嵐
数日前からテレビでは巨大台風の話をしている。十年に一度という規模のものなのだそうだ。僕の頭にあったのは、学校が休みになるかどうかということだけだった。普通の人なら休みになってほしいと願うことだろう。でも僕は違った。学校が休みになったところで嬉しくもなく、むしろその日の自分の居場所を確保する必要が出てくる。家にはいたくないのだ。予め言っておくと虐待されているわけでも家族が嫌いなわけでもない。単に家という閉鎖空間が嫌いだった。学校は家に比べれば断然広い。とはいえ学校も好きにはなれないのではあるけれど。
ところで、今僕がどこにいるのかというと、家だ。明日学校があるかどうかは今夜連絡網が回ってくるらしい。この待つ時間というのはなぜだか緊張する。例えるならば、大事な試合の抽選をしているときの気分だ。少し大げさではあるが。
時間が経ち、いよいよ天候が怪しくなってきた。雨が降り始め、風も強くなってきている。さて、学校の方はどうだったのかというと、休みになった。まあ、致し方ない。自然の力には抗えない。
自分の家は二階建てで、自分の部屋も二階にある。雨風が激しくなり、雨が窓を洗っている。遠くの景色が霞んで、見えにくい。暇だった。学校からの連絡では、自宅学習をせよ、ということだった。だが、そんなの聞く人はそう多くはない。そして、僕もその一人だった。
暇だ。退屈だ。自分の気持ちはこの二つに集約された。家にいるせいだろうか、落ち着かないのだ。ちなみに両親は仕事に行っているので、家にいるのは僕一人である。そこで、部屋を出て、一階の居間に行った。テレビでも見ようかと思ったのだ。
テレビをつけるのではなく、たまたま目についた新聞を手に取った。昨日の朝刊だった。一面には政治の話が書かれていた。どうやら、ある法案が国会で通ったということだった。
しかし僕は興味が持てなかった。新聞を放り投げて、テレビをつけた。新聞とは違って、やはりこの嵐のことばかりやっている。少し西の方の被害が凄いらしい。行方不明者も出ているとか。道路は水浸し、木々は折れ、家々は浸水。なぜか僕は興奮した。
とりあえず部屋に戻ると、先ほどの二つの感情が戻ってきた。家から出たい、と強く思った。外の様子は時間の経過と共に悪化している。しかし、それを見ても、僕は家から出たくなった。
何かに引き寄せられるように、僕は家から出た。雨も凄いが、風が強い。傘を持って行くのは諦めた。僕は嵐に飛び込んだ。
雷が鳴っている。一瞬、命の危険を考えたが、すぐにどうでもよくなった。僕は目的地もなく、走り出した。風向きがめまぐるしく変わり、押されたり、引き留められたりした。でも僕に不快な感情はまったく存在していなかった。何だろう、懐かしい──と思った。
今外に出ているのは僕くらいに違いない、という優越感に浸った。服が雨で重くなり、走り続けるのが苦しくなったので、膝に手をついて止まった。目に入る水を手で遮りながら空を見ると、黒い雲がまだ走っていた。負けた、と微笑んだ。圧倒的な敗北感の前に笑えた。やはり自然の力には敵わない。しかし僕は満足だった。ただ、少し寒かったが。
街路樹が喚いている。僕はそれを見ても微笑むのであった。彼らも僕も対等だ。また、大通りでは車がノロノロと歩いていた。視界が悪くてスピードを出せないのだろう。僕は走って抜かす。また走っては抜かす。爽快だった。
帰ることにした。家にいたときとは違う解放感が僕を満たしていた。毎日こんな嵐が来ればいいのに、と思いかけたが、それではいけない、とも思った。たまに来てくれればいい。毎日来たら飽きてしまう。嵐は非日常であるべきだ。
僕は長いこと外にいたようだ。家に帰り着く前に嵐は弱まっていた。少し残念な気持ちがないと言えば嘘になる。でも、これは学校が休みになって喜んでいる人たちとは明らかに違う。嵐に揉まれるのも心地よいというのを、彼らは知らない。そして僕は知っている。くどいようだが、満足だった。この懐かしさを僕は忘れまい、と心に決めた。
僕は家に着くとすぐ、シャワーを浴びた。
ちょっと前の台風を題材に取って、詞にしたものを小説化した。まとめ自体はうまくいったかと思う。ただ途中の描写があまり思いつかず、薄い内容になってしまったかもしれない。オリジナルが詞なので、少し比喩的な表現が多いが、それに関して不自然さはないような気がする。相変わらず語彙が足りない。本をもっと読まなければいけないと感じた。
批評くださる方お待ちしております。厳しいものでも構いません。自分が書きたいと思っているのを的確に表現できるようになりたいです。表現上のアドバイス、良い点、悪い点、感想、よろしくお願いします。尚、詞も公開しておきます。