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8 悪役令嬢は行動力

「おはようございます、早苗さん、皆さん」

「……おはよう、ございます」


 できるだけ感じ良く、挨拶をする。

 今日は、挨拶が返ってきた。昨日は、戸惑われるだけで終わったから、少しの進歩だ。

 私は集まる彼らのそばを笑顔で通り過ぎ、席に着く。私を追っていた視線が離れ、何やらおしゃべりが始まる。

 鞄から荷物を出す、朝のルーティン。緊張した心を落ち着かせながら、私は考えた。


 ここからどうやって、親しくなったらいいんだろう。


 早苗の本当にしたいことを探るために、もっと親しくならなければいけない。こんな、挨拶だけする関係では、本音など聞き出せない。

 昨日読んだ小説では、元婚約者という共通の敵がいたことで、ヒロインと悪役令嬢が仲良くなっていた。共通の敵を作ると言っても、海斗は早苗の敵にはなり得ない。


「早苗さんは、やっぱり次のテストでは、1位を目指してるんでしょう?」

「特待生ですものね」


 はっとした。

 勉強だ。


 頭に浮かんだ考えに、咄嗟に手を打ちかけて、慌ててやめた。


 早苗はあんな風に言ってはいるが、特待生なのだから、1位を目指したいだろう。そうでなくても、学年上位は皆、不動のトップである海斗を抜かしたいと考えている。

 私と早苗にとって、少なくとも学習においては、海斗は共通の敵となる。


 海斗を抜かすためという名目で、勉強会をすればいいのだ。目的は同じだから、一緒に勉強したって、おかしくはない。

 時間を共にすれば親密になる描写は、昨日読んだ本にもあった。これは、親しくなるきっかけになる。


 私は、そっと席を立つ。

 傷つくのを恐れない。背水の陣の、行動力。悪役令嬢は、行動力だ。

 自分に言い聞かせながら、彼女たちに歩み寄る。いささか動作が大きかったようで、近づいたところで、彼女たちの視線が集まる。


「お勉強の話? 私も、気になります。混ぜてくださらない?」


 何気ない風を装って、話しかけてみる。


 沈黙。

 私は、強張って剥がれそうな笑顔の仮面を、必死で維持した。


「まあ! もちろんです!」


 私の予想していたより数段高い声で受け入れてくれたのは、早苗を囲んでいた女生徒のひとり。


「藤乃さんから、話しかけてくださるなんて」

「嬉しいです、お話したいと思っていましたの」


 あれ?


 口々にそう言ってくれる、彼女らの顔を順番に見比べる。

 初等部や中等部の頃に同じクラスだった人もいれば、そうでない人もいる。何にせよ、私は今まで、彼女たちと積極的に関わっては来なかった。早苗と彼女たちのような気安さで会話をしたことは、記憶の限り一度もない。


 もっと、拒絶的な反応をされると思っていた。


 戸惑う私をよそに、早苗を囲む輪の一部が開き、私はそこに収められた。


「やっぱり、藤乃さんも、勉強のことには関心がおありですのね」

「もちろんです。より上位を目指すためには、きちんと勉強しないといけませんから」

「早苗さんは、授業を聞いているだけで、頭に入るんですって」


 隣の女生徒が、そう教えてくれる。


「羨ましいですわね」


 心の底からそう思って言うと、早苗の視線が、ちらりと私を見た。鋭い目つき。それは一瞬のことで、直ぐに視線は逸れ、朗らかな顔つきに戻る。


 見間違い?


 本当に僅かな時間だったので、早苗のあの目つきが本当にあったものなのかすら、自信がもてない。

 とにかく、今は勉強会だ。


「どんな風に授業を聞いてらっしゃるのか、詳しく伺いたいです」

「本当ですわ。お二人には及ばなくても、私も、学ぶことに関心はありますもの」


 同意してくれる生徒も、何人もいる。


「私の家でよろしければ、皆さんをご招待しますわ。今週末、お勉強会など、いかがかしら」


 そこで思い切って、提案してみた。悪役令嬢は、行動力。

 すると、即座に「素敵ですわ!」と反応がある。私を含め、期待を込めた眼差しが、早苗に注がれる。


「……だけど、あたしは千堂くんたちとも、勉強会をするから」


 漸く口を開いた早苗は、そう言い放った。心なしか、普段の会話より、声が低い。突き放すような印象だ。


「それ、今週の日曜日ですわよね?」


 ひるんだ私の代わりに突っ込んだのは、別の生徒。


「土曜日なら、行けるんじゃないかしら」

「そうそう。それに、女同士じゃないと、できない話もありますもの」


 私が言わずとも、そう早苗の背を押してくれる。

 ありがたい。

 感謝の思いを抱きつつ、私も「そうですわ」と後押しする。


 ここまで言われても、早苗は断るのだろうか。


「……そうね! 行くわ」


 断らなかった。

 そこからはとんとん拍子に日取りが決まり、今週の土曜日、午前中でどうかということになった。

 来られると言ってくれたのは、早苗以外に、遥と真理恵というふたりの生徒。予定が合わない人は、また次回、ということになった。


「明日以降、招待状をお持ちしますね」


 私はそう告げ、会話を切り上げる。人を家に呼ぶのだから、帰宅後に打診して、きちんとした作法で招かなければ失礼だ。


 改めて、自分の席に座る。

 頭の中には、歓声が響いていた。


「おはよう、早苗」

「もう! 遅いよぉ、千堂くん」


 始業直前にやってきた海斗は、早苗の髪を撫で付ける。彼の態度は、相変わらず。

 それを見てしまったら、心はざわつく。同時に、とっかかりが見つかった喜びも、私の心に湧き上がる。


 勇気を出したら、大きく前進した。

 挨拶だけの関係から、勉強会を一緒にする仲に。他の生徒も混ざっているが、かえって違和感なく話せるかもしれない。

 その中で、さりげなく、彼女の目標が掴めればいいのだ。


 授業が終わり、図書室に向かうときも、足取りはいつもより軽かった。


「……こんにちは」


 図書室に入り、カウンターへ寄ると、小さな声で挨拶をする。


「こんにちは、藤乃さん。……まだ誰も来てないから、普通に喋って大丈夫だよ」

「そうなんですね。本を、返しに来ました」

「はい」


 本を受け取り、返却作業をしてもらう。


「手慣れてますね」

「自分で借りた本を、しょっちゅう返してるからね」


 はにかむと、頬がうっすらと窪む。私は、慧が下を向いて作業している隙に、こっそり口角を上げて、頬に指を当ててみた。私の頬は、窪まない。

 なんだか、残念だ。笑った時にえくぼができると、愛嬌と、可愛らしさがある。


「何してるの?」

「ひっ」

「笑う練習?」


 見られていた。しかも、的確だ。

 言葉が出ずに口をぱくばくさせていると、顔に熱い血が集まる。


「藤乃さんって、すぐ赤くなるんだね」


 そんなこと言われると、ますます恥ずかしい。


「うちの妹も、怒るとすぐ赤くなるんだ。ちょっと似てるね。藤乃さんが赤くなるのは、恥ずかしいときみたいだけど」

「……妹さんは、おいくつなんですか……?」


 話題を自分から逸らしたくて、質問を投げた。


「10歳だよ。今年、11歳になる」


 微笑んだまま、慧は答える。


「10歳。けっこう、離れているんですね」

「そうだね。7つ違うよ。俺は、わりと早くに生まれた子供だから」

「7つ違いかあ……」


 もし7つ離れていたら、私が今の年齢なら、相手はもう大学を卒業している計算になる。


「そんなに離れていると、話も合わないでしょうね」

「そうだねえ。その分、可愛いよ。……藤乃さんは、きょうだいはいるの?」

「兄がいます。4つ上で、昨年度卒業しました」


 答えると、慧は「ん?」と言って、私の貸出票を確認した。


「そっか。藤乃さんって、あの小松原先輩の、妹なんだ」

「兄を知ってるんですか?」

「知ってるよ。元生徒会長だから」

「……ああ、そういえば」


 2年の後期から3年の前期にかけて、たしかに兄は生徒会長を勤めていた。学園のリーダーとしての役割を、それはもう生き生きと、楽しげに全うしていた。


「……そうかあ。藤乃さんって、本当にお嬢様なんだ。凄いんでしょう、小松原家って。クラスの人たちが、噂してたよ」

「凄い、って……?」

「うーん。何が凄いのかまでは、覚えてないんだよね。どっちみち俺にとっては、雲の上の話だから」


 確かに系譜の長さや経済力は、私自身も驚くほどのものがある。兄のように目立つ人は、なおさら、噂の対象になっただろう。


「そんな雲の上の人と、こうして話せるんだから、世の中って不思議だよね」

「……私も、慧先輩にとっては、雲の上なんですか?」


 慧は眼鏡のつるに手をかけて調整しつつ、「そうだなあ」と暫し考える。


「事実はそうなんだけど、藤乃さんは、もっと親しみやすく感じているかも。なんとなく、妹みたいなところもあるから」


 失礼だったね、と軽く謝罪されたので、私は首を横に振る。


「失礼じゃありません。慧先輩にそう思ってもらえるなら、こちらも気が楽です」

「そう言ってもらえるなら、俺も気が楽だよ」

「……ただ、妹みたいっていうのは、気になりますけど。妹さん、10歳なんですよね?」


 その言葉尻を捉えてみる。私のどこが、10歳の女の子みたいだと言うのだろう。


「赤くなるところ。あとは、純粋だからだよ。貶してるわけじゃない」

「純粋、ですか? 私……?」

「そうだと思うよ。俺は、ね」


 早苗ざまぁ、なんて品のないことを企てている私の、どこが純粋なのだろう。

 彼は何か勘違いしていると思ったものの、私の計画を殊更に強調するつもりもないので、言わないことにする。


「ありがとうございます」


 代わりに礼を言うと、彼は小さく頷いた。


「じゃあ、本探してきますね」

「いってらっしゃい」


 ひと通りの会話を終え、私は今日も、いつもの書架に向かう。

 日に日に、互いのことを知り、私たちの距離は近づいている気がする。


 人と仲良くなるのって、こんなに楽しいものなんだ。


 今まであまり味わったことのない、心浮き立つ感触。私は、ヒロインと悪役令嬢が仲良くなる話を探そうと思って、次々に取り出した本の表紙を吟味した。

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