなく、自分自身を守ることだ。

 

 僕の言動で、他人を不快にしたくない。

 それは鏡のようにね返って、僕自身の心をもくもらせるから。

 

 ……そんな風に感じ、行動するのは、僕だけではないと思っていた。

 極端に自己中心的だったり、わざと他人を傷つけようというのでもない限り、皆がそうするものだと思っていた。

 

 つき合いの長い相手なら、快と不快の境目さかいめが、ある程度ていどえてくる。

 だが、初対面やつき合いの浅い相手は、それが全く未知の領域だ。

 だから、入学したてや新年度は、いつでも極度きょくど緊張きんちょうする。

 学校に行って、帰って来る――それだけで、ぐったりとつかてる。

 それは僕が人見知りな所為せいで、自分の“欠点”だと思っていた。

 最初から積極的に他人に話しかけていける人間は、僕より“(すぐ)れた”人種なのだと思っていた。

 

 東京の大学に進学した時、僕はひとつの目標を、己にした。

 消極的な自分を捨て、社交的な人間になること。

 いつまでもこんな自分のままでは、この先やっていけないと思ったからだ。

 地元をはなれ、人間関係がリセットされる今ほど、自分を変える好機こうきは無い。

 

 内心のおそれを必死に押しかくし、他人に話しかけた。

 周囲にいる社交性の高い人間を、ひそかに観察し、言動を真似まねようとした。

 だが、そうして観察していくうち、奇妙な違和感いわかんおぼえ始めた。

 

 自分より優秀に見え、(うらや)んでいたはずの人々……なのに、気づけば僕は、そんな彼らに少しもあこがれをいだいていない。尊敬の念も覚えない。

 僕は本当に、彼らのようになりたかったのだろうか……。

 

 “他人と話せる”ということと、“他人と親密な関係を結べる”ということは、似ているようで、“同じ”ではない。

 僕の観察する人間の中には、相手が傷つくようなことを、平気でポンポン口にする者もいた。

 傷つけられたその相手は、口では何も抗議こうぎせず……けれど態度や表情が、哀しみや不快感を如実にょじつに物語っていた。

 少なくとも僕には、はっきりとそれが分かった。

 そうしてその相手は、だんだんと、自分を傷つけた相手から距離きょりを取るようになる。

 僕にはそれが、ごく自然なきに見えた。

 誰だって、自分の心を害する人間と一緒いっしょにいたくはない。

 なのに傷つけた当の本人は、それを自然なこととは思わず「相手の気まぐれ」と怒るのだ。

 

 当初は、どういうことなのか全く理解できず、混乱した。

 だが、さらに観察を続け、思考をめぐらせるうちに、ようやくひとつの結論に辿たどり着いた。

 ――僕には当たり前にえている、他人の苦しみや痛み。それが視えない人間もいるのだ。

 自分の言動が相手にどう思われたか気づけない……そもそも、それを考えることさえ思いつかない人間が、この世界には存在するのだ。

 

 人間という生き物が、一人一人“違う”ということは、知っていた。

 けれど、それがどう違う(・・・・)のかは、実際に“違う人間”と出逢であうまで、知ることができない。

 出逢っても、その違いを深く知ろうとしなければ、気づけない。

 

 僕はこれまで、しばしば他人の言動を不思議に思ってきた。

 だが、それは実は、不思議でも何でもなかったのかも知れない。

 僕たちは、同じ世界を生きている心算つもりで、そのじつえているものがまるで違っていた。

 心に映るものが違うのだから、そこからしょうじる言動が“違う”のも当然だ。

 たぶん、彼ら(・・)の心に映る世界では、僕の方が(・・・・)よほど不思議に視えていただろう。

 他人の心の内を気にして、行動を躊躇ためらい、言いたいことの半分も言えない――それは、他人の心を気にしない、そもそも視えていない(・・・・・・)人間にとっては、きっと奇異なことでしかない。

 

 勇敢ゆうかんだと信じていた人間が、実は、ただただ恐いもの知らずなだけだった――僕がその時覚えたものは、そんな肩透かたすかしな感覚だった。

 他人をうっかり不快にさせてしまった時の、あのたまれなさ――それを知らずにいられるなら、他人と話すのに、緊張も恐れもらないだろう。

 さとると同時に、強烈なねたみにおそわれた。

 

 彼らは、他人を気にしない。気にならないから、気をつかうこともない。

 相手にどう思われようと、そのこと自体、気づかない。

 ただ自分のやりたいこと、言いたいことばかりをている。

 だが、それゆえにその言動は躊躇ちゅうちょも迷いも無く大胆だいたんで、その行動力が道をひらき、評価されることもある。

 その遠慮えんりょの無い物言いが、結果オーライで親密な関係を生むこともある。

 その一方で、他人の感情を恐れる僕は、つねに人目を気にして、一歩も動けない。

 そん性分しょうぶんに生まれてしまったと、本気でなげき、絶望した。

 

 他人の感情を敏感びんかんに感じ取り過ぎる(・・・)この心が、僕の人生を邪魔する。

 何もかもにおびえ、おそれ、傷つく心が、僕が生きる邪魔をする。

 

 鈍感どんかんになりたいと、本気で思った。

 何も感じないように、傷つかないように、硝子がらすの心臓を真綿まわたでくるむようにして、この感受性をにぶく、鈍くしていきたい……と。

 

 他人の感情・・えても、何が相手の地雷なのか(・・・・・・・・・・)が視えるわけではない。

 平気で地雷をく人間の横で、地雷にれぬようビクビクして、気づけばまた、寡黙かもくになっている。

 いつも、同じことのり返し。

 必要最低限の会話だけで、交友関係が広がるわけもないのに。

 

 大学からの帰路きろはいつも、変われない自分に落ちみ、しずむ。

 電車のゆる振動しんどうに、揺蕩たゆたうように身をゆだねながら、見るともなしに窓の外をながめている。

 

 僕は元々、風景をながめるのが好きだ。

 周囲は目にもめないような景色けしきに、心(ふる)えて立ちくすことが、よくある。

 

 雨の日には、川面かわもに浮かぶ波紋はもんを、かずながめたものだった。

 灰色の水面みなも雨粒あまつぶえがき出す、無数の多重円。

 生まれてはすぐに広がり消えるそれが、他の円とかさなり合い、一瞬、レースのように繊細せんさい模様もようつくり出す。

 刹那せつなにしか存在しない、天然の芸術。

 

 晴れの日には、空を見上げる。

 空の色は、光の色だ。

 透明とうめいな水の底をのぞいているような昼の青空も良いが、夕暮れの、黄金や朱に燃える空には、いつも圧倒あっとうされる。

 雲のふちまでが金の光にいろどられた、贅沢ぜいたく夕景ゆうけい

 

 何故(なぜ)皆、テレビの中や遠い海の向こうの絶景にばかりあこがれて、こんなにも綺麗なものに目を向けないのか、不思議でならなかった。

 この景色は“ありふれた”ものなどではない。

 あと数分もすれば失われてしまう、今この瞬間にしか存在しない光景なのに。

 

 今ならば分かる。

 この感覚もまた、他の人間とは違うものだった。

 他の人間は、僕ほどには、この世界にいちいち心動かされたりしていない。

 

 毎日同じ風景を見ていると、季節のうつろいに敏感びんかんになる。

 今は、秋。街の木々が絢爛豪華けんらんごうかあかや黄にまり、その存在を主張するころだ。

 ただ一色(ひといろ)に染まりきった姿も良いが、徐々(じょじょ)に色を変えていく、その過程かていながめるのも好きだ。

 紅葉こうよう上枝ほつえから始まり、色の少ない虹のようなグラデーションをえがきながら、ゆるやかに下枝しずえ到達とうたつする。

 

 れ落ちた灰茶のでさえ、らされれば金にも見える。

 さらさらにかわいた幾百いくひゃくもの枯葉かれはが、こすれ合い、さざめくような音を立てながら、一斉(いっせい)に地をころがっていく。

 それはまるで、小動物か妖精の徒競争ときょうそうのようで、見ているだけで顔がほころぶ。

 

 夕陽ゆうひに染まる草原くさはらには、穂に白金プラチナともしたすすきれ。

 夜の道には、すだく虫の青闇あおやみの中に満ちる、小さな鈴をふるわせたような、ひそやかな命の音色ねいろ

 秋は終日ひもすがらきることがない。

 

 けれどあるいは、この感覚でさえ、ごく限られた人間だけのものなのかも知れない。

 ひょっとすると、僕だけしか知らない、誰とも共有することのできない世界。

  

 他の人間のように上手うまく生きられない自分を、どれだけうとましく思ったか知れない。

 自分で自分を否定して、自分で自分の心をえぐった。

 けれど、そんな時も、どんな時でも、世界は必ず美しかった。

 

 どれだけ心が沈んでいても、視界に飛び込む景色の美しさから、僕は目をらすことができない。

 傷ついた心を持てあましながら、それでもなお、世界の美しさに圧倒あっとうされて、一時(いっとき)、その痛みを忘れ果てる。

 だから僕は、どれだけ嫌なことがあっても、この世界を嫌いになることができない。

 

 他人ひとの数倍鋭敏(えいびん)な心が、受ける痛みを倍増させる。

 気づきたくもない他人の心の闇や痛みまで、否応いやおうなしに知ってしまう。

 けれど、他人の数倍鋭敏な心が、世界の美しさをも倍増させる。

 他人ひとが気づきもしない、ささやかな風景の中の極上ごくじょうの美に、至極(しごく)自然に目がまる。

 

 嫌なことに傷つくたびに、鈍くなりたい、何も感じなくなりたいと、切実に願ってきた。

 けれど、この心をにぶらせたなら、きっと僕の心に映る世界は、美しさをくす。味気あじけなく、つまらないものに変わる。

 逃げ場の無い二者択一にしゃたくいつとらわれながら、今日もまた、世界の美しさになぐさめられて、泣きたい気持ちになっている。

 

 この世界をこんなにも好きになれた僕は、それだけでもきっと、幸せなのだろう。

 これは、誰もがいだける感情ではない。

 けれど、世界の美しさをどれだけ知ろうと、人間ひとの中で上手く生きられるわけではない。

 結局、僕の人生の天秤てんびんは、幸福と不幸、どちらにかたむいているのだろう。

 自分でも、分からない。

 分からないまま、生きている。

 変われない心で、今日も世界の中に、僕の心にしか映らない一瞬の美をさがしている。

Copyright(C) 2021 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても共感できました。私も つい最近このHSPを知りました。 
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