教皇様の昔語り6
それは帝国の大迫害が起こる少し前のことだった。
その時、わたしはログゼ帝国の首都ティワンにいた。
わたしはログゼ帝国内の各地を回り、人々に文字を教えて回っていた。
そこを勘違いして欲しくないのだが、わたしは決して最初からラスティエ教を広めていた訳ではない。
確かにラスティエ教の初期の聖典を使って人々に文字を教えていたが、それはあくまで教科書として使っていたに過ぎない。
知識は生きる上で必要なことだと思われたし、文字を知れば、この先生きていく上で役に立つと思ったからだ。
その頃、わたしは長く生きることに退屈していたし、ある意味、絶望もしていた。
気を紛らわすために、何かをしていなくては生きていけなかったのだ。
一か所に長く留まり続けると、人々は姿の変わらないわたしを不審に思う。
そのため、わたしは転々と各地を回り、旅を続けるしかなかったのだ。
ログゼ帝国の首都、ティワンにたどり着いたわたしは、親切な人々の助けもあって、そこで私塾を開き、貧しい者も金持ちの者も、分け隔てなく教えることになった。
それと同時に、東方で学んだ農業や耕作機械の作り方を農民に教え、少しでも農作業が楽にこなせるように手助けした。
他にも色々と生活に役に立つ知識を教えたが、大きく人の生活に役に立ったことと言えば、ラスティエの教えと、農業機械の知識だろうか。
ほら、聖人劇でもよく出てくるあれだ。
あの農業機械は、本当はわたしが開発したわけではないのだが。
東方で改良された機械を、わたしは伝えただけなのだが。
まあ、そこはいいとして。
わたしは長い間にローラシア大陸各地を巡っていたから、様々な人々がわたしの旅の珍しい話を聞きたがったし、私塾に若き皇帝ネリウスもお供を連れてやってきていた。
後に暴君ネリウスと呼ばれる若者とわたしは、今でこそお前は驚くかもしれないが、大迫害が起こる以前からの顔見知りだったのだ。
ネリウスは賢い若者だった。
わたしよりも人の上に立つのにふさわしい人間だった。
そしてとても先進的な考えを持つ若者だった。
今でこそラスティエ教徒たちを迫害し、ティワンの都に火を放ち、自害した暴君と呼ばれるが、それだってちゃんとした理由があったのだ。
元老院との対立や、実母や妻との不和、ラスティエ教徒や異民族の反乱、官吏の腐敗など様々な要因が重なり、後の世に暴君と呼ばれるようになったに過ぎない。
そう、かつてのお前のように。
お前も、あんなことをしなければ、中央からこんな辺境の地へ飛ばされることはなかったのにな。
あんなことがなければ、かつて大司教にまで上り詰めたお前が、四名家に睨まれ、投獄されることも、国中の人々から石を投げられ、罵られることもなかっただろうにな。
とにかく、ネリウスはわたしの友人だった。
初めて私塾を覗きに来たときには、尊大な奴だと思ったが、次期皇帝となる貴族の出なら、それも仕方ないだろう。
「お前がティワンの街で珍しいことを教えていると言うアグラダか?」
ネリウスの後ろには数人の取り巻きがいて、身分の低いわたしを見るからに怪しいといった風情で見ていた。
「わたしがアグラダですが、あなたはどなたですか?」
身分が高いことは、ネリウスの身に付けている黄金の装飾品から想像がついたし、そのふんぞり返った態度は若者特有のものだった。
私塾には身分の貧しい者たちが集まっていた。
皆、辛い仕事の合間にわたしに学問を教えてもらいに来た者たちだった。
年老いた者も若い者もいた。
わたしは年老いた者に親切にするように、とは教えていたが、年齢で人を区別することはしなかった。
その中にいた老人が言った。
「わしはこの方を見たことがあります。このお方は、現皇帝陛下アグリエイトス様の御子息、ネリウス様でございます」
わたしは老人を振り返り、ネリウスに視線を戻す。
「皇帝陛下の御子息ともあろう方が、こんな貧しい者の集う私塾にどのようなご用事でしょうか?」
わたしも若かったのでな。
今よりも少しばかり態度に棘があったのは否めない。
一方のネリウスは、わたしの言葉に気を悪くした様子も見せず、好奇心の目でわたしを見つめていた。
「その肌や髪や瞳の色は、北方の異民族の出だな? そんなお前が東方の農業技術を伝えているなど、面白いことだ」
馬鹿にされたと思ったわたしは眉をひそめる。
「あなたのような高貴な身分の方には、ご理解いただけないかもしれませんがね。ここにいる者たちは、毎日食うのにも困る身分でございます。彼らの腹が少しでも満たせるよう、農作物の収穫が上がるように、文字と一緒にこうして農業のやり方を教えているのです」
ネリウスは興味深そうにうなずく。
「それは感心なことだ。この国の農業を支えているのは、お前達のような貧しい身分の奴隷たちだと知識では知っていたが、そのような者たちが創意工夫をして、収穫高を増やそうとしているなど聞いたことがなかったな。うむ、やはり街に降りて、下々の生活を見て周るのはためになる。宮殿にいるだけでは、そんなことを知りもしないだろうからな」
ネリウスの素直に感心している様子を見て、わたしは驚いた。
そしてネリウスがそんなに悪い人間ではないのではないか、と考えたのだ。
「うむ、非常に面白いことを聞いた。今度、宮殿にいる母上にも教えて差し上げよう。アグラダとやら、またここに立ち寄っても良いかな?」
わたしがはい、と答えようとして口を開いた時、すかさず取り巻きの一人が身を乗り出す。
「ネリウス様、何もこのような汚い私塾に立ち寄る必要はございません。ティワンの街には他にも高名な学者が開いている私塾は数多くあります。こんなどこの馬の骨かわからない男の私塾に通うよりも、ネリウス様の御身分ならば、高名な学者たちの開いた私塾に通った方が、よほどためになります」
すかさず取り巻きの別の一人も言い添える。
「そうですぞ。こんな家畜小屋のような臭いのする低俗な輩の溜まり場など、ネリウス様にとっては何一つ得ることはありません。こんな汚い場所にいつまでもいたら、ネリウス様の品位が問われます」
確かに取り巻きの言った、汚い、臭い、という言葉にはうなずけるものがあった。
わたしはその私塾の建物を持っている親切な主人から、多少の賃金と、衣食住を保障されていたが、わたしが教えている貧しい者たちは主人に与えられたわずかなきれをまとい、毎日の農作業で疲れ、汗と泥で汚れていた。
無論、当時ログゼ帝国市民が一般的に入っていた共同浴場には、彼らは入ることはできなかった。
生活が貧しく、浴場に入る金もなかったのだ。
それと当時は、学問は高貴な者たちの専売特許だったが、わたしは貧しい者にも教えていたと言う点で、かなりの変わり者扱いされていた。
もちろんわたしに私塾を開かせてくれた主人も、かなり変わり者だったが。
取り巻き達は、将来皇帝となるネリウスに余計なことを吹き込まれてはたまらない、と思ったのだろう。
わたしはここに通ってきている貧しい者たちが侮辱されたことに怒りを覚えた。
高貴な身分の者たちは概して、貧しい者たちを見下す傾向があったが、大半が誰のおかげで自分たちの裕福な生活が送れているのか、そんなことを考えてみたこともない者たちばかりだった。
わたしも初めはネリウスのことを、そんな傲慢な輩の一人だと思っていた。




