9 早苗の妙なこだわり
お風呂から上がると、ベッドに寝転がり、本を開く。これは最近の、私の習慣と化していた。
表紙に大写しの美女と美男子、その後ろに小さく美少女を含む複数のキャラクターが描かれていた小説は、期待通り、ヒロインと悪役令嬢が仲良くなる話であった。
そもそもこの話は、前提として、ヒロインも悪役令嬢も、生まれ変わった人間であった。ヒロインは生前から、悪役令嬢のファン。だから、ヒロインの側から、ぐいぐい令嬢に詰め寄ることになる。
「彼女が私のファンであるとは、とても思えないわね……」
どちらかというと、現時点では嫌われているおそれもある。プラスからのスタートではなく、マイナスからのスタートなのだ。
とにかく、ヒロインは、攻略対象と悪役令嬢をくっつけるため、奔走する。令嬢の意向と全く無関係に恋のキューピッドをしようとするヒロインは、ずれていて、そこが憎めない。
ページを軽快にめくっていた私の手が、止まる。
「共通点、か」
恋のキューピッド作戦を敢行するヒロインの画策の中で、そんな手段が登場した。
攻略対象と悪役令嬢の共通点を強調し、心の距離を近づけようとする。あからさまなヒロインの行動に困惑しつつも、確かに共通点を発見し、結果的に仲良くなってしまうふたり。そのやりとりは、甘酸っぱくて、胸がきゅんとなる。
共通点があれば、仲良くなれる。確かにそうだ。現に私と慧は、互いに抱いていた共通の暗い思いを明かしあったことで、明らかに距離が縮んだ。
なら、私と早苗の共通点は、なんなのだろう。
「海斗との婚約を、望むこと……」
ぱっと思い浮かんだ考えに自分で呆れ、私は本を投げ出して脱力した。早苗が海斗と婚約したいのかは、そもそもわからない。さらには、そんな共通点があったところで、険悪になりこそすれ、親しくはならない。
はあ。
勉強会でどう過ごしたら、早苗と親しくなれるのか。
考えていた私は、気づけば、眠りの世界へ旅立っていた。
「最近、朝はゆっくり過ごされるのですね」
「そうなの」
ハンドルをリズムよく叩きながら、山口が言う。
車が止まっているのは、正門の正面。私は、早苗が通過したのを確認してから、車を降りる。
「おはようございます、皆さん」
「おはようございます」
教室に入って、挨拶をする。このためだけに、わざわざ登校を遅らせているのだ。
心臓を締め付けるような緊張感も、数回目にして緩和され、自然な笑顔で声をかけることができた。
早苗は何も言わずに私を見ているだけだが、周りの女生徒たちは、にこやかに返してくれる。
「これ、皆さんに招待状です」
鞄から取り出した数枚の封筒を、それぞれに手渡す。もちろん、早苗にも。早苗は受け取ると、不思議そうな表情で、封筒を照明に透かすように見た。
「開けてもよろしい?」
「ええ、どうぞ」
ひとりが封を開け、「まあ!」と声を上げる。
昨日、母に勉強会の承諾を得た私は、すぐに招待状を作成した。中には、お招きの文面だけでなく、文香を入れてある。
「良い香りだわ」
「これ、藤の香りですね」
お気に入りの、藤の香りのするお香。その匂いを、厚手の栞に染み込ませたものだ。封を開けると、ふわっと香る。
せっかく用意しても、今まで、親戚以外に贈ったことはなかった。褒めてもらえたことが、ただ、嬉しい。
「藤乃さんのお宅にお邪魔するの、楽しみにしていますね」
「こちらこそ」
順調に勉強会の約束を交わし、私は達成感と共に席に座る。早苗は何も話さなかったが、招待状は受け取った。親しくなる、第一歩を踏み出したのだ。
「この間の話し合いを受けて、学外活動の費用について、皆さんにお示ししますね」
ホームルームで、会長からそう話がある。配られた資料には、学外活動のクラスとしての予算と、スポーツ大会、クルーザーの貸し出しにかかる費用がそれぞれ書かれている。
「クルーザーを借りるのにも、こんなにかかるのか」
「船は借りられるが、学びのために、操縦する人は自分たちで調達しろ、ということになったんだ」
誰かの呟きに、海斗が答える。
海斗の家が所有しているような、大きなクルーザーを動かすためには、特別な資格を有した人が必要になる。それなりの金額を要するのも、納得だ。
「これじゃ、船に乗るだけで予算を超えちゃうのね」
「そうなんです。そこで、予算内でレンタルできるクルーザーも、その下に載せました」
うーん、と微妙なため息が、誰ともなく漏れる。
「これが1番良いクルーザーなの?」
「はい。学外活動の時期を考えると、今から借りられるものは、そうないみたいです」
会長は親切に、写真まで載せてくれている。それを見るに、レンタルできるクルーザーというのは、今ひとつだ。
一般的には豪華なのかもしれないけれど、海斗の家のクルーザーには、間違いなく劣る。言い換えれば、私たちの大半が乗り慣れているクルーザーより、チープなものだ。
「この資料を踏まえて、意見を伺いたいのですが」
会長の投げかけに、ある男子生徒が、すっと手を挙げる。
「自分は前回、クルーザーに手を挙げました。予算内で収まるのなら、クルーザーのほうが趣味に合ったので。ただ、予算内に収めることで中途半端なクルーザーになるなら、スポーツ大会のほうが満足感が高いと思います」
数人の生徒が、それに頷く。
今回は、私は静観していた。話し合いは、予算内に収まる方向になっている。それなら、言うべきことは特にない。
すっと手を挙げたのは、早苗だった。
早苗?
彼女がこういうところで自己主張をするイメージは、あまりない。いつも穏やかに話を聞いている早苗は、両手を机に叩きつけ、身を乗り出した。
「あたしはどうしても、クルーザーに乗りたいんです!」
そして、はっきりと、言い放つ。
その口ぶりは、場にそぐわないほど、切羽詰まっている。
どうして?
疑問に思ったのは、私だけではなかろう。
「理由を、伺ってもよろしいですか?」
皆の疑問を代表するように、会長が聞く。早苗は、声を震わせながら、続けた。
「あたしは、学外活動で、クルーザーに乗らないといけないの……!」
だから、なんで?
理由にならない理由だけれど、彼女の悲痛な言い方に、それ以上突っ込んだらかわいそうだと思ってしまった。
机についた早苗の腕が、震えている。周りの生徒は顔を見合わせ、会長は眉尻を下げる。
こんなに取り乱す早苗の姿は、初めて見た。
「早苗」
海斗の声が、教室の沈黙を破る。
私は、思わず期待の視線を向けた。婚約者としては悔しいが、この状況に口を挟めるのは、海斗しかいないだろう。
「クルーザーは、僕が今度、乗せてあげるよ」
「だめなの、学外活動じゃないと……!」
「どうしてそんなに、こだわるんだ?」
そうそう、それが聞きたいの。
早苗は、きっと海斗をにらむ。海斗がたじろぐのが、こちらから見ていてもわかった。早苗は海斗を見たまま、下唇を噛む。
「……そうしないと、夢が、叶わないから」
早苗は言い澱み、そして、先ほどより力のない声で答えた。
「夢なら、僕が乗せてあげるからさ。それだけじゃ、どうして学外活動なのか、わからないだろ。皆、困っているよ」
「……それだけなの。もう、いい」
投げやりに言い放ち、早苗は、すとんと椅子に座る。海斗は肩をすくめ、会長を目で促した。
「……では、決を採りたいと思います」
スポーツ大会とクルーザー、二択で挙手を募る。結果は圧倒的に、スポーツ大会が多数であった。クルーザーに手を挙げたのは、早苗と海斗。それに、数人の女生徒。
「特に異論がなければ、スポーツ大会の方で進めたいと思うのですが」
会長が言うと、視線は早苗、そして海斗に集中する。
「……ありません」
不服そうな声で、早苗が言う。海斗が、ゆっくりと頷いた。ほっとした雰囲気が、教室に広まった。
ふたりが了承するのなら、そのように進めてよいだろう。会長たちは表情を緩め、「では、そうします」と宣言した。




