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37 早苗のハッピーエンド

「見て、うちが準備したんだよ!」

「本当だ。ありがとう、凛」


 居間に入ると、先に座卓についた凛が、自慢げに顎を上げる。テレビには既にゲームが繋がれ、開始の画面が表示されている。

 慧が座布団に腰を下ろしながら、凛に礼を言う。


「妹さんにここまでさせてしまって、すみません。……ありがとうね」


 私も座りながら、慧に続く。


「お姉さんも、凛って呼んでよ!」

「え? だって……」


 名前を呼ばれるのが嫌だと言ったのは、凛だ。凛は、頬をぷくりと膨らませる。


「こないだは、初めて会ったから、どんな人かわかんないから嫌だったの。お兄が誰か連れてくることなんて、全然ないし……でももう、うちとお姉さんは、仲良しだもん」

「そう? それなら、良かったわ。よろしくね、凛ちゃん」

「うん!」


 膨らんだ頬は元に戻り、凛は袋から取り出した箱を、きらきら輝いた瞳で見つめる。


「こないだのと、同じの?」

「ううん、違うわ」

「違うんだ……」


 あからさまにしょんぼりした顔を、浮かべる凛。


「凛、持ってきてくださったんだから、そんな露骨な顔するなよ」

「この間のは、どれが好きだったの?」

「うちが食べたの、全部!」


 美味しいもの前では、誰もが素直になるものだ。頬を染めて嬉しそうに言う凛の反応に、こちらまで嬉しくなる。


「そんなに喜んでもらえたのなら、私も嬉しいです。……気にしないでください、慧先輩」


 気遣わしげにぎこちない笑みを浮かべる慧に、そう伝える。


「開けてみて、凛ちゃん。この間とは違うけど、そこのお菓子も美味しくて、私は好きなの」

「そう?」


 箱を包むリボンを解き、蓋を開ける。今日持ってきたのは、こちらも母が贔屓にしている店の、マカロンセットだ。私が選んだ訳ではないのだけれど、その色合いや味わいは、私も好んでいる。


「わあ……! きれい!」


 凛も嬉しそうに、そのひとつを手に取った。鮮やかな黄緑の、ピスタチオ。どれも素材の味がして、色合いは綺麗で、形はまあるくて、可愛い。


「飲み物、用意するよ。俺はコーヒーにするけど……藤乃さんは?」

「よろしければ、同じもので」

「凛は牛乳!」

「凛は自分で用意して」


 ええー、と言いながら、裸足の足音が去っていく。キッチンに向かったふたりを見送り、私はコントローラーを手に取った。

 とりあえず、ストーリーを先に進めたい。早苗と海斗のお話は、どういう形で決着を迎えるべきものなのか。それを早めに知って、わかっておきたかった。

 前回はちょうど、学外活動が終わったところ。「私」がヒロインに、わざと飲み物をぶちまけ、海斗が彼女を守ると宣言した辺りからだ。


「藤乃さん、はい、コーヒー」

「ありがとうございます」

「いただきます!」


 まず凛が、躊躇なくひとつ取り、ぱくりとひと口でマカロンを頬張る。目を見開き、両手を頬に当てた。そのままもぐもぐ、と口が動く。


「……おいしーい!」


 語尾にハートがいくつも飛ぶような、幸せそうな声だ。その反応を確認してから、私もひとつ手に取った。

 やっぱり、ここのお店は、マカロンも美味しい。


「俺の家では、こんな良いお菓子、食べないからさ」


 慧もひとつ取り、食べる。


「……美味しいね、本当に」

「お兄が藤乃さんと結婚したら、こういうお菓子も、もっと食べられる?」

「凛、そういうことは言わないの」


 凛を咎めつつ、慧は画面に視線をやる。


「とりあえず、一度クリアしてみる?」

「そうですね。……顛末が、気になるので」


 学外活動で他の選択肢を選んだ場合にどうなるかも、気になるところではあるものの。まずはこの先何が起こって、どう決着するのかを把握しておきたい。

 そこからは、飲み物を飲みつつ、コントローラーを交代しながら、ゲームを進めた。ストーリーは私が進め、ミニゲームは、反射神経の良い凛が。慧は選択肢をメモし、情報を整理してくれている。

 学外活動が終わると、夏休み。ここではアルバイトや勉強などから行動をいくつか選択し、実行することができる。勉強と、お出かけを選択したところ、海斗との買い物イベントが発生した。

 その後は文化祭。文化祭では、演じる劇の主人公に選ばれたところ、「私」によって衣装が破かれる。テストを終えると、学園をあげたクリスマスパーティ。ここでは、「婚約者」を差し置いて海斗とヒロインが踊り、腹を立てた「私」が声高に彼女を批判する。


「なかなかの悪役っぷりですね」

「どうしてお姉さんが、こんなことしなくちゃならないの?」

「そうね……」


 画面の中で、凶悪な顔をしている「私」を見る。


「私だって、こういうことを、してしまうかもしれないわ」

「えー? そうかなあ」


 反論したそうな凛に、頷きを返す。

 もし、海斗との婚約破棄の件を、誰にも相談できていなかったら。ひとりで抱えて、追い詰められていたら。


「藤乃さんは、そんな人じゃないよ」

「……ええ。慧先輩が話を聞いてくれたことと、図書室にいさせてくれたことが、良かったのかもしれません」


 ゲームの中の「私」が置かれた状況については、情報が少なすぎて、私は推測することもできない。

 だけど、図書室に通って、悪役令嬢物の本を読んだのは、本当に偶然だった。そんな幸運に出会わなかったら、私は、こうなっていたかもしれない。

 海斗は、ヒロインが「私」に責められる度に颯爽と現れ、「私」に数倍返しの仕返しをするとともに、ヒロインを甘やかす。


「勧善懲悪的な、爽快感があるのでしょうね」

「爽快感なんて、ある?」

「やられているのが自分なので、私にはありませんけれど」


 しかし「ざまぁ」な展開というのは、往々にして、爽快なのだ。私も好んで読んでいたから、よくわかる。

 ストーリーは進み、パラメータや好感度をちょこちょこ上げているうちに、バレンタインがやってくる。


「ここで、チョコを渡す相手を選べるのね」

「一応、他の人も選べるんだ」


 ストーリーを進めるうちに、海斗ではない他の男性が現れることもあった。好感度の上がっている男性は、ここで皆表示される。

 もちろん私は、海斗を選択した。チョコを受け取り、頬を染める海斗の珍しい表情が描かれる。

 この顔を、これから海斗は、早苗に見せるのだ。そう思うと、頭の中が、どんどん冷静になっていく。どうあがいたって、海斗がこの顔を、私に見せることはないだろう。


「……藤乃さんは、さ」

「はい」


 慧が、視線を揺らす。迷ったようなそぶりの後に、再度、口を開いた。


「このゲームをしているときに、婚約者のことを考えることって、あるの?」

「元、婚約者ですよ」

「だとしても、だよ」


 改めて画面を見る。チョコを食べた海斗は、甘い顔で何やら囁いている。君のほっぺの方が甘いとか、何とか。


「……私にはきっとこんな顔も見せなかったし、こんなことも言わなかったろうな、とは思いますけれど」

「妬く、ってこと?」

「うーん……どうなんでしょう。それは、何とも思いません」


 今となっては、海斗の関係も、終わった話だ。父が彼との婚約をさほど重視していないことも発覚した今、私が海斗との関係にこだわる理由は、なくなってしまった。

 私自身の幸せ。それを考えたときに、早苗にこんな顔を見せる海斗といることは、幸せでも何でもないだろう。


「……そう」

「どうして、そんなこと聞くんですか?」

「いや、ゲームとは言え、彼と親しくなる選択肢を、藤乃さんが選んでいくのを見てたら……ちょっと、気になってさ」


 歯切れの悪い慧の隣に、にやついた凛の顔が、ぴょこっと現れる。


「妬いてるのはお兄なんでしょ?」

「……凛、口を挟まないの」


 慧の耳が、珍しく、ほんのり赤くなっている。拗ねたように尖らせた唇は、妹そっくりだ。


「そんな……これはゲームですよ。別に、海斗様と仲良くなりたいわけでは」

「わかってる。変なこと聞いて、ごめんね。……そろそろ、ストーリーも終わりかな」


 慧に促されるようにして、画面に目を移した。3月の中旬の、ホワイトデー。海斗への好感度はこの上なく高まっているし、これ以上上がる余地がないから、そろそろ終わるだろう。

 海斗に呼び出され、放課後、中庭へ。そこで海斗から、包みを差し出される。


「またよ、懲りない人ね」


 そこへ「私」が現れ、海斗の差し出したプレゼントを奪おうとする。恐ろしい執念だ。我ながら、どこまで追い詰められたらこうなってしまうのか、彼女が哀れにすら思える。

 当然、プレゼントを奪われた海斗は激昂する。そして、「私」に対して、婚約破棄を告げる。とんでもない顔をしてショックを受ける「私」は、周囲の生徒に取り囲まれ、口々に文句を言われている。


「そうそう、彼女は、今までの悪事によって、退学になるらしいよ」


 海斗は衝撃的なことを告げた後、取り返した包みをヒロインに差し出す。その中には、指輪が。

 プロポーズめいた台詞と共に、抱き合い、口づけを交わすふたり。エピローグを迎え、「海斗からの指輪」がゲームのコレクションに加わった。


「……だから彼女は、エンディングで婚約破棄されるはず、って話していたのね」


 前に聞いた、早苗のひとりごとを思い出す。そして、婚約破棄は、先日私が、勢いで既に告げている。


「だけど藤乃さんは、もう、言ったんでしょう?」

「ええ。既にゲームの展開とは、ストーリーが違っているみたい」


 早苗は、焦っているに違いない。


「うっかりこのイベントに乗らないように、細心の注意を払うわ。退学、って言っていたものね」


 海斗との関係はともかく、退学になるのは困る。霞ヶ崎学園は、その品格を保つため、時に厳しい対処を取ることがある。ゲームのようなあからさまな嫌がらせが発覚したとしたら、退学になるのは、信じられない話ではない。

 早苗の思惑がわかっていれば、要所要所で巻き込まれないように距離を取ることは、難しいことではなさそうだ。


「そうだね。まずは、学外活動か」

「ええ。来週は、学外活動の、別の選択肢のパターンを見てみたいですね」


 一区切りついたところで、私の携帯が鳴る。山口だ。見ているのかと思うほど、狙いすましたタイミングである。


「……じゃあ、また来週、お邪魔します」

「うん! お姉さん、凛は次、チョコレートが食べたいな!」


 玄関先で見送る凛が、そうリクエストする。慧が焦った表情をした。


「凛! それはさすがに」

「構いません。慧先輩、また月曜に」

「ごめんね、本当。こちらこそ、またね、藤乃さん」


 私は車に乗り込み、家へ帰る。

 これから起こりそうなことも、だいぶ把握できてきた。

 今まで読んだ本には、「ゲームの強制力」とやらに巻き込まれて、悩む主人公も度々登場した。もしかしたらそういうものが、あるかもしれない。

 早苗のハッピーエンドは、私にとっては、退学につながる、不幸なエンドだ。だから私は、うっかりゲームに巻き込まれないように、早苗の思惑とは反対に動こうと思う。それは、海斗とは関係なく、自分の幸せのために。

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