6 女神の館も地獄の沙汰も
豪司さんを送り出してから約2日。俺は暇を持て余していた。
彼を送り出した後のお茶会(という名の反省会)で得た改善点をフィードバックして次の依頼は完璧にこなそう! そんな風に意気込んでいた時期が懐かしい。
砂糖をたっぷり入れた紅茶を啜りながら目を細める。今日もお茶会(こっちはタダの息抜き)の真っ最中だ。
転候生が来ない。待てど暮らせど現れない。神殿に訪れるのは閑古鳥ぐらいのものだ。
考えてみれば、俺がネムの所に来てから豪司さんが来るまでにだいたい3日が経っている。早々頻繁に異世界転生は起こらないのかもしれない。
「まあいいか。焦っても始まらないしな。依頼を失敗しなきゃ大丈夫なんだろ?」
欠伸を噛み殺しつつ、テーブルの向かいに座っている転生の女神に問い掛ける。
すると、何故かネムはギクリとした表情でカップを置いて、俺から露骨に目を逸らした。
「……おい。なんか隠し事してないか?」
「隠し事だなんて、人聞きの悪い」
そう言いつつ、キョドキョド。これは絶対なにかあるな。
「素直に吐けば許してや――」
「実は神殿の家賃、支払いがもうすぐなんです!!」
喰い気味に答えが返ってきた。あまりの勢いに思わず仰け反る俺。
「お、おう、そうか……って、ちょっと待て! この神殿、賃貸なのか!?」
「駆け出しの女神に神殿を自己所有する余裕なんてありませんよ」
「世知辛ェ~」
「軌道に乗るまでは何処の事業所も似たり寄ったりです」
微妙に目が泳いでいる。多分、優秀な女神は似ても似つかぬ境遇なんだろうな。
普段なら厳しいツッコミを入れてやるんだが、あいにく今はそれどころじゃない。現状の把握が先だ。
紅茶を飲みながら先を促す。
「それで? 家賃と支払期限は?」
「……は、8万FPを、あと48時間以内に納めないとダメです」
「ぶはっ!?」
口に含んだ液体を盛大に吹き出してしまった。予想外にも程がある。
デッドラインまで、あと2日しか無いじゃねーか!
「しかも、俺の記憶が確かなら、お前のFP残高って3千くらいだったよな!?」
「ええ、恥ずかしながら……」
「支払えなかったらどうなるんだ!? 強制退去か!?」
「…………FP不足とみなされて消滅します。私も、貴方も」
「そんな大事なことはもっと早く言えやっ!! 優雅に茶ァ啜ってる場合か!!」
「ぴいっ!? な、何でも許してやるって言ったじゃないですか!? 約束が違います!」
「何でもとは言っとらんわ!!」
叫ぶなり俺は頭を抱えた。駄女神のポンコツぶりは今に始まった訳じゃないけれど、まさかココまでとは。
資金のやりくりも出来ないなんて、経営のセンス無いんじゃないか?
不安になった俺は小声でこっそり才能視を起動し、経営に関するネムの才能を確認した。
『経営の才能。下の中。優秀な補佐がいなければ組織は早晩潰れます。経営に口出しをしないのが最善の策』
案の定だよ。ジト目で睨みつけると、何を思ったかネムは照れたように頭を掻いた。なんでそうなる?
ともかく、今後は経営に関するアレコレも俺がやらないとな。自分の経営センスがどんなモンか分からないけど、ネムよりはマシだろう。
ん? いや、待てよ? 俺は才能が視えるんだった。
始める前から結果が分かってしまうのは楽だと思う反面、ひどく味気ないようにも感じるな。
……んー、まあ感傷は後回しにしておくか。今は失敗できないんだから石橋くらい叩いたって良いハズだ。
そこまで考え、才能視を起動しようとして、何故か失敗した。
おかしいと首を捻りつつ、もう一度試すも上手くいかない。
テーブルの向かいに座る女神が不思議そうに尋ねてくる。
「どうしました?」
「さっきから俺の才能を視ようとしてるんだけど、上手くいかないんだよ」
「……ごめんなさい、『ひーくん』」
「なんでネムが謝るん――」
言いかけて気が付いた。そうだ、才能視を発動しようとして、俺はこう言ったのだ。「ひーくん。経営の才能」と。
おそらく才能視の対象とするには本名が必要なんだろう。忘れがちだが『ひーくん』とは便宜上の呼称に過ぎない。
『ネム=レ=ナイナ』の才能を視るときに『ネム』としか口にしていないのでフルネームでなくても発動はするらしいが、俺にとっては気休めにもならない。
ネムの眷属になるために俺は本名は失っている。本名くらい安い物だと思っていたけど存外、不便をするものだ。
あらかじめ分かっていたら自分の才能をもっと確認できたんだけどな。
つらつらと失った物に想いを馳せていると、いつの間にかネムが泣きそうになっていた。
「……過ぎた事だし気にすんな。女神が涙目になってんじゃねーよ」
「な、泣いてなんかいません! ホントですよ!?」
「はいはい。それより、家賃の話に戻るんだけど。1回だけなら滞納しても敷金で相殺されたりしないか?」
「シキキン?」
「あ、もういい。その反応で分かった」
女神の業界に敷金という制度は無いらしい。初期費用が少なくても良いのはメリットだが、滞納一発で人生アウトはちと怖い。
「支払いを猶予してもらうように掛け合うことは可能か?」
「契約次第ですが……さすがに契約書を見ないと何とも言えないですね」
「だったら、お茶会終わり。一式片付けてソファとテーブル、後は契約書も出せ」
「女神使い荒いんですから、もうっ」
ぶつくさ言いながらもテキパキと準備を整えていくネム。数秒後にはティータイムの名残は綺麗サッパリ消え失せる。入れ替わりに二人掛けのソファと、契約書が載ったローテーブルが現れる。
こういう段取りはスムーズなんだよなぁ。俺が感心していると、先にソファに腰を下ろしたネムが手招きしてきた。
「ひーくん、早く隣に座ってください。二人で契約書に目を通しますよ。私、一人で読んでると眠くなってくるんです」
「……お前、ホントに転生事業の資格持ってんだろうな?」
疑問を呈しつつ、女神の隣に腰掛ける。ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
反射的にネムを見てしまう。絹糸みたいに柔らかな金の髪と可憐な横顔が目に映った。普段は意識しないけど、やっぱりコイツ可愛いんだよなぁ。
動揺を隠すために少し距離を取る。
「なんでそんな端っこに座ってるんですか?」
「ちょ、おまっ! 距離詰めんな! 近すぎだろ!」
肩が触れ合うどころか、ほぼ密着していると表現しても過言じゃないぞ!?
当の女神は今ようやく状況に気付いたようで、ハッとした表情になった後、赤くなって俯いてしまった。二人きりの神殿に女神の弁明がポツンと響く。
「た、他意は無いですからね? こうしないと一緒に読めないってだけで……」
「……分かってるよ」
「…………」
「…………」
二人揃ってしばし無言になる。お互い、意識しているのが丸分かりな沈黙だった。
……あー、いかんいかん。甘酸っぱい空気を吸ってる場合じゃない。俺はテーブルの上から契約書を手に取り、パラパラと捲っていく。
「そ、そういえば契約書って日本語で書いてあるんだな。こないだのパンフレットも文字は日本語だったし。読みやすくて助かるぜ」
多少無理やりだったが、とにもかくにも沈黙の打破に成功する。ネムも意を汲んで話題に乗っかってきた。
「ひーくんにはそう見えるだけで、本当は別の文字で書かれてるんですよ」
「えっ、そうなのか?」
「『バベル』っていう統一言語を使ってます。私が話している言葉も同じですよ。『読む者、聴く者にとって理解できる言語』に感じられるそうです」
「バベルって、あの『バベルの塔』のヤツか?」
昔、世界の言語は一つだったけど、人類は天に近づこうとして力を合わせて高い塔を造る。これが神の怒りに触れ、塔は崩壊。人類が協力し合わないように言語も複雑に分かれてしまったとか、そんな内容だったと思う。
うろ覚えの知識を披露してやるとネムは興味を惹かれたらしく、熱心な様子で地球の神話に耳を傾けていた。しかし、結末まで聴き終えるとフルフルと可愛らしく首を振った。
「そのバベルではないですね。多分、貴方にとって『統一言語』という響きがその神話を連想させたので無意識にチョイスされたんでしょう」
「そんなもんか……っと、有ったぞ。支払猶予に関する記述」
話をしながらも契約書を読んでいた俺は該当の文章を指差し、声に出して読み上げた。
「『なお、支払期限に関する一切の交渉には応じない物とする』」
「……ダメみたいですね」
「だな。別の手を考えるか」
契約書を放り出し、頭の後ろで手を組んで思索に耽る。家賃が8万で所持金が3千。あと7万7千必要だ。どうやって捻出したものか。
そういやFPは信仰の力、だったっけ。
「俺が祈ってみたらFPが手に入ったりしないか?」
「んー、無理ですね。支払期限を考えると1FPにも満たないかと」
はて、そういや今まで考えもしなかったけど、そもそも1FPってどのくらいの量なんだろう。
ネムに質問してみたところ、驚愕の答えが返ってきた。
「ひーくんに分かりやすく言うと、1FPは『平均的な人間が生涯を通じて神に捧げた祈りの量』と等しいです」
「……マジで?」
「大マジです。勿論『平均的な』と表現した通り、敬虔な信徒からは数倍のFPが得られますし、大して信じていない者からはロクにFPを得られません」
だとすると3千FPは、3千人が生涯を通じて神に捧げた祈りと同じくらいって訳か。
そう聴くと何だか神聖な物に思えてくる。……今までなんとなく円単位で考えてたけど。
「参考までに、日本人からゲットできるFPってどのくらいだ?」
「日本って、ひーくんの故郷でしたっけ。カタログでチラッと見ただけなんで、よく知らないんですよね。日本人の宗教観を教えてもらえますか」
「あくまで個人的な印象だが」
前置きしつつ語り始める俺。
「年明けに神道の社に詣でて、年の瀬にキリスト教の聖誕祭を祝う。結婚式は、どちらかのスタイルで行うのが主流。
生まれた時は特に洗礼を受けたりしないけど、死んだ時は仏教で葬式を出す。
他宗派に関しても概ね寛容。ただし、信仰を押し付けてくる相手は胡散臭いと思っている。
信教を尋ねられた時は大抵『無宗教』と答える」
信教については「なんとなく仏教」と答える人も居るかもしれないけど、まあ「イマドキ」の日本人は大体こんなモンだろう。少なくとも俺の実家は今いった通りのスタンスだ。
さて、気になる女神のリアクションは?
「うわぁ……」
ドン引きしていた。ネムは顎に手を当てながら難しい顔をしていたが、ややしばらくしてボソッと呟いた。
「……0.1くらいですかね?」
「低っ!!」
「正確に測ったら0.1未満だと思います」
「えー、そんな低いのか? 査定厳しくね?」
「多神教の世界でも他宗派に寛容な例は珍しくないですが、あなたの国の場合、無頓着なだけですからね。端的に言って、節操なさ過ぎます!」
管理神と転生神、業界は違えど女神として思う所があるらしい。なぜか日本人代表で俺だけが厳しく怒られる羽目になってしまった。
旗色が悪いので早々に風向きを変えよう。
「何はともあれ、祈ってどうこうするのは無理な訳だな、うん! ネム、他に当てはないのか?」
「同業の女神から一時的に借りる、という手段はありますが、できれば使いたくないですね」
「借りれるならそうすりゃいいのに」なんて軽々な発言は出来ない。
親父がヤバい筋から引っ張ってきた借金が膨れ上がったせいで、結果として俺は死ぬハメになった訳だし。
あくまで最終手段にしておきたい。
「あとは……豪司さんがソーディアの魔王を倒してくれることを祈るくらいでしょうか。達成したら成功報酬15万FPを即座に受け取れます。一発逆転が可能ですよ」
「つっても、こないだ送り出したばかりだぞ。魔王討伐なんて一朝一夕で成し遂げられるモンじゃないだろ」
「時間の流れが違いますから、その辺は希望が持てますよ。こちらでの1日はソーディアでの3ヶ月に相当しますから」
それなら確かに……と頷きかけたが、理性の冷静な部分がストップを掛けた。
「送ってから2日で、支払期限まで更にあと2日。こちらでの4日はソーディアでの1年。『現地に到着してから1年で魔王を倒す』、これは期待していい時間制限と言えるのか?」
「……ちょっと厳しいですね。現地時間で3年は見込みたい所です」
「だとしたら望み薄だな。いっそ、FP貯めこんでる女神の神殿に押し込み強盗でもかましてみるか?」
「魔王より強い女神を倒せるものなら、どうぞご自由に」
右手に「夜槍ノクターン」を実体化させながら軽口を叩いてみたが、ネムに呆れ混じりのため息で返された。
……つってもなぁ、完全に行き詰ってる気がするぞ。槍の柄で額をコンコン叩いて、何かアイディアが出ないだろうかと虚しい望みを託す。
しかし、諦念に反して打開策を思い付いてしまった。
「ネム、お前が所有してるアイテムの目録を見せてくれ」
「いいですよ。はい、どうぞ」
ネムが虚空から取り出してくれた目録を眺めていく。コイツの倉庫には武器や防具、装飾品なんかが保管されている。
性能はピンからキリまでだが、さすがは女神の所有物、中には神話級のアイテムも存在している。
「良いアイテムばかりでしょう? 私、結構目利きなんですよ」
誇らしげに胸を張るネム。ちょっと揺れたけど、この際脇に置いておく。
不動の心で目録を読み終えた俺はネムの瞳をじっと見つめた。
「な、なんですか?」
声を上ずらせる女神に向かって、先ほどのお返しとばかりに盛大なため息を吐いてやる。コイツ、ホントに経営のセンスないわ。
カチンときたネムが文句を言おうと口を開いたが、俺は先んじて結論を述べた。
「急場を凌げるかもしれん」
「えっ!? どんな奇跡を見つけたんですか!?」
さっきの怒りも何処へやら、ネムが目を輝かせて訊いてくる。
奇跡ね。女神が言うと重いんだか軽いんだか。
「売ろう」
「はい?」
ネムが目をパチクリさせる。俺は言葉を重ねた。
「売ろう。倉庫にグースカ眠ってる、使いもしないアイテムを」




