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教皇様の千年日記  作者: 深江 碧
一章、教皇様の憂鬱
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教皇様の憂鬱2

 木の仕切りの向こうには、村の若い娘が一人立っていた。

 野菜の様子を見ていたアグラダは、立ち上がり、顔見知りの娘にあいさつする。

「あぁ、おはよう。リエラ」

 リエラの立っている木の仕切りに歩み寄る。

 この田舎の村で野菜が盗まれるとは、とても思わなかったが、一応木の仕切りには鍵がついている。

 それにアグラダの肩書も、教皇と言うことは伏せられ、司祭と言うことになっている。

 アグラダは内側から鍵を開け、木戸を押し開ける。

 リエラの胸には、野菜の盛られた籠が抱えられている。

「これ、母さんが司祭様に、と」

 顔を赤らめ、はにかみながら籠を手渡す。

 今どきでは珍しい純朴な娘だった。

 アグラダは娘の優しさに感じ入る。

「ありがとう、リエラ」

 笑顔でリエラの籠を受け取る。

 まったく最近の若者は、とつい千年前から憤慨していたアグラダも、その娘の純朴さには好意を持っていた。

 ――願わくは、リエラの行く先に幸多からんことを。

 心の中でラスティエへの祈りを捧げる。

 リエラは灰色の目を伏せ、恥ずかしそうにしている。

「いえ、そんなことは」

 アグラダは青い目を細める。

その娘の幸せを心から願った。

 自分の残りの寿命は、おそらくこの娘よりも長いだろう。

 この谷間の村の修道院にいる間に、村の教会でリエラの結婚式を自分が執り行うことになるのだと思うと、不思議な気持ちがした。

 ――村の若者にも、この信心深い娘の爪の垢を飲ませてやりたいくらいだ。

 不意にふつふつと怒りが込み上げてくる。

 村の若い不良どもを思い出す。

 彼らはリエラと同世代でありながら、ろくに畑仕事の手伝いもせず、遊び歩いて暮らしている。

 日曜のミサにも出ず、親たちも彼らには手を焼いているということだった。

 村人の話によると、彼らはいつも遊んでばかりで、人の敷地にごみを捨てるわ、夜中に騒ぐわで、村全体から厄介者として扱われていた。

アグラダも何度か村の教会におもむいて、説教をしてやるのだが、彼らはいっこうに聞く耳を持たなかった。

――一度、きつく灸をすえてやらないといけないな。

アグラダの目が怒りのために青みを増す。

ラスティエの教えにも、女子供や弱い者、老人をいたわり、親に孝行をせよとある。

普段は温厚なアグラダも、彼らの目に余る行いには、いい加減堪忍袋の緒が切れる寸前だった。

「司祭様? どこかお加減が悪いのですか?」

 不穏な空気を感じ取り、リエラが心配そうに尋ねてくる。

 アグラダははたと冷静さを取り戻し、笑顔をつくろって見せる。

「あぁ、大丈夫だ。ちょっとぼんやりしていただけだから」

 間違っても、村の若者を半殺しにしてやろうと思っていたことなど、露とも表面に出さず。

 それから野菜の籠を受け取ったアグラダは、母屋の方を振り返る。

「そういえば、リエラに渡して欲しいものがあった。少しそこで待ってなさい」

 アグラダは籠を持ったままきびすを返す。

 母屋へと走って行き、少したってから戻ってくる。

「この薬草をお母さんに」

 その籠の中には、野菜ではなく薬草の入った布袋が入っている。

 のどの痛み、咳止めとして、アグラダが処方したものだった。

 千年近く生きるアグラダは、暇つぶしとして鍛錬した様々な特技を持っていた。

 薬草作りもその一つだった。

 アグラダはリエラに籠を返す。

「いいんですか?」

 戸惑いながらも、リエラは籠を受け取る。

 アグラダは大きくうなずく。

「いつも野菜をもらってばかりでは悪いからね。これでお母さんののどの痛みも少しは和らぐだろう」

 リエラは深々と頭を下げる。

「ありがとうございます」

 お礼を言うと、リエラは丘を谷間へと下って行った。

 朝靄の漂う谷間の村を目指して駆けていくリエラの後姿を、アグラダはぼんやりと眺めていた。

「何を未練たっぷりに村娘を見送っているんですか。鼻の下がのびてますよ、教皇様?」

 背後から声をかけられる。

 アグラダには振り向かなくても、声の主がわかった。

 教皇である自分の正体を知っても、こんなに無礼な口が利けるのは、彼の知っている中ではただ一人しかいない。

「イヴン、お前か」

 アグラダは渋い顔をする。

 折角の純朴な娘との幸せなひとときに、水を差されたような気分だった。

 アグラダは青年を振り返る。

「私では悪いですか?」

 全身黒ずくめの青年が不満そうに言い返す。

 ラスティエ教国の聖職者は、普通白地に青と金の縁取りの法衣を着るのが一般的だったが、目の前の青年、イヴンは墨染めの法衣をまとっている。

 それは彼がこの若さで表に滅多に出てこない、異端審問官という特殊な職種についていることの表れだった。

 そして最近教皇のそば仕えに任命されたばかりだった。

 アグラダはうんざりしたように言う。

「また首都で何かあったのか?」

 イヴンは、はい、と短くつぶやいた。

 彼は表情一つ変えない。

 アグラダは思いきり嫌な顔をして見せる。

「わたしが、ここに戻ってきて、まだ一ヶ月も経っていないんだけど」

「そうでしたでしょうか」

 イヴンの声音は変わらない。

 涼しげな様子で受け流す。

「正直、首都の枢機卿や、四名家の人達は優秀だから、わたしがいなくてもなんとかなると思うんだ。実質、ラスティエ教国の政治を取り仕切ってるのは、十三枢機卿と大司教、四名家の面々だから」

「ご謙遜なさらなくても結構です」

「わたしが行ったところで、問題は解決しないと思うよ」

「行ってみなければわからないと思います」

「教皇とは名ばかりで、わたしはただの若造だからね」

「千年もの時を生きる教皇様に比べれば、私どもは、みな若造でございましょう」

 アグラダの物言いに、イヴンは慣れた様子で合いの手を入れる。

 アグラダはぐっと言葉に詰まる。

 他の者ならば言いくるめられても、この男は一筋縄ではいかない。

 首都にいる時から、アグラダはどうもこの男が苦手だった。

 ――かくなる上は。

 アグラダは朝靄に煙る谷間の村を見下ろす。

 おもむろに空を指さす。

「あっ! あんなところにラスティエの使いの竜が!」

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