42 その他の選択肢
「明日は、学外活動なんでしょ? お姉さん、準備はいいの?」
「これが最後の準備なの。今日はとにかく、学外活動の分岐を、確認するわ」
学外活動の、前日。私は慧の家に、午前中から居座っていた。テーブルには、昼食用に作ってもらった、3人分の弁当。
学外活動に必要な準備は、金曜のうちに、全て済ませてある。今日はとにかく、明日起こりうることを、できるだけ確認するつもりだった。
「凛ちゃんも、協力してくれる?」
「うん、凛はミニゲームなら、得意だから!」
凛は私の隣で、ばふんと座布団の音を立てながら跳ねる。ほとんど毎週こうして家を訪ねているわけだが、疎まれていないようで、何よりだ。
私は海斗のストーリーを開始する。今日は、先日選ばなかったスポーツ大会と、学外活動の選択肢を選ぶつもりだった。
データはいくつか保存できるようになっているので、学外活動の直前まで進んだところで、一度保存する。
「藤乃さん、休憩するよ」
「わかりました」
トレイに3つのグラスを載せて、慧が座卓に座る。オレンジジュースは、凛が。氷の浮かんだアイスコーヒーは、私と慧が。それぞれ手に取り、口に運ぶ。
グラスはよく冷えている。結露が机を濡らしているのを、ハンカチで軽く拭った。グラスを傾けると、氷の揺れる淡い音。薄いコーヒーが、渇いた喉にはちょうど良い。
「藤乃さんは、他の準備は、もう済ませたの?」
「済ませました。荷物は全部、鞄に詰めましたし……」
あとは当日、昼食用の弁当を詰めればそれで完了だ。私は、玄関に用意しておいた大きな荷物を思う。学園まで運んだ後は、頼んであるバスに運び込み、海岸まで行く予定である。
「ねえ、うちはこれがいい!」
「どうぞ」
凛は土産の箱を覗き込み、チョコレートを取り出した。今日は、私が選んだものだ。毎度母に見繕ってもらうのも悪いので、侍女に頼んで、取り寄せてもらった。
「かわいい包みだね、お姉さん!」
「でしょう? 味も美味しいのよ」
動物のシルエットをしたチョコレートは、その動物の可愛らしいイラストの包装でひとつずつ包まれている。凛が持っているのは、ウサギだ。
「なんか、むくの勿体ないなぁ」
凛は、その小さなチョコを見つめて呟く。暫くそうやって見つめたあと、ぺりぺり、と軽い音を立てて包装を剥がした。
「わ、綺麗な色!」
「そうなの。色合いがいいわよね」
包装の下には、美しいマーブル模様が隠されている。フルーツの風味のついた部分とそうでない部分が混ぜ合わされ、なんとも言えない色合いを形成している。
「慧先輩も、よかったら」
「うん。頂くよ」
慧は、青いゾウの形の包装を手に取る。
「いつもありがとう、藤乃さん。俺、甘いもの好きだからさ。嬉しいよ」
「そうですか? 良かった」
お土産というものは、喜んでもらうために用意するのだ。彼の言葉は純粋に嬉しくて、私は笑顔を作る。
「そう。持って行って、図書室で食べてるよ」
「え? 図書室で、ですか?」
私が復唱すると、慧は頷き、片方の口角をきゅっと上げた。皮肉めいた笑い。
「だって、図書室は飲食禁止じゃないですか」
「閲覧室はね。カウンターの奥には、準備室があるんだよ」
私は、カウンター周辺の環境を思い出す。たしかにカウンターの奥には、扉があったような。
「慧先輩、いつそこに行ってるんですか? だって、放課後は……」
最近はずっと、私と一緒にいるのに。
慧がカウンター以外の場所にいるところも、ましてやお菓子を食べているところも、見たことがない。
最後まで言う前に、慧が「それはね」と口を挟んだ。
「俺は、昼休みも図書室にいるからさ。藤乃さんは、昼は来ないでしょう?」
「……はい」
「昼間は、司書の先生もいるんだ。それで俺は、準備室で、弁当を食べさせてもらってる」
「へえ……」
司書の先生、という聞き慣れない言葉。我ながら驚くほど間の抜けた声が出て、慧が笑いを堪える。
「管理するのが、生徒の俺だけなはずないでしょ」
「まあ、たしかに、そうなんですが」
私自身は「司書の先生」とやらの存在を感じたことがないので、やはり、ピンとこない。
「藤乃さんは、お昼はクラスメイトと食べてるんでしょう?」
「いえ、山口と」
答えると、慧は首を傾げる。
「え? 誰と?」
「ですから、山口と」
「山口さんと? どうやって?」
そうして私は、授業が終わると車に戻り、そこでゆっくりご飯を食べることを説明する。
「……そっかぁ。意外だな」
「意外、ですか?」
「うん。……山口さんと、本当に、仲が良いんだね」
私は頷く。仲が良いという言い方は語弊があるかもしれないが、彼は私にとって、幼い頃からそばにいる存在だ。
山口は私のことを、よくわかって、尊重してくれる。そういう意味では、仲が良いという言葉を、否定するほどではない。彼にとってはそれが仕事だから、そこに一定の線引きはあるのだけれど。
「準備室とか司書の先生が気になるなら、昼休みに顔出しなよ。俺は、いるからさ」
「……そうですね」
昼休みに図書室に行くなんて、考えたこともなかった。自分の視野の狭さを感じつつ、私は慧の言葉に相槌を打つ。
「ねえっ、進めてもいい?」
そこに凛の言葉が飛び込む。チョコをいくつか食べ、ジュースを飲んで満足したらしい凛は、コントローラーを持ってテレビの前に座っている。準備万端だ。
「いいわ。クルーズ以外の、どっちか好きな方を選んで」
「なら、スポーツ大会にするね!」
そうして始まったスポーツ大会の競技は、見事にビーチバレーボール大会であった。水着を着た、上半身裸の海斗の姿が、細やかに描かれている。
「……藤乃さんたち、ビーチバレーをやるんだよね」
「そうです」
それは、もちろん、早苗の提案である。既にしてやられているのだ、と思うと、気が重くなる。
水着を選択する画面が出てきた。手持ちの金額に余裕があったので、最も高い、白のビキニを購入する。ステータスが上がり、イベントが始まった。
ミニゲームが終わると、ビーチバレーの結果が出た。凛が操作する主人公が大活躍し、そのチームが圧倒的な勝利を収める。
「反射神経が良いわね、凛ちゃんは」
「ふふーん、そうでしょ」
満足げな凛がボタンを押すと、画面が移り変わる。横からスライドして現れる、腰に手を当てた、偉そうな女生徒。
「私だわ」
「藤乃さん……選んだのと全然違う、水着だね」
もう見慣れてきた、画面の中の「私」の姿。彼女は、なんと、黒いビキニを着ている。羽織るものなど何もない、肌の露わな、扇情的な姿だ。
私が、慧と兄と選んだのは、上を着たらただのシャツとショートパンツになるもの。それも、中は紺色だ。
画面の「私」は、登場するや否や、早苗に食ってかかる。
『ちょっとくらい運動ができて、可愛いからって、調子に乗らないでよ』
早苗は実のところ、ちょっとくらいではなく素晴らしく運動ができるし、素晴らしく可愛らしい。彼女を貶せと言われても、困る程度には完璧だ。
ゲームの中の私も、悪口に困って、そんな言い方になったのだろう。苦し紛れな言い方に、私は苦笑いした。
同時に、間違っても同じセリフを早苗に言ってはいけないと、頭の中にメモをする。
「展開が似てるね」
「本当ね。私が主人公をいじめると、海斗様が来るんだわ」
迫られる主人公を、海斗が助ける。前回見たストーリーで最早見慣れた、お決まりの展開だ。主人公を守るため、海斗は「私」に刺のある言葉を向け、早苗には甘やかな台詞を吐く。
激昂した「私」は、早苗に手を伸ばす。
「……うわあ」
「見ちゃだめ、凛」
「えぇ? ……なんでよ、お兄!」
その後の展開にのけぞっていると、慧がぱっと凛の目を塞いだ。凛は不服そうだが、さすがにこの画面を、見せてはいけない。
感情的になった「私」の手は、目測を誤り、主人公の水着に引っかかる。何がどう転んだのか、主人公と海斗は接触し、その胸に手が触れてしまう描写だ。
「……というか、私も、見るのが辛いです」
イラストとは言え、知り合いのそんな場面、見たくもない。ならばと、慧がコントローラーを取り、私が凛の目を手で覆う。そして私も、目を閉じた。
残念ながら、音声は遮ることができない。耳も塞ぎたいような、甘やかな台詞の応酬。学園で聞き慣れた声によるそれは、正直言って、聞きたくはないものだ。
「終わったよ、藤乃さん」
「……ありがとうございます、慧先輩」
ゆっくりと目を開ける。画面には、結果の画面。
「うわっ、眩しい!」
暫く目を塞がれていた凛は、大袈裟に顔をしかめ、目をぱちぱちと瞬かせた。そのコミカルな動作に、私と慧は目配せをし、同時にくすりと笑みをこぼす。
「……でも、思ったより好感度は上がらないんですね」
「本当だね。クルーズの方が、上がるんだ」
あんなに濃厚なやりとりがあった割に、その上げ幅は少ない。いったい、何が好感度の上昇に影響しているのか、よくわからない。
強いて言えば、クルーズの時、「私」は自主的にジュースを主人公にかけていた。スポーツ大会では事故に違いという点で、ちょっとした違いはある。
だとしても、主人公と海斗の恋愛に、私がどう行動するかが関わるというのも、おかしな推測だ。
「次は花火大会か」
間をおかず、先ほどセーブした時点からストーリーを再開する。学外活動の内容を、選択する場面。今度は花火大会だ。
こちらは、花火の描写は綺麗だったものの、海斗とは手を繋ぐのみで、好感度の上昇は控えめであった。「私」は、自分が金に物言わせて花火を手配したことを、胸を張って自慢するだけ。主人公には、大した害はなかった。
「早苗さんがクルーズにこだわっていたのは、それが一番、好感度の高まる選択肢だったからなのね」
それはまるで、答え合わせ。
彼女の思惑がするすると解け、納得する。
「そう考えると、わかりやすいね」
「ええ。そして私は、今出てきたような言動を、避ければいいんだわ」
ゲームの中に「私」が登場するシーンは、限られている。それを避けさえすれば、ゲームの展開から、私自身は逃れられるはずだ。
早苗と海斗の恋愛は、もう、好きにすればいいと思っている。ただ、私はそこから離脱したい。間違ってもエンディングで断罪され、退学するようなことは、回避したい。
「頑張って、藤乃さん」
「頑張ってね!」
「はい」
慧と凛に励まされ、私は深く頷く。
最初の勝負は、明日。明日1日、海斗と早苗を避け、イベントが発生しないようにすればいい。




