7 ようこそようこそ、次元のバザマ!
魔法陣が放つ青い閃光が眩しくて刹那、両の目を閉じた。次に瞼を開けたとき視界に広がる景色は、もう見慣れた女神の神殿じゃない。
砂漠だ。ふと気になって足元の砂を手で掬ってみる。真っ白な砂が掬う端から指の隙間をすり抜けていく。光を浴びて不可思議に輝く様は、まるで小さな虹の滝。なんとも幻想的な趣きだ。
虹の向こう、遥か彼方に外周を市壁で覆った街が見えた。壁より高い石造りの建物が、あちこちから突き出している。
「ここは次元の狭間。管理神達によって創生された数多の世界――その隙間に存在する、どこにも属さない中立地帯です」
観光ガイドよろしくネムが解説してくれる。
「おお、これが次元の狭間か! RPGで何度か目にした事がある!」
「あーるぴーじー?」
聞き慣れない単語に首を傾げる女神。エメラルドグリーンの瞳が胡乱げに細められた。女神は電子ゲームをしないらしい。
詳しく説明しようとして口を開いた瞬間、立ち眩みを起こしてしまった。どうやら暑さに意識を持っていかれたようだ。空を見上げて太陽を探すが見つからない。光源もないのに世界は遍く照らされている。
「……ファンタジーだなぁ」
フードを被りながら呟く。どうにもこうにも暑すぎる。何もしなくたって汗が噴き出してくるぞ。ここでウダウダやってないで目的地に向かうべきだろう。そう考えた俺はおざなりに説明を済ませることにした。
「RPGってのはゲームのジャンルだよ。それより、あの街を目指すんだろ? サッサと行こうぜ。干からびるのは真っ平御免だ」
「それもそうですね。じゃあ参りましょうか」
ネムが軽やかに頷き、俺の前に立って歩き出した。踏みしめる足音は砂漠に溶けて聞こえない。
滑らかな金の髪が、緩やかな風を受けて稲穂のように戦いでいる。緑葉を象った髪飾りは外出用のオシャレだろうか。服装は紺色のポンチョに白いドレス。時折チラリと覗く健康的な素肌には汗一つ浮かんでいない。まさに平静そのもの。
それが今だけは実に腹立たしい。こっちは薄茶色のモサいローブを着て熱中症に成りかかってんのに。なんという不公平!
ポンコツでもやはり女神ということか。せめて心の中ではウサを晴らそう。ポンコツと俺は連れ立って街へと向かった。
* * *
喘ぎ声が混じった行進が続く。残念ながら喘いでるのは俺だけど。ゼェハァヒィハァ。息も絶え絶え。
それに対してネムは余裕の鼻歌まじり。やけに気楽だな。
「お前さ、不安とか無いわけ? 家賃の支払いが滞ったら二人まとめて消滅必至なんだが」
「ひーくんのおかげで光明が見えてきましたからね。そっちはもう心配してないですよ。いやー、それにしても目から鱗です。せっかく貯め込んだマジックアイテムを売るなんて発想、女神にはありませんでしたから」
神殿の賃貸料を捻出する方法は恐ろしいほどシンプルだ。「使わないアイテムを売りましょう」というだけの話。解決策と名乗るのもおこがましい。
ネムは倉庫に相当数のアイテムを貯め込んでいて、異世界に向かう転候生に、その中から武器を1つだけ渡している。だったら、武器以外は処分しても構わんよなという理屈だ。
「ていうかさ。武器はまだいいよ。転候生に渡すための、いわば商売道具だから。過剰在庫だけど百歩譲って脇に避けといてやる。だけど渡す気もないアイテムを買い込んで資金繰りに切羽詰るとか、経営者として一番やっちゃダメなことだろ」
「返す言葉もございません。……でも希少品の蒐集は女神の習性なんですよぅ」
チラチラと上目遣いで弁解するネム。コイツが言うには女神は押し並べて蒐集家であるらしい。だから自分が(本業そっちのけで)夢中になるのはしょうがない、とでも言いたいのか?
「集めてどうすんだよ。冒険の旅に出るワケでなし」
「ひとしきり愛でてから倉庫に仕舞い込むんですよ。たまに取り出して眺めると心が豊かになるんです」
眺めて何が楽しいんだか。芸術品より実用品だろ、と俺なんかは思ってしまう。根底には少なからず、骨董品にかまけていた親父に反発する気持ちもある。
しかし女神の感性は俺とは到底異なるらしい。ネムは頬に手を当て、ご満悦の表情だ。アイテムを愛でる至福の時間を反芻しているのかもしれない。
「だから売るのは凄く勿体ないと感じるのですが……背に腹は代えられません! 腹は括りました!」
「首を括るかどうかの瀬戸際だってのに暢気なもんだな。それより、お前のコレクションは大丈夫なのか? 倉庫に眠ってるのがガラクタばかりだったら目も当てられんぞ」
場合によってはそれが俺達の副葬品に成りかねない。身内が雪舟や大観その他諸々の偽物をたくさん掴まされてきたので、どうしても心配になってしまう。贋作なんて素人にそうそう見抜けるもんじゃない。
「それについてはご安心を! 出掛けにも言いましたが私、目利きに関しては少々自信がありますから! 大船に乗ったつもりでいてください!」
「……そっか。頼りにしてるぞ!」
ドンと胸を叩いて自信の程をアピールするネム。叩いた拍子に胸元が波打ち、思わず目を奪われるがグッと我慢して目を逸らした。代わりに「ネム。鑑定の才能」と小声でボソリ。
信じてない訳じゃないけど念のため、一応ね。船底に穴が空いてるのに気付いてない可能性もあるし。果たして才能視の結果は――
『名称:ネム=レ=ナイナ(真名) 称号:空白の骰子
種族:女神 性別:♀ レベル:65535
鑑定の才能:特級。いずれの世界においても五本の指に入る天才。この才能自体が一つの至宝。鑑定対象に関する知識がなくとも直感で本質を見抜くことが可能』
「うおっ!?」
驚いて思わず叫ぶ俺。なんか知らんがウィンドウに表示される項目が増えとる。
怪訝な顔のネムに事情を説明すると、必要以上の笑顔と共にガッツリ釘を刺されてしまった。
「勝手に見ないでくださいね」
「ゴメンナサイ」
「今回は許します。……で、新しく表示された項目なんですが、女神の基本能力『ステータスの可視化』ですね。おそらく眷属になってから何日か経ったので、女神の力を一部使えるようになったんだと思います。確認できる項目はこれからもっと増えるハズですよ」
「『おそらく』とか『ハズです』とか曖昧な表現が多いな」
思ったままを口にすると、どうやら痛い所を突いてしまったらしくネムはウッと言葉を詰まらせた。
「……だって、しょうがないじゃないですか。眷属なんてひーくんが初めてなんですもん」
唇を尖らせて恥じ入るネムの姿は例えようもなく愛らしかった。というか「ひーくんが初めて」の響きが童貞にはインパクト強すぎるんで勘弁してください。
あまりにも心臓の音がうるさくて「ネムのレベルがどれだけ高いのか」とか「鑑定の才能がどうなったか」とか、そんなことは心底どうでも良くなってしまった。
二人そろって、しばし無言で砂を踏む。
* * *
むず痒い沈黙を共有しながら歩いていたら、いつの間にか街はもう目の前に迫っていた。街の出入口には大きな門が聳え立っている。フードを取って見上げたら首が痛くなってしまった。高さは十階建てのマンションくらいありそうだ。ネムによるとココは西門らしい。
門扉は開かれている。ひょいと街中を覗き込むと往来は人でごった返していた。賑やかな――いっそ喧しいとすら形容できそうな声が響き渡っている。
「すげー活気づいてるな。そういや今更だけど街の名前ってあんのか?」
「ありますよ、勿論。……何してるんですか?」
反射的に門番を探していた俺をネムが不思議そうな目で見つめている。
「入り口に居るヤツが『ここは○○の街です』とかって教えてくれるのがRPGのセオリーなんだよ」
RPGの定番をなぞる。是非ともやってみたかった行為だ。
しかし残念ながら門番は不在のようだ。居たら街の名前を聞きに行こうと思ってたのに。門があるのに門番が居ないとか、この街は少々平和ボケな気がする。心中で毒づいていると小さな女神に袖を引っ張られた。
なんだろうと思っているとネムは俺の袖から手を離し、芝居掛かった仕草で両手を広げた。
「ようこそ、ひーくん! 次元のバザマへ!」
「あはははははは!!」
妙にツボって指差して笑ってしまった。配役が女神とか豪華すぎる。
「ちなみに『狭間』と『市場』を掛けてバザマです!」
「ダジャレかよ!!」
腹を抱えて笑い転げる。ネムの無意味なドヤ顔が最高のアクセント。涙が出るまで笑ってしまった。
「あーるぴーじーは良く分かりませんが、貴方にとって大事なことかな、と思って頑張りました」
そう言って、健気に微笑むネム。演っててちょっと恥ずかしかったらしい。だというのに、なんというサービス精神。神か。いや、そもそも女神だコイツ。
「帰ったら詳しく聞かせてもらえませんか、あーるぴーじーの話」
「へいへい、そりゃもう。お安い御用だ」
「やった!」
俺が快諾した途端、ネムは満面の笑みを浮かべてピョコンと飛び跳ねた。
「絶対ですよ! 約束ですからね!」
嬉しそうにステップを踏んで街の中へと入っていく。その動きは意外と素早い。見失わないように俺は慌てて女神の後を追った。
が、少し遅かったようだ。人、人、人の波ばかり。ネムの姿はどこにも見えない。何処からか「ひーくーん……」と途切れがちな声が聞こえるのみ。
波を掻き分け掻き分け、ようやく女神と再会を果たす。かなりのグロッキー状態になっていた。漫画だったら頭の上に星が回っているところだ。
「た、助かりました……」
「お前、小さいんだから気をつけろよ」
はぐれないように手を握る。ネムは一瞬、体を強張らせたがすぐに力を抜いて俺の隣に身を寄せてきた。
やけにしおらしい態度のネムから向かうべき場所を聞き出す。次元のバザマは街を貫く大きな十字路で4つの区画に分かれている。マジックアイテムを取り扱っているのは南東のブロックらしい。
繋いだ手に力を篭めて大通りに飛び込んだ。煮えたぎった鍋の蓋を開けた直後みたいに街は熱気を放っている。
* * *
向かう場所など分かっちゃいてもコレが中々進めない。それも已む無し、さもありなん。「やれ何処そこの名物だ、今日を逃せば手には入らぬ!」通りに面した店からは売り子の声が引きも切らない。
絨毯を敷いて道端で物売る露店も負けてはいない。「さぁさ見ていけ、安いよ安い!」天を突くほど声を張り上げ誰彼かまわず呼び寄せる。足を止めた通行人も「いやまだ高い、もっと値引け!」と冷やかし混じりにがなり立てる。
そんな彼らをよくよく見れば、居並ぶ顔はファンタジー。エルフ、ドワーフ、オークにゴブリン、獣人竜人なんでもござれ。
中には血の気が多い輩も。肩だの肘だの視線だの、ぶつかり合ったが百年目。得物片手に真剣勝負。囃す者あり止める者なし。すかさず屋台が駆け込んで見物客に酒を売る。見る間に杯が重なってヤンヤヤンヤのお祭り騒ぎ。
一事が万事、この調子。混沌渦巻く坩堝の権化。バザマじゃ日常茶飯事なれば一歩進むも一苦労。
* * *
「おっちゃん、アイス2つ」
「あいよ!」
ネムから貰った硬貨を手渡し、屋台の店主から氷菓を受け取る。やけに威勢のいいオッサンだ。
言葉が通じた事実に安堵する。どうやら統一言語も女神が持つ力の一部として使えるようになったらしい。最悪、身振り手振りを覚悟してただけにコレはありがたい。
「なんだ兄ちゃん、彼女とデートかい!?」
「そうそう! だからちょっとサービスしてくんない?」
「うはは、バーカ! するわけねーだろ!」
大柄な店主が豪快に笑い飛ばしつつ、流れるような動作でディッシャーを引っ掴む。素早くボックスからアイスを掬って二段重ねの塔を一段高くしてくれた。
ニッと笑うオッサンから後光が差して見える。口は悪いがサービスは満点だ。俺はホクホク顔で礼を述べると女神の元へと駆け出した。
「ひーくん、アイス……」
日陰で俺を待っていた小さな女神はそれだけ呟くと「あーん」と口を開けた。
次元のバザマのお祭り騒ぎに当てられて体力を削られた俺達は店舗の軒先を借りて小休止の真っ最中だ。ネムはグッタリ疲れている。お遣いに行かせた俺に労いの言葉もない。砂漠の日差しには汗一つ流さないくせに人ごみの中を移動しただけで疲労困憊とはどういう了見だろう。
いやそれは良いとして。なに? 食べさせんの? 俺が?
こんな人ごみの真っ只中でデートイベントこなすわけ?
周囲を窺うと興味深げに俺達を眺めている連中が何人もいやがった。おい、見世物じゃねーぞ! 目に力を篭めて睨み付けるも効果なし。こいつらメンタルつえぇ。
「はーやーくー」
ネムは目を閉じて池の鯉みたいに口をパクパクさせている。野次馬の好奇心にも一切気付いていない様子だ。おそらく自分が割と大胆なことをしている自覚もないのだろう。
俺だけが意識しているのかと思うと途端にバカらしくなる。「ええい、ままよ」と覚悟を決めて望みの品を口元に近づけると、待ってましたとばかりにネムがアイスにかぶりつく。シャクリ、シャクリと咀嚼の音色。観客どもも待ってましたと大はしゃぎ。
有象無象を意識の外に締め出して女神だけを視界に収める。恍惚の表情で舌鼓を打つ様は見蕩れるほどに美しい。
無駄に働き出した俺の心臓が熱くなった血潮を顔まで運んでくる。上せた頭を冷やそうと俺もまた自分のアイスを貪った。大して甘くもなかったけれど、茹だるような暑さの中で冷たい食感が心地いい。瞬く間に食べ尽くしてしまった。
「は~、なんだか生き返りますねぇ」
「そーだなー」
死を超越した女神と、死から蘇った眷族が空を見上げて笑いあう。ずっとこうしていられればいいのに、なんてガラにもなく思いながら。
俺は懐から砂時計を取り出した。傾けても逆さにしても落ちる方向が変わらない、簡素なマジックアイテムだ。家賃支払いまでの刻限を知らせるタイマー代わりに持ってきた。残りの砂を見ると、まだまだ随分余裕がある。
「時間もあるし、もう少しデートしていくか」
「デッ――!?」
「なんだよ今更。『あーん』までさせといて。周りの連中からは完全にバカップル扱いされてるぞ」
親指で野次馬達をクイッと示す。どいつもこいつも悪びれずに眺めてやがる。木戸銭取るぞ、こんちくしょう。
しかしネムのヤツ、やっぱり自覚なかったんだな。さっきまでの自分の行動を思い返して勝手に赤面している。たぶん俺より長生きしてる筈なのに反応がどうにも初々しい。いまどき小学生だってお前よりはマセてるぞ。
「散財する訳にもいかないし、路上パフォーマンスを見たりウィンドウショッピングしたりが関の山だけどな。甲斐性なくてスマンね、ホント」
本音混じりの苦笑を零しつつ、頭から湯気を噴いてるネムに向かって手の平を差し出す。
「それでもいいなら、この手をどうぞ」
「でーと……」
俺の軽口を真に受けたのか、ネムは頬を染めて逡巡している。あ、ちょっと待って。これ断られたら心折れるヤツだ。
不安になった俺が全部冗談にして手を引っ込めようと思い定めた矢先に、女神がソッと俺の手を取った。
「キャンセル、効きませんからね?」
少し非難がましい目をしているのは俺の内心を見抜いたからかもしれない。一方、俺はというと不安が広がっていただけに喜びも一入だ。
この浮ついた心さえも見透かされていないだろうか。いや、それでも構うまい。
「よし、それじゃ行くか!」
「はい!」
通りでは大道芸が始まっていた。火吹きと刀剣のジャグリングだ。俺達を見物していた連中がワッとそちらに雪崩れ込む。
人の波が一際大きくうねり出した。ネムが俺と腕を絡める。伏せた顔からは表情までは窺い知れない。ただ耳だけが赤く色づいている。
胸に抱く気持ちが同じであればいいのに、と淡く願いながら二人並んで歩き出した。




