52 文化祭に備える
「こんにちは、お姉さんっ!」
「こんにちは、凛ちゃん。夏休みは、どう?」
「楽しいよ! 友達とプールに行ったんだ~」
凛の顔は、暫く見ない間に、こんがりと日焼けを果たしていた。ゆるいTシャツから肩が覗くと、水着の形に綺麗に日焼けしているのがわかる。
「いいわね」
「お姉さんも行く? 近くにあるんだよ、あのねえ、波のプールがあって……」
「駄目だよ凛、藤乃さんをそんなところに誘ったら」
冷たいコーヒーとジュースの入ったグラスを盆に載せ、慧がキッチンから戻ってくる。
「どーして?」
不満そうに唇を尖らせる凛の頭に、宥めるように優しく、手のひらを乗せる。
「藤乃さんは、家にプールもあるんだから。人のたくさんいる市民プールになんて、わざわざいかないよ」
「えっ! 家にプールがあるの?」
凛の目が、きらん、と輝く。
「いいな! いいな! うち、行ってみたい!」
「えーと……」
「駄目だよ、凛。俺たちが行くような場所じゃないって」
慧の言い方に卑屈めいたものを感じて、私の心は、ぴりりとした。慧は特待生であり、いわゆる庶民。私はそんな差など関係なく慧は魅力のある人物だと思うし、彼も、私の家柄は関係なくこちらを見てくれていると思う。
だけど今の慧の発言は、自分を下げるものだった。
「なんでよぉ。うちは、お姉さんとも仲良しなのに」
「それでも、駄目なんだって。許してもらえないよ」
納得していない凛を、さらに説き伏せようとする慧。
「どうして?」
「藤乃さんの家と、俺たちの家は、違うから……」
「そんなことありません」
慧の発言によって、何も気にしなくていい立場の凛まで、変な先入観を抱いてしまうかもしれない。それは良くない、と思って、私は口を挟んだ。
「凛ちゃん、本当に、来てみたい?」
「うん! 家にプールがあるなんて、すごいもん」
「なら、そのうち、お招きするわね」
慧が思うほど、私の家は、閉鎖的ではない。事実、兄の友人の特待生だって、私の家によく来ていた。
「藤乃さん、だけど……」
「もちろん、慧先輩も一緒に」
凛だけ呼ぶのは、不自然だから。私は、敢えて有無を言わせぬ調子で、そう告げた。
「……ありがとう。いいからね、無理しなくて」
「大丈夫です」
慧に、というよりは、凛に悟られないように。私は努めて、普通の笑顔を作った。
「楽しみだなあ」
ひまわりが咲くような明るい笑顔が、凛の顔に広がる。
「ごめんね藤乃さん、凛が無理言って……」
「いいんですよ。私の兄も、お友達を呼んだりしますから」
慧の表情は、相変わらず、どこか気遣わしげだ。司書の人に見せる屈託のない笑顔を見てしまったからこそ、それがわかる。
彼にも気を使わせないよう、笑顔を崩さずに応える。兄が友達を呼んでいるのも事実だし、私が友達を招くことに、問題がないのも事実だ。
ただひとつ、大きな問題がある。親は慧を、女の先輩だと思っているのだ。招くなら、さすがに、その誤解を解かないといけない。
「大丈夫です」
しかし、きっぱりと、そう言い切った。慧にも凛にも、良くしてもらっている。来るたびに土産は持ってきているものの、それでは足りない。私も、少しくらい、彼らの思いに報いたい。
「ありがとう、藤乃さん」
「構いませんから」
「だけど、いいのかな。藤乃さんの家に行くってことは、ご両親に挨拶も……」
「そうね、しないと駄目だわ」
さすがに、慧のように、親に内緒で家に入れることは難しい。初回は、セキュリティ的に、許されないのだ。
「お兄、藤乃さんのご両親に、挨拶するの?」
「そうなるね」
「良かったねぇ」
凛が、妙に大人びた表情で、慧の肩をぽんと叩く。
「多分、凛の思うような挨拶じゃないよ」
「なんで? 挨拶するんでしょ?」
「うん。藤乃さんは、凛の思うような意味では、話していないと思う」
周りはそういう意味で捉えると思うけど、と慧が付け足す。私には意味のわからない発言なのだけれど、凛は「なるほど」と何故かわかったような顔だ。
兄と慧の会話だけでなくて、ついに、凛と慧の会話までわからなくなってしまった。状況の悪化に、頭を抱えたくなる。
「……ま、いいや。とりあえず、ゲームしよっ」
凛の発言で会話は断ち切られ、私たちは、皆でテレビの画面に向かう。
「海斗様のストーリーを全部見るのが、先ですかね」
「それがいいよね。藤乃さんがどう行動するのか、確認しておかないと」
慧は、今までのメモを確認する。
夏休みで親交を深めたふたり。夏休み明けには、文化祭がある。そこで文化祭では、「私」は、主人公に抜擢されたヒロインの衣装を破く。
テストを終えると、学園をあげたクリスマスパーティ。ここでは、「婚約者」を差し置いて海斗とヒロインが踊り、腹を立てた「私」が声高に彼女を批判する。
バレンタインに海斗に本命チョコを渡すと、ホワイトデーには、海斗からプレゼントを貰う。そこへ「私」が現れ、海斗の差し出したプレゼントを奪おうとする。プレゼントを奪われた海斗は激昂し、婚約破棄に至る。指輪をもらうヒロインの陰で、ついでのように退学が告げられる。
前回エンディングまでプレイしたときには、このような流れであった。凛もメモを覗き込み、3人で内容を把握する。
「演じる劇も、選べたよね」
「そうね。この間の続きから、プレイしてみましょうか」
ゲームは、学外活動が終わったところでセーブされている。私はゲームを起動し、ストーリーの続きから始めた。
2回目とあって、前回よりも効率良く進んでいく。ステータスを上げたり、デートする選択肢を選んだりしながら、主人公に夏休みの時間を過ごさせた。夏休みが終わったタイミングで、一度セーブする。
「こないだよりも、いい感じだね」
「そうね。前回よりも、ステータスも好感度も高いわ」
ゲームでは1日につき、取れる行動はひとつだけ。だからステータスや、好感度を上げられるキャラクターの数には限度がある。
現実では、1日に複数の行動が取れる。だから早苗は、ステータスの向上と、全キャラの好感度アップという離れ技をこなせているのだ。
それにしても、海斗ひとりを相手にしてプレイするだけでも頭を使うのに、複数人同時進行だなんて。彼女の頭の回転の速さは、尊敬に値する。
「どの劇にしてみる?」
「どれも王子とお姫様の話なのね。タイトルが違うだけだわ」
文化祭の劇の選択肢は、どれも有名な童話。王子とお姫様が出てきて、恋に落ちる話だ。
「王子と姫、っていう絵が描きたいのかな」
「どれを選んでも同じかしら」
「一応、前回とは違うのにしようよ」
私は前回とは別の劇を選び、話を進める。どの登場人物になるかは、ミニゲームとステータスによって決まるらしい。
「他の登場人物のパターンも、確認する? あとで夏休みから、やり直して」
「そうですね、そうしましょう」
念のため、学外活動のあとのデータも、保存してある。全ての劇の展開を確認したら、主役になれなかったパターンもはあくすることになった。
ストーリーは進み、主役になったヒロインの前に「私」が登場する。
『どうしてあなたがヒロインなの? 主役は私に決まっているのに、生意気よ』
偉そうに言い放つ。
「つくづく、藤乃さんが言わなそうな台詞だね」
「今はそうですが……私も、追い詰められたら、こうなっていたのかもしれません」
今の私は、こんな言い方はしない。
だけどもし、慧にも出会わず、婚約破棄のことを家族にも言えない状況だったら。そんな中で、海斗のファンクラブである真理恵たちに、「ひと言言ってくれ」と頼まれたら。
私だって、こうなっていた可能性はある。ゲームの中の「私」を、むやみに否定するのは、気がひける。
「そんなことないよ」
「あるんです」
ゲームの「私」は、本にも出会わなかったのだろう。ゲームはあくまでも、ゲーム。図書室の本を選択しても、中身を読むことはできない。
ここは現実だから、手に取った本には、中身があった。私と「私」の違いは、それだけだ。
「あ、また破いた」
凛の声。画面の中の私は、ヒロインの衣装をハサミで盛大に切り裂く。海斗が現れ、激怒する。いつもの展開だ。
「海斗様も、わかってるんだから、もっと早く止めに入れば良いのに」
「それじゃ、守ってくれてる感がないじゃん」
私の呟きに、凛が大人っぽい言い方で返す。
「それもそうね」
ちなみにもうひとつの選択肢でも、主人公が主役になった場合、私は衣装を切り裂いた。
「展開は、なる役柄によって変わるのかもね」
「そうですね。やっぱり次は、役柄を変えてプレイしてみないと」
文化祭が終わった段階のデータを保存しておく。何にせよ、今日はここまで。そろそろ、いい時間である。
「じゃあ、またね」
慧と凛。えくぼの良く似たふたりと別れ、私は帰路についた。




