2 旅立ちの大ジャンプ
そもそも普通の人間だった俺が、なぜ女神などというドエライ存在と行動を共にする羽目になったのか。
事の発端は体感時間で数日前に遡る。多少アバウトになる点は勘弁してもらいたい。なんせ女神の神殿には砂時計しかないもので。
* * *
「突然ですが、あなたは死にました」
物凄い美少女から唐突に死亡宣告を受けた。
突然の出来事に俺が口を利けないでいると、ソイツはペコリと頭を下げてから台詞を続けた。
「私は転生を司る女神『ネム』。どうぞよろしくお願いしま――」
「よっしゃっ!! 来たぁぁ!!」
拳を天に突き上げて叫ぶと、転生の女神とやらは唇を「す」の形に窄めたまま固まってしまった。構うもんか。
この展開は漫画やアニメで何度も見た事がある。死んだ人間が異世界で新たな生を享けるとかそういうパターンだ。
ガッツポーズを決めながら喜びを表現する俺に向かって、ネムと名乗った少女は遠慮がちに声を掛けてくる。
「あのぅ、そろそろ良いでしょうか?」
「おう、悪い悪い! ちょっと嬉しくてさ!」
「自分の訃報でテンション上げる人、初めて見ましたよ……」
ネムが呆れながら相槌を打つ。若干引き気味だった。
そんな塩対応でも全然気にならない。引いた分だけ踏み出す勢いで先を促す。
「それで俺、どこに行くんだ!? 地球以外ならどこでもいいぞ!」
「超特急で話が進んで助かります。えーっと」
ゲームのステータス画面らしきものを空中に表示させたネムが俺の名前を読み上げる。定番だけど、実際に見てみるとSFみたいでちょっとカッコいい。
などと暢気に考えていたら「うわ、結構悲惨ですね」と女神が息を呑んでいた。
どれどれ。ヒョイと画面を覗き込んで驚いた。なんと俺の経歴が一生分ツラツラと記載されているではないか。
何年の何月何日にどこの病院で産まれたとか、小学生の時に母さんが亡くなったとか、中学生の時に親父が事業に失敗して自暴自棄になったとか、借金のカタに俺が売り飛ばされたとか。
あー、そうそう。最期、血ィ吐いて倒れたんだっけ。
「絶対に死ぬもんか、って思ってたのに案外呆気ないもんだな」
「……お悔やみ申し上げます」
しんみりした空気が場に流れる。
「どうせなら童貞捨ててから死にたかった」
「女神の前でなに口走ってんですか! お悔やみ返してもらえます!?」
「ツッコミ鋭いなぁ。……そういや、女神サマ可愛いね」
「この流れで褒められたって鐚一文嬉しくないですっ!」
無視すれば良いものを律儀にツッコミ返してくる。頬を膨らませて抗議する姿は外見よりも幼く見える。
しかも金髪に隠れて分かりづらいけれど、耳まで赤くなっていた。
あら、女神サマってば意外と初心?
「そんな怒らなくてもいいじゃん」
「怒ってません!」
と、言いつつネムは肩を怒らせている。まるで猫みたいだ、とぼんやり思った。
湿りかけた空気も女神の怒りで随分沸騰したみたいだし、からかうのはこのくらいにしておくか。あんまり度が過ぎると神罰とかあるかもしれないし。
生前は神罰なんて鼻で笑い飛ばしていた俺だが、こうして目の前に女神が存在する以上、用心に越した事はない。
とりあえず、今くらいの怒りなら大丈夫のようだ。ネムちゃんの激怒メーターは忍耐の許容範囲内。あとは地雷がないか気をつけておけば大事には至るまい。
「さて、それじゃあ気を取り直して。既に合意してもらいましたが一応、転生について説明させてもらいますね。認識の齟齬があるといけませんし」
「おう、よろしく」
鷹揚に頷く俺に対してネムは少し眉をひそめたが、特に嫌味を言うでもなくコホンと一つ咳払いをした。それと同時に俺の前に机とイスが現れる。座って聴けという意味だろう。とりあえずイスを引いて席に座った。
通っていた学校を思い出して、ほんの少し懐かしい気持ちになる。在学中は勉強なんて好きじゃなかったけど、通えなくなってからは折に触れて「もっと勉強しとけば良かった」なんて思ったもんだ。
一方、ネムは俺の着席を見届けると澄ました表情で頷いた。人差し指をピンと立てて教師のような口調で語り始める。
「あなたは不遇の死を迎えましたが、不幸中の幸いとして転生する機会を得ました。ただし、これは権利であり、義務ではありません。契約と同じように合意が重要になってきます」
「はい、センセーしつもーん」
「誰が先生ですか、誰が! ……まあ、それはそれとしてドウゾ」
ネムは律儀に応えてくれた。変な所で生真面目だよな。
「転生を拒否るヤツなんているのか?」
「余裕でいますよ、宗教上の理由とかで。それに地球で生き返れるならともかく、馴染みのない異世界ですし。不安よりも安息が欲しい、という方も少なからず居ますね」
ふーむ、なるほどなぁ。理由を聞いたら頷ける部分もある。
とりあえず予想していた通り、単純に生き返るのはNGらしい。まあ、普通に生き返れるなら『転生の女神』がわざわざ出張ってくる必要もないしな。
「それでも、なるべく合意の方向に誘導しますけどね。あなたの世界の人間は引く手あまたですから。順応性と潜在能力が高いので安心して異世界に送り出せます」
「へぇ、能力高いのか」
なんとなく、ムズ痒い誇らしさを感じた。
前に「日本人って真面目で手先が器用だよな」と褒められた時のことを思い出す。自分は特に何もしていないのに憧憬の対象になる、あの感覚。
「でも、『転生無理です』って言われたら次の候補さがせばいいんじゃねーの。なるべく合意、なんて面倒なだけじゃね?」
「それがそうも行かないんですよ。死亡時に異世界転生できる条件を備えてないとダメなんで」
誰でも送れる訳じゃないのか。条件とやらに少し興味はあったが話すと長くなりそうなんで流す事にした。
「まあいいや。予備知識はこれくらいにして、そろそろ本題に入ってほしい。俺が向かう世界ってどんな場所なんだ?」
「よくぞ訊いてくださいました。あなたがこれから向かうのは『ビースティン』。魔獣が跋扈するファンタジーの世界です」
「おっ、ファンタジー! いいね。魔法と魔王は?」
「アリアリです!」
「ぶふっ、話題ふっといてなんだけど、麻雀みたいに言うなよ」
軽く噴き出してしまった。ちなみに俺はアリアリだろうが面前派。
ネムは小首を傾げると、どこからともなくホワイトボードを引っ張ってきた。どうやら意図して麻雀用語を使った訳ではないらしい。
ションボリする俺に構わず、女神はマーカーのキャップを開いて白い盤面に何やら描き始めた。
ギリシャ風の神殿にホワイトボードって場違い感ハンパねーな、と思いながら眺めていると俺の正気度が徐々に削られてきた。えっ、なにあれ?
ボード左側にはゴリラが、右側にはムンクの『叫び』を思わせる奇怪な人物が描かれていた。
??? 疑問符が尽きない。目線で解説を求めると、満足げに頷いたネムがゆっくりと口を開いた。
「ビースティンは滅亡の危機に瀕しています。魔王によって率いられた魔獣の脅威は計り知れません。かの世界を統べる女神は自力での事態収拾は困難と判断し、異世界から英雄を呼び寄せる事にしました」
ネムは『叫び』のカオ近くに「HELP!!」と描き加える。あれ、女神だったのか。邪神じゃなくて。
だとすると、あっちのゴリラは魔王か? ゴリラが魔王ってどうよ。
魔王城で対峙する光景を思い浮かべる。武器を構え「魔王覚悟!」と叫ぶ俺。魔王が玉座から立ち上がり、薄く笑みを刻む。突如、雷が鳴って魔王の面が照らし出される。でも、その顔はゴリラ。
……ないわー。
ガックリ肩を落とす俺に気づかず、ネムは左のゴリラから右の『叫び』に向かって右向きの矢印を描いた。
「そこで要請に応えた私が、あなたを」
マーカーでゴリラを指し示す。
「ビースティンの救済に送り出す事になった訳です」
矢印を差しながらネムが言葉を区切る。
なるほど、魔王が人間に襲い掛かる5秒前の図じゃなくて、転生者が女神を救援に向かう場面なのね。
魔王がゴリラじゃなくてホッとしたぜ。
ふーっと安堵の息を吐いた後で俺は重要な事実に気が付いた。
「って、ちょっと待て! それ、俺かよ!?」
ゴリラを指差しながら、立ち上がってツッコミを入れてしまった。勢い良く立ち上がったせいで、ガタンとイスが後ろに倒れた。
ネムは不思議そうな顔をしている。どうしてそんな表情できるのか俺の方が不思議だよ。
「? 他の何に見えるんですか?」
「幼稚園児でも描かないような下手クソなゴリラ――!」
瞬間、場が凍りついた。比喩ではなく本当に。辺り一面に氷が張って、極寒の冷気が肺に流れ込んできた。
女神の瞳は淡い燐光を放っている。エメラルドグリーンの眼光に俺は射竦められた。底冷えする声でネムが問う。
「私の、絵が、下手だって、言うんですか?」
ヤバい! 頭の中で警鐘が鳴り響く。あれ、ヤンデレとかがよくやる眼だ!!
ヤバいヤバいヤバいっ! マジかよ!? コイツ、自分の絵に自信持ってやがった!!
俺の不用意な発言のせいで、罪の無い机と被害者のイスは一瞬で氷の結晶になって音も無く爆ぜ失せた。
色んな意味で震え上がりながら俺は必死に考える。たぶんコレ、ノベルゲーだったら選択肢次第で死亡エンドになるやつだ!
真実に殉じるか、嘘に縋るか。俺は迷い無く答えを発した。
「下手クソなゴリラ――しか描けない連中でも魂で理解できる! 巨匠に勝るとも劣らない名画だ! あまりにも見事すぎて一瞬、描かれてるのが俺だって分からなかったぜ! やっぱ女神ともなると絵が上手いモンなんだなあ!」
全力で媚を売った。
真実? ああ、良いヤツだったよ。俺の代わりに死んでくれたんだから。
恐れ交じりにネムの様子を伺うと、俯いて肩を震わせていた。表情は見えない。
沈黙が心臓を締め付ける。咄嗟だったいえ、さすがに不自然で見え透いた台詞だったろうか。
判決を言い渡される被告の気分で反応を待つ。ネムが顔を上げ、審判を下した。
「もう! そんな風に褒められると照れちゃいますよ!」
勝訴。頬を染めながら照れているネムを見て、心の中でガッツポーズをかます。気が付くと氷は消えていて、辺りには暖かな春の陽気と色とりどりの花が咲き乱れていた。
多分、ネムの感情が昂ぶるとそれに合わせて周囲の環境も変わるんだろう。この神殿の仕様なのか、はたまた女神としての能力なのか。なんとなく後者のような気がした。
「ちなみに、特に良かったのってどの辺ですか? 感想聴かせてほしいです!」
「え゛っ」
難局を乗り切ったと油断したのも束の間、地獄はまだ終わっていなかった。
それから数分間、上機嫌なネムの前で心にも無い御世辞を言い続ける作業を強いられた。
人生で最も不毛な数分だった。賽の河原の石詰みだってコレに比べりゃまだしも建設的だろう。
ふん、命惜しさと笑わば笑え。せっかく拾った此の命、おいそれと捨てる訳にいくもんか。
「おっと、話題が逸れていましたね。閑話休題、っと。それで、あなたはこれからビースティンに向かうわけですが」
絵画の絶賛に気を良くしたネムが、ホクホク顔で俺とゴリラを交互に見つめる。
耐えろ、俺。今だけは甘んじて受け入れろ。アレは俺。俺はゴリラ。
「転生する方には特典を渡しています」
「よっしゃっ!! 来たぁぁ!!」
「ひゃう!?」
本日二度目の雄叫びを上げる俺。異世界転生と言えば何かしらの特典が付き物だ。作品の特色はコレで決まるといっても過言ではない。
もし特典がもらえるんだったら何が良いだろう、と妄想した事は何度もある。憧れだって一入だ。
何を選ぼうかなとワクワクしていたら、もの言いたげな目で俺を睨むネムと視線が合った。なぜだろう?
それより何より特典について確認だ! 訊きたい事は山ほどあるぞ!
「なあ、俺の特典についてなんだけど」
口を開いた俺は、そこで言葉を飲み込んだ。ネムが右の拳を突き出してギュッと握り締めている。
真っ黒な光が拳の両側から伸びて棒状の物体を形成していく。度肝を抜かれた俺の眼前で、黒い光の片側が鋭く尖り穂先となった。ほどなくして2メートル超の槍が完成する。
ネムは出来上がった黒い槍を俺に向かってポンと放る。慌てて受け取るとズシリと重く、危うく転びそうになってしまった。
床に石突を立て、杖代わりにしてからじっくりと槍を見上げていく。
黒い柄、黒い穂先、要所要所に赤い宝玉が嵌っている。カッコいい。
「はい、これがあなたの武器『夜槍ノクターン』です。通常状態でもビースティン最強の武器ですが、夜の間は更に攻撃力が増します」
「…………」
「どうかしました?」
いや、カッコいいよ。カッコいいんだけどさあ……
「俺が選ぶ楽しみ、ないじゃねーか!!」
「えー。そんな文句いわれましても。女神が選んだ方が早くて良いじゃないですか」
分かってない! ぜんぜん分かってないよ、この女神!
「特典って変更は利かないのか!?」
「えーっと、申し上げにくいのですが、もう無理です」
「そもそも俺、転生特典は才能の方が良かったんだけどなあ……」
合掌するネムに、俺はガックリ肩を落として呟いた。
すると、なぜか女神は焦りながら弁解を始めた。
「いや、でも武器っていいですよ! 才能なんてそのうち開花する事もありますし! 武器の方が絶対良いですって!」
「まあ、いっか。人間、諦めも肝心だしな」
「そうそう! その通り! あ、でも世界を救うのだけは諦めないでくださいね」
ホッとした様子のネムが軽口を叩く。つい、つられて笑ってしまった。
色々文句を言いたい事もあったが、なんだかんだでこの女神は愛嬌があって憎めない。顔立ちも抜群に可愛いしな。気合も入るってもんだ。
それじゃ一丁、世界とやらを救いに行こう。
「他に説明は? 必須事項じゃなければ、そろそろ出発したい」
「細かい事項はありますが、そういう要望でしたら割愛しましょう。では、これよりビースティンにあなたを転生させます。心配しなくても肉体と記憶は生前のまま。言語だってバッチリです」
ブイサインで万全サポートをアピールした女神は途中で我に返ったのか、サッと手を引っ込めて頬を赤らめた。女神らしくないかなと思い直したんだろう。
誤魔化すように多少早口で何事かを呟くと、俺の足元に魔法陣が展開された。大きな円で囲われた六芒星の紋様だ。
円の外周部、その一点に青い光が灯る。不思議に思って眺めていると、時計回りにゆっくりと青い光が伸びていく。
合点がいった。たぶん進捗状況を表しているんだろう。ダウンロード完了まであと何分、みたいなあの表示だ。
「転生の魔法陣を起動しました。あと数分で術式が完了します。それまで円から出ないでくださいね」
「了解、りょーかい」
相槌を打ってしばし待つ。魔法陣の進捗状況はまだ半分にも届かない。意外と遅いのな、これ。
二人揃って進捗を見守っていると、沈黙が訪れた。
手持ち無沙汰になった俺は、言おうか言うまいか少し迷って、結局ネムに話しかけた。
「あー、その、なんだ。色々とありがとな」
「どうしたんですか、急に」
ネムが緑の瞳をパチクリさせて驚きを表現する。演技じゃなくてガチだ。
失礼な反応に構わず「お前にとっては、ただの仕事だったんだろうけど」と前置きして、俺は言葉を継いだ。
「夢も希望もなく死を迎えた俺にとって、こんなにも胸が躍る出来事なんて、いつ以来か分からないくらい久しぶりだった。だから、こんな素晴らしい機会を与えてくれてありがとな」
俺に出来る精一杯の笑顔で感謝を示した。
ネムは俺の言葉を染み込ませるように胸に手を置いて、それから花が綻ぶような笑顔を浮かべた。彼女が俺の名前を呼ぶ。
「あなたなら異世界に行っても、きっと上手くやっていけますよ! 女神様のお墨付きです!」
そうしてまたニッコリ微笑む。そんなにコロコロ笑い掛けるなよ。
……未練になってしまうだろうが。
断ち切るように視線を逸らして魔法陣を眺める。もう完了間近だ。特に意味も無く肩に槍を担ぎ直して、ネムに別れを告げる。
「それじゃあな! あとは大船に乗ったつもりで任せろ! 槍の才能を開花させた俺の手で、魔王軍なんかバッタバッタと薙ぎ払ってやるぜ!」
青い光が視界に満ちて、眩しさに目を瞑る――寸前。視界の端に表示されたステータス画面に気が付いた。
妙に気になって目を凝らした俺は、ある一文を見つけ、そして。
「ちえいっ!!」
掛け声を発して魔法陣から大ジャンプで飛び退いた。キノコ食って大きくなる配管工ばりに跳んだ。
後先考えずに跳躍したので受け身を取ることすら出来ず、床に叩きつけられる。
すぐに身を起こして魔法陣のあった場所を睨むと、件の魔法陣は既に消滅しており、光も綺麗サッパリ消え失せていた。後には肩で息をする俺と、呆然とするネムだけが残された。
「な、何をしてるんですか?」
ネムが心底理解できないという顔をする。まさか良い感じの別れのシーンをかました後にこんな展開が待っているとは予想だにしていなかったんだろう。
気持ちは分かる。逆の立場だったら俺だって同じ表情になる。
ただな、ちょっと言いたい事がある。
「あのさ、ご大層な槍を渡してくれたみたいだけど」
まだ表示されたままの画面をコンコンと叩きながら、女神に告げる。
「俺、槍の才能ないらしいぞ」
「…………ほえ?」
ステータス画面には俺の名前と『槍の才能:絶無。他の得物ならともかく、槍だけは止めましょう』と書かれていた。




