後編 なろうの上にも三年はいよう
8月下旬、お話の神様が私のところに舞い降りた。
私の場合、ストーリーは何の前触れもなく「頂戴する」ことが多い。皆さんの創作の仕方を読んで、それに甘えてばかりいてはいけないと思うのだが、いまだに物語や構想の骨組みを自ら編み出す方法がはっきりしない。
このころから、いろいろな企画や、リレー小説などの合作といったものがあることを知った。そういうの、楽しそうだなといつも遠くから眺めている。こんな私では、お題のストーリーを思いつかないだろうし、期限が短くて無理かなと考えてしまう。
そもそもリクエストをもらったら応えられるとか、柔軟に書いていけるだけでもすごいなと思ったりする。
そんな私が、構想から投稿までたったの一か月という、珍しく早く仕上げた作品が、9月に投稿した「飛竜の翼で帰るまで」だった。
投稿した夜には、なんとレビューをいただいた。お礼を書いてから眠り、朝起きると「レビューが書かれました」という赤文字がある。妖精のいたずらか。いや、単に寝ぼけただけかも。そう思いながら開くと、二つ目のレビューだった。おかげで、ハイファンタジーの日間ランキングに入るという幸運なことが起こった。一日で378PVは、私としては最高記録。全く次元が低い話だけど。初めてブックマークが10件を越え、初めてポイントが100を越えた。
さらにその後、なんとFAをいただいた。
私は全く絵が描けない。ここでは絵も小説も上手な方がたくさんいると知って、すごくびっくりしている。
絵にしても文にしても無料でいいんですか、と問い合わせたくもなるが、おかげさまで様々な恩恵を受けている。FAやレビューや感想とか、絵も文も贈ってもらえる。ありがたいことだ。
それに対して、自分は何ができるのかなと考える。
そもそも無料で、たくさんの作品を読ませていただいている。よかったと思う作品に感想を書き、レビューを書ければなおよい。だけど、私にとっては、どちらもなかなか困難なことだ。
ただ、みんなそれぞれ事情を抱えながら、ここに投稿しているのだろうなという思いはある。仕事や勉強の忙しい人もいるだろう。介護や育児などで大変な人もいるだろう。病気などで療養を強いられている人もいるだろう。
そういうなかで、頑張っていい作品を作ってくれる人に対して、労苦をねぎらいたいと感じるのは当然のこと。
まずは、作品に対して無反応を避けたいと思い、なるべく評価を入れようと決めた。しかし、五段階の基準に悩み、悩んで入れられなくなることを回避するために、少しでもいいなと思ったものには5ポイントを入れ、そうでなければ入れないでおく、ということにした。
もう一工夫ほしいのだけど、それより、もっと感想を書けるようになりたい。よく「面白かった」の一言でもいいと聞くが、実際に感想欄を見ると、皆さんきちんと読み込んで「ほう」と感心したくなるような文章を書かれている。それで満足すると、自分が感想を書く手は止まってしまう。自分は自分で書き込めるようにするにはどうしたらいいか、探っているところだ。
レビューはさらに敷居が高い。一件だけかろうじて書かせてもらっているが「初めて書きます」ということを前面に押し出しているから書けたような。二度と使えない方法を行使してしまったので、次が厳しい状況になっている。
感想もレビューも、どちらも自分にとっては大きな課題だ。
そもそも読むのが遅いので、最新話に追いつかなくて、書けないことも多い。今後はうまく読む時間も確保したい。
そういえば、ひと月にだいたい二度ほど図書館で借りた本の貸出期限とも格闘している……。
私のほうの事情といえば、発達障害のある子どもがおり、徹底して学校教育に合わないため、トラブルが絶えない。相談機関から「こんな子初めてですが、よく不登校にならないですねぇ」と私が褒め称えられるくらいである。
普通の子と同じように学校に通えるわけではないが、不登校になったら余計に小説が書けないではないか。そういうわけで一応、母親業も手を尽くしているつもりだ。若くもなく体力もないなか、子どもに時間をとられて追い立てられるような日々を送っている。
そんなこんなで、毎日少しでも書く、という目標さえ怪しい。「一日二十四時間あって、十分だけの執筆って何なんだああっ」などと叫びたい日もある。
それぞれ事情を抱えている皆さんと一緒に、少しでも日常が充実するよう、頑張りたいものだ。
11月には、「世界観が暗くて、絶対に受けなさそうだけど、ちょっと書いてみたい気がするあれを投稿しよう!」と一人で妙な決心をした。そうして投稿した「未来への車窓」が、思ったよりポイントが入り、来ないだろうと思っていた感想が届いた。
よくテンプレでないと読まれないと言われる。けれど、私からすると、ここは意外といろんな作品が受けいられる余地があると思う。どんな作品でも、全く読者がいないとは思えない。テンプレとは真逆のオリジナル作品でも投稿してみることをお勧めしたい。
こんなシリアスなSFものでも応援してくれる人がいる。感想、レビュー、FAと立て続けにいただいて、正直驚いたけれど。
なろうでは、たまに不思議な現象が起こるものだ。
この投稿のあとの一か月、突如して、赤文字を見ることが急増した。何もしていないのに、逆お気に入りユーザー様が二桁になっていた(10人でももちろん嬉しい)。もうすぐ一年というときになって、現代の科学では解明できない不可思議な出来事が私のところにやってきた。
一年の活動のなかで、私の小説のブックマークやポイント、感想の全体の三分の一くらいは、このひと月の間に集中している。あ、お気に入りに入れてくださったユーザー様もそうだ。もともともらうこと自体あまりないFAとレビューに至っては、半分くらいがこの時期。
「も、もしかして、私、期間限定人気作家様(の数千分の一くらい)なのかもしれない!」と錯覚を起こすくらいだった。
今になっても、このとき何が起こったのか、まるで分からないままなのだけど。
何だか、そろそろ自分もステップアップしなきゃいけない時期に来たのかなと感じた。でも、それが何なのか結局分からなかった……。
そんなこんなで迷うことばかりのユーザーだが、ともかく二年目に突入している。
一年間、自分の作品が一人以上の人に読まれたという経験をしてみると、読まれることは嬉しいけれど、反面、PVとかポイントとか話題に出ることが多く、気にすることも多かった。
上を見ればきりがなくて、信じられないくらいのアクセス数やブックマークやポイントをもらっている人もいる。まあ、ブクマやポイントが増えたら自分だって嬉しいのだから、気になるのは仕方のないことなのだろう。
なろうで読まれる方法、ブクマを増やす方法といったもの、あるいはもっと底辺作家を卒業したこととか書籍化したこととかそういうエッセイを、私もつい読んでしまうので、自分の立ち位置を見失うこともある。
案外気が揉めるのは、底辺作家という言葉かもしれない。
前にもエッセイで触れたけれど、そもそもブクマ100件って一体どうしたらそこまでいくのかが分からない。どうせ底辺だからという人に限って、50も60もブックマークのある作品がある。それでもすごくないかと思ってしまう。
例えば、そういう人に対して16件の私が「私も底辺作家です。お友達になってください」とは間違っても言えまい。私は底辺の底なのかな。なろうの地下をうろうろしているのだろうか。そんな現状がある。
本当は流行とかに沿って、人気のキーワードをつけられる物を投稿できたほうがいいのだろう。けれど、今のところ私は、自分の書きたいものさえ満足に書けない段階だ。そこを何とかしようともがいている有様で、傾向とかはやりを取り入れたりしながら話を書くところまでいかない。
そうなってしまうのは、やはり私が器用ではないからかも。
時には、うまく書けなくて、他の人たちが羨ましくて、もう書けないかもなんて考えたりして。何だか一人、闇に向かって書いているような気がしなくもない。
でも、自分の物語は自分にしか書けない。結局自分で納得いくまで書いてみるしかない。自分の書きたいものを書けるようになりたい気持ちは、しっかり持っているつもりだ。
この先も、落ち込んだり、書けないと一人で騒いだりもするかもしれない。一方で、また親切な人に助けられたり、思わぬ不思議なことにも出会うかもしれない。
まだまだ迷い、おろおろすることがありそうだが、ひとつだけ心に決めた。
少なくとも「なろうの上にも三年はいよう」ということだ。
一年経って、いろんなことはあったものの、結局書くことに対しても、読むことに対しても、足りていないと感じる。遅いことで落ち込むし、他の人から見てできていないところがたくさんあることも、もう分かっている。
でも、スローペースな分、まだやっていないこと、できそうなことはたくさんある。もしかすると、二年三年経つうちに、少しはうまくなることもあると思うし。
一年経っても、たくさん書いてたくさん評価を得ている人から見れば、まだスタート地点に着いていることさえないのかもしれない。スタートできていても、いろんな人と一日一日差が開いているのかもしれない。
それでも自分の書きたいことを少しずつでも書こう。今は、進んでいくことで、問題が一つずつ起きては消え、起きては消えていくのが本当のところのような気もしている。
いつも心穏やかでいられるとは限らないけど、マイペースでとりあえずやっていこうと思う。
ついでに。
なろうでは、一年程度の人が多くて、年数の長い人のほうがずっと少ないと聞く。
長年このサイトで書いているかたの、なろうの楽しみ方といったエッセイはあまり見かけない気がする。三年、五年、十年と、長く続けていろいろ経験しているかたに、ぜひ書いていただきたいものだ。
ひとつありがたいなと感じているのは、なろうってどんな辺境や片田舎だと言っていても、マイページはみんな平等にそろえられていることだ。たとえ今日登録しようとも、書籍化作家さんになろうとも、最初のページを開いた時点では、全く同じ形式の土俵が与えられている。それこそ「小説家になろう」と誘われ、その気分を味わえる。非常にありがたくも夢の見られる世界じゃないだろうか。
なかなか書けなかろうが、上手じゃなかろうが、受けない作品だろうが、全部ひっくるめて、なろうでは受け入れてもらえた。せっかくそういう場所に出会って、少しは歩き出したのだから、ちょっとは長く歩き続けたい。
もちろん、次に投稿するものさえ悩んでいて、どうしたものかと考えたりもしているのだけど……!
最後にもうひとつ。
私はひそかに決意したことがある。それは、もしもタイムマシーンがやってきて「これに乗ったら、自由に過去のやり直しができるよ」と誘われても、断ることだ。
不器用に長年を過ごしてきた私には、恥じ入ることが多くて穴を掘ってでも埋めたい記憶がたくさんある。ぜひやり直したいと思うことが山ほどあるのだ。もしも今の私が小さいころに戻れたら、もっと要領よくできて、うまくいくことはたくさんあるはずだ。
しかし、なろうで一年、自分なりにここまできて、二度と同じものが書けるかどうか分からないことに気づいた。おそらく一人で書いているだけだったら、もっと書けなかったと思うし、完成しなかった作品もあるだろう。幾人もの人に読んでもらい、ブックマークやポイントをいただき、感想やコメント、FAやレビューなど、皆さんから応援してもらえたことで、一人きりではなかったのだ。
一年の間に、投稿を通じて楽しいことや嬉しいことはいっぱいあったし、この一年で得られた温かな応援をもう一瞬でも失いたくないと感じる。
だから、どんな過去も仕方がないと思って、涙を呑んで私はタイムマシーンと決別する、とここに宣言しよう!
こんなこと書くと「絶対にタイムマシーン来ませんから。安心してください」と親切に教えてくれる人がいるかもしれないなあ……。
お読みくださって、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。