45 生徒会長は猫王子
ビーチバレーが終わったら、皆で昼食を食べることになっている。持参した椅子に座る者、砂浜の上にシートを敷く者、砂に直接座る者。その振る舞いは様々だ。
私は、砂浜の上にわずかに生えた草の上に座る。どうせ、水着なのだ。汚れたって気にしない。膝の上にランチマットを置き、その上で弁当箱を広げた。
「藤乃さん、今日はありがとう」
私の隣には、会長が座っている。
私たちのいる場所は、波打ち際から少し離れた場所で、小高い丘のようになっている。ここからなら、全体の様子を、よく確認することができるのだ。
「こちらこそ。試合の進行をしてもらえて、助かりました。私、ああいうものは、苦手なので」
「そうですか? 人前でお話しするの、得意そうですけど」
私のどこを見て、そんなイメージが湧いてくるのだろう。
人前で話すなんて、私には見合わない。私はゆるゆると首を振って、否定した。弁当の中からサンドイッチを取り出し、口に含んで咀嚼する。柔らかな卵の、ふわっとした感触に、口の中が幸せになる。
視線を前に向けると、広い空と、広い海。視界一面を青が埋める、爽快な光景が広がっている。
「気持ちがいいですね」
頬を撫ぜる潮風。運動をした後というのもあって、その風が、なんとも心地よい。ふわっとした潮の香りが、やや薄味のサンドイッチに、ちょうど良い風味を与える。
それぞれの生徒が、好きなように輪を作り、話したり休んだりしている、のどかな光景。時間がゆったりと流れる、贅沢な雰囲気。
その中でひときわ目を引くのは、やはり、早苗を囲む集団だ。昼になると、教員まで顔を出す。あの人は確か、攻略対象の保健医だ。早苗はあんなにたくさんの攻略対象に手を出して、何を目指しているのだろう。あのゲーム、複数の男性の好感度を上げることはできても、選べるのはひとりだけなのに。
「お茶、飲みます?」
「いいんですか?」
「ええ。せっかく、カップをいくつか持ってきたので」
私はカップに、淹れてきたお茶を注ぐ。熱い紅茶が湯気を立て、琥珀色の表面が波打つ。暑い中で、ゆっくり熱いお茶を飲むというのも、乙なものだ。
会長にクッキーを手渡し、私もひとつ齧る。
海を見ながら、砂浜の上で、ティータイム。あまり屋外で紅茶を飲むということはないが、これはこれで、風情がある。
「ふう……」
すっかりくつろぐ私の視界には、ずっと、早苗たちが映っている。
どうも彼女は、何人かの男性に、手製の弁当を食べさせているようだ。ある者にはお菓子を渡し、ある者には小物を渡し。あれは、それぞれのイベントをこなしているのかもしれない。よくもまあ、個々に別々の用意をしてきたものだ。
どうも早苗が目指しているのは、海斗のルートではない、という気がしてきた。海斗とのハッピーエンドを迎えるだけなら、あれほど多くの男性に声をかける必要はない。
「おいしい紅茶ですね」
「でしょう? ここで飲むと、格別においしいわ」
鼻から抜ける紅茶の香りが、頭の中を整理する。
ここは、ゲームではなくて、現実だ。だから、ゲームのストーリーから逸れたことも、起こりうる。現に私は、本来であれば「悪役令嬢」に収まっていなければならないところを、今のところ、回避することができている。
そしてその事実は、早苗にとっても、変わらないのだ。
「……逆ハーレム?」
「はい? 藤乃さん、何か言いました?」
「いえ……」
その思いつきは、非常にしっくりとくるものであった。
私が今まで読んできた小説の中にも、悪役令嬢が「逆ハーレム」を達成してしまうお話は、いくらでもあった。ゲームにそうしたストーリーが組み込まれている場合もあるが、そうでない場合もあった。
早苗はヒロインなのだから、「悪役令嬢」がそれを達成するよりも、はるかに簡単に達成できるだろう。ゲームの知識があれば、複数のイベントを管理することで、同時にいくつものストーリーを進行することはできそうである。
「……いろいろと予想外なこともありましたが、なんとかうまく行っているのは、藤乃さんが手伝ってくれたおかげです」
「いえ、私なんて、何もしていないのに」
「こう言ってはなんですが……早苗さんと彼では、うまくいかなかったかもしれません」
「ああ」
思わず納得の声を上げたのは、早苗と海斗の非協力的さを思い出したからだ。
そんな早苗は、あちらの男性と手を繋いだかと思えば、こちらの男性に抱き寄せられる。プレゼントを受け取ったかと思えば、頭を撫でられる、と忙しくしている。彼女を囲む男性同士が火花を散らしている中で、満足そうな笑顔を浮かべている。
「あのお二人は、買い出しにも来てくださいませんでしたし」
彼女の目的は、複数のイベントをうまく進めていくこと。学外活動の企画に立候補したのも、それがストーリー上必要だったから、というだけだ。些末な実務に非協力的だったわけも、そう仮定すれば、よくわかる。
「力になれたのなら、良かったわ」
「はい……ああ、飲み物を配ってくださるみたいですね」
会長は、軽く腰を浮かす。先ほど賞品として手に入れた飲み物を、早苗たちが配り始めたところであった。
「あら……?」
飲み物を受け取りに行った会長とすれ違って、こちらに向かってくるのは、早苗であった。にこやかな笑みを浮かべている。近づいてきた彼女の手には、オレンジ色の液体が注がれている。
オレンジジュースだわ。
私の危機感のセンサーが、反応した。
オレンジジュースといえば、ゲームでクルーズを選択した時に、「私」が早苗にかけるものだ。わざわざ早苗が、私に、オレンジジュースを手渡しにやって来るなんて。どう考えても、怪しい。
「ねえ、藤乃さんもどうぞ」
早苗が、にこやかにジュースを差し出してくる。彼女の少し後ろでは、心配そうに、海斗を含んだ男性陣が見守っている。
ここで断ったら、それはそれで、いじめたと言われそうだ。
私は迷った。万が一、早苗が自らオレンジジュースを被ったら、私がかけたと言われるだろう。「悪役」の道、まっしぐらである。
「……ありがとう」
早苗だって、そこまではしないかもしれない。
警戒しながら、ゆっくり、オレンジジュース入りの容器に手をかける。そのとき、早苗の手が、妙な方向に動いた。
「きゃあっ!」
いけない、と思い、私は咄嗟に、手首を自分の方向に返した。
容器から飛び出したオレンジジュースは、私の着ている白いシャツを橙色に染める。ひんやりした感触が、胸元に広がった。
「えっ……?」
早苗が、私の手に握られている空の容器を見て、唖然とした表情を浮かべる。
そんな彼女には、ジュースは一滴もかかっていない。とりあえず私は、彼女がジュースを被ることを阻止できたようだ。
「あ、あっ……ごめんなさい、手元が狂ってしまって」
私は謝る。ここで変に早苗を責めて、対立関係を印象付けたくはない。そんな私に、早苗はますます、困惑の表情を深める。
「なんなの、あなた……」
「早苗も、わざとじゃないんだろう? 気にするなよ」
別に、早苗は気にしていないと思うのだけれど。
彼女からの謝罪がある前に、海斗が彼女の背に手を添え、そうフォローする。そのまま彼は早苗の背を押し、丘を下りていった。
「……大丈夫? 拭いたほうがいいよ」
そして私はなぜか、生徒会長にタオルを渡されていた。
彼は、神崎樹。ふわっとした癖っ毛と、その切れ長の目から、「猫王子」と一部から呼ばれている。
「ありがとうございます」
私はタオルを受け取り、濡れてしまった胸元を拭う。白いタオルに、オレンジ色の染みがついてしまった。
「久しぶり、藤乃ちゃん」
「お久しぶりです、……会長さん」
彼は、中等部の頃の顔見知りである。そのよしみで、高等部に入学したばかりの頃には、私も海斗と同様、生徒会の手伝いを頼まれた。私は性に合わないと断ったのだけれど、海斗は手伝いに参加し、その後早苗も合流している。
「やめてよ、なにその、会長さんって」
樹はそのまま、私の隣の砂浜に、腰を下ろす。軽く腕を引かれ、私も座った。
笑うと彼は、目がくしゃっと細くなる。その甘い笑顔が、また、なんとも猫に似て愛らしいのだ。その可愛らしさと、頭のキレのギャップで、彼は彼で、昔から絶大な人気を誇っている。
「私も、高等部に入ったので」
それと、攻略対象である彼と今関わりたくないという思いが、彼の呼び名を他人行儀なものにさせた。
「寂しいなあ。昔みたいに、樹くんって呼んでよ」
樹はここを去る気がないように、のびのびと足を伸ばす。
「それは、初等部の頃じゃありませんか?」
「そうだけどさ。中等部に入ってからは、俺のこと、樹先輩って呼んでたよね。別に、そんな細かいこと、意識しなくていいのに」
「……親しげにすると、恨まれますから」
樹のファンの女性たちに。
私が暗にそう言うと、樹は「参ったなあ」とその癖毛をくしゃり、無造作に乱す。
「でも、会長さんは、さすがによしてよ。俺、夏休みが明けたら、会長の任期も終わるんだから」
樹は今、高等部の3年に属している。私の2つ上、慧の1つ上だ。
会長の任期は、年度半ばからの1年間。そろそろ終わる、という訳である。
「……なら、神崎先輩で」
「嫌だ。せめて、樹先輩って呼んで」
「……樹先輩」
私が呼ぶと、樹は嬉しそうに目を細めた。そのわがままさが、なんとも、猫的だ。
早く、早苗の元に行って欲しい。樹に恨みがあるわけではないが、攻略対象とは関わりたくない私は、「早苗さんが待ってますよ」と移動を促す。
「やだ。俺、もう少しここにいるよ」
樹の、いたずらっぽい笑顔。
彼の気まぐれな思いつきに振り回された、中等部の一時期を思い出す。言い出すと彼は、聞かないのだ。
「……そうですか」
私は彼の好奇心をこれ以上刺激しないよう、素っ気なく、返事をしてみた。




