41 失敗したら、退学だから
「今日も出かけるの? 最近忙しいわね、藤乃ちゃん」
「そうなの。そろそろ、学外活動だから」
母と共にする、朝食の席。とうもろこしの冷たいポタージュを飲みながら、母は「そうなのね」と反応する。
「企画を引き受けたって、言っていたものね」
「だから、今日は買い出しなのよ。山口を毎日連れ回して、ごめんなさい」
山口は今は私の運転手だけれど、そもそも雇っているのは、家である。最近では平日だけではなく、土日も私のわがままに付き合わせてしまっている。
「それは、構わないみたいよ。休む日は休むって、きちんと申告してくれているわ」
「だから平日、たまに運転手が違うのね」
特に最近は、平日に山口ではない運転手がいることが、度々あった。私が休日も連れ回しているからだと思うと、申し訳なくなる。
「毎日運転したいっていう、申し出もあるのだけれどね。休みを取らせないと、法的に問題があるもの」
「そう……彼にも、お礼をしなくてはならないわね」
仕事とは言え、私のわがままに、付き合ってくれているのだ。今日だって山口は、買い出しに、護衛として付いてきてくれることになっている。
「私の個人的な用事に、いつも付き合ってくれてありがとう」
「どうされたんですか、お嬢様。当たり前のことですよ」
「いえ……だけど」
山口がハンドルを叩く、柔らかい音。
「お嬢様に頼って頂けるのは、光栄なことですから」
そう言って貰えるのは、私としても、ありがたい。慧と出かけるときはいつも、山口が一緒だ。普段の私を知っているからこそ、彼にしか話せないこともある。
「それに、お若い皆様と行動を共にできるなんて、役得で御座います」
「そうかしら」
「ええ、気持ちが学生時代に、戻ったような気持ちですよ」
山口の学生時代は、どんな感じだったのだろう。彼の顔をじっと見ても、当時の面影を、想像することは難しかった。
「……どうぞ、お下りください」
「ありがとう」
今日の集合は、学園である。学外活動にかかるお金は、全て予算から出すことになっている。透明性を図るため、一旦学園に集合してから、行動を始めることになっていた。
「おはようございます、皆さん」
既に、会長ふたりは揃っていた。早苗と海斗の姿は、まだない。
「おはようございます」
「早苗さんたちは……まだなのですね」
「それが」
会長は困ったような笑いを浮かべ、携帯の画面を見せる。
「来られないと、さっき連絡がありまして」
「来られない……?」
そこには、早苗からの『海斗と出かけるからやっぱり参加できない』という連絡が。
「ふたりで出かけるなら、買い出しにも来られるでしょうに」
「そうなんです」
「一体、何をしているのかしら……」
会長は、力なく首を左右に振る。これ以上のことを詮索しようにも、何の手掛かりもない。仕方なく私と会長は、3人で買い出しに向かった。
学園で台車を借り、がらがらと押しながら、徒歩三十分のホームセンターに向かう。これが最も安く上がる方法であった。道のりはやや遠いものの、道が綺麗に舗装されているので、押すのにストレスはない。
買い出し自体は順調に進み、買い終えた物品は、クラスのロッカーにしまった。スポーツ大会に必要な道具から、商品、ピクニック用のシート、などなど。必要なものは計画通り、予算内で購入することができた。
「何なの、いったい……?」
「お怒りですね」
「だって、来なかったのよ、あのふたり!」
自分からやると言っておいて、まさかここまで仕事をしないとは。海斗はともかく、早苗は、立候補したのだ。それを「ふたりで出かける」からキャンセルするなんて、信じられない。
「お嬢様も、気苦労が絶えませんね」
「だって、あんまりなんだもの」
私は怒りが覚めやらぬまま、帰宅した。早苗に、このことを問い詰めるのは、まずいだろうか? 私は、「悪役」に陥らないように、言動には十分、注意しなくてはならない。
翌朝。
教室に入ると、いつものように、早苗の周りには人が集まっている。
「おはようございます、藤乃さん」
早苗の周囲から挨拶が聞こえてくるのは、真理恵たちだ。真理恵と遥は、早苗を悪し様に言う割には、彼女のそばにいつもいる。恐らく、海斗のファンクラブとして、近くで目を光らせているつもりなのだろう、けれど。
「昨日の水着、似合ってたよ」
「海斗ったら、やめてよ、こんなところで」
その監視もあまり意味を成していないようで、朝からふたりは、甘やかな雰囲気を醸し出している。
買い出しをすっぽかして、まさか水着を買いに行ったのだろうか?
ふたりの会話からは、早苗の水着を一緒に選び、それを着て部屋で楽しんだことまで窺える。あまりにもあけすけで、品がない。
「……あの、昨日は」
そこへ近づいていく、会長。土壇場でキャンセルした理由を、おずおずと問う。
「あっ、ごめんね。買い物イベントをこなしていないのを、忘れてたの」
「僕は別に、企画を引き受けたわけじゃないからさ。いいだろ?」
早苗の発言は、なぜ今までその違和感を流してしまったのだろうと思うほど、あまりにもあからさまだ。
たしかに海斗との買い物イベントはゲーム内で度々起こり、その都度好感度が上昇する。学外活動イベントまでに、ある程度上げておきたいのだろう。ゲームをプレイしたおかげで、彼女の考えていることは、何となくわかる。
だとしても、である。休日は2日あるわけだし、わざわざ買い出しの約束の日に、当てなくても良いのに。
「ですが……」
「あたしも、当日は手伝うからさっ!」
両手を合わせ、ウインク。彼女がそれをすると、可愛らしく星が飛ぶようだ。周囲の男子が発する、雰囲気が変わる。見れば隣の会長も、生徒会長も、いるではないか。早苗の愛らしい仕草に、ときめいている顔つき。
「……わかりました」
そんな顔をされ、そして周囲の男性陣からの無言の圧がかかれば、引き下がらざるを得ない。
「できるときに、できる人がやるのが、いいじゃない?」
早苗がそう言ったとき、明らかに、私の方を見ていた。遠回しに、私が準備すればいいと言っているのだ。
なんて、自分勝手な人なの。
自分が、苛立っているのを感じる。
私は俯き、その苛立ちを抑えた。早苗は、私のことを挑発しているのかもしれない。ここで、彼女に何か言ったら、私はあっという間に、悪役に仕立て上げられてしまう、かもしれない。
それは、可能性でしかない。今はゲームのイベントではないし、もしかしたら、何の影響もないかもしれない。しかし、「嫌がらせ」と捉えられる言動は、控えなければ。
エンディングの場面を、思い浮かべる。悪事を明かされ、おまけのように、「退学するって」と言われる「私」。
ああなってはいけない。そう自分を戒め、私は心を鎮める。
「……それで、怒らなかったんだね」
「はい。余計な発言が、破滅を招いたら、嫌なので」
「慎重なのは良いことだね。特に、今回の場合は、何をどうとられるか、わからないから」
慧の同意を得て、私は漸く、胸につかえていたものが晴れた。
「俺もこういう本を、何冊か読んだけど……」
慧が示すのは、私も読んだことのある、美麗な表紙の小説。好んで、というよりは、現状の理解のために、慧はこうした本を読んでくれているらしい。
「どこまでが俺たちの状況に当てはまるのかわからないけど、些細なことがゲームのイベントとして捉えられる場合も、ありそうだから」
「ゲームの強制力、というやつですよね」
「そうそう。強引にイベントが進んでしまって、藤乃さんが退学になんてなったら、大変なことだ」
私の危惧していたことと同じ危機感を、慧も持っている。
慎重に、そして、確実に。私は早苗と関わることを避け、あのエンディングを回避しなければならないのだ。




