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教皇様の千年日記  作者: 深江 碧
三章、教皇様の昔語り
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教皇様の昔語り8

 アグラダはそこで言葉を切り、目の前の椅子に座るブゾーニ司祭を見る。

「なあ、ブゾーニ。お前はどうしてあの時、武力に訴えようとしたのだ? 首都であのような騒ぎを起こせば、お前もただでは済まないことはわかっていただろう。どうしてあのようなことを」

 ブゾーニ司祭の表情は変わらない。

 変わらず穏やかな表情をしている。

「みな、過ぎ去ったことです。あの事件については今更弁解するつもりもありません」

 アグラダは小さく息を吐き出す。

「そうか」

 アグラダは青い目を再び窓の外に向ける。

 窓の外では抜けるような青空がどこまでも続いている。

 強い風が窓のガラスを揺らしていく。

 アグラダは話し続ける。




 わたしは結局ネリウスの力になってやることはできなかった。

 皇帝であるネリウスが周囲の反対を受け、徐々に道を踏み外していくのを、ただ見守っていることしか出来なかった。

今ならお前の気持ちがわかるような気がする。

いや、わかると言ったら、嘘になるな。

わたしはお前のことを何にもわかっていないのかもしれない。

ただ推測することしかできない。

お前はわたしのためを思って、ラスティエ教国の政治と宗教を分けようとしていた。

政教一致から、政教分離を目指して、多くの若い聖職者たちと共に、国を揺るがす内乱を起こしたのだな。

わたしを教皇の座から解放するために、あんなことを仕出かしたのだな。

しかし、政治は政治家に、宗教は宗教者に、国は国民にゆだねるのがもっともふさわしいと説いたお前の真意がどこにあるのか、あの時のわたしはわからなかった。

様々な情報が錯綜し、お前が隣国の華南と手を結んでラスティエ教国を売り渡そうとしている、と噂する者さえいた。

戦乱の渦中にいたわたしは、お前の真意がわからなかった。

真面目で信心深いお前が、どうして内乱を起こすに至ったのかが理解できなかった。

結局お前の真意もわからぬまま、あの時は四名家の勧めるままに、軍を動かさざるを得なかった。

もしお前の真意がわかっていれば、話し合う手段もあったはずなのにな。

何事も遅すぎたのだ。

かつて友であったログゼ帝国の皇帝ネリウスのように。

またもやわたしは友のために何もできなかったのだ。

ネリウスはラスティエ教徒の大迫害を命じてから、悪夢にうなされるようになった。

聖人劇では、わたしは大迫害からラスティエ教徒を救ったとあるが、実際には私塾の生徒達を助けようとしたにすぎない。

それも失敗して、結局は投獄された。

旧友のよしみで、ネリウスはわたしの命は奪わなかったが、大迫害の後、ティワンが炎に包まれるまで、わたしは一年足らずの間暗い牢屋に閉じ込められていた。

 いよいよラスティエ教徒や異民族の反乱軍がティワンのすぐそばまで迫った時、ネリウスはわたしの牢を開け、自分の執務室へと案内した。

 高台にある宮殿の執務室の窓からは、夜のティワンの様子が良く見えた。

 ティワンの城壁の外にある無数のかがり火の多さも、それが街を取り囲むようにあることも、よくわかった。

最後にわたしに別れの言葉を伝えようとしたのだ。

「結局、余はなにも出来なかった。帝国の再興も、異民族との融和も、夢のまま終わってしまった。母に言われ、父をこの手に掛けた時、気づけば良かったのだ。自分が間違いを犯していることを。お前の私塾に通っている時に、お前と共に気ままな旅に出ることも悪くない、という心からの素直な願いに、もっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのだ」

 わたしはネリウスを哀れに思った。

 たとえラスティエ教徒を大勢殺した大悪人であろうとも、わたしの教え子でかつての友人だ。

 わたしはネリウスを救ってやりたい、と友人として素直に思ったのだ。

 罪を償わせ、やり直しも効くと、ネリウスに教えてやりたかったのだ。

 わたしはネリウスに手を差し出す。

「まだ、遅いと言うことはない。罪を償い、やり直したいという気持ちがあるのなら、わたしと共に行こう。この闇夜に紛れて、街から逃げよう。わたしはログゼ帝国がこの場所に首都を築く前の街を知っている。宮殿の地下の隠し通路がどこに繋がっているか、その複雑な通路の出口までの道のりを、わたしは覚えている。わたしならお前を連れて、外まで脱出できるはずだ」

 ネリウスは一瞬、驚いた顔をする。

「お前には、いつも驚かされてばかりだな」

 ネリウスはわたしの手を握り、長い息を吐き出した。

「余に、何も捨てるものがなければ、そうしただろう。お前と共に逃げただろう。しかし、余はログゼ帝国の皇帝だ。あまりに多くの物を持ち過ぎた。今更それらをすべて捨てることも、責任から逃げることもできない。余に残された道は、もう一つしか残されていないのだ。国民の命を助けるのを最優先とし、命を持ってその責任を全うしよう。余の首を差し出し、反乱軍に許しを請おう」

 ネリウスはそうつぶやいて、ガラスの椀になみなみと注がれた毒入りのワインを一息に飲みほした。

 ガラスの椀は、まるでこの後にログゼ帝国が瓦解するのを表すように、床に落ちて粉々に砕け散った。。

あの時、ネリウスが自殺を図り、首都ティワンが炎に包まれるのを、わたしは見ていることしか出来なかった。

ネリウスの自殺を止めることも、宮殿にいる元老院の兵達にネリウスの亡骸を辱められるのを哀れに思った臣下が、宮殿に火をかけるのも、わたしはすぐそばで見ていたのにも関わらず、何もできなかった。




アグラダの目から一筋の涙が流れる。

「すまないな。年を取ると、涙腺が弱くなってな。昔のことを思い出すと、自然と涙が出てしまうのだ」

 アグラダは顔を赤くして、ごしごしと手の甲で涙をぬぐう。

「ようございますよ、教皇様。泣きたいときは泣けばいいのです。泣きたいときに泣けないわたくしよりも、よほどうらやましい。わたくしは志を同じくした仲間が次々と死んでいったときも、涙一つこぼれなかった。お優しい教皇様が皆を思って泣いてくれるのならば、あの世にいる彼らもきっと浮かばれるでしょう」

 ブゾーニ司祭は穏やかに、寂しげに笑っている。

「そうだな。あの時内乱に参加したお前の仲間は、もうほとんどが生きていないのだったな」


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