前編 親切な人に助けられつつ
「小説家になろう」で、投稿するようになって、一年が経った。
一年間で書いた小説は、六万字程度。ほんの短いもの8本だけだ。この程度だと、一か月で到達する人もいるかもしれない。
また、一年も活動すれば、多くの作品を書いた人、何十万字を投稿した人はもちろん、連載の累計PVが十万とか百万とかになった人、それとも底辺作家を卒業した人、あるいはもっとずっとすごい成果を上げる人もたくさんいるだろう。
私は、そういう人たちとは全くの逆だ。小説の累計PVなら、一番多くても1300程度。ブクマなら、0~16件の作品しかない。
ただ。三か月経ったときにエッセイを書いてみて、いい振り返りになった。
一年経ったのを機に、また振り返って、自分なりに書いてみたい。
2019年1月、なろうに登録して、数日後には投稿。その後の投稿で、感想とブクマ2件程、ポイント20くらいをいただく機会があり、自分の小説が誰かに読まれていることが分かって、嬉しかった。
4月には、三か月後の雑感などを「ずっと昔小説を書いていた私が、ここに登録して、とりあえず書いてみた」という題で書いて、今までにない反響があった。嬉しい反面、周りが見えてきて、自分は全然読まれていない、ポイントなどもほとんどないユーザーなんだと気づいてしまった。
開き直るしかないんだなという結論に達した最初のころが、この時期だったと思う。
6月に、「予備校生は、時間鉄道に乗って」を五日間にわたって投稿した。
連載の最終日に、小説で初めて一日で100PVを越えることができた(1000PVの間違えではない)。ところが、その二日後、初めてのレビューをいただいたことで、また100PV以上になった。
当時の私は、レビューといえば「ああ、あの上手な人の作品についている、あれか」くらいの認識しかなく、自分には関係ないものと思って、読んだことが一度もなかったのだ。
知らないって、怖い。
ポイントや感想も増えて、書いてくださったかたにお礼のメッセージを送った。それから、どうやら活動報告にも書くものらしいと知ったが、さてどうしたものか。迷った挙句、素直に「レビューをいただきましたが、リンクの貼り方が分かりません」という活動報告を記したら、数人のかたからお祝いの言葉とリンクの貼り方を丁寧に教えてくれるコメントが届いた。
ありがたいことだ。
正直なところ、活動報告に「投稿しました」とだけ書くよりは「悩んでます」「分かりません」「困っていることが」など、本音を話すことで、コメントがもらえるようになったみたいな気がする……。
何にも分からずに投稿を始めてしまった私は、知らないことが多く、おろおろしてばかりいる。けれども、なろうには親切な人がたくさんいる。一年間で、本当にいろんな人にお世話になってきた。
なろうには、助けてくれる人がたくさんいるというのが、私の実感だ。
初投稿から半年経って、そろそろ私も長編小説を連載してみたいなと思った。
前から構想があったものを書き出してみたが、すぐに行き詰ってしまった。そこで短編を書いてみたが、どうも出来がよくない。何がいけないのかと原因を探るうちに、自分は下手なんだと分かって、気が滅入ってしまった。
今まで何となく書いてきたけど、他の人と比べると、できていないと感じることが溢れるくらい出てきた。どんどん気になってしまい、書けなくなってしまった。
7月に入って、もしかするとこのままずっと書けず、投稿できなくなるのかもと思い詰めるくらいになった。
そこで、気を取り直して、だいたいのところができていたショートショートをじっくり書いてみた。書いているうちに、こんなふうにすれば、短いものなら何とかなりそうだなと思うようになった。
それは、とにかく、一回で書こうとしないことだった。何度か間隔をあけて見直し、その都度足りないところを考えて補っていく。その繰り返しで、短いものなら完成できる。
それで投稿したのが、「コンセント文明」。たったの1373字だった。よかったと感想をくださる人があって、ほっとした。過疎ジャンルのため、ジャンル別の日間ランキングで3位にまでなった。しかし、ランキングに入っている他の作品は、みんな万単位どころか、十万、あるいは百万単位の文字数の作品ばかりだった。
そこにこの作品では、いくら私でも……恥かしかった。
実のところ、一年経っても長編小説を連載するには至っていない。まだまだ書きかたが分からず、おろおろしている。
私は、小さいころから何かしら書いていたけど、たまに公募に出しても消えるだけだった。あとで自分で楽しむために書いてきたようなものだ。苦手な場面は書き飛ばしていたし、読みやすさも考えていなかった。
今では、読んでくれる人がいるから大変なところにも向き合い、他の人にも楽しんで読んでもらえるものを書きたいと思う。でも、それってかなり難しい。
このサイトでとても上手な人を見つけると、自分との差に愕然とする。自分がうまくなくて、不器用なのも分かってがっかりする。
こんな私からすれば、長編小説を長く連載している人たちが不思議でならない。
私の場合、短いものでさえ、書き上げてから数日して読み返すと、綻びが見えてくる。矛盾が見つかって最初から何か所か変更したり、登場人物の名前を変えることだってある。投稿を始めたあとにこういった修正は困難かと思うので、すんなり連載を完結させられる人には、とても驚いている。ストックを作ってからという人もあるだろうけど、連日のように投稿している人が私には超人としか思えない。
要するに、とても羨ましいのだ。
とにかく皆さん書くのが速いなあと思う。3000字くらいをコンスタントに更新している人もいるだろうけど、こちらは一日300字とかざらにある。しかも、最初に書いたものは、セリフと説明ばかりで小説の形にさえなっていないことがある。書くのが遅いので、そこまで到達するだけでも一苦労する。その先も、何度も行き詰る。
毎日完成に近い形の原稿を書ける人と、毎日少量で間隔を開けて何度も書き直してやっと投稿している私との差は大きすぎる。投稿寸前になっても、語句の間違えや言い回しのおかしいところ、同じような言葉ばかり続いていることに気づいて、直しては確かめ、直しては確かめして、やっと投稿している。
それでも、投稿した後にミスを発見することだってたくさん。うっかりしているのは、自分の性分なのかなあ。
語彙力についても悩んでいるが、気がついたことがある。
夏休みのある日、本屋で子どもが読みたいものがあると言って動かなくなってしまったので、そばについて切りのいいところで促そうとしていたところ、小学生向けの「類語辞典」を見つけた。
思わず手に取った。ページをめくると、さすがに知っている言葉ばかりだ。だけど、気がついた。小説の中で使っていなかった言葉ばかりだったことに。
子どもは、そんなものいらないと言ったが、私には必要かと思い、結局ネットでその辞典を購入した。
知っている言葉であっても、それを小説で充分使いこなせていなかった。もっとずっと難しい語彙を駆使する書き手に憧れを抱いていたのだけど。どうやら、私は子どもの作文に必要なやさしい言葉から始めなければならなかったようだ。
貧弱な語彙さえ、使えるのはもっと貧弱だったと考えればがっくりだが、一方で、まだ自分の文章に使える言葉がたくさんあると分かったのは、よかったのかもしれない。
こんな具合いで書いている私だけど、時間的な制約を乗り越え、幾度もの書き直しを乗り越え、随分日にちを経てやっと投稿にこぎつけると、それなりに達成感がある。
何しろ、投稿すればほぼ間違いなく誰かしらに読んでもらえるからだ。
おそらくこの達成感は、どんどん巨大な作品を投稿していくようなチート能力の人には分からないだろう。こういう人の特権である。……あ、これは開き直りすぎだ。