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また随分と不揃いなものだ

 私の友人に伊藤俊輔という男がいる。私のような短気でお調子者なんかとは違って落ち着いてはいたが少々引っ込み思案な所があった。

 彼とは松下村塾で出会った。松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、吉田松陰先生が私たち弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという一風変わった塾であった。

 私は藩校である明倫館に通った後、少しの期間ここに居座った。松下村塾での時間はとても楽しかった。私は上士の産まれであって、藩校にも行けたが、ここには様々な身分の物が集まっていた。そして俊輔は足軽の身分だった。

 どうやら、足軽と言っても跡取りが無く俊輔は養子に入った農民の出だった。

「聞多!」

「どうした俊輔。」

 彼は藩校に入ってはいなかったので、よく私にいろんな質問をしてきた。政や学問の事で解る範囲の質問は全て応えてやった。

「ここなんだ、この本のこの意味がわからん。」

 身分は違っていたが私と彼はよく話が合った。そして、私は彼の才能に早くから気づいていた。俊輔に身分さえあれば私をも越えて、もっと高みを目指せるのではないかと、そう思っていた。

「おい、聞多。」

「あ?」

「お前は先ほどから私の顔ばかり見て、私の質問には答えないのか。」

「ああ‥‥すまない。」

 ふと、前を見ると吉田先生と桂さんが中庭を挟んだ向こうの廊下で何かを話ながら、歩いているのが見えた。

「吉田先生、今日も本当に綺麗だな。」

 そう言って私は俊輔を見た、‥‥俊輔は誰かに見惚れていた。

「俊輔?」

「‥‥あ、すまん‥‥。」

「なんだ、俊輔。吉田先生に見惚れておったのか?」

「‥‥吉田先生は、確かに綺麗だけどな。」

 そのとき、その言葉の意味が私にはわからなかった。だが、後に嫌でも、わかってしまうのだ。






 俊輔は吉田先生によくなついていた。吉田先生も俊輔を可愛がり、色々な知識を彼に与えていた。私の見る限りだと、吉田先生は俊輔を色々な場所に連れていくのが好きだったようだった。俊輔の初めて見るものへの反応がとても新鮮で、吉田先生は面白かったようだった。私も俊輔に着いて行った事があったが、俊輔をからかう吉田先生はとても楽しそうだった。

 そして、俊輔は吉田先生と共に行動することが多かった桂さんや高杉さんにもなついていた。高杉さんは俊輔を弟分のように扱い、時には付き人の役割を任せていた。高杉さんは若くして藩の重役だった。高杉さんに着いて歩くことで俊輔は多くの体験をし成長して行った。

 桂さんは、あまり藩の政治に関わろうとはしなかったように見えた。顔の造りとは裏腹に桂さんは剣豪と言われた通り、武道派だった。剣を握る姿は余りにも凛々しく眩しかった。そして、桂さんは高杉さんより吉田先生と共にいることが多かった。先生の右腕のように働き、いつも先生の隣には桂さんが居た。

 その時に、私は気付くべきだったのだろうか、彼の気持ちを。私は人間観察は得意な方だった。勿論親友の事もわかっている筈だった。私は、少し勘違いをしていたのだろう。そして予想出来なかった、彼のおぞましい執着心を。


「聞多。」

「なんだ。」

「恋ってなんだ。」

 俊輔にしては現実味の無い質問だったので、私はびっくりした。

「‥‥女か?」

 恋と聞かれて思い浮かんだことを口にした。だが、俊輔は違うと首を横に振った。

「女は、俺に身分や金を求めてくる。」

 俊輔は溜め息を一つ吐いた。だが、頭の堅い聞多にはわからないか。そう言ってくすくすと笑った。

「お前は、」

 と彼の頭を一つ軽く叩いた。

 今、思うと、私はここで気付いていなければならなかった。彼の想いを、そして自分の気持ちを。





 高杉さんが私の元にやって来たのは事が起きる三ヶ月ほど前だった。

「聞多。」

「高杉‥‥さん?」

 この頃から私は京の養嗣定広様の所に小姓としてお仕えしていた。

 ガラリと障子が開けられたかと思うと、のしのしと畳にあがり、俺の目の前に座った。

「わざわざ、京まで?」

「ついでだ、ついで。」

「今日は俊輔は?」

「置いてきた、萩に。」

 俊輔についてはそれ以上語らなかった。高杉さんは懐から煙管を取り出して、火は無いか、と聞いて来た。

「あー、‥‥ここには無いですね。持ってきますか?」

「いや、じゃあいい。」

 そしてまた懐に締まった。

「で、何しに来たんですか?」

「ん?」

「ついで、って言っても貴方が俺の所に来るのは訳があるでしょ。しかもいつも付き人として濃き使っている俊輔も萩に置いて。‥‥しかも、犬猿の中の定広様の屋敷に。」

 高杉さんは、バレたかと笑った。そして、立ち上がり障子、襖を開け誰も居ないことを確認した。

「事は内密だ。吉田先生が藩に老中暗殺計画を自供し、野山獄に送られた。」

「‥‥はい?」

 私は高杉さんが何を言っているのか、理解できなかった。

「吉田先生が‥‥?何を‥‥‥。」

「あの人は素直すぎる。」

 高杉さんは、私に事の詳細を話してくれた。吉田先生は、幕府が孝明天皇の無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒した。討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。だが、久坂さんや高杉さん、桂さんまでもが反対して同調しなかったため、計画は頓挫し、吉田先生は長州藩に自首して老中暗殺計画を自供し、野山獄に送られた。ということだった。そして、高杉さんは吉田先生が考えた老中暗殺計画を事細やかに説明してくれた。それは、余りにも無謀な話だった。

「‥‥‥吉田先生は、何を考えて自供なんか。」

「あの人は、穏やかな癖に変わり者だ。そして、何よりもあの自らを頑固として信じる精神だ。だから、俺たちに否定されて少し拗ねて見たんだよ。」

 子供か、あの人は。と私は思ってしまった。だが、私はあの人のそういう所も尊敬していた。自分の精神を曲げないことは、武士として生きるには必要な事だった。

「俊輔はこの事を知っているんですか?」

 高杉さんは首を横に振った。

「先生は自供したんだ。罪はそんなに重くならないと思う。そして事を大きくはしたくない。‥‥それに、あいつが知ったら泣いてしまうだろ。」

 大泣きして、俺も一緒に先生と罪を詫びると駄々をこねている俊輔が思い起こされて笑いが込み上げて来た。

「‥‥まぁ、とりあえず。聞多、お前には京での情報収集を頼む。日米修好通商条約も結んじまったし異国の情報も欲しい所だ。」

「わかった、何かあったら使いを送る。」

「頼む。‥‥‥さて、一応養嗣のおっさんにも挨拶して行くか。」

 高杉さんはひらひら手を振り、部屋を出ていった。私は苦笑いをして見送った。

 この時は、まさかこんな結末を迎えるなんて、私も勿論高杉さんも誰も思っていなかった。








 事は突然起きた。‥‥そう、突然だったのだ。  幕府の大老井伊直弼や老中間部詮勝らは、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また徳川家茂を将軍継嗣に決定した。これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件、これを後に安政の大獄と呼んだ。

 弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士らで、連座した者は百人以上にのぼった。

 安政の大獄が始まると、吉田先生は江戸の伝馬町牢屋敷に送られた。暗殺計画は実行以前に頓挫したことや吉田先生が素直に罪を自供していたことから、遠島にするのが妥当だと考えていたようだとの情報を得ていたので、私たちは安心しながらも吉田先生救出を計画していた。  しかし、吉田先生が素直に罪を自供したことが仇となってしまった。井伊の命令により死罪となってしまった。私たちは急な事に愕然とした。

 私は急いで長州に戻り、高杉さんたちと合流した。そして私の元に一番にやって来たのは、俊輔であった。

「聞多!」

「俊輔‥‥。」

 私の目の前に仁王立ちした俊輔は、人より大きな目玉に涙を溜めていた。

「何故、皆、私には教えてくれなかったのじゃ!」

「俊輔!」

「お前もじゃ!聞多。」

 俊輔は私を指差して、怒鳴った。

「俊輔!」

「‥‥‥お前も、俺の身分を馬鹿にするのか?」

 その時、目に溜めていた涙が、ぽろぽろと流れ落ちた。

「‥‥‥ちがう。」

「聞多。俺は。」

 ちょこん、と座り込み、俊輔は泣き始めた。おいおいと、他人の目を気にせず、大泣きする俊輔を、私は黙って眺めることしか出来なかった。


 安政六年十月二十七日に吉田先生は斬刑に処された。享年三十歳。あまりにもも若すぎて、あまりにも急な結末であった。





 吉田先生の遺体を引き取りに桂さんと俊輔は江戸へと向かった。遺体を長州へと持ち帰る事は許されず、朝廷から罪名削除のお許しが出るまでしばらくの間、小塚原の罪人墓地に埋葬することになった。

 江戸からの帰り、俊輔は京の私の元へと寄った。

「‥‥‥松陰先生は、着物すら着せられていなかった。桂さんと一緒にいたもので髪を整えて、襦袢を着せて帯を結んだ。‥‥‥死罪とは、酷いものじゃった。」

「‥‥最期まで綺麗だったのだろうな。吉田先生は。」

 私がそう言うと、俊輔はそうだったと頷いた。そして、俊輔は長州に帰ると、立ち上がった。思えば、この頃から私も俊輔も、攘夷をそして幕府を倒す事を現実の事として、考え始めていたのだろう。

「次に会えるのはいつだろうかな。」

「さあな、俺は定広様の所にお世話になっている限り平和に生きる事になるだろうよ。‥‥‥死ぬなよ、俊輔。」

「馬鹿だな、聞多。‥‥お前は心配症だな。」

 私に笑顔を見せて俊輔は去っていった。


 ‥‥その時、私は見逃さなかった。否、見逃せ無かった。‥‥俊輔が振り返り、私に背を向けた瞬間、私に向けた笑顔とは裏腹に不気味に俊輔はにへらと笑っていたのだ。その瞳は狂気に満ちていた。

 私は俊輔が去った後、思わず声が出てしまった。

「‥‥俊輔、お前は‥‥何処に向かっているんだ。」










(さぁ、さぁ、次はどこのどいつだ、どの男だ?貴方が見るのはどの男?その目が、その瞳が、僕を向くまで、殺し続けよう。そうしよう。嗚呼、なんて不揃いなモノ達だ。)


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