43 学外活動、当日
朝。
目が覚めると、まだ、日が昇ったばかりらしかった。空は、美しい朝焼け。夏を迎えたこの時期に、朝焼けが見える時刻に目が覚めてしまうなんて、相当な早起きだ。
今日は、精神力を消耗するはず。だから、もう少し眠らないと。
そう思って薄いシーツを引き被ったけれど、目蓋の裏には眩い朝日がちらつき、妙に目が冴えて、眠ることはできなかった。
遠足に行く前の日に眠れないような、という表現を聞いたことがある。前の日というか、当日の朝である。結局私は、対して睡眠を取らないまま、起床時刻を迎えた。その割には、体は元気で、頭は冴えている。
「お召し物は、これで宜しいですか?」
「そうねえ……」
侍女と共に、着る服を選ぶ。今日は外で活動するわけだから、動きやすくて、汚れても良い服が良い。
「明るい色がいいわ」
間違っても、ゲーム内で「私」の着る服と、重ならないように。悪役っぽくないパステルカラーの服を選び、着ることにした。
「行ってらっしゃい、藤乃ちゃん」
「楽しんでくるんだよ」
休日の朝は、母と兄に、揃って見送られる。慧の家に行くと、その夜は毎回、何をしたのか兄に逐一報告させられる。しかし、さすがに昨日は、その追及も控えめであった。寝不足なのは、完全に、自分のせいである。
山口は、今朝も、ぴしっとしたスーツ姿で出迎えてくれる。車に乗り込み、向かうは学園。トランクには、今日のために用意した荷物が、しっかりと詰まっている。
「おはようございます」
「おはようございます! 藤乃さん、朝早くからありがとうございます」
「お二人こそ」
私は準備のため、少し早めに学園へ到着した。既に会長ふたりは学園の正門前広場に集合し、学園内から、荷物を運び出してきたところであった。先日購入した物品を、台車に載せて、運んできたらしい。
「……やっぱり、海斗様と早苗さんは、いらっしゃらないのね」
「きっと、すぐ来ると思います」
私と同様に準備をしなければならないはずの早苗は、今日も姿を見せない。もやもやした気持ちを言葉にしてはみたものの、会長ふたりは、気にも留めない様子で穏やかに微笑んでいる。
その寛容さを、見習うべきなのだろう。私のこの狭量さで、うっかり早苗に苦言を呈したら、あっという間に「悪役」に仕立て上げられてしまいそうだ。
別に、海斗のことは、もうそれほど気にしていない。ただ、「早苗をいじめた」と学園に報告されてしまったら、退学の可能性が出てきてしまう。私は、この居心地の良い学園を、退学になんて、決してなりたくない。将来の自分のためにも、当然だ。
「バスが来ましたね」
「……よろしくお願いします」
手配したバスが、正門を抜け、広場に停車する。降りてきた運転手に、会長と揃って、挨拶をする。それと同時に、クラスメイトが続々と集合し始めた。そろそろ、集合時間だ。
「おはようございます」
「朝早くから準備、ありがとう」
口々にお礼を言われることには、悪い気はしない。運転手が荷物をバスに積んでくれ、来た順に、バスに乗り込んでいく。ここで集まるのは、同じクラスの面々だけだ。参加したいと考えている他クラス、他学年の生徒は、人数だけ把握し、現地で合流することになっている。
「おはようございます」
「よう。準備、ご苦労様」
連れ立って現れたのは、海斗と早苗であった。早苗は、海斗とともに、同じ車から降りてくる。わざわざ迎えに行ったのだろうか。彼の早苗にかける思いには、なかなか感心するものがある。それともそれは、早苗がうまく「好感度」を上げているだけのことなのだろうか。
「それでは、出発したいと思います。今日は、よろしくお願いします」
会長が挨拶をし、バスは発車する。海岸は、ここから車でさほどかからない。車内の控えめな喋り声を聞きつつ、窓の外に見える景色を眺めているうちに、ついてしまった。
バスは海岸沿いの駐車場に停まり、私たちは降りて、その側にある砂浜に向かう。学園が所有する砂浜を、今日はクラスで貸切にしているのだ。
「あら、もうどなたかいらっしゃるわ」
誰かが呟く。確かにそこには、いくつかの人影が見えた。
「あっ、先輩!」
甘い声とともに駆けて行くのは、早苗だ。軽く砂埃を立てながら、飛ぶように駆け寄る。その声に気づいたのか、振り返った姿。それを見てはっと息を呑む音が、周囲の女生徒から聞こえる。
「会長様だわ」
「こんなに朝早くから、いらっしゃるなんて」
泣く子も黙る、生徒会長。その姿は、ゲームのパッケージで見たものと、よく似ている。甘やかな笑顔に、すらっとした体躯。笑った時に唇から覗く、整った白い歯。絵に描いたような美男子だ。
「素敵ですわ」
はあ、と甘い吐息が辺りを包む。頬に両手を当て、うっとりと見つめる女生徒たち。確かに彼は、目もくらむほどの美男子である。
「あちらは、隣の会長ですわね」
「ほら、あちらにも……」
囁くようにして、早苗を取り囲む面々の名が挙げられる。誰もが、皆が羨む美男子である。そしてその全てが、ゲームの攻略対象である。改めて見ると、その異常さが際立つ。あんな風に男性をはべらせて平気な早苗も、それを見ていて、羨むだけの周囲の女生徒も。もっと疎まれてもおかしくないのに、早苗までもが憧れになるのは、ヒロイン補正なのだろう。
こうして、スポーツ大会は、目もくらむほどの美男子を交え、開始を迎える。バスで着替えを済ませ、私は砂浜に戻った。
着ているのは、もちろん、先日選んだ水着である。白いシャツに、ショートパンツ。兄と慧が一緒にいるような気持ちになって、心強い。
「早苗さんの水着、素敵だわ」
慧や兄の予想通り、私の周りの女生徒は、それぞれに華やかな水着を着ていた。間違っても、授業で着るような水着を着る場面ではなかった。彼らの的確なアドバイスに、今更ながら、感謝する。
その中でも目を引くのは、早苗である。彼女は真っ白なビキニを身に付けていた。
ゲームと同じだわ。
私は思う。あの水着は、ステータスが最も上がるアイテムだ。やはり彼女は、その辺りのことを、理解しているのだ。
白い水着は、彼女の抜けるような白い肌と、よく合っていた。惜しみなく晒された体は均整が取れていて、日差しに照らされ、それはもう、素晴らしい光景であった。早苗の周囲の男子生徒だけでなく、クラスの皆が彼女に注目する。それは仕方ないほどに、その姿は、様になっていた。
早苗はバスから降りると、私のそばを通り過ぎ、仲間の元へ向かう。
「……なに、その水着」
ぼそりと、しかし、はっきりと。
蔑むような口調で、彼女は、私の水着を小馬鹿にした。
これは、兄と慧が選んでくれたものだ。二人のセンスを馬鹿にされた気がして、私は、心がざわっとするのを感じた。
だけどここで、腹を立ててはいけない。私は今日、彼女とは、関わり合いにならないと決めているのだから。
心のざわつきを、ぐっとお腹に力を込めて、抑える。
「総当たり戦で、一番勝ち数の多いチームに、賞品があります」
「引き分けの場合は、得た点数の高い方が勝ちになります」
会長ふたりが、図を示しながら、ルールを説明する。皆は聞いているのかいないのか、なんとなく落ち着かないざわめきの中で、その説明を受ける。
チーム分けは、予め決められた通りだ。私は、早苗や海斗とは別のチームになった。早苗のチームは、生徒会長をはじめとした、例の面々で構成されている。
おかしいと、誰も思わないのよね。
私は心の中で、ぼやいた。あの人たちは、勉強もでき、運動もでき、容姿端麗。海斗や早苗と同様に、天から何物をも得た人たちだ。そんな彼らが同じチームで参加したら、勝敗など、やる前から明らかなのに。
チーム分けの話し合いで、「知り合いは同じチームがいい」と発言した早苗に対して、異論を述べる人はいなかった。私は発言するか迷ったけれど、同じチームに彼女の関係者がいるのも面倒なので、敢えて何も言わなかった。
このミニゲームの結果は、火を見るよりも明らかだ。その中でもチームメイトと声を掛け合い、楽しくやれればそれでいいというモチベーションで、私は参加した。
「……藤乃さん、同じチームですね」
「よろしくお願いします、真理恵さん、遥さん」
話しかけてきた真理恵と遥は、色違いの水着を着ている。上から薄手のパーカーを羽織り、可愛らしい格好だ。
最初の試合は、他のチーム同士の対戦である。座って見学しようという私の隣に、少し距離を置いて、二人は座る。
「……あのチーム、すごいですね、藤乃さん」
二人とは、「早苗に一言物申してくれ」という頼みを断って以来、あまり話してはいなかった。だからか、その言葉かけには、微妙な心理的距離を感じる。
「そうですわね」
私は意図的に口角を上げて、応えた。せっかく一緒に活動するのだから、あまりぎこちないと、こちらが居心地悪い。
その努力が功を奏してか、真理恵の表情が、ほっとしたように緩んだ。
「早苗さんは、海斗様以外にも、たくさんの男性と親しくしてらっしゃって……節度に欠けると、思うんです」
「そうですよ。真理恵さんが再三お伝えしているのに、あのままでは、あらぬ誤解を受けると思います」
咎める風な真理恵と、案じる風な遥。態度は違うものの、言っていることは同じだ。
「お二人は、早苗さんに、改めて欲しいと思っているんですか?」
「……はい」
「海斗様があんな風に、大勢の中のひとりになっている姿なんて、見るにたえません」
彼に憧れる彼女らだからこそ、許せないものがあるというわけか。
私は、自分の髪の毛先をくるくると捻る。彼女たちの言いたいことは、よくわかる。庶民のくせに生意気だと、少し前の私なら、大いに共感していただろう。
「……あの方々は、望んであのようにしてらっしゃるのですから。きっと、言っても仕方がありませんよ」
しかし私は、彼女たちの意見に乗って、早苗を否定することは避けた。
早苗と対立することは、避けたい。それが私が退学を回避するために、取るべき立ち位置のはずだ。
「……どうして藤乃さんは、そのように、気にしないでいられるのですか?」
真理恵の表情に浮かぶのは、落胆の色。胸を痛めつつ、私はふっと吐息を漏らして笑う。
「気になりませんから。私とは、関係がないことです」
「でも藤乃さんは、海斗様の婚約者じゃありませんか」
「元、ですよ。もう破棄されましたので」
「ですが……」
言い募る真理恵の眉尻が、ぐっと下がる。
「私たちは、藤乃さんだから、応援していたのです」
それも、何度か似たようなことを、彼女に言われてきた。
言いたいことは、わかる。自分で言うのもなんだけれど、私は小松原家の人間であり、海斗の千堂家とも、家格はさほど変わらない。「見合っている」と言えばいいのだろうか。
「ありがたいお言葉です」
そんなこと言われても、どうにもならないのだ。
私はその言葉だけありがたく受け取り、話題を流した。
「……やっぱり、私が言うしかありません」
「真理恵さん、……頑張って」
決意を決めた表情の真理恵に、神妙な顔で応援する遥。
私が自分の未来のために、早苗たちと関わりたくないように。彼女には彼女なりに守りたいものがあって、あのような表情になるのだ。
「あまり、関わり合いにならないほうがいいと思いますけれど」
一応、私はそう助言をした。
早苗の周りに美男子が集まるのは、必然。彼女はゲームを知っており、彼らは攻略対象なのだから。言っては悪いが、登場しないキャラクターである彼女らが何を言ったところで、早苗は耳を貸さないだろう。相手にされないことに傷ついて、それで終わり、の未来が透けて見える。
「……」
私の助言には、沈黙が返ってきた。
納得していないのだろうな。そうわかったけれど、私はそれ以上、何も言えなかった。ゲームのことなど、彼女たちに話すことはできない。その話ができないのなら、説得力のある話なんて、ひとつもできないのだ。
「次の試合をします!」
最初の試合は、案の定、早苗たちのチームの圧勝で終わった。
私は立ち上がり、肩を回す。
それはそれ、これはこれ。せっかくの学外活動なのだから、やれるだけのことはやって、学びを得ようと思う。




