そして青になる
一時間に登りと下りが一本ずつ。
そんな田舎の駅だ。
細いホーム。
空を見上げればぽかんと青い空。密度の濃い青をかき分けるように飛行機雲が伸びていく。だけど、飛行機の音は聞こえない。
上りの到着が十六時五十分。下りの到着は十六時五十八分。
だれもいなくなったホームで、私は下りの電車を待つ。
「悪いよ」
その八分を、彼は遠慮した。
なによ、迷惑?
腕を組んで、胸を突き出して、私はつんと顎を上げてそう言った。
彼は「いや」と小さく言っただけで、私の八分に関しては、それ以降二人の間で問題になることはなかった。
私と彼は、町にたった一つの中学に通っていた同級生だ。クラスだってやっとこさっとこ二クラス。小学校、いや、幼稚園からずっと一緒だった私達は、高校生になったら、それぞれに別々の道へと別れていった。
特に彼は、隣県の高専へと進学したから、この八分を待たなければ、お互いに顔を合わせることもなくて、それを私が寂しいと思い始めるのに、それほど時間はかからなかった。
付き合っていたとか、そういうわけじゃない。もしかして、次のバレンタインデーが巡って来たのなら、彼にチョコを渡していたかもしれないけれど。
高校一年女子の、ちっぽけな、おままごとみたいな感情。
駅のホームに四両編成の上り電車が滑り込んでくる。軋む音。巻き上がる風。
彼はいつも一番前の車両に乗って、一番最後に私の前に現れる。
私は、ぼんやりと前を見つめる。
『よお』
彼が乗っていたのなら、私の視界を通り過ぎる前に、そう言って声を掛けてくる。
下り電車には、学校帰りの学生がたくさん乗っていたけれど、上りはあまり降りてくる人がいない。
それでも数人の乗客が、私の前を通り過ぎていった。
電車の扉がプシュッと音を立てながら閉じる。ホイッスルの音。車輪がレールの上を回りだす音。ガタタンガタタンと次第にスピードを上げながら私の前を通り過ぎていく車両。
降りてきた乗客たちの気配も次第に遠くなっていって、小さなホームはまた静けさに包まれる。
空を見上げたら、飛行機雲だけを残して、飛行機はどこかにいなくなってしまっていた。
なんて青空。
朝持って出た傘が邪魔ったらない。
私は背中を預けていた鉄柵から身を起こし、駅の改札へと向かった。
持っていた傘で、柵を一回軽く叩くと、カーン、という小気味良い音が空へと吸い込まれていった。
カーン。
歩き出した私の背後から、もう一度金属音が聞こえて、私は足を止める。
息も止まるんじゃないかって、思った。
透?
泣きたいような、笑いたいような、そんな気分で後ろをふりかえったの。
でも、そこに透の姿はなくて、立っていたのは親友の奈子だった。
「今の音?」
奈子は手にしていた傘をひょいと持ち上げてみせた。
「そんな、がっかりしたみたいな顔しないで」
奈子が私に近づいてくる。
「いつからいたの?」
「美乃里とおんなじ電車に乗ってたのよ。だから、電車を降りてからずっと見てたわよ」
私は奈子に背を向けた。
改札を抜け、小さな待合室を抜け、閑散とした駅前ロータリーを抜け、私は空を見上げながら歩いていく。
「美乃里! わかってるんでしょう? 透はもういないんだよ?」
奈子の声が背中から聞こえる。
そんなこと、わかってる。
だから私は空を見上げながら歩くの。
透は、お空に帰っていきました。
でも、どんなに空を見上げても、透の姿は見えないの。
空を見上げながら歩いて、駅の近くの公園の中へ。
芝生の上でゴロンと横になった。7月になったばかりの空は、午後五時でもまだ青い。
なんて思っていたら、空に人間の顔がぬっと現れた。
「奈子?」
奈子はドスンと私の隣に腰を下ろす。
「もうっ!」と言った声が、ちょっとだけ尖っていた。
そのまま沈黙が流れる。
「ねえ、奈子」
私の瞳は空を写しているはずだ。青空を写した私の目は、青くならないんだろうか? 瞳から、青に染まってしまえばいいのに。
「人は死んだら、空に帰るっていうじゃん?」
「うん?」
「だから私、ずうっと空を見上げて歩くくせがついちゃいそう。探しちゃうんだよね」
私は腹筋を使ってガバっと起き上がる。
「いや美乃里、さすがに真っ昼間っから空見上げてても、透には会えないと思うけど……」
じゃあ、じゃあ、透はどこに行ったっていうのよ?
数ヶ月前までは、確かに存在していた、透っていう存在は、どこに居るのよ?
私と奈子の目の前には小さな人工池があった。暑い日には小さな子供が水遊びできるような、浅い池。なんとなく見つめたそこには、さっきまで私が見上げていた空が写っていた。
「いた」
私は水面に透を見たような気がしたの。
だって、空を写した水が、青く光ったんだもの。
私は立ち上がると、池の中にダイブしていた。そうしたら、私は透と一つになれるかもしれないじゃない。
水しぶきが上がる。制服のまま飛び込んだ私は、池の中にすわりこんだのだけど、私は私でしかない。
透は私の手のひらから滑り落ち、溢れ、ただキラキラと光る雫になってしまう。
声を聴かせてよ。
もう会えないなら、会えないって言ってよ。
「さよならくらい、ちゃんと言ってよ」
水面を拳で叩く。水しぶきが宙を舞って、私の上に降りかかる。
「美乃里!」
奈子の声が聞こえた。
何度も何度も水面を叩いた。聞こえてる? ねえ、見えてる? 私、ここに居るの!
散々暴れて、ずぶ濡れになって、岸へと上がる。
「ずぶ濡れじゃないの! どうしたのよ、いったい」
奈子は忙しそうに、私の顔や腕をハンカチで拭いたり、スカートを絞ったりしてくれている。
「ねえ、奈子」
「なーにー?」
「人ってきっと、死んだら青くなるのかもね」
「なによそれ? 血が通わなくなるから?」
そういうわけじゃないんだけどな。
「帰ろっか?」
「うん」
奈子が私の手を引いてくれた。
『またね』
透の声が聞こえたような気がする。気がするだけ。私の耳元で、もっとはっきりと、声を聞かせてほしいのに。でも。
またね。
私もいつか青く透明な存在になるんだもの。あの青空とおんなじ色になるんだもの。透と同じ色になるんだもの。
そうしたら、その時。
「きっとまた、会うんだわ」
了





