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35 学外活動の準備

「わ……お兄様。今戻りました」


 帰宅して早々、玄関で待ち受ける兄に遭遇した。


「今日はどうだった、藤乃」

「ええと……常識的なことを知ろうと思って、ファストフード店に連れて行ってもらったの」


 侍女に鞄を渡し、手近なソファに腰掛ける。兄も、どこかへ出掛けたのだろう。綺麗にセットされた髪の毛先が、軽く跳ねている。


「そう言ってたね」

「スマイルを注文すると、店員さんが笑顔を見せてくれるのが、1番の驚きだったわ」

「スマイル? あれ、頼む人、いるんだ」


 兄は口元に手を当て、小さく笑う。


「お兄様は、やっぱりご存知なんですね」

「まあ……僕もそんなに、頻繁に行くわけじゃないよ。ただ、友人付き合いの中で、行くことはあるかな」

「初めて行ったのは?」

「中等部の頃には、学外の友人もいたから……その頃かなあ」


 兄は何でもないことのように、さらりと答える。その何でもないことを達成するまでに、私は、どれだけかかったことか。


「いいよ、僕のことは。それで? 『ケイ先輩』の家にも行ったんでしょう?」


 また、仮面のような笑顔だ。兄は、慧の話になると、この、考えの読めない怖い表情をする。

 それでも兄は家にいるときは、慧は「女の先輩である」という嘘に付き合ってくれる。それだけで、ありがたい。


「妹さんも交えて、一緒にゲームをしたわ」

「妹?」

「そう。今年11歳、って言ってたかしら。元気の良い、可愛らしい子だったの」


 兄は、その細い顎を指で撫ぜる。


「家族にも、紹介されたんだ」

「妹さんだけね。お家の人は、いなかったから」

「うん、でも、紹介されたんだね」


 まあ、されたかされていないかと言えば、された。私が頷くと、兄は「ふぅん」と鼻から息を吐く。


「それから?」

「それから……ずっと、ゲームをしてたの」

「ずっと?」


 兄は目を細め、疑るような目つきをする。そんな顔されても、嘘なんてついていない。


「ずっと……うん、終わらなかったから、また行くことになったわ」

「そう。……本当に、ゲームをして解散?」


 しつこく兄に問われ、私は首を傾げた。何を疑っているのか、全然わからない。


「……最初から、その約束だったから」

「そう。ならいいんだ、家に行くなんていうから、どういうつもりなのか心配してたんだよ」

「どういうつもり、って……」


 兄は、なぜかこのタイミングで肩を竦める。意図するところが読めなくて、困惑する私を置いて、ソファを立った。


「わからないなら、その方がいいよ。さ、夕飯を食べよう。お母様が待ってる」

「え、お兄様」

「行くよ」


 兄は強引に話を切り上げる。

 釈然としないところはあるが、母をあまり待たせたら悪いのは、事実である。足早に行く兄を追いかけ、食堂へ向かった。

 夕飯は今日も、相変わらず美味しい。ファストフードも悪くはなかったが、家で食べる食事とは、種類がまるっきり違うように思える。

 そんな夕食に舌鼓を打ちながら、私は暫く週末は慧の家に行くだろうことを、母に伝えておいた。


 週が明ければ、またぎこちない学園生活が再開する。違うのは、早苗が「ゲームの知識」をほぼ確実に持っていることを、知っていること。


「そろそろ、買い出しの計画を立てないとね」


 休み時間に集まり、スポーツ大会の企画について話をする。

 学外活動を行う、花火大会がある日も、着々と近づいてきている。今日は買い出しの打ち合わせだった。学園を通して注文するよりも買いに行ったほうが安いということで、「予算内に収める」がひとつのモットーの私たちは、買いに行くことになったのだ。


「必要なものが、いろいろあるわね」


 私は、予定表を眺めながら必要物品を確認した。決まっているのは、ビーチバレー大会をし、ピクニックをし、夜は浴衣で花火鑑賞という一連の流れ。ちなみにビーチバレーでは、本格的に、水着を着るのだとか。


「あ……水着、買わなくっちゃ」


 そこまで考えて、私はふと、思い至った。夏の海外旅行では水着を着るものの、家族といるときと、級友といるときでは、着たいものも違う。

 早苗は話すのをやめ、ちらりと私を見た。その視線が、海斗へ向かう。


「あたしたちは今度、買いに行くもんね。一緒に」

「ああ、楽しみだよ、早苗の水着姿」


 私の目の前で、いちゃつくふたり。私は意図的に、心を凪がせた。恐らく早苗は、敢えて挑発しているのだ。ゲーム的な、私からの嫌がらせを引き出すために。

 そう思うと、なんだかあまり、腹も立たない。海斗との婚約については、もう一件落着しているものの、早苗の思い通りになりたくはない。


「えっと……」


 会計を担当する会長がおろおろしているので、私は意図的に微笑んだ。話を物品に戻し、必要なもの、日時を決める。


「買い出しは、来週の日曜日になったのね。じゃ、そういうことで!」

「早苗、僕も行くよ」


 私と会長でまとめた話を確認し、早苗と海斗はさっと出て行く。ふたりはいつも、美味しいところだけさらっていく。


「……ありがとうございます、藤乃さん」

「いえ、立候補したことですから」

「あのお二人では、話が進まないところでした……」


 やや疲れた顔で、会長たちが微笑む。

 少なくともゲームでクルーズを選んだ時は、海斗と早苗、ふたりで企画したような書き方だったのだけれど。

 ゲームでは、詳しいことはわからない。こうして、他の人がフォローしていたのだろうか。それとも、クルーザーを自慢したい海斗の父が、全て準備したのか。

 他のルートを見てみないと、定かなことが言えない。とりあえずゲームを先に進めるより、他の選択肢を選んだ場合の答えを、見ておくべきかもしれないと思った。

 そんなことを考えながら、いつものように、図書室へ向かう。


「昨日はありがとう、藤乃さん」

「こちらこそ。ありがとうございました」


 週が明け、訪れた図書室では、必然的に週末の話になった。


「凛が、喜んでたよ。あのお土産も、本当に美味しかった」

「喜んでいただけて良かったです。あのお店は、母の贔屓なので。伝えておきますね」


 慧が話すと、凛の可愛らしい姿が目に浮かぶ。その口元や、そのえくぼが、彼女とも重なるのだ。


「私、末っ子なので。妹がいる、って、素敵だなあと思いました」

「凛は本気で、藤乃さんの妹になりたがっているよ。もう、その話ばっかりでさ」


 はあ、と演技がかったため息をつく慧。この目は笑っていて、冗談めかして言っているのがわかる。


「ま、俺としてもやぶさかではないから、いいんだけどね」

「だめですよ、妹さんのお兄さんは、慧先輩しかいないんですから」

「うん……? そういう意味じゃないよ」


 慧は乾いた笑いをもらしつつ、参考書のページをめくる。そろそろテストの気配も見え隠れしてきた頃で、慧は私に、勉強も教えてくれている。

 何もかも、彼に頼りきりだ。それでも嫌な顔ひとつしない慧の存在は、やはりありがたい、と思う。


「今週末は、どこに行こうか」


 勉強がひと段落した頃には、陽はだいぶ傾いていた。私はスケジュール帳を取り出し、予定を確認する。


「……カフェに、行くんでしたね」


 先週はファストフード、今週はカラオケ。毎週、慧との予定が入っている。


「普通のカフェでいいんだよね? コーヒーが、1杯、数百円くらいで飲めるような」

「そんなに安いんですか?」


 外でコーヒーだけを飲むことなんてないから、相場があまりわからない。大抵は、お茶菓子と一緒だ。


「……うん。どこでもいいなら、こないだみたいに、俺のよく行くところがあるけど」

「連れて行っていただけるのなら、ぜひ」


 慧の普段の生活が垣間見えるのは、嬉しい。


「なら、そうしようね」

「はい」


 会話がひと段落したところで、慧は私がカウンターに差し出した本を取り、貸し出しの手続きをした。庶民派なヒロインの活躍する小説を、相変わらず読んでいる。そこで、学ぶべき常識を学んでいるつもりだ。


「今日はこれを借りるんだね」

「ええ、気になっていたので」


 慧に渡された本を、大切に鞄にしまった。

 次はどんな新しいことを知れるのか、考えるとわくわくする。柔らかく微笑む慧のえくぼを見ると、心がぽっと、温かくなった。


 夜、ベッドに寝転んで、本を読む。もうすっかり、恒例になっている。近頃では、お菓子作りや料理、味噌作り、醤油作り、マヨネーズ作りなどなど、ゲームの世界で活用されている、日本の一般常識を本を通して知ることができた。

 我が家では基本的に料理は料理人しかさせてもらえないので、なかなか試すことはできないが、いつか私も作ってみたいと思っている。


 悪役令嬢は、行動力。


 自分が本当にゲームの「悪役令嬢」だとわかってから、私はますます、その言葉がしっくりくるようになった。何でもいいけれど、行動しないといけない。読書だって、その行動のひとつだ。


「……久しぶりに、こういう本を読んだわ」


 今日手に取った本は、思っていたよりも、恋愛色の強いものだった。最近では知識による活躍が主で、恋愛は添え物のような話が多かったので、久しぶりである。

 ヒーローの登場から、じれったい恋心、進展しない仲、募る思い、ハプニングによるドキドキとときめき。抑えきれずに、爆発する感情。

 好きっていうのは、恋愛感情とは、こういうものなのだ。読みながら私は、改めて確認する。抑えきれない感情、つい行動してしまう状態。それを人は、恋心と呼ぶのだ。


「……ふぅ」


 一気に読み終え、ぱたりと脱力する。柔らかな枕に、顔を埋めて深呼吸した。洗剤なのか、爽やかな香りがする。

 そして私の意識は、眠りの世界に落ちていった。

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