44 「悪役」は誰だ
「そっち行ったよ!」
「はい!」
最初の相手は、早苗たちとは別のチームである。面子もそこそこであり、実力は伯仲。お互いに声を掛け合い、ボールを追い、砂を巻き上げる。
最初は勝手がわからず、なんとなく一歩引いて見ていたのだけれど、徐々にわかってきて、私も得点することに集中していた。何度か転びながらボールを返し、持ってきたシャツを砂だらけにしつつ、チームメイトと協力する。
「ああっ、真理恵さん!」
「任せて!」
遥と真理恵も、先ほどまでの思いつめた調子とは変わり、生き生きと取り組んでいる。
スポーツというのは、そこがいいのだろう。邪念が拭われ、目の前のことに集中できる。集中しないと負けてしまうから、強制的に。
交代のタイミングでコートの外に抜けても、試合の展開と応援に気が向いて、早苗たちの様子は、特に気にかからなかった。
「次は、あちらのチームとですって」
「ああ……」
問題なのは、早苗たちのチームとの試合である。
正直なことを言うと、私は最初から、諦め気味であった。他のチームメイトも、同様である。こうして、ネットを隔てて向かい合ってみると、相手チームの威圧感というのは、凄まじいものがあった。
何しろ皆、スタイルが良い。鍛えているのか、体つきも立派だ。そんな男性たちが、早苗を取り囲むように並び、こちらをきつい目つきで見ているのである。
「始めてください」
飛んできたサーブが、驚くほどの勢いで、コートに飛び込んでくる。
ああ、これ、無理だわ。
私は諦めた。手出しできない。
「ナイスファイトです」
「いや……でも、駄目だったわ」
無気力試合をするのも嫌だから、何度かボールに飛び込んではみた。ただし、転んで膝や肘に砂が付くだけで、ボールは全く触れなかった。
コートの反対側で歓声をあげ、ハイタッチを交わす早苗たち。一方こちらは、雰囲気だけは盛り上げようと、虚勢を張っている状態だ。互いの元気の良い掛け声は、虚しく響いている。
「ありがとうございました」
「目に見えていた結果でしたものね」
「仕方がないね」
近くにいたチームメイトと、負け惜しみに似た言葉を交わしながら、コートを抜けようとする。そんな私と逆方向に、人影がさっと動いた。
「あのっ……早苗さん!」
思いつめたような、その声。私は、さっと振り向いた。拳を握った細い腕が、小刻みに震えている。その隣に、案じるように寄り添う女生徒。真理恵と、遥だ。
早苗は、突然呼びかけられ、きょとんとした顔つきをする。
「……何か?」
心底不思議そうに、真理恵に問う。
彼女の頭の中に、こんなイベントはないのだろう。私にも、この展開は、想像がつかなかった。何のかんの言っても、彼女たちは、早苗に直接言うことはしないだろう、って。
なぜなら早苗に物申すのは、私の役割だからだ。
「あまりにも、目に余ります。そのように、周囲の目を気にせずに男の方に囲まれているのは、その……はしたない、と思います」
「……そうかな」
もしかしたら真理恵は、今の試合で、早苗の傍若無人さが頭に来たのかもしれない。
私もため息をつきたくなるくらい、それは一方的で、ひどい試合だった。全体のことを考えていたら、あんなチームわけにはしないだろう。
「よく言うなあ。俺、思っても言えないよ」
ぼそり、と聞こえない程度の声量で、隣にいた男子が言った。
そう、そんなこと、普通は言わない。早苗の周囲にいる男性陣に睨まれたら、学園では生きていけない。敵にするには、彼らはいささか、強力過ぎる。
そのくらいのこと、わかっていると思ったのに。
控えめな真理恵たちに、それをする勇気が、本当にあるとは思わなかった。現に、彼女の手足は、緊張で震えているようだ。
そんな思いをしながら、なぜ彼女は、あんなことを言うのだろう。疑問に思って、辺りを見回す。好奇の視線、困惑の視線、無関心。その中に、強い、視線の圧が含まれている。
「怖いよなあ、ファンクラブって」
「彼女も可哀想だよ、なんか、あれだろ? 学年代表ってやつ」
控えめな噂話が、私の耳にまで入ってくる。
真理恵と交わした会話の記憶が、掘り起こされる。確か彼女は、海斗のファンクラブの学年代表を任されていて。周囲から、早苗をなんとかしろと言うような、圧を感じているようなことを話していた。
言わされているのだとしたら、可哀想。
「でもあたし、別に、誰にも迷惑をかけてないわよ」
「そんなこと、ありません! 今だって、こんなにひどい試合……」
「そんなの、能力がない方が悪くない?」
うわあ、と言う声は、私の心の中で聞こえたものか、それとも誰かが言ったものか。
あまりにも自己中心的な物言いに、私は苛立った。
それでもここで、口を出す訳にはいかない。私が口を出したら、それはきっと、ゲームの展開に乗ってしまう。
「そっ……そんなの! ちょっとくらい運動ができて、可愛いからって、その言い方は、あんまりです!」
「そ、そうですよ! 調子に乗りすぎです」
声を大きくする真理恵に、遥が同調する。
私は彼女たちの台詞が、妙に引っ掛かった。早苗を見ると、その表情も、妙である。満足気という言葉が、一番しっくりくる顔つき。
なぜこんな風に言われて、そんな余裕のある表情をできるというのか。
ちょっとくらい運動ができて、可愛いからって、調子に乗らないでよ。
頭をよぎる言葉に、私ははっとした。少し言い回しは違うが、それは本来ならば「私」が、早苗に言うはずのもの。
「どうして、そんな言い方をするの……」
早苗はおかしそうな顔で、だけど声は弱々しく、反応した。ネットをくぐり、こちらのコートに来る。真理恵たちと早苗を隔てるネットが、亡くなってしまった。
「君たち、早苗に向かって、なんてことを言うんだよ」
そして、早苗の前に、海斗が立ちはだかる。
主人公が「私」にいじめられると、海斗が助けてくれるのだ。その、見飽きたおきまりの展開が、今目の前で繰り広げられている。
ゲームと違うのは、「悪役」の立ち位置に、私がいないことだけ。
「ですが……」
「ですがも何も、ないだろ。だいたい君らは、早苗に何か言えるような人間なのか? 見た目も、頭も、性格も、何もかも負けているくせに」
海斗の言葉は、神経を逆なでするような、棘のあるもので。
真理恵の方が、ぞわっと震えるのが、見えた。彼女だって、愛されて育った令嬢なのだ。あんな言い方をされたら、自分のプライドが許さないだろう。
「そんなっ……!」
真理恵が、重心を前に傾ける。
私の脳内に、ゲームのイベントが甦った。激昂した「私」は早苗に手を出し、転倒させる。同じことが、今、目の前で起きようとしている。このままでは私の代わりに、真理恵と遥が、悪役になってしまう。
それは、駄目。
私は、真理恵たちの方に駆け寄った。悪役になったら、その先には退学が待ち受けているかもしれない。自分の代わりに、真理恵たちが退学になったら、悔やんでも悔やみきれない。
「それは駄目よ、真理恵さん!」
「えっ?」
真理恵の動きが一瞬止まった隙に、私は、真理恵と早苗の間に滑り込んだ。ボールを追って何度か行った身のこなしが、役に立った。体勢を崩しながら、真理恵の手を取る。
「手を出しちゃだめ、絶対」
「きゃあっ!」
視界がくるりと周り、私の目の前には、青い空が広がっていた。
砂の上とは言え、打ち付けた腰は鈍く痛い。ついでに、何か胸元に、重みがかかっている。
「ごめんなさい、真理恵さ……」
「ああっ、ごごごごめんなさい、藤乃さんっ!」
手荒な真似をしたことを謝罪する前に、真理恵の慌てた声。胸元に触れていた彼女の手が、ぱっと離れる。
「わ、わざとじゃありません」
真理恵は顔を真っ赤にして、弁解する。わざとではないという言葉は、私の胸を触ったことにかかっている。
「気にしないわ。女同士ですもの」
微笑んで返すと、真理恵の表情は、ほっとした顔つきになる。
立ち上がり、砂を払う。見れば、早苗は先ほどいた場所に、立ったままだ。
真理恵が彼女を転ばせるというのは、ゲーム上の展開だ。どうやらイベントを阻止できたようで、私は安堵する。真理恵が「悪役」になってしまうことは、かろうじて、避けられただろうか。
「……ごめんなさい。別に私は、早苗さんのしていることを、悪いとは思っていませんわ。ちょっと言い過ぎでしたわね、真理恵さんも」
避けると決めていたのに、自ら早苗に関わってしまったので、私は言い訳がましくそう話す。少なくとも私は、彼女と対立したいわけではない。それを海斗をはじめとした、周囲の生徒に印象付けるためだ。
だから敢えて、真理恵を咎める。そのまま、真理恵の背に手を当て、柔らかく押した。コートの外まで、ゆっくりと歩かせる。
「真理恵さんが、あんなことをおっしゃるなんて、驚きました」
沈黙の間を埋めるために、そう声をかける。
「……私も、自分でもどうしてあんなことを言ったのか、わかりません」
すると真理恵から返ってきたのは、意外な反応だった。
「わからないの?」
「ええ……あんな言い方、するつもりは、なかったんですが」
真理恵は、憑き物が落ちたような表情で、首を傾げている。
私はその顔を見て、背筋にひやっとするものが走るのを感じた。その時思いついたのは、「ゲームの強制力」という言葉。
スポーツ大会のイベントは、進行している。ところが私は、早苗とは距離を取ると決め込んでいたから、「悪役」の枠が空いてしまった。そこに真理恵と遥が、入り込んでしまったのではなかろうか。
「いくらなんでも、早苗さんにも、失礼な言い方でしたね」
「なんだか、頭に血が上っていたみたい」
遥と真理恵は口々に、反省の意を述べる。
こんなに冷静に振り返ることができるのに、あの一瞬は、その理性が効かなかったのだ。
「申し訳なかったわ」
ちら、と遥が早苗たちに目を向ける。
「わ……」
早苗の表情を見て、私は思わず、声をもらした。
それは、あまりにも彼女が、憎憎しげな視線をこちらに向けていたから。その矛先は、どうも真理恵と遥ではなく、私に向いているようだった。
そっか、私がイベントを、潰してしまったんだわ。
そして私は、ようやく気づく。
真理恵と遥が「悪役」としての働きをするのであれば、あの場面で早苗に手を出すはずだったのだ。そして早苗が転倒し、海斗との、目を覆いたくなるようなイベントが発生する。
ところが実際は、あの転倒イベントは、私と真理恵の間に起きてしまった。
「藤乃さんにも、申し訳ないことをしてしまいました」
「え、私?」
「ええ」
真理恵は、申し訳なさそうに眉尻を下げつつも、その頬は薄く染まっている。
「藤乃さんの体が、とっても柔らかくて、私……」
もしかして海斗の代わりに、真理恵の好感度が上がってしまったのだろうか。
「気にしないで。女同士ですから。それよりも、ほら、賞品が配られるみたいですよ」
考え始めるとややこしくなりそうで、私は話をそらした。
うっかり口を出してしまったが、今日の目標は、変わらない。私自身が「悪役」になってしまうイベントを避けるために、早苗との対立関係に至らないこと。出来るだけ、避けること。
「賞品は、飲み物なんですね」
「そう。消えものじゃないと、意味がないから。あれなら、皆に振る舞えるでしょう」
賞品といっても、実際に学園の生徒がもらって喜ぶようなものを、用意することは予算内ではできない。あくまでもそれは、ゲームを盛り上げるためのスパイスである。
優勝した早苗たちのチームには、様々な種類を取り混ぜたドリンクのセットが贈られる。案の定、それは結局、そのあとのピクニックで全員に配られることになった。
「お弁当を取りに行きましょ」
ビーチバレー大会は、ひと段落。私は真理恵たちとともに、バスへ戻った。




