【第五話】災いの過去
クーラーの備え付けられた居間。
秋平の持ってきた昼食のシチューを平らげたのち、そこで讃岐宮彦は黙々と週末の宿題をこなしていた。
その傍らでアイスをむさぼるカグヤは、テレビに映る映像を流し見ていた。
「のう?」
あの妖しい笑みを投げかけてきて以来、やはり自らも必要以上にそれを意識してしまい、今までほぼ沈黙を守っていたカグヤがいきなり口を開いた事に驚く様子もなく、「うん?」と麦茶をすすりながら宮彦。
「テレビ・・・じゃったかの。その下に置いてある黒い機械はなんじゃ?」
カグヤの指さす方向を見ると、そこにあったのは据え置きのテレビゲーム機だ。
国内のみならず、海外でも普及している有名メーカーの物だ。
長いこと使っていないため、上面に埃が降り積もっている。
「テレビゲーム・・・ってやつだよ」
「てれびげーむ・・・とな?」
「ああ、仮想世界で戦ったり、車を運転したり・・・まあ、入れるソフトによっていろいろな遊びができる」
「へぇ・・・面白そうじゃの」
と、キラキラと目を輝かせるカグヤ。
「・・・やってみるか?」
「うんうん」と頷きながら、「そうと決まれば、早う準備せい」とカグヤ。
「はいはい」と返事しながら、「ホントは宿題あるんだけど・・・まあ、いいか」と心の中で宮彦。
すぐにでも出来るようにコードを裏からあらかじめ通した状態でいたため、すぐに準備することが出来た。
「さて・・・まあ、最初だし、レーシングゲームでいいか・・・」
「何じゃそれは?」
「車を運転するゲームって言ったらわかりやすいかな」
「ほう・・・お、映った!」
真っ黒な画面にゲーム会社のロゴが映り、タイトル画面へと切り替わる。
宮彦はとりあえず適当な車を選び、簡単なコースで練習させることにする。
「で・・・どうすればいいのじゃ?」
「ああ、まずコントローラーを握って」
そう言って、宮彦はカグヤにコントローラーを握らせる。
「ほう」
「で、×のボタンで前進」
「おぉぉぉぉぉ・・・」
カグヤがボタンを押すと、ゆっくりと車が動き出す。
「で、□のボタンでブレーキ・・・つまり停止」
「おおぅ!?」
画面の車が、コースの上で急停止する。
「でもって、左のスティックを倒した方向に車が曲がる」
「すてぃっく?棒なぞないぞ?」
「これだこれ」
宮彦が自分の方のコントローラーで示してやると、「これか!」とカグヤ。
しかし時すで遅し、画面上の車は、壁に正面から衝突していた。
「のわぁ!?」
車を曲げようとするたびに、カグヤは体ごとカーブの方向に傾けるが、そんな事で画面の中の車は曲がらない。
「あーあ・・・いいか、ブレーキかけながら曲がる・・・つまり、曲がるところに差し掛かったとこで×を離すして、□を押しながら、曲がるんだ」
「な、何じゃと・・・? うぉ!またぶつかった!」
「あーだからなー・・・」
そうしながら、時間は急速に流れていく。
宿題を忘れるほどに、宮彦もカグヤに「教える」作業に没頭していた。
カグヤがようやくまともに走れるころには、すでに時計の針は八時を回っていた。
「なあ」
「うん? なんじゃ?」
まともに走れるようになったものの、カグヤは未だに体をコーナーの方向に傾ける癖は直っていないらしく、その様子は横から見ていて非常に微笑ましい。
「あんたってさあ・・・向こうでこんなことはしたこと無かったのか?」
「・・・妾はな」
カグヤは、静かに話し始めた。
「妾は、月では遊んだ記憶はほとんどない・・・いつもいつも、父君の跡を継ぐための、勉強のし通しであった」
「父君には妾しか子はおらんかったし、兄弟もおらんかったしの」と付け足す。
宮彦は、少なからず驚いていた。
少し・・・いや、大分ワガママなところのあるカグヤのことだから、てっきり両親に甘やかされてきたものだと思っていたが・・・
「遊んだ記憶どころか、月には一人の友人すらも居ない・・・秋平に一時期預けられていた時にも、一人で遊んだ記憶しかない・・・いや」
と、カグヤは何かを思い出したかのように否定の言葉を紡ぐ。
「一人だけ、いた・・・そう、地球に、一人だけの友が・・・ヤツは、今頃何をしておるかの・・・忘れておろうな、妾のことなど」
左右に体を揺らしながら、カグヤは自らの過去を吐露する。
「あの、約束も・・・」
そう呟いた時、車が大きなカーブに差し掛かり、同時にカグヤの体も大きく傾く。
「お・・・? お、お、お、おぉう!? きゃぁ!」
「の、のわぁ!?」
「どさぁ」という音と共に、二人はソファから転げ落ちる。
「あ痛たたた・・・おい、転げるにしても派手すぎ・・・」
宮彦の抗議は、そこで中断する。
目の前には、カグヤの造形の整った、小さ目の卵型の顔。
黒髪の匂いが鼻孔をくすぐる。
丁度カグヤが宮彦を押し倒したようにも見える。
気まずい静寂・・・と、それを打ち破るように明朗な声が聞こえてくる。
「たっだいまー!」
「あ、ヤバ・・・母さんだ!」
「は、は、早う退けい! このような場面を見られたら・・・」
「馬鹿!アンタが退かなきゃ俺も動けないだろうが!」
「そ、そうじゃったな・・・ってきゃぁ!」
「ちょ、おま・・・あぶろぉ!?」
立ち上がろうとしたカグヤがこぼれた麦茶で足を滑らし、丁度宮彦の胸に飛び込む形となる。
多少位置は変わったが、状況は一切好転してない。
それどころか、密着度は先ほどより高い。
「おおぅ、これはこれで・・・じゃなくて! 早くどかないと母さんが・・・」
「あらあら、えらく賑や・・・」
途中で言葉を中断し、そのまま思考までも中断する宮彦の母。
『・・・あ』
と、宮彦とカグヤ。
その後、彼らが宮彦の母の誤解を解くのに想像を絶する時間をかけたのは、言うまでもない。