遠き記憶
このところ、暖かい日が続いている。春がやってきたのだ。いつも閑散とした公園にも、この時期には多くの人が訪れる。
昔お城があったという高台の公園は、ぐるりと桜の花に囲まれている。公園の中には小さな神社があり、そこが私の住まう場所だった。
何百年もの時を生きてきた私は、この世界の出来事にも、そうそう驚かなくなった。
だが最近、この公園を訪れる一人の女性のことがとても気になっている。
彼女は黒っぽい服に身を包み、重たそうな、リュックという名の袋を背負ってやってくる。リュックをベンチにおくと、一時間ほど私のそばで読書をしてから去っていく。
はじめは、なぜ彼女のことがこうも気になるのか、皆目見当がつかなかった。けれど、彼女の顔を眺めているうちに、忘れていた遠い記憶が呼び覚まされる。
彼女は、あまりにも似ているのだ。私がまだまだ若かった頃、想いを寄せていた人間の姫君に。
あのお姫様は、お城の庭の片隅にある枝垂れ桜の私のことをいたく気に入ってくれて、私にきれいな鞠やら貝合せの道具を並べて見せてくれた。そうして私に話しかけてくれた。
あまりに彼女が私を大切にするので、いつの頃からか、彼女は桜姫様と呼ばれるようになった。
私はそっと木の中から這い出して、人のような形になって、姫のそばで彼女を見守っていた。私の姿など、人には見えないだろうと思っていたのだ。
ところがある日、姫がじっと私を見つめていた。あまりにまっすぐな視線に私がたじろいでいると、彼女は言った。
「お前は誰じゃ?」
私は驚いて、桜姫に返事をすることも出来ず、木の中へと戻ってしまった。
それでも私は姫から離れることはできなくて、気がつけばまたそっと、彼女の傍らに佇んでいた。
桜姫はそんな私に、時折声をかけるようになっていった。思えばあの頃が、私の人生の中で、一番生き生きとした時間だったような気がする。
だが楽しい時間はとても短い。
姫はある日、涙をたたえて私のもとへとやってきた。
「お嫁に行かなくてはならなくなった」
そういった姫の頬に、わたしははじめて触れた。姫の手には一対の蛤が握りしめられていた。
彼女は何も言わなかった。お嫁に行きたくないとも、私と共にいたいとも……。
しばらくの後、私の元を訪れた風が、姫は嫁ぎ先ですぐに病気になってしまい、もうこの世にはいなくなったのですよ、と囁いて通り過ぎていった。
あれは、何年前のことだったのだろうか。遠い昔のことのようにも、つい最近のことのようにも思う。
以来私は、ずっとこの木の中で、ただただ移りゆく時代と人々を、ぼんやりと眺めて生きてきた。最近は、眠っていることが多くなり、もうすぐゆるゆると朽ちていくのだと感じている。
ベンチに座った少女が、膝の上に本をおいて、私を見上げた。
ほうっと溜息をつくと、公園をぐるりと一周する小道へと目を向ける。そして、ビクリと肩を震わせ、真っ赤な顔になった。
小道の向こうからは、上から下まで真っ青な服を着た若い男が走ってくる。
私はここを訪れる人間のことをいちいち覚えてはいないのだが、彼はあの真っ青な服装で毎日毎日走っているので、記憶していた。
彼がこちらに近づいてくるにつれ、ベンチに座った彼女の肩に力が入っていく。
もうずっと、眠るようにしていた私だが、その時ふと、いたずら心が湧いた。こんなことは久しぶりだった。
枝を震わせ、風に合図を送る。
ねえ君、少し助けてはくれないか?
好奇心旺盛な春の風は、いつも無口な私が声をかけたことに驚きながら、すぐに応えてくれた。
私が揺すってちらした花びらをのせ、一筋のつむじ風が、少女に向かって吹いた。
「あ!」
膝の上に乗った本から一枚の栞が飛んで、走ってくる青年のもとへと運ばれていく。
風にのってやってきた栞を、彼は足を止めて拾うと、キョロキョロとあたりを見回した。
慌てて立ち上がった彼女の膝からバサバサと音を立てて本が落ちる。
私がもう一度枝を揺すると、見つめ合った二人を包むように、薄桃色の風が舞った。
〈了〉
TOBE小説工房 お題「桜」
こちらのお話は、この短編集の第三話「蝉しぐれの降る」と、もう一つのお話をたして二で割っったようなものになっております。もう一つのお話はどこにも載せてないものです。
あと、この「遠き記憶」には、なかむむむ様からファンアートをいただきました。ありがとうございました。





