17 好き、って思いとは
「スポーツ大会の、企画をしてくれる人を募りたいと思います」
学活の時間に、会長から投げかけがある。夏に行う、学外活動に向けての準備だ。私たちのクラスは、近くの浜辺を借り、そこでスポーツ大会をする予定になっている。
すっ、と真っ直ぐに手が上がった。肘がきれいに伸びた挙手。その細い腕の持ち主は、早苗である。
早苗?
私は驚いた。
彼女はこういうことを、引き受けるタイプだっただろうか。前回の話し合いでも意見を述べていたし、彼女はこの学外活動に、ずいぶんと積極的だ。そのこだわりは、見ていて妙に感じるほど。
「あと、もうひとり……」
会長の声に反応して、海斗の肩が揺れるのが見えた。早苗がやるなら、彼もやるというわけだ。
良くない。それは、絶対に良くない。海斗と早苗を、このままふたりで活動させるのは。そう思った私は、さっと挙手した。
「私でよければ、やります」
ついでに、声も出した。
視線が自分に集中するのを感じる。急に、頬が熱くなった。早苗はそんな柄じゃないなんて驚いていたけれど、私こそ、そんな柄じゃない。ほら、海斗まで、目を丸くしてこちらを見ている。久しぶりに感じた彼の視線は、驚きに満ちていた。
「……なら、おふたりに、お願いしてもいいですか?」
ぱちぱち、とまばらな拍手が返事代わり。級友の承認を得て、私と早苗が、スポーツ大会の企画人となった。
「……どうしましょうね」
放課後。
皆がいなくなった教室に残り、私と早苗は、顔を合わせている。
机上には、白紙。ここにこれから、構想を練っていくのだ。
海斗と早苗がふたりで活動するのを阻止したくて、つい手を挙げてしまったが、私は元来こうしたことは得意ではない。
私は、早苗を見た。興味なさげに窓の外を見ている、彼女の睫毛は長い。
「早苗さん、どんなスポーツが良いと思います?」
「……なんであたしに聞くのよ」
「スポーツ、得意じゃありませんか」
走らせれば誰よりも速く、跳ばせれば誰よりも高い。早苗は、勉学だけではなく、運動だってピカイチなのだ。それはもう、私なんて、足元にも及ばないくらい。
「別に、得意っていうか、やれば何でもできるだけよ。スポーツなんて知らない」
贅沢な話だ。勉強も、運動も、努力なしにできるだなんて。
「なら、どうして企画をしようと?」
「……海斗と、一緒にできるからに決まってるじゃない」
早苗が彼を「海斗」と呼び捨てにしていることが気になる。あの勉強会を通して、そういう間柄になったということを示している。
「……なのにどうして、あなたなのよ」
ぽそり。早苗の呟きは、不服そうに響いた。
「どうして、と言われましても」
「海斗と一緒にやるのよ、学外活動の企画は」
早苗の薄い頬が、今日はうっすらと膨れている。やはり、機嫌が悪そうだ。
「お約束されてましたの?」
「違うわ。そんなことしなくたって、一緒にやるのは、海斗のはずなのよ」
「へえ……」
確信めいた言い方をする早苗に、私は気のない相槌しか打てなかった。
彼女の言動は、時々、よくわからない。どうしてそんなこと言い切れるんだろう、と疑問に思うようなことを、はっきりと言い切る。
「……わかる? どうして、あたしがそう言えるか」
「わかりませんわ、そんなこと」
そして、唐突な謎かけ。
わかるわけがない。私が答えると、早苗のまあるく透き通った瞳が、じっとこちらを見つめた。
「ほんとに?」
「……?」
疑われる心当たりが全然なくて、早苗を見つめ返す。妙な緊張感を含んだ、一瞬。早苗は、小さく息を吐いた。
「……そうよね」
早苗は両腕を前に出し、机に顔を伏せる。ごつん。机に額の当たる鈍い音がした。
「なのに、どうしてあなたなのよ……」
「早苗さん……」
呼びかけたけれど、そのあとに続く言葉が、出てこなかった。
「私は海斗の親愛度を、もっと上げたいのに……」
うつ伏せている早苗の言葉に、私はそのまま、口をつぐむ。
やっぱり彼女は、海斗と親しくなりたいのだ。そのために、好きでもないスポーツの企画を、しようと思えるほど。
かたや、私はどうだろうか。
企画に立候補したのは、早苗と海斗の邪魔をしたいから。だからといって、海斗と親しくなりたいかと言われたら、わからない。婚約破棄を回避したいという思いはある、けれど。
それはあくまでも、自分のためだ。海斗との親愛に満ちたやりとりなど、私は別に、求めていない。
「……早苗さんは」
「……なに?」
「海斗様のことが、お好きなのですか?」
聞く気もなかった言葉が、口をついて出た。
ふっ、と浅く息がもれる音。早苗の肩が、微かに震える。笑っているのだ、と気づいた時、顔を上げた早苗は、おかしさを堪えるような顔つきをしていた。
「好きよ」
率直な言葉が、胸に突き刺さる。
こんなに自信満々に、好きだと言える早苗。
私は、好きってことが何かすら、わかっていないというのに。
「……わかりましたわ」
そう応えた声は、我ながら、低く沈んでいた。
早苗にかなわないところが、たくさんありすぎる。勉強も。人当たりの良さも。積極性も。だけどそんなもの、大したものではないのだ。
最大の問題は、海斗への気持ちが違うことだ。海斗に寄せる思いの熱さは、私よりも、早苗の方が優っている。可愛い早苗に、ここまで率直に好意を寄せられたら、海斗がなびくのだって頷ける。
誰だって、自分を好きでいてくれる人の方がいいだろう。
それって、どうにかなるのだろうか。
「しょうがないから、考えましょう」
「……はい」
急にやる気を出した早苗に従い、私は出てきたアイディアを紙に書き出す。
恋ってものがわからないのに、海斗を好きになるなんてこと、今更、できるのだろうか。
悶々としていた私は、早苗の提案を、無批判に書き写していた。
花火大会の日に設定して、昼間は水着でビーチバレー大会。持ち寄った食べ物でちょっとしたピクニックをし、夜は浴衣に着替え、みんなで花火を見る。
まるではじめから決まっていたかのように、次から次へと湧いてくる早苗のアイディアで、紙は埋まっていく。
「……こんな感じで、提案してみていい?」
「いいと思いますわ」
溌剌とした表情で頷いた早苗は、私から紙を受け取って、しまっていく。彼女の口から、明日皆に提案がなされるのだろう。
「おかげで、いろいろなことを一気に進められそう。ありがとう、藤乃さん」
「……? ええ」
なぜお礼を言われたのか、わからない。
早苗の不可解な言動も、この時の私の頭には、さほど引っかかりを残さなかった。
婚約破棄を回避するために、必要なことが、どんどん増えていく。お話のように、簡単な起死回生は、できないのだった。
「……好きって気持ちが、わからない?」
「……はい」
もやもやした気持ちを、私は図書室で、慧に伝えていた。私の現状を知っているのは、彼しかいない。
レンズ越しの彼の目が、ぱち、と幾度か瞬きを繰り返す。
「だけど藤乃さん、昨日俺に、好きって」
「ああ……人としての好きっていうのは、わかるんです、私」
「……なるほど」
俯いた慧の眼鏡に、オレンジの光が反射する。早苗と話していたせいで、今日はいつもより、来るのが遅くなってしまった。
「俺は藤乃さんを好きだって言ったけど、それはどう思った?」
「人として、ですよね? そう思っていただけて嬉しいです、私も好きだから、先輩のこと」
「あー……」
慧の筋張った手が、額を覆った。
「俺はさ、藤乃さんのそういう純粋なところ、凄くいいと思うよ。変に、すれてないじゃない。俺のことを、特待生って目で見ないで、対等に話してくれるし。自分の目標に向かって、真っ直ぐに進もうとしているし。だけど、なんというか……」
顔を上げてこちらを見た、慧の眉尻が、困ったようにぐっと垂れている。
「困ったなあ、俺。どうしよう」
「え……ごめん、なさい」
「藤乃さんは悪くないよ。そんな、申し訳なさそうな顔しないで」
はは、と乾いた笑い。一瞬浮かんだ、なんとも言えない、寂しげな表情。しかしそれは直ぐに引っ込み、代わりに慧は、その掌を私の頭に載せてくる。
「ただ、俺以外の人に、むやみに、人として好きなんて言っちゃだめだよ」
「言いませんよ、そんなこと」
慧は頷き、掌を離す。柔らかな感触とその温かさの余韻が、しばらくそこに残っていた。