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31 初・ファストフード店

「おはよう、藤乃さん。……と、山口さん」

「おはようございます、慧先輩」

 

 車を駐車場に停め、山口と並んで歩み寄ると、私は慧に挨拶をする。軽く手を挙げて挨拶する慧は、今日も、爽やかな服装だ。見慣れた制服姿とは違う雰囲気に、どきっとする。もう二度目なのに、慣れないものは、慣れない。


「行こうか」


 私たちが待ち合わせたのは、学園の最寄駅のそばにある、ファストフード店の前。休日の昼間ということもあり、それなりの人で賑わっている。

 自動ドアをくぐって中へ入ると、人の声と、賑やかな音楽、何やらガシャガシャした音が、一気に押し寄せてくる。


「わ……」


 その圧に押された気がして、立ち止まりそうになる。慧に柔らかく背を押され、私は一歩踏み入って中を見回した。

 黄色を基調とした、鮮やかな壁紙。何を表しているのかわからない、抽象的なイラスト。カウンターの向こうはいっそう明るい光にあふれていて、揃いの制服を着た若者が、忙しそうに動いている。


「藤乃さん、こういう店に入るの、本当に初めてなんだね」

「ええ……」

「目を見開きすぎて、落ちてきそうなくらい、まん丸だよ」


 たしかに瞬きも忘れ、辺りを見ていた。私は目蓋の上から、目を軽く擦る。


「俺、クラスメイトと、そんなに話さないからさ。改めてあそこって俺とは世界が違うんだなって、実感したよ」

「そうなんですか?」

「そう。俺、ここにはよく、勉強しにきてるよ。あの大学生のバイトさんとか、顔見知りなくらい」


 慧が言っているのは、店の奥の方で、銀色の箱と向き合っている女性だろう。


「あれは……」

「ポテトを揚げてるんだよ。藤乃さん、何食べる? ……あ、食べたらいけないものとか、ありますか?」


 最後の質問は、私ではなく、山口にかけられたもの。私たちより前に並んでいた山口は、にこりとする。


「いえ。お望みのものを、ご自由にどうぞ」


 そう言い残し、カウンターに向かった。手慣れた調子で注文をしている。


「なんか、慣れている感じだね」

「山口は、運転の合間の待ち時間なんかに、こういうところで食事を頼むことがあるって話していましたわ」


 それは、ここへ来る道中に、車内で聞いたこと。慧は、ふうん、と言って、壁に貼られたメニューを眺めた。大きく印刷された写真に、ポップな字体の商品名、そして小さく印字された値段。


「どれを頼んだらいいのかしら」

「藤乃さん、好き嫌いはある?」

「いえ、特には」


 幼い頃はそれなりに好き嫌いもしたけれど、今となっては、食べられないものは特にない。


「なら、何でもいいと思うよ。とりあえず、セットのどれかを頼めば、大体のことはわかると思う」


 そうこうしているうちに、山口が注文を終えたらしく、列から抜けた。


「行こうか」


 促され、私も慧とともにカウンターへ並ぶ。


「いらっしゃいませ! ご注文をどうぞ」


 びっくりするくらいに元気な挨拶。茶髪の女性店員は、この上なく爽やかな笑顔だ。つい軽くのけぞる私の背を、慧がそっと手で戻す。


「えっと……」

「俺は、このセットで。飲み物は……」


 写真がたくさん並ぶメニューを眺める。情報量があんまり多くて、どうしたらいいのか、わからない。

 困惑する私の隣で、慧は山口同様、慣れた様子で注文する。その、慣れたような素振りが、ますます焦りを加速する。


「藤乃さんは?」

「じゃあ、慧先輩と同じもので」

「飲み物は? 俺は、アイスコーヒーだけど」

「あ……アイスティーがいいです」


 なんとか無事に注文を終えた。ほっとする私の肩を、慧が軽く叩く。


「藤乃さん、これも頼んでみな」


 メニューの片隅にある、気をつけないと見落としてしまいそうな、小さい字。


「えっと……スマイル?」

「はいっ!」


 私の言葉を受けて、その女性店員は、白い歯を覗かせた最高の笑顔を見せる。屈託のないその笑顔が、あまりにも眩しくて、私は瞬きした。


「松見くんにしては、珍しいね、スマイルを頼むなんて」

「藤乃さんに、体験してもらいたかったんです」


 その間にふたりは、言葉を交わす。顔見知りという言葉通り、親しげだ。この話しぶりを見ると、先ほどまで見せていた明るくはきはきとした様子は、営業用だったとわかる。


「お会計は、ご一緒でよろしい?」

「はい。藤乃さん、ここは俺が出すよ、さすがに」

「いえっ! 自分のぶんは、じぶ……っ」


 慧の経済状況が厳しいことは、知っている。断ろうとする私の頭を、慧がぽんと押さえた。口から出かけた言葉が、引っ込む。


「ゲームのぶんだと思ってよ。そうしたら、全然、足りないでしょう?」


 財布を取り出し、千円札をカウンターに載せる。店員は会計を済ませ、領収書を慧に渡した。


「こっちに抜けて、できるのを待つんだよ」


 列を抜けると、立っている山口に近寄る。山口は、その手にトレーを持っていた。平たい茶色の板の上に、紙に包まれた丸いものと、紙カップ、それにフライドポテト。


「山口は、何を頼んだの?」

「これですか? マフィンですよ。私が頼むのは、いつもこれなんです」


 くしゃっとした包装紙には、「muffin」の文字。それもポップで、可愛らしい。


「山口さんは、よくいらっしゃるそうですね」

「ええ。運転手というのは、移動と移動の間に、食事を済ませることも多いですから。手軽で良いんですよ。においが強いので、気をつけなければなりませんが」

「へえ……」


 待っている時間を、山口がそうやって過ごしていたなんて、今初めて知った。どうして今まで、気にもしなかったんだろう。私が活動している間、山口は待っているし、どこかで何かをしているはずなのに。


「5番でお待ちのお客様ー!」

「あ、俺だ。受け取ってくるね」


 領収書の番号を確認し、慧はカウンターへ向かう。戻ってきた彼の手には、山口と同様の、茶色のトレーがあった。


「2階が空いているようですよ」

「山口さんは、どうされるんですか?」


 2階へ続く階段も、赤を背景にした派手なもの。壁には、新商品だとか、店のアプリだとか、アルバイト募集とか、そうしたポスターが賑やかに貼られている。


「階段の近くに席を取ろうと思います。おふたりの見える場所におりますので、お好きなところへお座りください」

「わかりました。……どこがいい、藤乃さん?」


 2階に上がると、そこには似たようなテーブルと椅子が整然と並んでいた。混雑してはいるものの、選べる程度には、席も空いている。


「どこ、と言われましても……」


 どれも似たようなものだから、かえって困る。


「窓際か、壁側か、かな」

「なら、窓際、でしょうか」


 どっちでも良いのだけれど。私が選ぶと、慧は窓際の、席の空いたテーブルに向かう。


「奥、どうぞ」

「ありがとうございます」


 腰掛けると、椅子は思ったよりも固かった。慧の持つトレーが、テーブルに置かれる。


「藤乃さん、朝ごはんは食べてきた?」

「食べました」

「だよね。俺、食べてないんだ。お腹すいちゃったよ」


 慧がトレーからお手拭きを取り、指先を拭った。私もそれを真似する。彼に合わせて、包装紙に包まれたバーガーを取った。ほんのりした温かさとパンの柔らかさを感じる。包装紙を剥がすと、ふわっと、食欲をくすぐる香りがした。

 見よう見まねで、口を開け、上下のパンと中央の肉を一気に噛む。


「……おいしいです」


 独特な香りと味が、口の中に広がる。そこへレタスのシャキシャキした食感がちょうどよく混ざる。


「口に合ってよかった」

「はい」


 ふたくちめを食べ、ポテトを摘む。細くて、中身があるのかないのかわからないようなポテトは、ほどよい塩加減だ。


「藤乃さん」

「はい」

「口の端に、ついちゃってるよ」

「あら」


 言われてみれば、口元がべたつく気がする。拭くために、ハンカチを出したかった。そのために一旦バーガーを置きたくて、そのために包装紙を戻そうとした。手間取っていると、慧が「はい」と手を差し出してくる。


「これで拭くんだよ」

「あ……すみません。ありがとうございます」


 彼は、薄い紙ナプキンを手に持っている。顔を寄せると、一瞬目を丸くした後、口元をそれで拭ってくれた。


「おいしいですけど、ちょっと大きいです」

「かぶりつく感じが良いから、何とも言えないね、そこは」


 慧は器用なもので、大きな口を開けてかぶりついても、口周りは綺麗だ。


「慧先輩はいつも、ここで勉強されているんですか?」

「迷惑になるから、いつもってわけじゃないけど。そうだね、大体携帯を充電しながら、あのへんで勉強してる」


 壁際に向かうようにして作られた、ひとり用のカウンター。そこには、真面目そうな風貌の学生が、教科書らしきものを開いている。耳にはイヤホン。手には、質素な筆記具。


「あんな感じなんですね」

「そう。俺もああやって、音楽聴いてるな。周りがうるさくて、やっぱり、気になるから」


 壁に向かって勉強する慧の背中が思い浮かぶようで、私は暫く、見ず知らずの学生を眺めた。


「窓際には座らないんだけど、ここから見ると、駅前がよく見えるね」

「……そうですね」


 振り向くと、窓の向こうには、ちょうど駅が見える。駅前の広場にたむろする人、ロータリーに出入りするタクシー、楽しげに、あるいは忙しげに、歩く人々。


「あの辺は、うちの生徒かな」


 広場の片隅に、見慣れた制服を着た学生が、集団になっている。


「あら……?」

「どうしたの?」


 なんとなくそれが、見覚えのある集団に見えた。早苗を中心とした、彼女を囲む人々に。

 けれど、早苗はともかく、他の面々が駅前にたむろしているとは思えない。海斗だって、私と同じで、電車よりは車での移動が主なはずだ。


「いえ、何でもありません」


 私は体の向きを直し、紙カップを手に取った。結露が手に付いて、冷たい。ストローを吸うと、氷が溶けてしまったのか、薄まった薬のような紅茶が口に入る。

 まずくはない。なんというか、これはこれで、ありだ。


「それよりも、よかったです、こうした……常識的なところにこられて」

「常識的かっていうと、わからないけど……藤乃さんが満足したなら、よかったよ」


 トレーの上は、いつの間にか空に。慧がごみをまとめ、席を立った。


「じゃあ、行こうか」

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