48 樹と花火
日が落ち、暗くなるにつれて、砂浜には人が集まってくる。
今回の学外活動は、学級外の生徒も参加自由である。海岸から花火は見たいという理由で、この時間からの参加希望は、それなりに多かった。
「浴衣、かわいいわね」
「でしょ? あなたも!」
女子同士の、きゃあきゃあ、という戯れ。浴衣を着た生徒が砂浜に点在する様子は、なかなかに華やかであった。友人を誘った人も多いのか、あちこちで輪を作り、楽しげに談笑している。
私は、先ほどと同じ、小高い丘にいる。人のたくさんいるところからは、少し離れた場所。喧騒と、波の音が、心地よい距離で聞こえてくる。
早苗たちも、大きな輪を作って砂浜で話し込んでいる。ここでも早苗は忙しそうに、誰かと話せば他の人と話し、何か食べたり飲んだり、もらったりあげたりしている。
見ていると、その輪の中には、浴衣を着ている男性もいれば、着ていない男性もいる。海斗はもちろん浴衣を着て、早苗に熱心に話しかけていた。
「どうして、浴衣を着ている人と、いない人がいるのかしら」
頬に手を当て、私は考える。
もしかしたらあれは、花火大会のイベントがあるかどうかの、違いなのかもしれない。
浴衣を着ている男性は、花火大会のイベントがストーリーに組み込まれているのだろう。そういう目で見ると、早苗は、着ていない男性たちよりも、着ている男性たちと圧倒的に多く話している。
「藤乃ちゃん」
「わっ! ……なんですか、樹先輩」
早苗たちと一緒にいたはずの樹が、後ろから話しかけてきた。びっくりして振り向く私の隣に、軽い音を立てて腰掛ける。
いつ着替えたのか、樹も浴衣姿だ。ということは、彼も、早苗との花火大会イベントがあるはず。
「……早苗さんが、待っているのでは?」
早苗は、樹とのイベントも進めたいはずだ。こんなところでだらだらされて、彼女に嫌な印象を与えたら困る。せっかく、着付けを手伝うことで、親しさを演出したのに。
だから早苗の元に行くよう勧めたのに、樹は「うーん」と曖昧な返事をして、そこから動こうとしない。
「俺も、あそこに行って、早苗と話したいんだけどさ」
さっき話している時には、樹はゲームの強制力を思わせる発言をしていた。イベントがあるときは、早苗への思いが強まるのだ。彼も浴衣を着ているのだから、早苗とこなさなければならないイベントがあるはずである。
「なら、行けばいいじゃありませんか」
「まだ俺の番じゃない、って気がするんだよね」
樹の発言は、よくわからない。
今早苗は、嬉しそうに隣の会長と話している。彼とのイベントが進行中であり、樹とのイベントはまだなのかもしれない。
「その時が来たら、行こうと思うよ」
「……そうですか」
樹は、気まぐれで頑固だ。私が何を言っても、自分で決めた行動は変えない。ここにいると決めたのなら、私がこれ以上早苗の元に行くよう促しても、あまり意味はないだろう。
そろそろ、花火大会も始まる。私は諦めて、空を見上げた。
海岸の空は明るくて、星はあまり見えない。それでもちらつくいくつかの星を、じっと見つめた。あれは、夏の大三角形。星座はあまり詳しくないけれど、幼い頃、いくつか兄に教わった。
ひゅうん、と甲高い、気の抜ける音がした。
「わあ……!」
いよいよ始まった花火大会に、人々が湧く。
どーん、とお腹に響く破裂音。大きな赤い花が空に咲き、ぱらぱらと軽い音を立てて散る。その繰り返して、空には色とりどりの花が咲く。
「……綺麗だわ」
空に咲く花はもちろん、その光は海面に反射し、そちらまでも彩っている。
思わず、感嘆の声を上げる。その間も、花火は上がり、空に七色の星を降らせ、暗い海面を様々な色に染める。
「藤乃ちゃんは、もっと綺麗だ」
隣から、妙にしっとりとした樹の声がする。
そういえば私の隣には、まだ樹が座っていたのだった。
「樹先輩、ここにいていいんですか」
花火大会が始まったというのに、彼女のそばにいなくていいのだろうか。疑問に思いながら見る彼の顔も、花火が上がるたび、いろいろな色に染まる。
赤い光に照らされた樹の顔が、ふっと緩んだ。頬に、ひんやりとした柔らかな感触が触れる。それは、樹の手のひらだった。
「え、樹先輩」
「綺麗だよ、藤乃ちゃん。花火より、君を見ていたいくらいだ」
「は……?」
頬から手が離れる。私は、まだ樹の手のひらの温度が残る頬に、指先で触れた。ざらりとした砂の感触。
今のは、何?
今までの樹とのやりとりではありえない、妙に甘いセリフ。確かに樹は気まぐれにそんなことを言いそうではあるけれど、それにしても、私は今まで彼にあんな言葉をかけられたことはない。
「どうしたんですか、樹先輩」
「……どうしたんだろうね。なんか急に、言いたくなっちゃった」
くしゃりとはにかむ樹の顔が、今度は緑色に染まる。
「……驚きました」
「驚くよね。俺、藤乃ちゃんにこんなことを言ったの、初めてだもん」
樹は私から、花火へと視線を戻す。後頭部の癖毛を、雑に乱す。
「でも、綺麗だと思ったのは本当だよ」
「……そう、ですか」
どう反応していいかわからなくて、私も、また花火を見上げた。
一体、樹は、どうしてしまったと言うのだろう。
「早苗さんのところには……」
「もう気が済んだから、行くのはやめた。ここにいるよ」
相変わらず、促しても移動しようとしない。
沈黙が訪れると、花火の音だけが、大きく響く。黙っていても間が持つので、ありがたかった。いくつもの花火が上がり、散り、また上がる。綺麗な花火に集中すると、それ以外の雑念は、頭のどこかにしまいこまれていった。
「……来ちゃいました」
「ああ、早苗」
ぼんやりする私の耳に、早苗の甘い声が飛び込む。
樹が動こうとしないから、彼女の方から来たのだ。早苗がそのまま、樹の隣に座る気配がする。
今更移動するのも、あからさまだ。「早苗が来たから移動する」なんて、まるで嫌っているみたいに見える。あらぬ誤解を招かぬよう、私はじっと、花火を見上げた。花火に集中しているから気づかない、というポーズである。
「……綺麗ですね」
早苗が、静かに呟く。
「そうだね」
同じような静かな声のトーンで、樹が返す。
そして、沈黙。
「……え、それだけですか?」
「うん? 何が?」
早苗が、戸惑っている。
「いや、……もっと何か、言ってもらえると思ったので」
「うーん……? 綺麗だね、花火」
「あれえ……?」
妙な会話だ。横目で確認した早苗は、引きつった笑顔を浮かべていた。
「そっち、行かなくてごめんね。俺、もう少しここで花火を見ているよ」
「……あ、はい」
早苗はそのまま、立ち上がる。
樹とのイベントが終わったから、次の男性のところに行くのだろう。
花火がどーん、と重たい破裂音を立てた。
「……どうして、イベントが起きないのよ」
破裂音に紛れて早苗が吐き捨てたセリフは、私には、しっかり聞こえていた。
イベントが起きない?
今のは、筋書き通りのイベントではなかったのだろうか。
「綺麗でしたわね」
「ええ……非現実的な気持ちでしたわ」
花火が終わり、ほのかな煙の香りとともに、皆でバスに乗り込んだ。ここからはもう、帰るだけである。
バスに揺られながら、私は早苗のセリフについて考えていた。
早苗の周囲の人間関係は、ゲームの強制力に基づき、イベントに沿うように動いているはずだ。
私の行いによって多少ストーリーに変化がある部分はあるが、それ以外の要素は、今のところ見つけられていない。他にも「イベント通りに進行しない」理由があるなら、知っておく必要がある。
週末は慧の家で、樹のストーリーをプレイしてみることにしよう。私がそう決めた頃、バスは学園に到着した。




