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教皇様の千年日記  作者: 深江 碧
三章、教皇様の昔語り
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教皇様の昔語り7

 ネリウスは取り巻きを振り返り、笑う。

「そう言うな。ここはここでこの臭いにさえ慣れてしまえば、いいところだぞ。うむ、まるで宮殿の庭にある牛舎や馬小屋のようだ。水桶や藁があれば完璧だな。さながら、ここにいるアグラダは、牛飼いのような役割だな。貧しきみなをまとめ、より良い方向へ導こうとしている。それはとても興味深いことだ」

 ネリウスは賢いと言えば賢いのだろうが、少し変わった若者だった。

 何事にも動じず、受け入れる、大らかな性格だった。

 世が世なら、善政を敷く名君となれたのだろう。

だが、当時はログゼ帝国時代の末期。

 人々は贅を極め、官僚の間で賄賂は横行し、政治は腐敗しきっていた。

広がり過ぎた帝国の領地のあちこちで反乱が頻発し、異民族が度々領内に侵入していた。

 こういった大国では、一度ほころびが見つかると、倒れるのも早い。

 わたしは長年の直感で、この大帝国の寿命があまり長くないことをひしひしと感じていた。

「今度来るときは、手土産を持ってこよう。そうだな。南方から取り寄せた、珍しい果実があるから、それを持ってくるとしよう。またな、アグラダ」

 ネリウスはそう言って手を振ると、取り巻きを連れて去って行った。

 それから度々、ネリウスはお供を連れず私塾を訪ねた。

 手には珍しい農作物や果実を持って、貧しい者に混じって興味深そうにわたしの話を聞いて、時には意見を交わした。

 ネリウスとの交流は、十年近く続いただろうか。

それはすなわち、帝国の落日がより差し迫った十年だった。

 ある日を境に、ネリウスは私塾に顔を見せなくなった。

 その後、ネリウスが父である皇帝を暗殺し、新皇帝として即位したと聞いた。

 わたしは塾に顔を見せなくなったネリウスが気になって、宮殿に忍び込んだ。

 食えない時は、軽業師として芸を見せ、身を立てていたこともあるくらいだ。

 夜の宮殿へ忍び込むのは簡単なことだった。

 鈴牙国の忍者さながら、兵士の目をかいくぐり、誰にも見つかることなく皇帝の執務室を目指した。

 深夜に近いにも関わらず、皇帝ネリウスはまだ起きていた。

 明かりを灯し、執務を執り行っていた。

 わたしがカーテンの影から顔を覗かせると、驚いたもののとても喜んでくれた。

人払いをして、わたしに椅子をすすめてくれた。

「久しいな、アグラダ。どうだ、元気か? 私塾の者たちとも仲良くやっているか?」

 ネリウスは最後に会った時よりも疲れた様子だった。

 わたしと話している間にも、机に向かい、明かりの下で書類に書きこむ手は休めなかった。

「こちらは今まで通りです。最近は主人の商売もなかなか難しく、近隣がきな臭くなってきたので、主人は家族とともに南方の土地に移り住もうかと言っております。わたしもそれを機に、また旅に戻ろうかと思っております」

「そうか」

 ネリウスは少し落胆したように答える。

 書類の一枚を持って、わたしに差し出す。

「お前の主人が移り住む件に関しては、少しの間思い留まってくれまいか? 今度元老院に提出する議案で、領内に住む異民族に今まで以上の自治を与えようと思っているのだ。部族ごとに代表を選び、中央政治の場で発言をさせようと思っているのだ」

 わたしは書類を受け取り、ざっと目を通す。

「それは革新的な事です。もしその議案が成立されれば、各地で起こっている異民族の反乱も、少しは収束するでしょう。しかし」

 わたしは目を伏せる。

「元老院のお偉方が、それを了承するかどうか。こういっては何ですが、元老院の方々は話し合い的解決よりも、武力的解決を望んでいるのではないでしょうか。かつての繁栄を取り戻し、強大で揺るぎない帝国をお望みなのではないでしょうか」

 ネリウスは賢い若者だ。

 しかし若者ゆえ、まだ経験は足りない。

 政治的経験と人を見る目を養うには、多くの時間が足りなかったのだ。

 この若き皇帝には、元老院の思惑がわからなかった。

 皇帝として人を上手く扱うすべも、多くの仲間も、政治的経験も、これから身に付けていかなくてはならなかったのだ。

 ネリウスは声を立てて笑う。

「お前はいつも考え過ぎではないのか? 元老院も馬鹿ではない。今の帝国の立たされた状況を見れば、きっとこの考えに同意してくれるはずだ。いずれは官吏の引き締めや、貴族階級からの税の取り立てなどを推し進めていくつもりだが。目下の課題として、まずは異民族の反乱を何とかしなければならない」

 その時のネリウスは、若さゆえの自信に満ち溢れていた。

 そう、かつて若かりしお前のように。

 国をよりよくしようという意気込みに溢れていた。

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