1 いってらっしゃい、未来の英雄
現世で不遇な死を迎えた魂は、天に召される前に女神と邂逅を果たす事がある。
死者は女神と対話し一つの提案を持ちかけられる。その内容は「記憶を保持したまま、特殊能力やアイテムを取得して別の世界に生まれ直さないか」という物だ。
そして、提案に同意すると死者――生まれ直すのだから転生者か――の新たな人生が幕を開ける。
この一連の流れを『異世界転生』と呼ぶ。
* * *
ふと気が付くと、岸峰豪司は神殿の中に立っていた。
目の前には美少女が居て呆然とする豪司を見上げている。金色の髪が緩やかに腰まで流れ、瞳は鮮やかなエメラルドグリーン。雑誌のモデルも霞むような整った顔立ち。将来は絶世の美人になるに違いない。
昔のギリシャ人が着ていた服(確かキトンだったはず)を身に纏い、頭には月桂冠を被っている。
まるで神話に出てくる女神様みたいだとか思っていると、おもむろに少女が口を開いた。
「私は転生を司る女神。どうぞ『ネム』と呼んでください」
本当に女神だった。突然の出来事に面食らって「はあ、どうも」なんて間の抜けた返事をしてしまう。
なぜだろう。妙に頭がぼんやりする。靄が掛かったみたいだ。可憐な美少女の言葉もどこか遠くに聞こえる始末。
そんな状態の豪司だったが、ネムと名乗る女神が放った次の一言で現実に引き戻された。
「突然ですが、岸峰豪司さん。あなたは死にました」
放課後。星明かりの見えない夜空。煌々と輝く街の灯り。横断歩道。迫り来る巨大なトラック。眩い光。衝撃。暗転。
ネムの言葉が引き金となり次々に記憶が蘇る。疑おうにも思い出した衝撃はあまりにも生々しい。
認めがたい事実に打ちのめされ、豪司は膝から崩れ落ちた。
「……死んだ? 死んだのか、僕は」
「はい、トラックに撥ねられて即死でした。葬儀も既に終わっています」
悲しげな表情で「お悔やみ申し上げます」とばかりに頭を下げるネム。
彼女が頭を上げるのと同時に、床から一枚の鏡が音も無くせり上がってきた。
鏡面に映っていたのは豪司の実家。両親と弟妹達が朝食を取っていて、表情は暗いながらも何やら会話をしているらしい。残念ながら鏡は声までは届けてくれなかった。
「ご家族の皆さんも、最近ようやく豪司さんを失った悲しみから立ち直り始めた所です」
まだぎこちなさの残る家族の団欒を見つめながらネムが言い添える。
家族が悲しみから立ち直ってくれたのは不幸中の幸いだと思う。悲嘆に暮れて人生を磨り減らすのは忍びない。
しかし、だからと言って早々に割り切れる物でもないわけで。
豪司の口から小さな呟きが零れ落ちた。
「……もっと生きたかったなぁ」
現世に未練を持つ者であれば誰しもが抱く想い。それでいて、常ならば一顧だにされない願い。天の扉は慈悲深く、しかし無慈悲に魂を迎え入れる。救い上げる者など存在しない。
「あなたが望むなら出来ますよ。地球ではない、何処か別の世界に限られますが」
目の前の少女を除いて。
「ほ、本当に!?」
「はい、本当です。赤ちゃんからやり直す必要もありません。姿は現在のまま、記憶だってそのままですよ」
勢いよく顔を上げた豪司にネムが微笑みかける。その表情は慈愛に満ち、後光すら差して見えた。
「もしかして、もうお忘れですか? 私が何を司る女神なのか」
「あっ、そうか!」
「「転生の女神!」」
二つの声が重なり、静かな神殿に響き渡った。
「それでは、今から豪司さんの才能を見極めさせてもらいます。どうぞ楽になさってください」
「才能って言うと語学とか音楽とか?」
いつの間にか消えた鏡と入れ替わるようにソファが現れた。
勧めに従って腰掛けながら質問をしてみると、予想外の答えが返ってきた。
「それも勿論ありますが、主に武器を扱う才能、魔法を扱う才能を確認します」
「魔法! じゃあもしかして、これから向かうのはファンタジーの世界?」
「ご明察です。おそらくはそうなるでしょう」
にっこり微笑むネム。豪司は自分の声が弾むのを自覚していた。まさか漫画やゲームでお馴染みの世界に行けるだなんて!
勿論、命の危険も在るはずだ。不安がないといえば嘘になる。だけど、憧れはそれに余裕で勝る。
期待を込めて女神の様子をチラ見する。ソファに座った豪司よりも彼女の方が目線が高く、自然と見上げる格好になった。ネムはどこか焦点の合っていない瞳で豪司を見つめていた。
才能の見極めには時間が掛かるのかもしれない。
……自分にはどんな才能があるんだろう。胸を高鳴らせながら豪司は考えた。
希望としては魔法が良い。漫画やアニメを嗜む者として、御多分に洩れず中学時代は妄想ノートをつけていた。
その中でも闇の炎で敵を焼き尽くす呪文(自作)の出来栄えは最高傑作を自負しており、折に触れて眺めては悦に入っていた。が、ある時ふと我に返って現実の炎で燃やし尽くしてしまった。忘れられない思い出だ。色んな意味で。
だけど、もし自分に炎魔法の才能があるなら是非使ってみたい。今でも暗唱できるだろうか。
「はっ? いや、でも、だって! どう見ても無理がありませんか!?」
唐突に素っ頓狂な声が響き渡り、豪司はビクリと体を震わせた。
驚いた拍子に呪文詠唱の文言は遥か彼方にスッ飛んだ。
不満げにネムへ視線を移すと、彼女は何も無い空間に向かって話しかけていた。どうしちゃったんだろう、この女神。ちょっと怖い。
「そ、そこに誰かいるの?」
「いいえっ! 全然まったくちっともです! それより豪司さんの才能を確認したんですが!」
強引に話題を打ち切り早口でまくし立てたネムはそこで一旦言葉を区切り、深呼吸を一つ。
それから、「もうどうにでもなれ」と言わんばかりの大音声で豪司に宣告した。
「あなたには並ぶ者なき剣の才能があります!!」
「何度言われたって無理だよ! 無理無理っ!」
「無理ではありません。私の見立ては確かです」
「そんなこと言われたって……」
ネムの叫びから数分後。豪司はソファの影に隠れて蹲っていた。
彼女は拳を握り締めながら「豪司さんなら大丈夫です、異世界でも充分戦っていけます」と太鼓判を押すが豪司にはどうも信じられない。率直に言って、その「大丈夫」は三文判じゃないかと思う。
自分の体を見下ろしても、メガネ越しに映る姿は腕力の無い貧相な肉体ばかり。
こんなモヤシみたいな高校生が、ファンタジーの世界で切った張ったの大立ち回り? 首尾よく転生を果たしたとしても、街の外で出会った雑魚に縊り殺されるのが関の山だ。
考えただけでゾッとする。死ぬのは一度で充分だ。
「あの、やっぱり僕、このまま……うわっ!?」
死んでおきます、と続けようとした豪司だったが、寄りかかっていたソファが突然消えたせいで支えを失い、背中から床に叩きつけられた。
天井を仰ぎ見た豪司の視界に逆さまになったネムの顔が映る。
「申し訳ありません、豪司さん! ですが、お伝えし忘れていた事がありました! 転生する方には特典をお渡ししているんです!」
「特典? 何それ?」
サッと身を起こして居住まいを正す。サブカル男子高校生にとって『特典』というキーワードが放つ魔力は凄まじい。
とりあえず話を聴いてみようという気になった。
「あなたがこれから向かうのは剣と魔法の世界『ソーディア』! かの世界は現在、魔族の攻勢を受け滅亡の危機に瀕しています! そこに一介の高校生であったあなたを放り出すほど私は鬼ではありません!」
女神です、と小さな胸を張るネム。可愛い。
彼女は芝居がかった仕草で両手を広げ、声高々に宣言する。
「神話級の剣を一つ、あなたに差し上げましょう!」
おおっ、と一瞬乗り気になったが頭の中の冷静な部分が「待った」を掛けた。
武器だけあってもしょうがなくね?
「うーん。でも、ご覧の通り肉体労働には向かない体だし」
「ご安心を! 地球で生まれ育って17年! 豪司さんの身体能力はソーディアの平均的な人間を遥かに超えています!」
「そ、そうなの?」
特に鍛えて無くても超人的な力を発揮できるらしい。これで外堀は埋まった。
それなら別に問題は……あ、まだあった。
向こうの世界の言語は当然、異世界の物だろう。感覚としては外国語を新しく学び始めるのに近いはず。
語学は得意ではない。英語の成績を思い出して暗澹たる気持ちになった。
「あー、やっぱりソーディアの言語」
「オマケで理解できるようにさせていただきます!」
ネムが食い気味に言葉を被せる。退路も断たれた。
「えーっと」
「まだ何か!?」
いつの間にか目の前に詰め寄っていたネムが肩で息をしながら豪司を見据える。やばい。目が据わっている。
出会った当初の正統派な美少女は何処に行ってしまったんだろう。
とはいえ、ここまでお膳立てしてもらったのだ。
早々に死んだりすることもなさそうだし、それなら文句なんて。
「……ないです、はい。それじゃあ武器を見せてもらえるかな?」
「ええ、お任せください!」
花の咲いたような笑顔でネムが請け負う。心なしかホッとした様子だ。
ネムが小声で何事かを呟くと空中に一冊の本が現れた。
革で装丁された古びた本は独りでに開いて、そこからいくつもの栞が飛び出す。グルリと豪司の周りを取り囲んだ。
「これが私の所有する全ての剣です! 栞には数値化された攻撃力や固有の能力が記されています! どうぞ御覧になってください! ささ、ズズイッと!」
「よーし、じゃあ早速!」
いつの間にか豪司のテンションは高まっていた。
女神から貰う剣はゲームだと終盤で手に入る武器。それも最強クラスと相場が決まっている。
もしかしたら本当に英雄になれるかも! 生前にはついぞ訪れなかったモテ期なんかも来ちゃうかも!
現金なもので、死ぬつもりは微塵も無くなっていた。豪司は夢中で武器を選び始めた。
そんな少年の様子をネムは笑顔で見守っている。
しかし、豪司は気づかなかったがその笑顔はどこか引きつっていた。
「とりあえず話を進めてますけど、本当に大丈夫なんですよね? 信じますよ。信じますからね?」
ジト目を向けた先の空間には、相変わらず誰の姿も無いのだった。
十数分後、全ての剣を比較し終えた豪司は一つの栞を手に取った。握り締めた栞は手の中で光を放ち、一振りの剣へと姿を変える。
「これに決めた!」
「闇を祓い光をもたらす聖剣『デイブレイク』! お目が高い! 世界を救う勇者にふさわしい武器です!」
ネムが両手をパンと叩いて褒めちぎる。賛辞に慣れていない豪司は照れくさそうに頬を掻いた。
「いや、単純に攻撃力が一番高くて能力も便利そうだったからね」
その言葉に女神がドヤ顔で頷く。顔にはしっかりと「私が用意した剣ですからね」と書いてあった。
ちなみにデイブレイクは『消滅しても夜明けと共に万全な状態で戻ってくる』という能力を持っている。
物をよく無くす自分と出会うために造られた武器に違いない、と豪司は勝手に運命を感じていた。
「ともあれ武器も貰ったし、これで何とかやっていけそう……かな?」
「それは何よりです。では、ソーディアにお送りしますね」
豪司の足元に青く輝く魔法陣が出現する。
すぐに出発するらしい。何だか随分と慌しい。だけど。
「覚悟はもう決まってる。いつでも良いよ」
「意気軒昂ですね。頼もしいです」
ネムは満足げな微笑を浮かべた後、神妙な顔つきになって豪司の手を取った。
女神の瞳には真摯な想いが篭められていた。
「豪司さん、この先きっと辛い事、苦しい事が在るでしょう。それでも、どうか諦めないでください。かの世界の存亡はあなたの双肩に掛かっています」
彼女は本気でソーディアという世界の行く末を案じていた。
姿は自分より年下に見えるけど、やっぱり神様なんだな。
豪司は感じ入ってネムの手を力強く握り返した。
「成り行き任せでこうなったけど、死んだ気になって頑張るよ。なんせ一回、死んでる身だし」
「まあ!」
渾身の自虐ネタに女神がクスリと笑みを零す。
どちらからともなく手が離れると、魔法陣の輝きが増して青い光が豪司を包み込んだ。
「それじゃいってきます、女神様!」
「ええ、あなたの武運をお祈りしています! いってらっしゃい、未来の英雄!」
言い終わると同時に光が弾けた。少年の姿は既に無い。
これが後に『ソーディアの剣神』と謳われる岸峰豪司の旅立ちのエピソード。
……しかし、この物語の主役は実は彼ではなかったりする。
* * *
豪司さんが去った空間をネムがじっと見つめている。
その表情は、送り出した未来の英雄に揺るぎない信頼を寄せるものだった。
「…………」
静寂。ネムがゆっくりと瞼を閉じ、息を吸い込んだ。
「あああああっ、もう耐えられません!」
訂正。送り出した未来の英雄に揺るぎない信頼を寄せるものでも何でもなかった。全然なかった。むしろ不安と後悔でいっぱいに見える。
女の子座りでしゃがみ込んだネムは頭を抱えて心情を吐露する。
「なんですか、『並ぶ者なき剣の才能』って!? どう見てもヒョロガリのメガネさんじゃないですか!」
涙目になっていた。むしろもう泣いていた。
バッシバシ床を叩いて行き場の無い想いを発散させている。失礼な奴だなー。
「送っちゃったからもう後戻りできないんですよ!? ひーくん、本当に大丈夫なんですよね!?」
ネムは相変わらず虚空に向かって話し掛けている。そろそろ良いか。
「悪い、ネム。俺コッチ。さっきから明後日の方向に話し掛けまくってたぞ、お前」
着ていた外套を脱ぎ捨てながら、小さな女神の後頭部に声をかける。
「ふえっ!?」
途端にネムの耳が真っ赤に染まった。ピョンと勢いよく立ち上がり、ゼンマイ仕掛けの人形よろしくギギギと振り向く。
そんな彼女に小さく手を振って存在をアピールする俺。どうやら女神サマは煽られたと解釈したらしく怒りと羞恥を爆発させた。正しく伝わってくれて嬉しい。
「ひーくんのイジワル! スケコマシ! 極悪人!」
「文句は女神すら欺く『透明ローブ』に言ってほしいなあ」
ネムは拳を握ってポカポカと叩いてくるが全然痛くない。むしろ微笑ましさが加速してしまうぐらいだ。
「も~、余裕ぶっちゃって! 分かってるんですか!? 豪司さんが使い物にならなかったら私達も一蓮托生なんですよ!?」
「大丈夫大丈夫、俺の眼に間違いは無いって。豪司さんはソーディアを救う英雄になるよ。約束する」
多分ね。
「それなら良いんですけど……はぁ、なんだかドッと疲れました。ティータイムにでもしましょうか」
納得したというより諦めたという表情でネムが人差し指をクルリと回すと、テーブルと椅子が現れた。
卓上にはカップ、ソーサー、ティーポット。あとはクッキーやらケーキやらが所狭しと並んでいる。
ひとつ摘まんで口に運ぶとえも言われぬ美味が全身に広がっていく。
「美味い!」
「……主より先に舌鼓を打つなんて眷属失格だと思いませんか?」
「だって毒見役は必要だろ」
「そのクッキー、私が用意したんですけど!?」
プンスカ怒るネムを適当に宥めながら、二人きりのお茶会が始まった。
これは反省会も兼ねている。だからとりあえず、今回の異世界転生で良かった点、悪かった点を挙げて行こう。
この『事業』は二人三脚でやってかなきゃあいけないし、いくつか苦言も呈さねば。
おそらくご主人サマは気に入るまいが幸いにしてティータイム。良薬は口に苦い物だが、茶菓子は口に甘い物。交互に口にしていれば彼女も席を立たないだろう。
少なくとも、紅茶の湯気が冷めるまで。
これは転生の女神『ネム』と、その眷属の物語だ。
俺は『ひーくん』。享年16歳。転生候補生。
本名はもう無い。




