10―2.ようこそ危険な病院へ
何が起きたのか分かりませんでした。高いところから落下する感覚があったと思います。
気が付けば、私はキールさんの腕に抱えられていました。床まで一メートルくらいの空中に体が浮いています。
「まったく、根性のない床もあったものだな」
ひとりごとの後、キールさんは天井の穴から伸びている銀色のムチをほどきました。
ゆるやかに地面に着地します。ムチを命綱代わりに落下を防ぎつつ、とっさに私を守ってくれたみたいでした。
「あ……ありがとうございますキールさん。怪我はありませんか?」
「ふふ、レンには劣るが、わたしだって強いからな。安心してくれ。アリシアを守ってみせるぞ」
にこりと笑うキールさん。なんとなく、表情の形がレンさんに似ているように感じました。
そういえば、レンさんとキールさんは過去、二人暮らしで便利屋をしていたと聞いています。
「どうやら三階まで落ちたらしいな。ひとまず五階を目指すとしよう」
「そ、そうですね」
二人はどんな関係だったのでしょうか。単なる相棒だったのか。それとも普通ではない、親密な。
周囲は静かです。敵が来る気配もなし。廃病院には不似合いな平穏がただよいます。
「あの、キールさん」
「む、なんだ?」
こんな時にすみません。すぐ終わらせるので、ほんのちょっとだけ、歩きながら質問を。
「えと……キールさんって、レンさんのこと、好きなんですか?」
「ぶはぁ! ごほぉ!」
「あああすみません! 直球すぎましたよねごめんなさい!」
激しくむせるキールさん。背中をさすって回復をうながします。
「す、すまない蘇生した……しかしアリシアよ、どうしてそんな問いが出てきたのだ?」
「それはその……レンさんから聞いたんです。キールさんは昔、レンさんと暮らしてたんですよね」
「うむ」
「レンさんは、素敵な人です。ふざける時もありますけど、深い思いやりを持っていて……そんな姿を、いつも近くで見ていたら」
キールさんの瞳を見つめます。凛として聡明な、二つの眼差し。
「特別な気持ちになっても、仕方ないと思うんです。キールさんは魅力的です。もしキールさんが本気になったら……私なんて、どうしようも」
レンさんとキールさん。優しくて自立していて、隣同士で並ぶ姿がよく似合っている二人。
だけど、その光景を想像した時ちらつくのは、ラジオノイズのように不安定な気持ち。
私は、嫉妬しているのでしょうか。レンさんのこともキールさんのことも好きなのに。
「アリシアは可愛いな」
ぽん。キールさんの手が、そっと私の頭に乗せられました。
「安心してくれ。実は最近、レンのやつにふられてしまったのだ」
「えっキールさん告白したんですか!?」
「似たようなことをな。レンは今の暮らしを続けたいそうだ。だが、もしもアリシアが、レンをいらないと言うのなら」
キールさんは私の正面に立って、同じ目線の高さになるまでかがんでくれました。
「その時は、わたしがもらっていくぞ。あきらめの悪い奴なのだ、わたしは」
「……キールさん」
おだやかな話し方。すぐに分かりました。キールさんは今も、レンさんのことを胸の中で。
私たちは良きライバルみたいです。キールさんに越されないよう頑張ろうと思いました。
どうにか気持ちに区切りが付いた時、廊下の向こうから小さく歪な音が聞こえました。
「……今、なにか」
「……気配もするな」
車輪のきしみ。混じる足音。それらは段々と近付いて来ます。
薄暗い廊下の先に見えたもの。赤黒い白衣の看護婦たち。焼けただれた皮膚を持つ化物。
壊れた点滴台をひきずり歩く姿からは、私たちに対する明確な敵意を感じました。
「っ……!」
離れた後方にも同一の看護婦たち。逃げ場は閉ざされました。だけど、怖がるよりも出来ることがあります。
転がっていた鉄パイプを拾い、キールさんと背中合わせで立ちます。いつまでも弱いままではいられません。
「少しばかり足止めを頼むぞ。ううむ……どうすればいいのだ」
「が、頑張ります!」
作戦を考えているキールさん。ぐっと鉄パイプを握りしめます。防衛を任されました。
じりじり近付く看護婦。からからと鳴く点滴台。ううう、もしもあんなので殴られたら。
確実に縮まってきた距離。息が苦しいです泣きそうです。でも足手まといになるわけには。
「やっぱり怖いーっ!」
無理でした。看護婦めがけ武器を投げます。鉄パイプは点滴台に殴られ床に刺さりました。
直後、みしみしと何かがきしむ音。ただならぬ揺れが廊下に響きます。まずそうな雰囲気が。
轟音と同時に落ちたのは、看護婦たちの足元の床。一方向の敵全員が落下していきます。びくっとする私たち。
「うわあ! な、なぜ床がなくなったのだ!? アリシアがやったのか?」
「す……すみません」
「むうう、なんと謙虚な。まさかそんな必殺技があったとは」
感心しているキールさん。たまたまですけど倒せたのは事実なので黙っておきます。でもまだ安心はできません。
キールさん側の廊下には看護婦たち。後方には大穴。はさみ打ちは続いたままです。
「よし、ひらめいた」
ふいに、キールさんが私を抱きかかえました。何事かと考えるより早く、
「窓から飛び降りよう」
「ひえええ!?」
私たちは、ガラスを破って屋外に飛び出していました。ここは三階。重力に引かれて体が落下していきます。
しかし、空中で待ち構えていたのは魔術士を思わせる化物。赤い石のはめられた杖を私たちに向けていました。
「むうっ新手か!? ふふん、離れていれば有利だと思うなよっ!」
武器を取り出すキールさん。紫電が瞬間疾ったかと思うと、ムチは魔術士めがけ高速で伸びました。
杖を打つ鋭音。体勢を崩す魔術士。それで充分でした。私たちは地に近付いていきます。
「っ、や、やりましたね! さすがキールさんです鮮やかでした」
「そうだろう。レンはバカにしていたが、わたしが本気を出せばこれくらい簡単に――」
ぐにゃっ。
土の地面に着地したはずが、全身を支配するのは肉に似た生々しい感触。
先回りしていたのは十数人の看護婦たち。私とキールさんは四肢を強く掴まれ、完全に自由を奪われていました。
「なっなにい!? まさかの待ち伏せだとぉ!」
「きゃああ気持ち悪い! 近くで見たくないー!」
抵抗する私たち。引き裂き処刑なんて嫌すぎます。それでも腕一本すら動きません。
上空から魔術士が襲撃してきました。杖が私たちに向けられます。本格的に終わったと感じた矢先、
「アリシアよ、少しびりっとするかもしれないぞ」
「え……」
キールさんから届けられた冷静な声。おかげで私も少しだけ落ち着けました。
次の刹那、周囲に発生したのは紫色雷電。看護婦は車に轢かれたように弾き飛びました。
敵のみを排除したキールさんの反撃。看護婦たちは黒煙をあげて地面に横たわっています。
「す……すごい」
残るは一体。刀を構えて降下する魔術士。構えるキールさんの体に電流が走ります。
キールさんのムチはしなやかな曲線を描き、刀を避けて魔術士の首に届きました。ぐるりと巻き付いて捕らえます。
「Au revoir」
骨の音。反対に折れ曲がる魔術士の首。倒れ落ちた魔術士に背を向けるキールさん。
ふと、レンさんの姿が頭をよぎりました。こんな時、レンさんなら何を予測するか。
私の予感は当たりました。まだ生きていた魔術士が起き上がり、キールさんの背後で刀を構えます。
「逃げてくださいっ!」
「っ!」
一刀。キールさんは刃の薙ぎを避けました。魔術士に致命的な電撃が流し込まれます。
今度こそ、魔術士は霧散消滅しました。軽く息をはくキールさん。無事でなによりでした。
「すまぬ、ありがとう。アリシアはしっかり者だな。将来は良いお嫁さんになれるぞっ」
「な、なに言ってるんですか! 恋人だって、できたことないのに」
「大丈夫、わたしも同じだ。……さて、ついに一階まで落ちたわけだが」
「……はい」
落ち着くための雑談を切り上げ、あらためて廃病院を見上げます。
敵だらけの病院内。ドール君の仲間が気になるとはいえ、次戦えばどうなることか。
「……怖いなあ」
「……怖いです」
心が折れそうでした。だけど、このまま帰るわけにもいきません。
「行こうか」
「ですね」
みんなも頑張っています。私たちも院内に戻ることを決めました。
だけど本当は、レンさんがいるだけで解決な気がするのです。さすがに信頼しすぎ、でしょうか。




