【封】「ことの始まり」
なんちゃってな和風ファンタジーです。
この世界をおつくりになった父神と、その御子であられる清い流れの宮ハツセとの死闘は、ひと月にも及んだ。
二柱の神は、空を覆い尽くすほどの巨龍へと姿を変えた。
空には重たい雲が幾重にも重なり、戦う姿を下界から伺うことはできなかったが、絶え間ない雷鳴がその戦いの激しさを物語っていた。
地上にはその雷鳴をもかき消さんばかりの雨が降り注ぎ、ひと月の間に、人々の住む大地(中の国)は湖の底となった。
◆
ハツセの妻であるヒミコは清流宮を開放し、中の国の住人を受け入れた。清流宮には天の国から母神をはじめとする神々が、天上で繰り広げられる激しい戦いから人々を守ろうとお集まりになった。
「何故、ハツセは世界を滅ぼそうとする破邪神(世界を破壊する神)となり果ててしまったのか」
空に縦横無尽に走る黄緑色の稲妻を白濁した瞳に映し、子どものように小さな体の母神は呟いた。見た目は幼女のようだったが、呟かれた声音は年を経た老女のような嗄れた声だった。
母神は父神とともにたくさんの神々を生み出されたが、父神と交わることによりその胎から産み出された神は、清流の宮ハツセだけだった。
「夫は、戻ってくるでしょうか。正気に返ってくれるでしょうか」
母神からの応えはなかったが、ヒミコとてそれを期待していたわけではない。
祈るように空を見上げると、たれ込める雲の間から、虹色のうろこが光るのが見えたような気がした。
「ハツセ。どうか、どうか……」
ヒミコは日をつかさどる皇女である。本来なら彼女が望めば雲間から太陽光が差し込むはずだった。だが、この世界の最も高位である竜神二柱の生死をかけての戦いを前に、彼女であっても、祈ることしかできない。
「この戦いさえ終われば、すぐにも私の力で湖に沈んだ中の国を乾かすこともできましょうに……」
我を忘れ、荒れ狂うハツセを、父神ですら御することができずにいる。
ひと月前、ハツセはいつものように中の国へと出かけていた。彼は時折人の姿に身を変えては、市井の様子を視察しているのである。そこで何かが起きたとしか思えない。しかし、神である彼を我を忘れるほど怒らせるようなことを、しでかす者がいるだろうか。ヒミコにも母神にも、このような事態に陥った理由がまったくわからないのである。
清流宮に設置されたいくつもの櫓の下には火がたかれ、人々を寒さから守っていた。逃げ込んできた者たちは我先にと火の側に集まり、濡れそぼった衣服を脱ぎ、乾かしていた。
しかし数人、ぶるぶると震えたまま宮の隅で一塊になったまま、櫓へ近づいてこない者たちがある。
彼らは皆虚ろな瞳で、遠くからでもわかるほどにわなわなと震えている。ずぶぬれで、体がすっかり冷え切り、肌からは血色が失せ、唇は真紫に変色している。それなのに、決して火の側へ来ようとはしない。
童女のような姿の母神が彼らの前に立ち、母神の後ろにヒミコが控えた。滝のような雨に打たれているはずなのに、身に着けた絹は肌に張り付くことはなく、はたはたと風にたなびいていた。
「お前たち」
母神が声をかけたが、震える彼らから反応はない。
「そなたたち、こちらに御座しますのは、中の世界をお創りになられた母神様でいらっしゃいますよ」
ヒミコの凛とした声に、ようやく虚ろだった人々の目が焦点を結んだ。
幼女が伝説の母神であると理解するまでには暫しの時間が必要だった。たっぷりとした沈黙ののち、最初の男がはじかれた様にひれ伏した。すると、その場にいた五、六人の男たちが次々に地面へ這いつくばる。
「どうか、どうかお許しくだせえ」
「おらたちはわるいことなんか、しちゃいねえ」
「ちゃんと川へ流したし、罪流しの言霊も唱えました」
「穢れを祓うつもりだったんだ」
「あいつらを贄にしたのは……!」
口々に話し出すと、母神は眉間にしわを寄せ、一つ手を横に振った。
途端に男たちは大人しくなる。
「煩い。一人ずつ話せ。いや、もういい。お前たちがしたことはだいたい見当がついた。で? どんな穢れを晴らしたというのだ? 贄にしたのはなんだ?」
母神は最初にひれ伏した男を軽く指で指した。すると男はかはっと言う音を立てて口を開き、おびえた瞳で母神をうかがった。
「聞かれたことにこたえよ」
母神に一瞥され、男はすぐさま目を伏せた。
「エンが、エンが蛇の子どもを産んだんでごぜえます。それで……」
男が言いよどむ。
「最後まで答えぬか!」
母神が一喝すると、男は見えない何かに踏みつぶされたように地面に這いつくばる格好になった。
「まあよい。ふむ、その蛇の子を贄にして川に流したのか?」
「そうだ……っ、です」
男は泥の中に俯せになったまま、母神に答えた。
「頭をつぶして、川に流した。それから、エンのヤツを……」
「おなごも殺したかよ」
母神の言葉に、ヒミコは息を飲んだ。
何故ハツセがあそこまで我を失ったのか。
愛したおなごを殺されたからではないのか。おなごが宿したわが子が殺されたからではないのか。
ハツセは龍神である。生まれてきた子が蛇のような姿だったのは、彼の子どもだったからであろう。
蛇は神に似て非なる者として、忌み嫌われる事があると聞く。
なんてことを。ヒミコが男たちを罵ろうとしたその時だった。
ひときわ大きく天が揺れた。あたりは真昼のように白く照らされ「あ」と思う間もなかった。
母神の前に白い光の柱が立ち、そこにひれ伏していた男たちは跡形もなく消え去った。
「ハツセ!」
母神の声が聞こえた。つられてヒミコが天振り仰ぐと、一匹の龍がもう一匹の龍に引き裂かれようとしていた。鋭いかぎづめが、龍の胸元あたりを貫いている。
「!」
夫の名を大声で叫ぼうとしたが、ヒミコの叫びは音にならなかった。
空から落下する雨粒が、緋色に染まった。
ヒミコも母神も、濡れていた。
「ハツセ!」
ようやく声に出して、ヒミコは降り注ぐ緋色の雨をその両手に受けた。
「ああ、ハツセ」
胸元に掻き抱こうとすると、指の間から流れ出ていく。
「ああ、ああ、行ってしまわれる」
天から降り注いだ赤い雨の勢いは、次第に衰えて行った。
「仕方あるまい」
母神も、赤く染まっていた。
「破邪神となってしまっては、こうするよりほかはなかったのだ」
数えきれない雨粒が、天から落ちる。
水は、この世界で一番尊い物であり、水をつかさどる龍は始まりの神である。もっとも貴い神である。
「穢れを祓う言霊を唱えたと申したか。いくら穢れを浄化する根の底の国の女神たちとて、龍神を祓うことはできなかったのだろうよ」
頭上では、戦いに勝利した龍が声をあげて鳴いた。悲しい木霊を残して、龍は天高く飛び去っていく。
雲が消え、天から光の梯子が降り始めた。
人々も神々も赤い泥にまみれ、言葉をなくして空を見つめていた。
『五年後、ハツセの子どもは中の国、初瀬川で見つかるであろう』
母神のしわがれた声がした。
ハッと振り返ると、母神は目をつぶったままゆらゆらと揺れている。
「予言!」
誰かが叫ぶと、そこにいた者たちはいっせいに平伏し、耳をそばだてた。
『彼もまたこの世界を破壊することのできる力を持つが、誰も彼を殺すことは出来ぬ。コウキと名付け、ヒミコが育てよ』
そのまま、母神はぱったりと倒れた。近くにいたヒミコが地面に激突する寸前で抱き留める。
「そんな」
ヒミコは母神を膝の上に載せ、片方の手でそっと自分自身の下腹を撫でた。
そこには今父を亡くしたばかりの小さな命が宿っている。
夫が死んだ。子どもと自分を残して。
それだけでもヒミコにとっては受け止めきれないことであるというのに。
雨雲が晴れて、そちらこちらで歓声が上がり始める。
何もかもが終わったかのような安堵のため息が聞こえる。
しかし。
「そんな」
ヒミコは一人、怒ったらよいのか、悲しめばよいのか、安堵すればよいのかすら決めかね、意識を亡くした義母を抱いて、しゃがみこみ続けることしかできなかった。
了
頭の中で大筋は出来上がっているお話しなのですが、書き上げる余裕がないので、断片を書き出してみました。
名前などは、とりあえずで。





