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18 私がいけないの?

「お嬢様は最近、よく本を読まれるのですね」

「……ええ」


 家に向かう最中、車で本を読んでいると、山口にそう声をかけられた。本にはカバーがしてあって、ぱっと見には、どのような本だかわからない。続きが気になってしまって、読みたいから、表紙を隠せるようにしたのだ。

 本当は可愛いイラストも含めての魅力なのだけど、そう贅沢も言っていられない。

 カバーのおかげで、私は知的な本を読んでいるように見えるだろう。


「山口も、本をよく読むわよね」


 私を待っている間、たいていの場合、山口は運転席で本を読んでいる。


「はい。本は世界のことを、よく教えてくれますから」

「本当ね」


 私は本を読んだことをきっかけに、いろいろなことが見えてきた。慧との出会い。早苗の思惑。自主的に行動することの大切さ。行動の指針。そして、私に、足りないもの。


 何より足りないのは、相手を好きすぎて、なりふりかまっていられない、そういう熱情だ。


 ページをめくりながら、私はそう、確信を深めていた。物語のヒーローは、婚約破棄で人間不信になった令嬢に愛を囁き、距離を縮めようと心を砕く。不毛だとすら思える行為に、周囲に小馬鹿にされても、全力を注いでいる。


 恋心ってなんなのか、知りたいと思ってから、何冊か本を読んだ。その中で描かれる恋模様には、必ず、熱情が含まれていた。

 抑えきれない思い。つい、弾みでしてしまう行動。隠しても滲み出る好意。


 早苗は、婚約者がいる海斗に、なりふりかまわずアタックしている。その熱情は、認めざるを得ない。だから海斗は、そんな早苗の好意に応えているのだ。好意の返報性。そんな言葉もある。


「……はあ」


 小さくついたため息に、バックミラー越しに気づき、山口は苦笑いに近い笑みを浮かべる。


「ねえ」

「なんでしょうか」

「人を好きになるには、どうしたらいいのかしらね。……山口は、どう思う?」


 山口はその眉を、軽く上げた。

 問いを投げれば、山口はちゃんと考え、答えようとしてくれる。母のように、余計な詮索もしない。だから彼には、何かと話ができるのだ。


「人を好きになるのに、方法なんてありませんよ、きっと」


 自信なさげに、そう答えが返ってきた。母と、言っていることが同じだ。

 好きになるのに、方法はない。だったら私はどうやって、海斗を好きになればいいのよ。


 とりあえずできる努力をしようと思って、帰ってから勉強し、美容師の出張を依頼して髪を切った。勉強すること。自分を高めること。できることは、少しずつ、やらないといけない。

 そんなことをしながらも、私の心には、ずっと引っかかるものがあった。海斗を好きになるには、どうしたらいいのか。好きでもない人との婚約のために、こんなに頑張るなんて、むなしいんじゃないか。

 私はそれが大きくならないように、心の中で押しつぶし、できるだけ見ないようにしていた。


「皆がよければ、この方向で、計画を詰めていくわ」


 翌朝。さっそく早苗は、皆に昨日の案を提案していた。


「よく、そんなの思いつきましたわね」


 そう聞こえてくる囁きも、ごもっとも。スポーツ大会と言われて、ビーチバレーから最後の花火まで思いつくなんて、なかなかない発想力だ。


「良さそうだね。……お金の関係は、僕たちもやるから」

「うん。私たちにも、手伝わせてくださる?」


 学級の反応は、上々。会長ふたりはそれを見て、私たちに助力を申し出てくれる。

 早苗が、私を見た。どうしてこんな時だけ、こっちを見るんだろう。


「ありがたいですわ」


 しかし私は、そう言って、笑顔とともに会釈をした。ありがたいのは、事実だ。浜辺を借りるところからバスの手配から何から、全てやるのは荷が重い。

 そうした事務的な手続きを、助けてくれるというのであろう。


「詳しいことは放課後に話し合いますね」


 会長が告げると、海斗が頷くのが見えた。

 今日こそは、企画に参加するつもりなのだ。早苗のために。

 海斗は早苗が好きだし、早苗は海斗が好き。そんなふたりの間に、私が割って入る余地はあるのだろうか。


 いや、いやいや。そもそも私と海斗は、婚約者なのだ。割って入ってきたのは、早苗の方。

 余計な考えを振り払おうと顔を振る私を、隣の生徒が、不思議そうに眺めていた。


「よろしくお願いします、早苗さん、藤乃さん」

「お願いしますわ、ふたりとも」


 昨日早苗とふたりで向かい合っていたところに、今日は結局、5人が集まった。

 男女の会長に、早苗と私。


「あと……海斗様も」


 そして、海斗。

 私が彼の名を呼んでも、こちらを見すらしない。代わりに海斗は早苗の頭に手を載せ、「よく考えたなぁ、あんな企画。皆感心してたよな」と褒めた。


「やめてよ海斗、こんなところで」

「え? こんなの、こないだに比べたら、大したことないだろ?」

「……もう!」


 頬を可愛らしく膨らませる、早苗。いったいあの勉強会で、ふたりに、何があったのか。気になる私の視界に、困ったように笑っている会長の顔が入ってきた。

 申し訳ない。私が海斗の婚約者であることを、彼らはたぶん、知っている。それで、こんなやりとりを見せられたら、何も言えないだろう。


「さっさと考えましょ」


 私が話を逸らすと、会長たちは目配せをしあい、ほっとした雰囲気で机に紙を広げた。


「お金の流れはこうなっているんですが、僕たちは予算内で収める方針なので、ここが……」


 生徒会から示されている、お金の流れを確認する。


「うん、その辺りはわかってるわ」

「そうだね。僕らに任せてよ」


 海斗も早苗も、訳知り顔だ。何しろふたりは、生徒会の手伝いをしているのだ。その辺りの事情は、詳しいに違いない。


「花火大会の日だと、浜辺を借りるにも、普通以上のお金がかかりそうだけど」

「決まるのが早かったから、学園の敷地になっているところを借りられそうですね。そうすれば、そんなにかからないはず」


 話はとんとん拍子に進み、そして収束していく。バスを借り、荷物を積んで、学園が持っている浜辺まで行く。ビーチバレー大会をし、ピクニックをし、夜は浴衣で花火鑑賞。早苗の考えた盛り沢山のプランは、しかし全てを、きちんと実現できるようだった。


「あとね、提案なんだけど……」


 話がまとまりかけたところへ、早苗が声を上げる。


「なんでしょう?」

「学園の敷地を使うわけだし、花火大会の日でしょ。参加したいという人は、他の学級の生徒でも、連絡をくれさえすれば、自由に参加していいことにしたいの」

「なんでだ?」


 不快そうに言ったのは、海斗である。


「僕たちのクラスの学外活動なんだから、他のクラスは関係ないだろう」

「だけど、会長も来たいって言ってたじゃない」

「だからだよ」


 むす、と表情を歪め、不機嫌さを隠そうともしない海斗。早苗は肩をすくめ、両手を合わせる。ぱち、と海斗に向けてウィンクを送った。


「お願い、海斗」

「……僕は、本当は嫌なんだからな」


 視線を逸らす海斗の頬が、うっすらと赤く染まっている。ああ、甘酸っぱいやりとりだ。彼が私の婚約者でなければ、微笑ましい気持ちで眺めていられただろう。


「ね、どうかな? 許可を取ったり、周知したりは、あたしの方でやるから」


 手を合わせたポーズのまま、早苗は私たちを見る。会長が、ふたりで顔を見合わせた。そして視線が、私に向く。

 なんでこういうときばかり、私に判断を委ねるの。


「まあ、皆さんの同意が頂けるのであれば……」


 反対していた海斗が折れたのに、私が執拗に反対する理由もない。


「なら、明日皆に聞いてみるわね!」


 早苗が嬉しそうに言い、海斗が聞こえよがしにため息をついた。

 海斗を好きなら、こんな時、なりふりかまわずにふたりの仲を引き裂きにかかるのではないか。


「早苗さんは、生徒会長とも仲がよろしいのですわね。わざわざ彼のために、クラスの学外活動を、解放しようとするんですもの」


 そう思って私は、毒気を感じさせぬよう、最大限の笑顔で付け加えた。もちろん、海斗の神経を逆撫でるために言ったものだ。

 案の定、海斗は眉間に皺を刻み込む。


「ふふ、嫉妬?」


 ところが、早苗の、そのたったひとことで、海斗の厳しい視線は私に向いた。


「余計なことを言うなよ、お前」


 嫉妬なんかじゃ、ない。ただ、早苗がなりふりかまわない振る舞いをしているから。私だって、対抗しないと敵わないのに。

 会長たちの困惑した眼差しが、私に注がれる。


「……ごめんなさい」


 心にもない謝罪を述べると、海斗がむすっとした顔で頷き、早苗は微笑む。安堵した顔の会長たちが、「じゃあ、今日はこれで」と話を切り上げた。

 図書室に向かう私の足取りは、重かった。なりふり構わないのは、嫌な気分な上に、失敗した。私には向いていないのかもしれない。

 もう、どうしたらいいのか、わからない。ただ、状況を、あるべき形に戻したいだけなのに。


 深いため息は、誰もいない廊下のひんやりした空気に、拡散して消えた。

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