翠の疾風
2018年5月に自費出版した際に書き下ろした部分。
物語の謎の部分が、こちらの話である程度明かされます。
『翠の疾風』
――それは遠き日の夢
男の子が生まれたらシャルス、女の子が生まれたらカシルって名づけたいわ……
風と水の国の国境にある開拓民の村で生活していた頃…ある日愛する妻が、少し大きくなり始めたお腹にそっと触れながらある日、告げた。
どうしてその名をつけたいのか尋ねたら、彼女ははにかむように笑いながらこう答えたのを今でも良く覚えていた。
貴方が歌ってくれる詩の中に出て来る…英雄王シャルーシッド様と、稀代の魔術師カシア様からそれぞれ取ったの。貴方が歌ってくれる英雄譚…大好きだから… そう答えた彼女がとても可愛くて、男の子でも良い……女の子でも、良い。
自分達の子がこの世に生を受けて、親子三人で暮らすことが出来たら……それだけでとても幸せになれるだろうと、そう確信してた。
だが、その幸せの場面は反転し、その幸せが破壊された日に場面が移り変わった。
――彼女は殺されてしまったから
お腹の子供が、生まれる前に。彼女の婚約者だった男から、少女は自由になるために逃げて来て……その逃亡の果てに、自分と彼女は出会い恋に落ちて結婚した。
だが、かつて婚約者だった男はそれを許さなかった。
追いかけて、彼女を…子供と共に、殺めてしまった。
その男を殺して仇を討っても、俺の気持ちは晴れなかった。
ラドニス……先に逝ってごめんなさい。そしてちゃんと……貴方を産んであげれなくて
……ごめんね、シャルス……
それが彼女の最後の言葉であり、遺言だった
*
――あの子を、どうか助けて…お願い…!
久しぶりに過去の夢を見て、目覚めると同時に…何故か、妻だった少女の声で…そう呼ばれた気がした。
「リーダロア……? 何故、君の声が……幻聴か……?」
ザウル帝国の都市よりかなり遠方に位置する、ソフィーダ地方。
その山に打ち捨てられた山小屋で一夜の宿を取っていたラドス=フォルレインは、10 年前に妻を亡くした日の夢を見て当時の苦い気持ちを思い出していた。
リィィィン…と金属同士が反響しあうような音が、向こうの方から聞こえているような気がした。
「何だよ……この音は…それに、何で…向こう側に光のような物が見えるんだ……」
――お願い、助けて……! 早く……!
突然の事態に、彼は混乱しそうになった。だが……かつて愛していた女の声で、そんな風に呼ばれたら無視出来る訳がない。
「風よ、俺に力を貸してくれ……」
自分の周りに渦巻いていた風に呼びかけて、彼は…その力を使い…淡く輝いている光がある方向に急いで向かっていく。
その小屋より三百メートルぐらい離れた地点に、帝国式の甲冑を身にまとった兵士が4人程いて…誰か一人、少年らしき体格の人物を取り囲んでいた。
「風よ、踊り狂え……!」
ラドスが命じると同時に、風がうねり…兵士達の喉を切り裂く、鋭い凶器へと変貌していった。
「うぐっ……!」
「なっ……?」
何が起こっているのか分からない茫然とした体で、次々に男達が倒れて絶命していく。
「おい、そこの坊主…大丈夫か?」
問いかけて、黒ずくめの衣装を身に纏う…恐らく少年だろと推測して声をかけていく。
口元は布で覆われていて、顔はとっさに判別出来ない。
弱々しい眼差しが、こちらに向けられた時……一瞬、心臓が止まるかと思った。
怪我の状態は酷く、かなりの重傷をすでに負わされているようだった。
「うわっ、思ったよりもひどい怪我だな」
「あの、あ、りがと…」
「なーに、弱い者イジメが嫌いなだけだよ」
こちらが軽口を叩くと、少年は笑おうとしたが再び貧血を起こしたらしい少年の意識は途切れつつあった。瞼を深く閉ざし、身体から急速に力が無くなっていく。
「おい、坊主!」
呼びかけても、彼は目覚める気配がなかった。
むしろこのまま放置していたら、失血死することは免れないだろう。そう判断して彼は回復魔法を唱えていく。
「神の癒し!」
意識を集中して、自らが使える最大レベルの治癒魔法を発動させて…傷ついた個所に手を這わせて、傷を急いで塞いでいく。
四肢を剣に刺し抜かれたらしい少年の傷はかなり深いものだった。
だが死なせるものかと……ありったけの魔力を注いでいってやると全部の傷口から血が止まり……顔色にも生気が戻ってきた。
「とりあえず…これで峠は越したかな…さて、こいつの面でも…拝ませてもらおうかな……」
さっき彼の双眸を見ただけでも……もしや、と思った。
彼の顔を覆っていた黒いフードと、口元の布地を取り払っていくと……その風貌に、ラドスは言葉を失った。
「ウソだろ……」
金色の髪、青い碧玉のような双眸……そしてどこか幼さが残る、中世的で整った容貌。その顔は……自分の妻だった少女に瓜二つで、絶句するしかなかった。
「……お前は一体、何者なんだよ……」
ラドスは、意識を失ってぐったりしている少年を抱き抱えていくと…自分が寝泊りしていた山小屋の方まで彼を運んでいったのだった。
*
――もし、彼女が死んでなかったら。
お腹の子が無事に産まれていたのなら……とこの十年間、何度も考えた。
きっとささやかながら幸せな家庭を築いて、今も自分達は一緒に暮らしていただろう。
そんなことを考えつつ、傷ついた少年を介抱し…お湯で全身を清めて、清潔にした状態でベッドに寝かしつけていく。
長い間放っておかれた山小屋のせいで埃っぽさや、すえたような匂いだけはどうしようもなかったが…今、青年が出来る精いっぱいのことをしてやった。
「あ~……何で男相手に、こんなに甲斐甲斐しく面倒見てやってるんだよ……俺!」
これが美少女相手だったなら、大歓迎だったのに……とぶつくさ言いながら、薪で焚いた火を利用して小鍋に朝食用の羊肉と野菜たっぷりのスープを作ってやっていた。
半分は自分の朝食も兼ねてだった。
近くにあった作業机の上に暖かいスープを木製の皿の上に半分ほど入れて乗せていき、椅子に座って暖かいうちにそれを食べ始めていった。
(ますます混乱していた……こいつの身体とか、所持品とか色々見てみたけど、余計に謎が深まった……)
一応この少年が持っていた所持品を介助の合間に検分した。
初歩の魔法の理論が記された写本が一冊、それと宝箱のトラップを解除するのに恐らく必要になるであろう様々な工具や道具が入ったキット、それとフロルの証と言われる一流の盗賊である証明となるライセンス証に、下着とタオルぐらいだった。
とりあえず所持金には一切手をつけず、目覚めた時に着れる用に一着、自分の着替え用にバザーで安く買った服を畳んで置いといてやった。
そのライセンス証に書いてあった名前と、年齢を見て……余計に混乱せざる得なかった。
シャルス=ドーン、15歳。
……自分の妻が無くなったのは10年前。要するに15歳の訳がない。
なのに、偶然の一致なのか知らないが……名前はシャルス。
その名は…もし男の子が生まれたら、名づける予定だった名前と同一だった。
「余計わけ分からないのが……何で、こいつにも同じアザがあるんだよ…」
怪我を介抱した時、ボロボロだった服は全部脱がせて清拭をした際、結果的に全身を見る形になった。
胸には彼女と同じ…青い、不思議な形のアザ。
そして右手には、自分と同じ…翠色の風が渦巻いているようなアザがあったのだ。
自分達二人の、特徴的なアザを…よりにもよって、この少年は両方持っているという異常事態に遭遇して……もう、どうして良いのか分からなくなった。まさに気分はお手上げ状態であった。
「あ~もう! 何でこんなわけ分からない事態になってやがるんだああああ!」
ガツガツとスープをやけ食いしながら、ラドスは困惑しきった様子で叫んだ。
人間、どうしようもない事態になったらとりあえず美味い物でも食べれば少しは気持ちが浮上する……と考えて、とりあえず手間暇かけて美味いスープを作ってみたが、全然気持ちが晴れない。
(こいつは俺の子供なのか……?けど、あの時…彼女は間違いなく死んでいた……。心臓も呼吸も完全に止まってて助かる見込みは全くなかったはずだ……)
もし助かる見込みがあったなら、全力で助けてどうにかしていた。
だが自分達の子供でなければ、そのアザが両方あるということは有り得ない。
アザが遺伝するものであるのなら、自分達の子供か、または自分達二人の双方の血縁であるか、そのどちらかでなければ成立しないはずなのだ。
だが母親は生まれる前に亡くなっている上に、年齢が一致しない。
なのに名前は、自分達が生まれてくるはずだった子につける予定だった名と同じ。
「……一体、どうやって……コイツは……生まれたんだ……?」
ラドスは必死になって、彼女が亡くなった日の記憶を辿っていった。
(確か彼女が息を 引き取った後……森全体がザワザワとざわめいて……招かれるように森の奥への道が開いていって。そこには神殿みたいなものがあって……その神殿の、輝いてる水の中に彼女の遺体を沈めた……はずだ……)
その開拓民の村の近くには、古くから伝わる神殿があるとは聞いていた。
だが……基本的に許された者しか立ち入ることが出来ず、見つけることも出来ない場所だとも聞いたことがあるような気がした。
食べる手を止めず、必死になって思考を遡り……この異常事態の回答を見つけようと模索した。だが今、彼が持っている情報だけでは結局答えを導き出せなかった。
(もう少しこいつのことを調べてみよう……)
朝食を食べ終わると、意識を失って眠り続けている少年の傍らに近寄っていった。
見れば見るだけ……妻に瓜二つで、こうして見ていると彼女が蘇って、こうして眠っているようにすら錯覚してしまう。
(こいつが女だったら……彼女の面影を重ねて、惚れてしまっていたかもな。男には興味ないから、その事態は有り得ないけどさ……)
それでも慈しむような手つきで、その髪を撫ぜていく。
息子につける名前と同じ名であったせいか…自分の子供のように感じてしまう。
「早く目を覚ませよ…お前さんには訊きたいこと、いっぱいあるんだからな…」
そう呼びかけて、一旦離れていく。
とりあえず近くの川に食器でも洗いに行って、水を調達してくるかと…小屋の外に出て、30分ほど外出していたら……戻って来た頃には、もぬけの殻になっていて……少年の姿も所持品も完全に消えてしまっていた。
しっかり置いてあった食事は無くなっていたが…一声も掛けられず、相手が消えてしまったのでラドスは途方に暮れていった。
「一言ぐらいお礼を言ってから消えろよ!よりにもよって俺がいない時に目覚めて、消えやがって…!」
そうして、様々な謎を一方的に残しつつ……妻に良く似た、自分の息子かも知れない少年は消えてしまったのだった。
*
彼女と出会ったのは、マーズファル国境付近の小さな村だった。女友達であるルーシルの所属している一座に同行して、弾き語りをしながら各地を回ってた時に初めて出会った。
――助けて下さい…!
涙を浮かべながら兵士に追われてた彼女。それを追い払うために風の魔法を使った。
強い力を使ったので、うっかり自分の髪は生来の色彩である緑色に輝いてしまい。驚きの表情を浮かべながら、そういえば彼女はあの時も俺のことをこう呼んだ気がした。
遠い記憶すぎて、彼女が亡くなった直後はそこまで思い至らなかったけれど。
――もしかして…貴方の名はラドニス、ですか?
思い出したのは皮肉にも、シャルスも同じ状況下に置かれていたからだ。
どこかの国の兵士に追われて、瀕死の重傷を負っていて。
――いや、俺はラドス=フォルレイン。ラドニスなんて名前じゃないよ…どっかの英雄物語とかに、そんな名があったような気がするけどね……
――そう、ですよね……じゃあ、その皮手袋を取って貴方の手を見せてくれますか?
――まあ、良いけど…?
彼女は、何故か自分の両手を初対面の日に見たがっていた。手のひらには緑の風が渦巻いているようなアザがあったので、それをあまり見られたくないので常に人前では隠しているのが習慣になっていた。
少し躊躇いがちに手袋を外して、自分の素手の状態で手のひらのアザを見せていくと ……。
――やっぱり、貴方は…
何かを確信したように彼女は呟き、切ないような、愛おしむような…そんな眼差しで、俺を見つめてきた。
――どうして、俺をそんな目で見るの……? 挑発でもしてるのかい……?
――挑発、してるのかも…知れませんね。さっき助けてもらったばかりだし…貴方は素
敵な人だから……
――こんな緑の髪の、得体の知れない男でも……?
彼女の顎に、無意識に触れていた。
だが彼女は真っ直ぐにこちらを見据えながらいった。
――ええ、貴方は素敵な人ですよ。その髪も、綺麗で……まるで宝石みたい……
陶然と呟く彼女が、とても可愛く映って……俺は衝動的にキスをした。
同時に、緑の髪を見られて恐れられなかったことも、大きく関係していたのだろう。
まるで遙か昔から知っているような懐かしいような……そんな風に何故か感じられてしまったから、情熱的に貪るようなキスをした。
そして何故か…彼女は、こう呟いた。
――やっと、貴方を…見つけられた…
初対面のはずなのに、何故、彼女がこう呟いたのか……疑問に思ったけれど。
金色の長く美しい髪、青い瞳をした華奢な身体つきの美少女に俺はその夜、一目惚れをした。
それから数ヶ月後、俺は彼女にこう告げられることになる。
――貴方の赤ちゃんが出来たみたい……
初対面で、すぐキスをして…出会って二週間も経過しないうちに子供まで作ってしまう展開に陥っていたなんて我ながらあの頃は若かったな……と苦笑したくなるが。
俺はあの頃、せいぜい二十歳前後だったし、彼女も十五歳でそう年は変わらないぐらいだった。
そして俺だけがすでに三十歳前後になり、彼女の時間は十六歳で止まってしまった。
(今も……君を忘れたことはない。リーザ……)
それは十年以上前に、彼女と出会った日の夜の記憶であった 。
*
山小屋から消えてしまったシャルスの足取りを必死に追いかけながら、彼女と出会ったばかりの頃の記憶が脳裏によぎっていた。
必死になって走りながら、かつて愛した女性の記憶がよみがえる度に自然と涙が溢れてしまって、止まらなかった。
今も、思い出せばつい涙ぐんでしまうぐらい…彼女の思い出と、亡くなってしまったことは俺の胸の中に残ってしまっているから。
(……本当に俺、彼女のことを思い出すと女々しいな。まだ割り切れてないし、辛いな……)
彼女となら、結婚しても良いと思った。
長い眠りについてたと…いつの時代から水晶に閉じ込められていたのか分からないという過去が俺にはあって。
それ以前の過去のことを殆ど覚えてない人間であったとしても……それがどこで、誰といても…引け目となって、一つの場所に滞在出来ない旅ばかりしてた臆病な男だったけれど。
旅をして各地を回ったのは、どこかに眠る前の俺を知っている人がいるかも知れないと探したいという気持ちもどこかにあったからだ。
けれど、目覚めてから十五年以上の月日が経過して、俺は少年からいつしか大人になってしまった。
その間に、過去の俺のことを知っている人物に出会うことはなかった。
『あんたは多分、五十年以上は眠っていた可能性がある。眠る前のあんたを知ってる人間がいたとしても、もう結構年老いてしまってるか、それ以上の月日が流れていたとしたら……誰もいないかも知れないね』
目覚めた直後に、自分の側にいた考古学者の女性は、そう言ってたことを思い出した。
今の自分の名前を与えてくれた、母親のような人。
リーダロアと出会ったのは、その事実を突きつけられて、どこで自分は生きていけば良いか、自分の居場所を探して各地を転々としてた、そういう時期だった。
そしてその旅の中、彼女だけが……かつての自分のことを何らかの形で知っているかも知れない。そういう可能性を示した人物だったから。
結局何度か尋ねたけれど、子供が生まれたら打ち明けると……はぐらかされてしまい、母胎ともに亡くなってしまったので、その理由を知らないままで終わってしまっていた。
――君となら家庭を作って、一つの場所に留まって生きても良いと思った。それぐらい、大事だったんだ……。
彼女といた時期のことが駆けている間に、走馬燈のように頭の中を巡っていった。
当時一緒に旅をしていた旅芸人の一座の連中のこともふと思い出して、つい呟いていった。
(もう10年以上会ってないけど……ルーシルは元気かな。あいつに会ったら、この優柔不断男って、絶対にケリを入れられるよな……)
つい古い友人のことを思い出し、苦笑した。
リーダロアのことも、ルーシルのことも……あの開拓民が作った風の国マーズファルと水の国キュリーフェスの国境にあった小さな村での日々を思い出した。
「シャルス…お前はどこにいったんだよ……」
突き動かされるような強い衝動が胸の中に、湧き上がって来る。
彼女にそっくりな、お前に出会ってから…胸のざわめきは収まってくれない。
「ちくしょう…! あいつが本当に俺と彼女の子供なのか……どうしても知りたい! あいつは一体どっちの方向に逃げたんだよ! 手がかりが欲しい! 誰か教えてくれよ!」
苛立ちながら叫んで、曇天に…雨が降りそうな様子に変わっていく空を見上げた。
――あちらへ……。
不意に誰かの声が、耳に届いた。
とっさに振り返るとそこには……青い髪、水色の瞳をした……白いローブを身にまとった人物が…まるで幻影のように、身体を透かした状態で立っていた。
――あちらに、貴方の運命そのものが……待ち構えています。貴方の出生も、知りたい答えを持っている人物が今窮地に立たされようとしています。どんな事実を突きつけられよ
うとも…真実を知りたいならば、あちらの方向に向かって下さい…
「お前……誰だ……?」
唐突に現れた謎の人物に、俺はとっさに及び腰になった。
整った顔立ちは何故かどこかで見たことあるような気分になったが…そいつは全く、意に介さずに俺の誰何の言葉はスルーしていた。
――私がどこの誰であるかなど、今はどうでも良いでしょう……。その人物を助けられなかったら、真実に至る道筋は閉ざされますよ……。
その謎の幻影は、そう言いながらはにかむように微笑むと……ある方角を指して、ゆっくりと幻のように儚く消えていこうとしてた。
指し示された方向には、大きな林があった。
そちらに向かって、走り出した途端。
周囲に鮮やかな稲光が走って、突風が巻き起こった。
「っ! 一体何が起こってやがるんだ……!」
俺の都合も考えずに、次々に予想外の出来事ばかりが怒濤のように押し寄せて来ているような感覚だった。
「向こうに……行くしかなさそうだな……!」
俺は覚悟を決めて、その謎の人物が指し示した方向へと大急ぎで駆けだしていった。 今は、それしか縋るヒントがない状態だったから。
「お前に繋がる道筋がこれだと言うのなら……追いかけてやるよ! お前のことを見なかったことにするなんて、もう出来ないからな、シャルス……!」
その青い髪の人物が誰かであることも気にかかることではあったけれど。
罠かも知れない、という考えも一瞬浮かんだけれど。
何故かその人物が敵ではないと……自分の味方であるのだと、自然と感じてしまっていた。
全力で俺は、光柱が立っている、その中心に向かって駆け出していった。
強烈な風が巻き起こり、光が走る度に…強烈な力で、帝国兵達がなぎ倒されて、累々とそこに折り重なって倒れていた。
そしてその中心に立っていた人物の姿を見て……俺は、驚愕のあまり息を呑む羽目になった。
(シャルス……?)
一瞬、あまりにそっくり過ぎたので、とっさにあいつだと思った。
まるで双子のように…うり二つだったから。
背格好も、体つきも…何もかもが同じで、違う所はせいぜい髪の長さと、服装ぐらいだった。
簡素な作りの、だがしっかりした縫製の服装に、複雑な文様が描かれた薄布をフワリと纏っているその人物は、体つきから恐らく少年であると推測された。
その人物が凪ぐように剣を振れば、強烈な風が巻き起こり一斉に帝国兵が吹き飛ばされていく。
何十人群がったとしても、次々に薙ぎ倒されていくだけだった。
圧倒的な力だった。
リーダロアにも、シャルスにも…どちらにも似ていながら、二人は似たような状況の時に逃げるしか術がないぐらい弱かったのに、この少年には自らの力で抗うことが出来るようであった。
雲が空を覆い、夜であるかのように周囲を暗く染めあげる中…その人物の放つ眩い剣戟だけが輝いている様は、妙にラドスを高揚させた。
まるで自分が弾き語っていた詩の中に出てくる英雄のようで…一騎当千とも形容出来るその強さに、ただ目を奪われた。
「シャルス……なのか……?」
その場にいた帝国兵を少年が全て薙払って地に伏せさせた頃…恐る恐る、ラドスはその人物に近づいて、訪ねていった。
赤の他人とは絶対に納得出来ないぐらいに顔立ちはそっくりな癖に、彼と同一人物ではないと確信出来てしまうぐらいの圧倒的な強さ。
「私の名は、シャルスじゃないですよ……」
その声は、男とも女ともつかない不思議で透明なものだった。
女性の柔らかさと、少年のボーイソプラノが入り交じったような……心地よくも、性別を感じさせない……そういう声音だ。
「私のことは……シャルダン、とでも呼んで下さい。遠い昔、私の盟友が……私に与えてくれた名ですから……」
そうはにかみながら、こちらに伝えてくる表情は…初めて出会った時のリーダロアの表情と重なって、とっさに抱きしめたい衝動に駆られていく。
(落ち着け、こいつは男だ……。どんだけ顔が似てても男を抱きしめる趣味は俺にはない……!)
そう自分に言い聞かせて理性を働かせていくと、改めてシャルダンと名乗った人物を向き直った。
その場にいた何十人もの帝国兵を一人でなぎ倒し、涼やかな顔でその場に立っている姿は、あまりに現実感がなかった。
対峙すると、妙に緊張した。自分の妻にそっくりなこの人物にまず…何を尋ねれば良いのだろうかと、思考を巡らせていった。
(あの……青い髪の奴が言っていた人物は…多分、こいつだ。けど窮地になんて陥ってなかったよな……。一人でこれだけの数をあっさり倒してしまうような奴だし……それにどんな風に訊けば良いんだ……?)
ラドスが思考を巡らせて、黙り込んでいると…その人物はフっと笑った。 思わず見とれるぐらい、綺麗な微笑みだった。
「……ふふ、お父さんに良く似てきましたね。貴方のお母さんの面影も……」
「っ……!」
その顔に懐かしむような、そんな色があって……心臓をギュっと握られてしまったかのような衝撃が走り抜けていった。
(俺を……こいつは、知ってる……? 俺自身だって知らない、覚えてもいない、両親のことを……?)
「……逞しく、立派な大人になりましたね。ラドニス……」
そう呼ばれた瞬間、出会った日に自分のことをそう呼んだ……かつてのリーダロアの表情と、被さっていった。
「俺の名前は、ラドスだ……! ラドス=フォルレインだ! ラドニス、なんて名前じゃない!」
「いいえ、貴方はラドニスです、ラドニス=シューレン…それが貴方の本当の名前です。私が、貴方の名前をつけたのですから……」
「……おい、ちょっと待てよ。今、何て言った……シューレンって、それって……」
その姓を聞いて、青年はワナワナと震えた。
認めたくなかった…信じられなかった。
(リーダロアのフルネームは確か……リーダロア=シューレンだったはずだ。かつての俺が、シューレンという姓だったのならば……彼女と俺は、同じ一族か親戚の可能性が高い……?)
だから彼女は俺のことを知っているような素振りを見せたのか……?
明らかに彼女の血縁と思われる人物が、名づけ親なのだとしたら……。
唐突に突きつけられる事実に、目眩を覚えた。
「おいおいおい…ちょっと待ってくれよ。俺は、五十年以上眠っていた可能性があるっていう……ちょっと訳ありの奴なんだぜ。それなのに、そんな俺の名づけ親だってあんたがいうのなら……80歳以上、下手すれば百歳近くじゃなければあり得ない! あんた、そんな年に到底見えないぜ!」
「ああ、それですか。私は竜の血が濃いので……普通の人間より老化が著しく緩やかですので。一応百年以上は生きていますよ……!」
「があああああ! そんなん有りかああああ!」
ニコニコと笑いながら、あっさりと告げられる答えに俺は思わずツッコミ混じりに叫ぶ羽目になった。
次々に明らかになる事実に、もうどうしたらいいのか頭が混乱しそうだった。
その瞬間、雨がポツポツと周囲に降り始めていた。
相手の髪が、衣類がしっとりと……水に濡れていく様すら、酷く絵になるようなそんな気がして目を奪われていく。
凛々しく、気品の漂う整った顔立ち。
男だとか、女とか関係なく…その佇まいに、仕草や動作をつい注視してしまう。そういう存在感が、目の前の人物には存在していた。
ずっと自分の過去を、眠る前にどんな所に住んでいたのか…知っている人間がいないかを、心の奥底では探し続けていた。
そしてやっと…その手掛かりを得て、否応なしに胸は高鳴っていた。
「なあ、教えてくれ。俺の両親は……どんな人間、だったのかを、あんたは知ってるんだろう!」
「貴方の両親は……」
その人物が答えようとした矢先に、急に大きな影が迫って来て俺らの頭上で止まった。
大きな羽ばたきの音と、巨体が舞い降りる風圧が迫って来てそれだけで狼狽しそうだった。
見上げるとそこには柔らかい鳥のような金色の羽毛で覆われた大きな生物が佇んでいて……それが何かを認識した途端、思わず叫んでしまっていた。
「うわあああああ! ドラゴンっ?」
そう。柔らかそうな羽毛で覆われていたから最初は大きな鳥かなんかだと思った。
だが、その形状やフォルムを…大きさを見た途端鳥ではあり得ない、竜というかドラゴンだという事実を認識して、ラドスは腰が抜けそうになった。
この世界には確かに人里離れた危険地域にはドラゴンやペガサスといった幻獣の類は存在している。
それは事実だったけれど…実際にそういう生き物に遭遇することは、滅多にない。
しかし狼狽している青年とは対照的に、シャルダンの方は小さくため息を漏らす程度だった。
「また追いかけて来たんですか。もう、いい加減あきらめてくれれば良いのに……」
「つか! これあんたの追っ手なのかよ! ドラゴンに追いかけられるって一体何をしたら、そんな事態に陥るんだよ!」
「それは……今は話してる余裕ないですね。とりあえず、ラドニス、ちょっと手伝って下さい」
「へっ……手伝うって何を……?」
ニッコリと綺麗に笑いながら、シャルダンはとんでもないことを頼んできた。
「このドラゴンから逃げるか、追い払う手伝いに決まってるでしょう……? 私一人では、ちょっときつい相手なものですから……」
「えええええええ!」
「しかも厄介なことに、このドラゴンは殺す訳にはいかないものでね……。死なない程度の傷で追い払うには、貴方の手を借りないと厳しいってことです……」
「おいおいおい……綺麗な顔して、物騒なことをあっさりと言うなよ。あんた……」
リーダロアはどこまでも華奢で、儚げで…非力な少女だった。
そんな彼女と全く同じ顔をしているくせに、この人物はとんでもないことを平然と言い放ち、要求してくる。
「キシャアアアアアアア!」
ドラゴンが雄叫びながら、こちらに迫ってくる。
「ひっ!」
竜の爪が、こちらに向かって振りかぶって来た。
その瞬間、それに切り裂かれて成す術もなく…地に伏せた記憶が唐突に蘇ってきて、恐怖で身体が動かなかった。
その途端にフラッシュバックして、唐突に一つの場面が鮮明に頭の中で喚起されていった。
――ラドニスっ! いやあああああ!
青い髪をした、人物が泣きながらこちらの顔を覗き込んで来ていた。
それは先程、シャルダンがいる方角を教えて、道を指し示した人物に間違いなく、何故、あいつの顔が思い出されるのか理由が全く分からなかった。
「危ない!」
とっさにシャルダンが、こちらに全力で飛びついて…こちらの身体を押し倒し、紙一重でその爪の一撃をかわしていった。
「……何だ、今の記憶……。俺は、この竜と対峙するのは……初めて、じゃない……?」
今まで全く、過去のことなど思い出せなかった。
だが、この金色の竜を見た途端……重く閉ざされていた記憶の扉が少しだけ開いていく感覚がした。
「ヴァルド……カルス……?」
そして、竜の姿を見据えながら、ラドスははっきりとした口調でつぶやいていった。
さっきの青い髪をした人物の名前のほうは、そうだ……カルスだ。なら、こちらの竜は。
「ヴァルド……?」
そうだ、この竜の名前は、ヴァルド。
彼は確か、あの人の死を一緒に目撃して、そして、こいつはその心の隙間を突かれて、魔女に操られて……支配されてしまって俺を……。
「お前、ウァルドかよ…! 何で、どうして…俺を忘れたままなのかよ! 俺を殺して、それでまだ、操られているのかよ! 思い出せよ! バカ野郎!」
記憶が蘇った瞬間、罵倒する言葉が口をついていった。
「ラドニス……彼のことを、覚えてるんですか……?」
「たった今、思い出したばっかりだよ!」
怒濤のように、過去が追いかけて来ているような感覚だった。
そうだ、俺とウァルドとカルスは…兄弟のようにガキの頃から一緒に育っていたんだ。 ようやく記憶を少しだけでも……思い出せた。
かつての自分の記憶を、過去を…本当にわずかだけでも取り戻せた。そんな手応えをやっと得られた。
だが俺が名前を呼んで訴えても、竜の方には何の反応もない。こちらが倒れ込んでるにも関わらず…殺すつもりで、爪を振りおろしていく。
「危ない!」
シャルダンはとっさに片腕で青年を腕に抱いて跳躍していった。
自分よりも一回り以上大きな体の男性を苦もなく片手で抱き上げて転がり…紙一重で攻撃をかわしていった。
「ラドニス……! 今は訴えるよりも…どうやってこの場を切り抜けるかを考えましょう!」
「分かった、それしか…なさそうだな……!」
この竜が、自分の幼なじみで兄弟同然に育った相手であり、同時に自分が瀕死の重傷を負ったキッカケになった存在。
その事実を思い出し、混乱しそうになった。
だが、相手の方は自分を思い出してすらおらず……シャルダンを攻撃し、応戦しなければ巻き込まれて、重傷を負うか命を落とすか、そういう事態になりかねないという現実に直面させられて、思考を切り替えることにした。
(よく見れば、こいつの動きはそんなに早くない。振りおろされると素早いが、その行動に動く前は……結構、時間間隔が大きい。良く観察すればかわせる範囲だ)
向こうはこちらの背丈の三倍程度の大きさで、巨大生物である割には動きはそれなりに早いのは確かだ。
竜と対峙し、応戦する羽目になるのは……この目覚めてからの十五年に限っていえば初めての経験であり、怖くて震えそうになる部分もあった。
(けど、俺は死にたくない……! せっかく自分の過去の糸口が掴めたというのに、それを解きほぐす前に、くたばってたまるもんか……!)
シャルダンと自然と背中合わせになる体制で竜と向き合った。
竜が大きく息を吸い、その呼吸を溜める動作をしてから…暫くするといきなり炎のブレスを吐き出して来て、彼らの周りはあっと言う間に紅連の炎に包まれてしまった。
「うわあああ!」
「落ち着いて、周りを取り囲まれているだけです!」
突然の事態に混乱しそうになるが、シャルダンの声でかろうじて冷静さを保つことが出来た。
「ラドニス……貴方の力を貸して下さい! 彼女の……イフィの息子である貴方なら……風の力を操れるはずです!」
「分かった!」
そう告げると同時に、シャルダンは目を伏せて…呪文の詠唱を始めていく。
「大気に存在する水の精霊よ…我が呼びかけに応えて、力を貸したまえ…!」
(向こうが呼びかけてるのは水の精霊……ということは、炎を打ち消すことが出来るはず……。なら俺の風の力でその水流の勢いを増すことが出来れば炎を消して、この竜から逃げる隙を作り出せるはずだ……!)
相手の唱えている呪文の内容を聞いて、とっさに思考を巡らせて……その意図を読みとっていく。
「俺の周りに渦巻く風達よ!俺に力を、貸してくれ……」
それぞれ、大気の中に存在する元素に、精霊と呼ばれるものたちに呼びかけながら、その力を集め始めていく。
お互いの手が、ゆっくりと光輝き…力を溜め始めていく。
妻と同じ顔をした、その存在の動きや目線を観察して……息を合わせようと試みていった。
「はぁ!」
「やあっ!」
同時にかけ声を挙げると同時に、力を解放していく。
シャルダンが集めた水の力が奔流となって手のひらから滝のように勢い良く放たれていけば、その水をラドスの放った突風と激しく混じりあい……巨大な竜巻がその場に現れて、竜を飲み込んで押し上げていく。
「いけええええ!」
「はあああああ!」
お互いに渾身の力を込めて、術を解き放っていくと……ウァルドと呼ばれた金色の竜の身体が竜巻に飲み込まれて、空高く舞い上がっていった。
「今のうちに逃げましょう! ラドニス!」
「ああ、分かった!」
無意識のうちに、お互いに手を繋ぎ合って……全力疾走で逃げまとった。
だが追いつかれるかも知れない、そう危機感を覚えた時……ラドスは、シャルダンの身体をしっかりと抱いていった。
「風よ! 俺の身体を包み……力を貸せ!」
そう叫んだ瞬間、ラドスの身体は高速で移動し始めていき。
空高く舞い上がった竜が、地上に叩き落ちる頃には二人は遙か遠くまで離脱することに成功したのだった。
*
完全に竜の姿が見えなくなり…逃げ切れたことを確信した途端、泥のような猛烈な疲労感を覚えた。
「十年は寿命が縮んだような気分だぜ…全く…」
全力で魔力を駆使したせいで…茶色く染めているにも関わらず、淡く発光しているせいで生来の髪の色である緑色の髪が表に出てしまっていた。
――緑の髪に、緑の瞳。
自分以外に存在しない、異端の髪の色合い。
力を込めて風の魔法を使うと…普段は茶色に染めて隠しているのに、髪が光輝いてしまうせいでどうしてもこの色が現れてしまう。
この髪を見られる度に、周囲からは恐れられるような…化け物でも見るような目で見られることが多かったから。
その事実に気づいた時、ラドスはつい強ばったような顔を浮かべてしまっていた。
「ラドニス、髪の色が鮮やかな緑に………」
「そうだよ。ああいう、強い術を使うと…どうしても、出てしまうんだよ……」
「どうして、そんな顔をしてるんですか…」
「人に見られたくないんだ、この髪の色を……。周囲から化け物と言われて……おびえられることが、多かったから……」
だから、魔法を使えても…それを使わないで身を守れるように剣術や体術を覚えた。
「……つらい思いを、してきたんですね……。私が知らない間に……」
「えっ…」
シャルダンの小さな身体が、こちらを包み込むようにフワリと抱きしめてきた。
まるで、小さな子供をあやす母親のような…そんな優しさを込めて。
その瞬間、自然と涙がこぼれていた。
「あっ……」
自分の意志と関係なく、泣いてしまっていた。
化け物と言われないで、慈しみを向けられたことが……こんなにも、ほっとすることだとは…安心することだと、久しぶりに思い出した。
――宝石のように綺麗……。
リーダロアは初対面の時に、この髪をそう言ってくれたから。
そうだ、自分はそれが嬉しかった……嬉しくて仕方なかったから彼女を強く抱きしめた。
口づけたかったんだと……やっと自分の気持ちが分かった気がした。
「うっ……うっ……」
彼女に似た人間に抱きしめられて、心を凍らせて麻痺させるしか自分には耐える術がなかった事実を突きつけられた気がした。
(俺は……君を、愛してたんだ。こんなにも、十年もすぎてるのに……君に似た奴を見かけたら無我夢中で追いかけずにはいられないぐらいに、今も……)
シャルダンがこちらをあやすようにそっと、優しく背中を撫でさすってくる。
その時に、ふと気づいた事実があった。
(この抱き心地は……もしかして……)
同じ顔、似たような体格をしてるにも関わらずシャルスの身体は、抱きしめるとどこか堅くて……男であることは実感出来た。
だが、シャルダンの身体はどこか柔らかく……リーダロアを腕に抱いた感触にそっくりだった。
見た目は、確かに少年そのものだ。声は男とも女とも区別のつかない不思議な声音で、だからこそ余計に中性的というか…どちらとも判別出来ない状態だった。
けれど相手から抱き締められてその身体の柔らかさを実感した時、確信した。
「なあ……あんた、もしかして……女、か……?」
「……何で、そう思うんですか…?」
「身体の柔らかさが…男のそれとは違う気がしたんでな……」
そう問いかけた時、シャルダンの顔をまっすぐに見つめた。
「っ……!」
この人物には驚かされてばっかりだったが、最大級の衝撃をラドスは覚えた。
(こいつ……さっきまでと目の色が違う。最初は両方とも深い碧色だったのに……。今は右目が水色で、左目が碧になってる……?)
それに水色の方の目は、爬虫類……ドラゴンのような、縦長の楕円形の虹彩だった。
左目はサファイアのような碧、右目はまるでアクアマリンのように澄んだ色合いの竜眼。
それは彼が歌う……英雄の持つ、身体的な特徴と見事に一致してて思わず、その名前が口をついていた。
「もしかして……あんたは、英雄王……シャルーシッド=アルス=キュリーフェス……?」
竜の血を引いて、百年以上生きているとさっき言っていたのなら、そして百年前に活躍していた英雄と全く同じ特徴を持っている上に、圧倒的な強さまで備えているとしたら ……それは、本人しか有り得ないと思った。
そう確信したからつい、その名が自然と口から出てしまっていた。
「……もし、そうだとしたら、どうしますか……?」
相手は否定も、肯定もせずに…静かな微笑みを浮かべながらそう告げてきた。
「ちょっと待てよ。じゃあ、もしかして俺の両親って……父親って、もしかして……」
この人物は告げた。
自分の名づけ親であると、そして……英雄王本人だとしたら、語り継がれる物語には……常に、もう一人の人物が存在していた。
英雄王の傍らに常に立っていた人物。それは……。
「……貴方の父親は、私の盟友。異世界から来た勇者、ショウ……です」
「っ!」
自分は、シャルスが本当に息子かどうか知りたくて後を追いかけてきたはずだった。
だがその答えは得られないままだったが…代わりに、今まで思い出すことも出来なかった自らの出生を、知ることとなった。
なら……彼女は、リーダロアは……英雄王の、子孫だというのだろうか。
シャルダンとシャルスは双子のようにそっくりなのは……そのためだというのなら、納得がいった。
「俺の……父親が、勇者……?」
自分は、確かに長年眠っていたという事情があった。
けれど、目覚めてからは、この世界を気ままに旅する傭兵、または旅芸人 そんな風に生きてきた。 だから日銭を稼ぐために勇者と英雄王の出て来る詩は今までに幾度となく歌ってきたけれど。
その物語に出て来る勇者が、自分の父親であるなんてことは一度だって考えたことはなかった。
「そして貴方の母、イフィは私の親友でした。人と交わり血を残すことが出来ない呪いを私は持っていたから。だから彼女は……私の代わりに、命と引き替えに…あの人との子を残しました……」
「え、えっ……?」
(ちょっと待て……人と交わり子を残すことが出来ない?じゃあリーダロアはどうやって生まれた……?
それに私の代わりって、どういう意味だよ!)
「ちょっと待ってくれよ。混乱してきた。今の言葉って……その、とんでもない意味含んでないか……?」
「フフ、イフィと私は……同じ男性を愛した者同士です。けれど安心して良いですよ……。貴方とリーダロアは、兄弟ではない。遙か遠くには同じ血を引いていても……近親ではないですよ……」
シャルダンの口から、次々ととんでもない事実ばかりが明かされていく。
かつての自分とリーダロアは、同じ姓を持っていることも。
けれど兄弟ではなく親世代では、自分の母と目の前の英雄王が、父を愛した者同士なのだとしたら……。
(ちょっと待てよ。こいつがそもそも女なのだとしたら……どうして『英雄王』と呼ばれている……?)
そして、人と交わり子供を作れない人間の子孫がどうして存在しているのか……新事実が判明する度に、かえって謎が増えていってしまい……どうして良いのか分からなくなった。
「えっともう……俺の親世代のことは良いです……。あんたから話を聞けば聞くだけ……なんかもう、わけ分からなくなってきた……」
「あら、そうですか。まだまだ貴方に話したいことはいっぱいありますけどね…」
「いや……それよりも、単刀直入に聞かせてくれ。シャルスは…俺の息子なのか! あんたなら…その答えを知ってるんだろう……! 教えてくれ!」
「……その答えを知りたいのならば……あの子の側にいてあげて下さい。そうすれば……自ずと、回答を得ることでしょう……」
そして、シャルダンは真っ直ぐに南の方角を指さしていった。
「あの子と私は…繋がっています。どれだけ離れていても…私には、あの子が何処にいるかを察することが出来る……。この方角に向かって進んでいけば港町があり、そこに向かえばまた会える可能性が高いでしょう……」
繋がっている、という事実は……血縁であるからだろうか?
今のシャルスと、シャルダンはまるで双子のように……顔立ちも、背丈もそっくりだ。
むしろ他人だと言う方が無理だと思えるぐらいに相似していた。
「ここから南の港町……もしかしてクルベールか? そこに行けば良いんだな……?」
「はい……」
そうして微笑んで頷く顔は、驚くぐらいにリーダロアそっくりで。
自分の父も、シャルダンを愛したというのなら…顔も知らない父親と、妙な連帯感のようなものを感じていった。
「また…運命が交差するとき、必ず貴方と会うでしょう。……シャルスは、鍵。貴方の父親が…目覚めるために必要となる力を持って生まれた……宿命の子です。その鍵をどうか守ってあげてください……。私は彼の身代わりになることは出来ても…側にいて守ることは出来ないから……」
見とれるぐらいに綺麗な笑みを浮かべていきながら、シャルダンの身体が離れていく。
「……ちょっと待てよ。身代わりって。もしかしてウァルドはあんたを追いかけていたのはもしかして……」
「ある魔女が……その鍵を欲しています。その魔女の目を逸らすためには…私はあの子の代わりにならなくてはならなかった。本物の鍵であるあの子を守るためには……それ以外に方法がなかったから。力と記憶を封じて……もし目に触れても探知されないようにする以外に、術がなかったんです……」
「……あんたは一人、そうやって…シャルスの身代わりになって、これからも逃げ続けるというのか……?」
「簡単には捕まりませんよ。私には、身を守る程度の力は持っていますから。ラドニス、そろそろ行きますね……」
「待てよ……!」
とっさに離れていこうとするシャルダンの腕をつかんでいく。
細くて華奢な痩躯を見て ……抱きしめたい、守りたいという衝動が浮かんでくる。
「どうか、無事で……シャルダン!」
衝動的に、気づいたら抱きしめていた。
自分の父が愛した人。
自分の妻の祖先であるかも知れない人。
そして、自分の息子かも知れないシャルスと、どこかで繋がっている人物。
あれだけ強い癖に、腕の中に抱きしめると驚くぐらいに小柄で小さくて。
折れてしまいそうな身体を腕の中に抱きしめていると温もりが伝わって来た。
「……人の体温っていうのは、落ち着くものですね……。こんなに立派になって。ありがとう、ラドニス。少しだけ……温もりというのを思い出せた気がします……」
けれど、あっけなくシャルダンの身体は自分の腕の中をすり抜けていった。
「またどこかで会いましょうね……」
そう、軽やかに告げていくとあっと言う間に、シャルダンの姿は目の前から遠ざかり、すぐに見えなくなっていった。
「クルベールの方に向かうか……」
シャルダンが示してくれた手がかりを元に、南にある港町に向かって……ラドスは、歩き始めていく。
混乱して、与えられた情報を頭の中で整理をしつつ。
自分の父が、百年前にこの世界を救った勇者だった。
その事実が、この世界を気ままに旅して各地を彷徨ってた一人の青年の意識を……大きく変えていったのだった。
*
先回りが出来るように馬車と、風の魔法を併用して二週間後にはラドスはクルベールへと辿り着いていた。
クルベールは赤煉瓦で作られた建物が多い、開かれた港町で……このゾート大陸では最大の規模を誇っていた。
たくさんの船が行き来しているせいで、大勢の人が行き交う場所であり……大きなコロッセウムや、カジノと言った施設も存在している町であった。
辿りついてから三週間程度が経過しても、シャルスの足取りは掴めないままで……正直、焦れたくなった頃。とある酒場で金髪の美少女と、銀髪の美青年が給仕してて評判になっているという噂を耳にした。
そしてその店に訪れて、テーブルに着いてみるとオレンジ色を基調にした可愛らしい衣装をした少女が注文を取りに現れて、目を見張った。
(リーザ?)
一瞬、彼女が現れたかのような錯覚を得た。
けれど、よく見ると細部は違い、その顔をマジマジと見た瞬間、確信した。
(いや、リーダロアじゃない。こいつは、シャルスだ。髪の毛を下ろして流してるけど… 背格好や顔つきからして間違いがない……)
「ご注文は?」
「ああ、リバーブティーと……ナッツ入りのブラウニーを一つずつお願いします」
「はーい、分かりました。お待ち下さい」
フワリ、と微笑みながらシャルスが声を掛けてくると、まるで妻が蘇ってそこに立っているような気分になるが……頭の片隅で、冷静にツッコミを入れていった。
(英雄王の子孫で……勇者の孫かも知れないって大層な出生してる奴かも知れないっていうのに……女の子の格好して、酒場で給仕してるって事実どうなんだよ……!)
ようやく見つけたことに、安堵を覚えつつも。
出会ったばかりの頃は追われて瀕死の重傷だわ、再会すれば女装して働いているわ。
もし彼が自分の息子なのだとしたら……限りなく、不憫だと同情したくなり。
この事実を笑えば良いのか、悲しめば良いのか分からない複雑な心境にラドスは陥っていたのだった。
そんなシャルスと共に働いているらしい銀髪の青年は、シャルスが男の客に絡まれているとさりげなく助けていて、女性客に熱い視線を向けられていた。
(何か仲良さそうな感じだな……)
基本的に男には全く関心はないが、見ているだけで顔立ちが整っていて遠目にも美形であることは分かった。
黒が基調のスーツを身に纏っている姿は、確かに女性客がキャーキャー騒ぐのも納得出来るぐらいだった。
(とりあえず店が終わる頃を見計らって……裏口の方で待ってみるか。どうにかして、話すキッカケを掴まないと……)
そう決意しながら、シャルスが運んできたケーキとお茶を口に運んでいく。
意外に味は良くて満足出来た。
ラドスはその味に舌鼓を打ちつつ、話すキッカケとなるものを見つけようと思考を巡らせていった。
*
日付けが変わって二時間ぐらい経過した頃。
ようやく二人の仕事は終わったらしく、裏口から銀色の髪と金髪の髪をした人物が揃って現れた。
大きな町であるせいか、ガス灯は一定の間隔で整備されていて…その光に照らされた二人の姿を見た途端、何故か懐かしいような気分に陥った。
(あの銀髪の奴は……シャルスよりも背が結構高いけど、もしかして……女か?)
店での姿は、完全に男としか思えなかったが、黒いスーツを脱いで銀色の鎧に青い貫頭衣に、白が基調のズボンを纏っている姿を見れば……何となくその体つきから、女性であることは見て取れた。
自分が着替えにと置いといた白い上着を、シャルスは今も愛用してくれていたらしくその服を着て、黒いスパッツを履いている姿を見て、間違いなく彼本人であることを確信していった。
二人のシルエットが、夜の闇の中に照らし出されて……何故か無性に懐かしいものを見ているような気分になった。
――リィィィィィン!
共鳴するような、音が…自分の右手から、何故か聞こえた。
右手のアザが、熱を帯びて……うっすらと淡い光を放ち始めていく。
その光が漏れて、二人にこちらが待ち伏せしていたことを悟られないように……とっさに裏路地に繋がる道に身を隠していくと…唐突に、無数の映像が脳裏に浮かんでいった。
――翠。
自分のことを、そう呼ぶ赤い瞳に黒い髪をした女性と…金髪に青い瞳をした穏やかな顔つきの男性。
女性は赤い着物と、男性は黒の着流しを着ていて、二人は慈しむようにこちらの顔を覗き込んでいた。
――お前のその名前は、この地ではその綺麗な瞳の色が……そういう字で現されるらしいからつけた……立派な子になれよ……
金髪の、シャルスがもう少し成長したなら……こんな青年になるんではないか、と思われる容姿をしている男性が慈しむようにこちらを見つめてきた。
――シャル、この子と三人でこの地で生きていこう。元の世界に戻るには……私たちが何度も生まれ変わる必要があるぐらい……長い年月を必要としても。私たち三人は幸い、血を残していけば……転生を繰り返して、いつかは帰ることが出来る可能性があるから……
銀髪の女性の顔が、その光景に出て来る黒髪で赤い目をした……母と思われる女性の面影と何故か重なった。
それは、遠い日の……自分の両親だった人間の短いやりとりの記憶。
この映像では、どうも自分は……小さな子供らしく。
古めかしい木造の建造物が立ち並ぶ古都のようだった。
何故か、その地名が唐突に思い浮かんで……口を突いていった。
「京都……?」
そんな響きの名をした町は、この世界には存在しないはずなのに……何故か、鮮明に脳裏に浮かんで、白昼夢として……垣間見せていった。
(今の、映像は一体何を示してるんだ……?)
あの二人が並んで立っている姿を見た途端、思い浮かんだ映像は…何だったのだろうか?
何故、そんなものが浮かんだのかラドスには分からなかったけれど。
一つだけ確信したことがあった。
(もしかして……今の映像に出て来る二人の、今の姿が…あの二人だっていうのか……?)
あの二人が、遠い日の…自分の、両親だったかも知れないという事実を、さりげなく示されたような気分になった。
シャルスの右手にも、そういえば、自分と同じ翠の風が渦巻いているアザがあったことを思い出した。
この右手が輝き、奇妙なヴィジョンが脳裏をよぎったのは……どのような形であれ、紛れもなく自分達はこのアザを通じてどこかで繋がっている。その事実を突きつけられたような気分だった。
(どうにかして……お前達二人に近づく口実を得よう。傍で、シャルス……お前を見守れるように……)
そう、心に決めながら…物陰から、ラドスは二人の姿が遠ざかって見えなくなるまで眺めていたのだった。
――全くシャルス……お前と知り合ってから、俺は不思議な体験ばっかりしてるんだぜ。ずっと忘れていた昔のことを思い出したり、わけの分からない白昼夢見る羽目になったり……。だからその謎を解くために、絶対にお前の傍にいさせてもらうからな……
心の中で、そう決意しながら……ラドスは物陰から、自分の息子かも知れない少年を静かに見送り続けたのだった 。
*
ここはザウル帝国の外れにある、セニアーダ地方。
街道沿いにある林の中に、長い青み掛かった黒髪で、均整の取れた体格の男性が一人……身体に一枚、白い布が掛けられているだけの状態で倒れていた。
ツンツンツン……。
青年は、何か木の棒のようなもので誰かに突かれているような気がして、それをキッカケに目覚めていった。
「あ、やっと目覚めたみたいだねぇ」
何か能天気な感じの口調で、誰かがこちらの顔を覗き込んで来ていた。
「……えっ、貴方は…?」
目の前にはキャッツアイのような縦長の瞳孔を持った、赤髪の少女が立っていた。
竜から人間に戻ったウァルドは、突然の事態に混乱していた。
「オイラはリドラっていうんだ、宜しくね。お兄さん、いきなり空から落ちて来て……素っ裸で倒れてるもんだから、ビックリしちゃったよ」
「へっ……素っ裸って……?」
あまりに無邪気に言われてしまったので、一瞬呆けたが……今の自分が、薄く白い布切れ一枚が身体の上に掛けられているだけで、全裸である事実に気づかされて途端に顔が真っ赤になっていった。
「うわあああああ! すみません! 女性の前で、はしたない格好を晒してしまって!」 咄嗟に白い布を纏って、身体を隠す動作をしたが…多分、この白い布を掛けてくれたのがこの少女だとしたら、自分の全裸は思いっきり彼女に見られてしまっている訳で。
(うううう……竜化すると、これが嫌なんだ…! 奥の手なんだが、竜化を解いた後に……必
然的に全裸になってしまうから……!)
竜の姿になると、人間の姿の頃よりも三倍以上大きくなってしまうから…衣類は予め脱いでおくか、着てた場合は完全に破損してしまう訳で。
「うん、お兄さんの凄くおっきかったから……オイラ、ビックリしちゃったよ」
「……おっきいって、何が…?」
「だからここ……」
と、自分の下半身の方を少女が無邪気に指差して来たので、余計に羞恥で居たたまれなくて真っ赤に染まっていった。
「女の子がそんなことを言うもんじゃありませんよ!」
「え~素直にオイラ、感想言っただけだよ?」
(見られた……見られた…思いっきりやっぱり見られてるぅ……!)
ハンマーで頭をガンガン叩かれているようなショックを受けつつ……ウァルドは気を取り直して、現状を把握することにした。
「えっとリドラさん…ちょっと向こうの方を向いてもらえますか?」
「何で?」
「裸の姿をマジマジと見られてると、ちょっと恥ずかしいので…」
「もうオイラ、全部見てるんだから今更じゃない?」
「そういう問題じゃありません! 女性はそんな風に…男性の裸をマジマジと見るもんじゃありませんよ! 悪い男に襲われたらどうするんですか!」
「ん? オイラを襲ってくるような悪い人なら、叩きのめして…オイラの路銀の足しにすれば良いだけじゃないの?」
「コラコラコラ! どういう思考回路しているんですかあああ!」
このリドラという少女、ニコニコ笑いながら実に物騒なことをサラリと言ってのけた。 まあそんなやりとりをしつつも、一応はこちらから目を逸らしてくれたので……ウァルドは、呪文を詠唱して、周囲の水の元素を利用して……衣服のように見えるようカモフラージュした。
「服を着ましたので……もうこっち向いても平気ですよ…」
「あれ、一瞬で服着てる! ねえねえねえ! どこからその服を用意したの!」
「周囲の水の元素を光で屈折させて…服を着てるように見えるようにしただけですよ。裸のままでいるよりかは、マシかと……」
ウァルドは基本的に魔法の素養があまりないので、術はこれと通信系の物の二つしか使えない。
ただ竜化すると、その後に裸になるのは切実な問題だったので……このカモフラージュの呪文だけは死ぬ気で習得していたのだった。
「へえ、それじゃあ結局お兄さん、裸のままってこと? 服着てるように見えるけど…」
「まあ見た目は着てるようには見えますけど……防寒する機能は全くないのでスースーしますね。無いよりかはマシですけど……」
それでも人並みに、羞恥心はあるので特に若い女性の前で全裸のままというのは勘弁願いたかった。
グイグイと少女が物珍しそうにこちらの服を眺めてくるとその至近距離にぎょっとなってしまう。
(しかも……リドラさんって、胸大きいし……スタイル良いし、間近で顔を見てみると結構可愛いし……!)
大胆なデザインの赤いブラは、はちきれんばかりの質量を誇っていてつい男としては目を奪われずにはいられない。その透明な布地から透けて見える身体のラインはしなやかな筋肉で覆われていて、身体を鍛えていることは明白だった。
短パンとスパッツで覆われた太股も、俊敏さを兼ね備えていることは見て取れた。
「ふ~ん、本当に服を着てるみたいだねぇ。そういえばお兄さん、シャルスって知ってる?金髪で、オイラと同じぐらいの身長で、まるでおとぎ話に出て来る王子様みたいに格好良い男の子なんだけど……知らない?」
「シャルス……? いえ、そのような名前の方は……あれ?」
咄嗟に知らない、と言いそうになったが…そういえば、どこかで聞いたことがあるような気がした。そうだ、それは……。
(リアン様が探してる……例の盗賊団の、一人が……そんな名前だったような……)
ウァルドが帝国を出る直前に小耳にはさんだ話だが、大地の光石を所有しているという盗賊団の一人がそんな名前だったような……気がした。
出発前にその団員達の似顔絵をウァルドはざっと全員分見ていたが……確かシャルスというのは金髪の整った顔立ちの少年で、後数年もすれば恐らく女性が騒ぐような……そんな容姿をしていたはずだ。
ウァルドの身長が180センチ程度なら、リドラはそれより15センチぐらい低いぐらいだろうか。
「あれ、知ってるの! 知ってるなら教えて! オイラ、シャルスを追っかけてここまで来たんだ!」
「追いかけてって…何で、ですか?」
「うん、オイラをお嫁さんにしてもらいたくてこの大陸に来たんだ!」
「……はっ?」
「オイラね、シャルスに助けてもらった時…普段フードで隠してた素顔を見ちゃった時、一目惚れしちゃったんだ。凄く格好良くて、その時から胸がドキドキして止まらなくなっちゃってさ……」
「はあ……そんなにシャルスさんという方は、格好良いってことですか…」
「うん! すご~く格好良いんだよ!」
思ってもみなかった単語がポンポン出て来て、ウァルドはポカンとなった。
だが今のセリフを、もし『今現在のシャルスの姿』を知る人間が聞いたら、違和感を覚える内容であったのは確かだった。
リドラが語るシャルスの人物像と、今現在逃走しているシャルスの人物像の食い違いこそ…遠まわしに、彼の持っている力が何であるかを示していたのだが……ウァルドにはまだ、「現在」の彼の容姿を知る術は存在しなかった。
その時に、風が吹いて……リドラの髪が、特に前髪がフワリとなびいて……髪に隠されていた額の中心にあった不思議なアザが白日に晒されていった。
何かの古い時代の文字のようにさえ見える、そのアザの形を認識した時…ウァルドは、電撃に打たれたような衝撃が走り抜けていった。
(今のアザは……! もしかして、リアン様が探してた…炎の聖痕?)
ウァルドは、自分の育ての親である魔女から…二つの任務を与えられていた。 一つは鍵である、あの金髪の少年を出来れば生け捕りで連れてくること。
もう一つは…炎の聖痕を持つ者を発見した場合は速やかに連れてくること。
そしてその二つの任務のうち、優先順位が高いのは後者の方だった。
ウァルドが現在仕えているザウル帝国は、かつて…百年ほど前にはその地にはヴィナシソスと呼ばれる炎の国が存在していた。
だが、その国の最後の王が、乱心し…英雄王に打ち取られてから、混乱を極め……いつしかその国は自然消滅してしまった。
その最後の王の遠縁にあたるのが現在の皇帝であり、帝国を名乗っているのは、本来の継承者である人間が途絶えているためだった。
現在の皇帝は、あくまで本来の継承者が現れるまでは、ヴィナシソスという国名を名乗ることが出来ないという理由で、仮に王座に就いているだけという立場を貫いていた。
(リドラさんが…炎の聖痕の持ち主なら、連れて帰らないといけない。リアン様が、本来の王位継承者を必死になって探していましたから……)
先程、あの二人が放った竜巻に巻き込まれてこんな処に投げ出されて、若い女性の前で全裸をさらす羽目になったその不運を嘆きたくなったが、思いがけない僥倖を得た気がした。
「リドラさん……お願いがあります。私と一緒に来て下さいませんか…?」
「やだ!」
丁寧にウァルドが申し出た内容を、リドラは即答で一蹴した。
「オイラは早くシャルスを見つけたいんだ! だからやだ! 寄り道なんてしてる暇ないからね。だから、バイバ~イ!」
「えええええ! ちょっと待ってくださいよ~!」
一緒に来て下さいと言った途端、リドラは一目散にウァルドの前から立ち去ろうと全力疾走を始めていった。
「リドラさん! 待って下さい!」
「や~だよ~!」
赤い髪に、黄色の竜眼を持った少女は…無邪気な様子で逃げようとするので、ウァルドは慌ててその後ろ姿を追いかける羽目になった。
(鍵よりも……もし炎の聖痕を持つ人間のが現れたら、その時はそっちの方を優先しろと…… リアン様は言った。なら……今は彼女を追いかけるしかない! 本国には、当分戻れそうにないが…!)
リドラの足はとんでもなく早くて、こちらも油断していたらあっという間に姿を見失いそうな勢いだった。
「逃がしませんよ! 地の果てまでも貴方の後を追いかけます!」
通信の呪文を使ってリアンからの指示を仰ぎたかったが、そんなことをしていたら確実に逃げられてしまうのは明白だったので今は連絡よりも、彼女を見失わないことの方が優先だった。
そして、ウァルドは汗まみれになりながら、全力で逃げる少女の姿を必死になって追いかけていったのだった 。
*
シャルダンは相変わらず、魔女からの追っ手を振りきって逃亡の日々を続けていた。 一ヶ月程度、逃げ続けているうちに港町、クルベールにたどり着いていた。
基本的にシャルスの傍には近づかないようにしてたけれど。何となく嫌な予感をしていたので…その予感が的中しないようにするために仕方なく、足を踏み入れていた。 町の郊外にある宿を取って、ひっそりと身を潜めていく。
遠い昔に……ここはショウと二人で旅をしてた頃に、泊まったことがある宿だった。
年期の入った古い宿で、すでに従業員も……女将も完全に入れ替わってしまっているけれど。
彼と二人で旅をしてた頃に泊まったことがある宿に訪れたことで……懐かしい気持ちを味わっていた。
(長い年月が過ぎても、建物や風景は変わらず残り続けてることも多い…。たまにこうして残ってる場所に訪れるとほっとしますね……)
彼の息子、ラドニスはこの町に訪れて…シャルスと無事に巡り会えたのだろうか。それを知りたいという気持ちもあったから……この町に来たという理由もあった。
もうじき、隣の大陸では雨期が始まり…この町からは渡るための船の数は激減する。
その時期を見計らって、毎年……大規模な大会がコロッセウムで開かれようとしていた。
雨期に入る直前辺りが、人の出入りが最も多くなる。
この嫌な予感は……そのせいだろうか。
(予感に過ぎないのかも知れない。けど、もし……この予感が的中して、あの子が命を落とすかも知れないのなら、近くにいないと助けられない……)
基本的にシャルスから魔女の目を逸らすために、シャルダンは常に離れた位置にいるように意識していた。
けれどシャルスに嫌なウィジョンが浮かんだ時だけは近づいて彼に悟られないように……密かに陰から見守り、助けるようにしていた。
長い年月を経て、ようやく自分たち三人の血を引いた子供が……シャルスが生まれてくれたのだ。
決して、失う訳にいかなかった。
シャルダンは胸に下げていた青い雫型の小さな石をそっと眺めていった。
「ショウ……貴方を必ず、取り戻します。貴方を目覚めさせるために必要となる鍵……シャルスは、私が守りますから…」
遠い昔、彼からもらったペンダント。
この石は、彼の魂のカケラが結晶となったものがつけられていた。
永遠を誓った日に、彼から託された……大事な石。
――シャルダン、僕の傍にいてくれてありがとう……君がいてくれたから、僕はここまで来れ
たんだ……だから、せめてこれを受け取って欲しい……
決戦の日の間際に、自分達は密かに誓い合った。そして想いを確かめ合った。
彼が眠りについた日から、長い年月が過ぎても……どれだけ辛くても、道筋を見失わずに歩んで来れたのは……その日の誓いと、この石があったからだ。
「あの三人の魂は、貴方が運んできた。貴方の母と、父と叔父…でしたっけ。カシア様がそう説明してくれたことが懐かしいですね……」
石を眺めながら、ショウと出会った日のことをシャルダンは思い出した。
百年以上の遠い日の記憶なのに…今でも鮮明に思い出せる。
自分が追われていた時に、青い光を放ちながら天から舞い降りた一人の少年。
目覚めると同時に、その目は凶々しく赤い光を放ち……草原を幻の炎で覆い尽くし、追っ手を追い払ってくれた。
――我が名はカシア=リフェン……今は息子の身体を借りているがな…。
そして、その少年は、赤い瞳をしているあいだ……そう名乗った。
胸には青いアザ、右手には翠のアザが光輝いて浮かんでいて……三人分の魂を、その身に宿して運んで来ていたのだと、後で聞かされた。
そして彼本人が目覚めた時の第一声が……。
――ここはどこで、僕は誰でしょうか……?
困惑した顔で、そう言われた時……一体どうしたら良いんだろうかとこちらもパニックに陥りかけたが、今となってはそれも……良い思い出になっていた。
この世界に渡ってきた時に彼は全ての記憶を失っていた。
共に旅をしているうちに、次第に元の世界のことを思い出していったけれど。出会ったばかりの頃の彼は、全てを忘れてしまっていて。
頼りないひな鳥のようであったことを。それが次第に逞しく勇者と呼ばれるに値する青年に変わっていったのを……シャルダンは傍で、ずっと見届けていた。
――シャルーシッドという名前が、君を苦しめるだけなら…今日から、立場も身分も捨てて別の名前を名乗れば良い。シャルダンって名前はどうかな…? 僕は君の傍にいることしか出来ないけれど…僕にとって、この世界に来て最初に知り合った人は君で。…だから、どうにかして、君を楽にしたいんだよ…
彼はいつだって、優しくて…お人好しで、バカがつくぐらい真っすぐな人で。そんな彼が傍にいてくれたことが…どれだけ自分にとっては救いだったか分からないぐらいだった。
彼が、シャルダンという名前を…自分に与えてくれた。
聖痕を持つ者は基本的に、聖王族と呼ばれる一族の中では第一王位継承の権利を持つ。
しかし自分は、性的に未分化で男とも女ともつかない身体を持って生まれていて。
人と交わって、子供を作ることはまず不可能と言われ…それが理由で、王位継承権を剥奪されて幽閉されていた。
幽閉先から逃げ出した夜、彼と出会い。
そして彼は…母を失って、一人ぼっちになっていた自分の傍に常にいてくれた。
お人好しだった彼は、困っている人がいたら捨て置くことが出来なくて。
各地を廻り、人々を助けているうちに…自分達はいつしか、人々の間では勇者や英雄と謳われるように…いつしか、伝説へと変わっていった。
「ショウ…貴方との日々は、今となっては懐かしい…大事な思い出です。私は絶対に、貴方を取り戻します! どうかこのペンダントを通して、見守っていてください…」
そして、シャルダンはそっと目を伏せて…懐かしむ顔をしながら、盟友に向かって語りかけてくる。
「遠き異境の地…日本から、来た勇者…ショウ…いつかまた貴方に会えて、話せる日が来ることを…私は心から願っています…」
そう呟きながら、シャルダンは大事そうに…彼から遠き日に贈られたペンダントのトップを、そっと握りしめて祈っていった 。
――貴方と彼の血が混じり合った時、碧の疾風は生を受け、眠れる彼を呼び覚ますわ……。
決戦の地で出会った……黒髪に緋色の瞳をした、カシア=リフェンにそっくりな少女はそう予言した。
ショウの胸を切り裂いて、カシアの魂が宿っている赤い輝石を取り出して、彼を水晶に閉じ込めたのだ。
『ごめんね、アキラ……。貴方の身体を傷つけてしまって。けどこうしなければ……私には、母さんの力を借りる事が出来なかったから。定められた運命を覆す為には、私にはどうしてもこの石が必要だったの』
泣きながら、彼女はショウを……全く違う名前で、愛しげにそう呼んでいた。
そして自分と向き合おった時、彼女はその予言の言葉を口にしたのだ。
――私に子供など作れない……!そんな事は不可能です!
――ラドニスがこの世にどうやって生を受けたか思い出しなさい。同じ方法で生み出せるわ。後は貴方を守護する神とやらに縋ることね……。
その言葉は、皮肉にも的を的を射ていて。人と交わり子を残せない自分にとって唯一の子孫を
残すことが出来る可能性を示してくれていたのだ。
少女はシャルダンに、絶望を齎した。
同時に我が身を犠牲にしてまで生み出した浄化の炎で大いなる闇を焼き払い、本来滅びる運命だった
この世界を救って一つの光明を示してくれたのも事実だった。
――ショウ、貴方を絶対に目覚めさせる……! その誓いを果たすひまで、私は予言で示された宿命の子を、
『碧の疾風』を守り通して見せます……!
――これは異世界から来た勇者と、その盟友である英雄王。
その二人の末裔達の物語――
高校時代に、友人に登場人物達のイラストをもらい、それをキッカケで書き上げた。
自分にとっては生まれて始めて人に面白いと言ってもらえた思い入れの強い作品です。
前編と後編で、ワンセット。二つで一つの物語という構成になっています。