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教皇様の千年日記  作者: 深江 碧
三章、教皇様の昔語り
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教皇様の昔語り13

 ティワンから北に海を越えて少し行った海辺の街に、その女性は住んでいた。

 海辺の高台の上に、ひときわ大きな屋敷が建っている。

 海岸の港に停泊した空船から降りる。

それが教国の要人専用の特別な空船と知って、港の関係者は驚いた。

大勢の護衛が立ち並ぶ中、ゆったりと歩いてくる私服のアグラダたちを見て、港の人々はみな目を丸くする。

「今回は、お忍びでの訪問なんだ。このことは内緒にしてくれよ?」

 アグラダは港を取り仕切る責任者に笑顔で応じる。

 理由はいっさい説明せず、彼らの前を素通りする。

「後は頼んだよ」

 アグラダは空船に残った者たちや護衛達に声を掛け去っていく。

唖然とする港関係者をしり目に、アグラダとイヴン、ファティマとムスタファの四人で街へと繰り出した。

アグラダ達は港の側でタクシーを捕まえ、乗り込む。

「カノッサ家の門前まで頼む」

 アグラダが言うと、タクシーの運転手はアグラダ四人をじろじろと胡散臭そうに見る。

 イヴンも聖職者の服装ではなく、普通の服装に着替えていた。

 そのため傍から見ると二人の子どもを連れた若い男二人にしか見えないはずだった。

「失礼ですが、お客さん。カノッサ家に何の御用で?」

 この海辺の街はカノッサ家が古くから治めている。

 カノッサ家はこの地方の古くからの名門で、ラスティエ教国の四名家の一つと呼ばれ、国内で大きな権力を持っている。

 地元からは絶大な支持を受け、現在カノッサ家の当主であるカトリーヌも、枢機卿の地位に就き、影では女帝とも呼ばれていた。

 地元住民である運転手が、見ず知らずの相手に警戒するのももっともだ。

 今から訪ねるのは、ラスティエ教国内で権力も地位も名誉も富もあるカノッサ家の当主カトリーヌなのだ。

 大司祭である生真面目そうなイヴンはともかくとして、人は良さそうだが見るからに胡散臭そうに見えるアグラダではカノッサ家を訪ねる説得力に欠けていた。

「理由か。理由は恥ずかしくてあまり言いたくないんだが。仕方ない。ここだけの話にしてくれよ?」

 助手席に座ったアグラダは運転手に念を押して話し出す。

「実は、以前、事業を起こそうとした時に、カノッサ家にお金を貸してもらったことがあるんだよ。わたしはそのお金で何とか事業に成功することができた。その後、お金が出来たから、こうしてお金を返しに来たんだよ。こちらの三人はわたしの友人と知り合いの子どもでね。今日はこの街の観光がてら連れてきたんだよ。今のわたしがここにいるのも、すべてはカノッサ家のおかげでね。現当主であるカトリーヌ様に一目その時のお礼を言いたくてやって来たんだ」

 アグラダは立て板に水のごとく話す。

 胡散臭そうに見ていた運転手も、呆気に取られた様子でアグラダの話しぶりを見ている。

「何なら、その事業を起こした時の苦労話も聞くかい? あれは忘れもしない、首都セラフでのこと」

 アグラダは運転手の方へ身を乗り出す。

 運転手は首を横に振る。

「い、いや、いい。あんたがカノッサ家に恩義があることはわかった。あんたの苦労話を聞いていたら、日が暮れてしまいそうだよ」

 運転手はタクシーを高台目指して出発させる。

 古い石壁の建物が通り過ぎていく。

「あ、あれ、何?」

 ムスタファがタクシーの窓から石でできた円形状の建物を指さす。

「あれはね、ログゼ帝国時代の建物でね」

 運転手の代わりに、アグラダが解説する。

 アグラダの解説は、地元住民である運転手よりも詳しかった。

「あんた、歴史学者かなんかかい?」

 それには運転手が驚くほどだった。

 それからカノッサ家の門前に着くまでの間、ムスタファは街の歴史ある建物に目を輝かせ、ファティマはこれから面会するカノッサ家当主とのことを考えて緊張しているようだった。

 イヴンはタクシーに乗っている間、ずっと黙りこんでいた。

 タクシーから降りて、車が見えなくなってから、やっと口を開く。

「さっきの話、あなたのことですから、ある程度は本当のことなんでしょう? カノッサ家にお金を借りたことがあるなんて、初耳です」

 アグラダは門の扉を叩く。

「あれはラスティエ教国建国当時のことだ。首都セラフに大規模な教会を建てる時に、どうしてもお金が足りなくてね。当時から貴族で大商人だったカノッサ家に利息なしでお金を借りたんだ。もう七百年以上昔のことだけれどね」

「なるほど、歴史上での出来事でしたか」

 イヴンは軽く受け流す。

 千年近く生きるアグラダは、時々こうして歴史上の出来事を話す。

 それはイヴンが生まれる前のことだったり、後のことだったりするのだが、歴史に興味のある年若いイヴンは、アグラダの昔話を興味深く聞く貴重な存在だった。

 アグラダの突拍子もない話を受け流せるイヴンだからこそ、教皇の側仕えとして見込まれ、こうして長い間仕えていられるのだった。

 真面目で普通の精神を持つ者ならば、まず耐えられないだろう。

 アグラダが門を叩いてからしばらく後、門の向こうに人影が現れる。

「あら、教皇様に、イヴン大司祭様」

 門を開けて顔を覗かせたのは、深窓の令嬢と呼ばれるカノッサ家のカタリナ大司祭だった。

 カタリナは少し前から休暇を取って、里帰りをしている。

 普段の白を基調とした大司祭の法衣ではなく、今は黒いドレスに身を包んでいる。

 元々カタリナが美人なこともあり、普段の大司祭の姿しか知らないイヴンは、いつもと違った黒いドレス姿にどきりとする。

 一方のアグラダは動じた様子もなく、平気な顔で尋ねる。

「君のお母さん、カトリーヌ枢機卿はいるかい? 今日はこの二人のことで相談に来たんだ」

「まあ」

 カタリナは驚いたように形の良い眉を上げる。

 アグラダのそばにいる二人の子どもを見下ろす。

「この二人は戦争のために故郷の国を追われ、両親と離れ離れになってね。この二人の後継人となって、世話をしてくれる大人を探しているんだ。今まではティワン教区のブゾーニ司祭夫婦が世話をしてくれていたんだが、彼らは先日亡くなってしまってね」

 アグラダは青い目を伏せ、二人の肩に手を置く。

「そうだったのですね」

 カタリナはしゃがみ込み、二人と目線を合わせる。

「あなた達、二人とも両親と離れて、お世話をしてくれた人たちと死に別れて、本当に辛い目に合ってきたのね。でも、もう大丈夫よ。ここに来たからには、もう辛い思いはさせないからね」

 ファティマとムスタファの姉弟を元気づけるように語りかける。

 カタリナはバラの花がほころぶような笑みを浮かべる。

 匂い立つような色香に、イヴンだけでなくムスタファまで顔を赤くする。

「母は居間にいると思います。ご案内いたします」

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