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3 放課後の図書室

「おかえりなさい、お嬢様」

「……お腹が空いたわ」


 昼休み。私は、山口と一緒に車に乗っていた。広い後部座席には、小さなサイドテーブル。そこに、食事の皿がいくつか、載っている。


「……美味しい」

「料理長に伝えておきますね」


 前菜から、メインまで、味わいながら食べ進める。私は、昼食を教室では取らない。


「やっぱり、温かい食事は、殊更に美味しいわ」


 車で食べれば、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、食べさせてもらえる。学食よりも、美味しい。

 そんな理由で、私は、いつも車内で昼食を食べている。


「山口と話しながら、食べられるし」

「光栄にございます。……どうでしたか、午前の授業は」

「いつも通りよ」


 メインの魚料理は、皮がぱりっと焼けていて、美味しい。付け合わせの野菜も、甘く、柔らかく煮てある。家で食べるのと変わらない、美味しい食事を外で食べられるのも、山口や料理長の計らいのおかげだ。


 ひとりで食べる学食より、ずっと美味しいわ。


 私は、四月の最初に学食で食べた昼食を、苦々しく思い出す。

 中等部までは、皆持ち込みの弁当だった。それが高等部に上がると、学食という選択肢が増える。こぞって学食に向かう級友に紛れ、私も昼食をそこで食べてみた。

 入学して早々、たくさんの生徒に囲まれている、早苗を見ながら。混雑しているのに、あのとき私の隣には、誰も座らなかった。美味しいと評判の学食は、噛んでも何の味もしなかった。


「……ご馳走さまでした」


 その点、ここで食べる食事は、人目を気にしなくて済む。

 私は、山口が注いでくれた、食後の紅茶に口をつける。淹れたての、香り高い紅茶。こんな贅沢をしているのは、私くらいなものだろう。


「午後の授業も、頑張ってくださいね」

「ありがとう」


 山口が、いつものように、二本の指を絡めて掲げる。私も同じサインを返す。

 噴水の周りで弁当を広げ、談笑する生徒の横を通り過ぎて、教室に帰った。早苗たちの姿は、まだない。私は席に着き、次の授業の教科書を開く。


 定期考査では、学年で上位十名の生徒の、名前が貼り出される。中等部の頃から、私はその掲示に、漏れたことはなかった。

 成績を保つためには、日々の勉強も、欠かせない。教科書をぱらぱらとめくりながら、前回の内容、今回やるはずの内容に目を通す。


「千堂くん、今度一緒に勉強しようよ」

「ええ? 早苗に手の内は明かしたくないな」

「いいじゃない、1位にはなれないの、わかってるよ」


 静かな教室が、急に騒がしくなる。生徒たちを引き連れて帰ってきた海斗と早苗。今年度に入ってから、順位のツートップを独占するのが、彼らだ。

 あの二人は容易には抜かせない。海斗が1位、早苗が2位。入学直後の学力試験、そして先日行われた1回目の定期考査でも、その順位は変わらなかった。

 学費を免除される特待生の資格を得たとあって、早苗の学力は、お墨付きである。


「私たちも、参加したいですわ」

「いいわよ……ね、千堂くん?」

「教えるなら、僕は早苗で手いっぱいだよ」


 やんわりと断られることすら、喜びらしい。頬を染めて手を取り合う女生徒たちに、私は冷ややかな視線を浴びせることしかできなかった。


 いけない、見てたらまた怒られちゃう。


 海斗の冷たい声を思い出し、窓の外を見る。流れる、白い雲。霞ヶ崎という名だけあって、運動場の遥か向こうに、海が見える。高台から見下ろす海は、それでも、青い。


「抜け駆けするなよ、俺も参加する」

「僕たちの勉強に、ついてこられないだろう、お前じゃ」

「失礼だよ、千堂くん。仲間に入れてあげようよ」


 白い鳥が、風を受けて舞っている。大きく円を描くのを、私は眺めていた。


 大したこと、ないんだから。


 早苗と、隣の学級会長が、海斗の家で勉強会をすることになったって。

 私が一度も招かれたことのない海斗の部屋に、上がりこむような会話をしていたって。


 今だけだ。早苗の外面に、惹かれているだけ。そのあざとい内面を引き出せれば、きっと海斗は……。


「教科書の46ページを開きなさい。今日は……」


 指示に従い、教科書やノートに、細々とメモを書き加える。私には、海斗や早苗のように、飛び抜けた力があるわけではない。こうしたメモを何度も見返して、記憶に定着させているのだ。

 集中していると、授業の時間は、あっという間だ。疲れた、と伸びをする隣の男子を横目に、教材を鞄にしまう。勉強する時間は、それほど苦ではない。むしろ、休み時間より、よほど気が楽だ。


「早苗、今日の予定は?」

「帰るよ」

「それなら、僕と一緒に、生徒会に手伝いに行こう」

「えぇ、今日も? あたしには、生徒会は荷が重いよ」


 ここのところ毎日、海斗は早苗を連れて、生徒会に顔を出している。

 生徒会本部役員。学園を牛耳る、有力子女の集まりだ。海斗の知り合いが会長をしているので、入学したばかりではあるが、海斗は手伝いに駆り出されている。


 私も、誘われたんだけどね。


 中等部からの知り合いだったので、声がかかったのを、私は断った。生徒会は忙しいし、私は偉そうに前に立って、あれこれ指示するのは得意ではない。生徒会の権威を笠に着るのも、趣味に合わない。

 代わりというわけではないが、早苗を海斗が連れ回しているのを見て、そうなるなら生徒会の手伝いを承諾しておけばよかったと少し後悔したのは、今更誰にも言えない話だ。


「良いですわね、生徒会長と、お知り合いだなんて」

「私も紹介していただきたいですわ」

「お知り合いってほど、仲良くもないんですよ。人使いが荒くって」


 はあ、と溜息をつく早苗。そのあけすけな言い方から、会長とも親密な関係を築いていることが察される。


「仲がよろしいのですね~」

「羨ましいですわ」


 両手を頬に当て、甘やかな息を吐き出す女生徒たち。


「早苗と会長は、仲良くなんてない。なあ、早苗」


 不服そうな海斗の言葉に、女生徒たちは目配せをし、嬉しそうな表情になる。

 早苗のそばに居れば、海斗が自分たちの言葉に反応してくれる。ファンクラブまであるという海斗のそばに居られることは、それだけで喜びらしい。

 彼女たちにとって何の利もない会話なのに、頬を染め、うっとりしている。私はその集団を置いて、教室を出た。


 早苗は、完璧だ。

 失態を暴くなら、それなりの準備が必要になる。


 ちょっと流し読みした程度では、「ざまぁ」に必要な要素が何だか、把握することはできなかった。だから、必然、私の足は図書室に向かうことになる。


「あ、連絡しておかないと」


 山口には、帰りが遅れる旨を、一報入れておいた。これで心置きなく、調査活動に専念できる。

 図書室のガラス窓の向こうには、相変わらず、人はいなかった。閑古鳥とは、このことである。せっかく、設備が整っているというのに、使われないようでは、宝の持ち腐れだ。

 私も、持ち腐れを担っていたひとりだけれど。


 中へ入ると、ブラインドの隙間から射す光に、埃が照らされてきらきらしている。悪くない眺めだ。私は、昨日と同じ書庫へ、向かおうとした。


「あ、君」


 静かな図書室に、抑え目な声が響く。人が少なすぎて、ちょっとした話し声も響くのだ。

 私も、気をつけないと。……話す相手なんていないから、心配はいらなかった。


「そこの、1年生。昨日の」


 昨日、ここへ来た1年生が、他にもいるのね。その人とは、気が合うかもしれない。

 向こうが、萎縮してしまうかもしれないけれど。小松原という名は、学園内でも、それなりの威力を発揮する。我が先祖の築き上げた財力は、偉大だ。


「君だって」


 がしっ。

 腕が掴まれ、前に進む私の勢いが削がれる。


「え?」

「あ、ごめん、手荒なことをして。でも君が、全然振り向かないから」

「私を、呼んでいたんですか」


 学園内で、先生以外の人に呼ばれるなんて、あまりないことだ。教室ならまだしも、ここは図書室。

 たしかにしつこく呼んでいるとは思ったが、それでも他の人を呼んでいるのだと思っていた。

 私の腕を掴んでいたのは、昨日と同じ、銀縁眼鏡の先輩だ。緑のネクタイが、きっちり締められている。

 彼は腕を離すと、誠実な態度で謝罪をくれた。


「図書室の利用は、初めてなんだろう? いろいろ教えてあげるから、本を読むのは、その後にしたら?」

「構いませんけど……あなたは?」

「俺、図書委員なんだ。利用者に説明するのが仕事だから、一応」


 はにかむと、厚めのレンズの向こうで、切れ長の目がきゅっと細くなる。


「悪いね」

「いえ……たしかに私は昨日、利用マナーを破ったようなので」


 カウンターに案内され、利用マナーが書かれた紙を見せられる。私が昨日帰った時間は、そこに書かれた閉館時間より、大幅に遅れていた。

 注意されるのは、致し方ない。私は紙を手に取り、よく読んだ。書かれているのは、当たり前のことだ。飲食禁止、おしゃべりしない、座席を占有しない、持ち出しは貸出手続きをしてから、などなど。


「理解しましたわ」

「よかった。貸出票は持ってる?」

「いえ……でも、借りはしませんよ」


 欲しい本は、両親に頼めば買うことができる。それをしないのは、悪役令嬢が出てくるイラスト入りの本が欲しいと頼むのは、今までの読書傾向と全く違うので、いささか恥ずかしいからだ。今日も閉館まで本を読んで、それから帰るつもりでいた。


「作っておきなよ。減るものでもないし」

「……まあ、そうですね」


 親切な図書委員の申し出を、断るだけの確固たる理由もない。差し出された紙の貸出票に、私は名前を書く。


「小松原、藤乃さん……ね」


 私の名字を見ても、先輩は、あまり驚いたそぶりを見せない。自分で言うのも何だが、この苗字は、我が家の権威を感じさせるものだ。動じない人は、珍しい。


「君にだけ名乗らせておくのも悪いから、俺も名乗るね。松見、慧。よろしく」

「まつみ、けい先輩」

「下の名前でいいよ。苗字で呼ばれるの、あまり慣れてないから」


 差し出された手を、私は見下ろす。これは、どういう意味だろう。


「あ……握手は、嫌だった? ごめん」

「あ! いえ、わからなかっただけです」


 思わず握った手のひらは、柔らかくて、なんだか緊張した。海斗の手だって、数えるほどしか握ったことがない。もちろんこれは、ただの握手なんだけど、しっとりした感触に、妙なドキドキ感を得てしまう。


「よろしくね、藤乃さん」

「こちらこそ……慧、先輩」


 海斗以外の男性を、下の名前で呼んだことだって、数えるほどだ。

 成り行きでこんなことになってしまったものの、私は戸惑っていた。ぱっと手を離されて、やっとひと息つく。


「呼び止めてごめんね。わからないことがあったら、聞いて」

「……はい」


 慧は微笑むと、眼鏡を直して、手元の本に視線を落とす。私は不思議な気持ちで暫くその顔を眺めていたが、すぐに方向を変えた。

 大したことじゃない。ちょっと、知り合いになっただけ。

 それよりも、大切なのは、本の方だ。今度こそ私は、昨日と同じ、書架に向かう。

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