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教皇様の千年日記  作者: 深江 碧
三章、教皇様の昔語り
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教皇様の昔語り4

「それは普段からのことではありませんか、教皇様。わたくしは若い頃に教皇様のお傍近くにおりましたが、教皇様が真面目に仕事に取り組んでいるところは数えるほどしか見たことがありませんが」

 それを聞いて、アグラダは渋い顔になる。

 口を尖らせる。

「それは周囲が優秀だからだ。わたしが教皇として真面目に取り組まなくても、国が回っていくと言うことだ。良いことじゃないか」

「そうとも受け止められましょうか」

 ブゾーニ司祭は杖を手に、くすくすと笑う。

「それにあまり若い者をからかってはいけませんよ。彼らは彼らなりに真面目に教皇様にお仕えしたいと考えているのですから。教皇様は人の上に立つ者として、若い者の手本となるように振る舞わなければなりません」

 アグラダは額に手を当てて溜息をつく。

「だから、それが無理だと言っているんだ。わたしは誰の上に立つ気もないし、手本となるような生き方もしていない。そもそも教皇がこんな厄介な役職だと知っていれば、始めから引き受けなかったものを」

 もう八百年位前のことだろうか。

 アグラダはその時のことを思い出し、文句を言う。

「そもそも、わたしは建国を手伝っただけで、国を建てたあいつらに面倒な役を押し付けられたと言う気がしてならないんだが。こうなるとわかってれば、あいつらの誰かから国の代表を選んだのに」

 ブゾーニ司祭は穏やかに笑っている。

「おやおや、それは困りましたね。教皇様がいなければ、そもそもわたくしは聖職者を目指さなかっただろうし、わたくしを含め、多くの者の心の拠り所となっていることを、教皇様はご存知ないと?」

 それにはアグラダが青い目を丸くする。

「心の拠り所とは、大げさだなあ。お前が聖職者を目指したのは、生まれた家が貧しく、国の補助の出る、学費の安い神学校しか通えなかったためだろう。そこで神学の奥深さに気付き、聖職者を志したと聞いているが」

 ブゾーニ司祭はゆっくりとうなずく。

「そうでございますよ。よくご存知で。わたくしの生家は両親ともに貧しく、子どもにかける十分な学費もありませんでした。それにわたくしは長男でしたから、両親だけでなく弟や妹たちの面倒も見てやらなくてはなりませんでした」

 アグラダは困ったように頭をかく。

「神学校で教会のよくわからない聖典の教えを勉強し、どうせあの美化された八信徒の像を見て、お前も聖職者にあらぬ夢を抱いたんだろう? 大体の聖職者は、そうやってわたしに面会し、希望を打ち砕かれてひねくれるもんだ」

 アグラダは溜息をついて、肩をすくめる。

「お前と初めて会ったとき、お前は若くして既に司教の位に就いていた。ラスティエ教に感銘を受け、大学から神学の勉強をずっと続けていると、わたしに熱心に話していたじゃないか」

 ブゾーニ司祭は細い目をさらに細くする。

「あの時は、わたくしも若く、あなたがどなたであるのか知りませんでした。しかし後で気づいたのです。幼い頃に街角で出会ったあなたこそ、この国の頂点に君臨するラスティエ教の最高指導者であると。無知なわたくしは、その時、あなたがそうであるとまったく気が付きませんでした」

 ブゾーニ司祭のしわの間に埋もれるようにある細い目は、昔を懐かしむように遠いところを眺めている。

「あなたは覚えてないかもしれません。あなたにとっては、街角にいる貧しい少年に小遣いを与えた、くらいにしか思っていないかもしれませんからね。しかしわたくしは鮮明に覚えています。あの祭りの日、わたくしにあなたがわずかばかりですが、小遣いをくれたことを。心の貧しいわたくしに付き合い、一緒に祭りの屋台を回ってくれたことを。今でも鮮明に思い出せます」

「そう、だったか?」

 アグラダは腕組みをして、首を捻る。

「わたくしはその時、家の仕事で忙しかったのですが、仕事の暇を見つけて街角の隅に立ち、遠くから祭りの行列を見ていました。辺りは夕暮れ時で、茜色の光が通りを赤く染めていました。祭りの行列を見ている人々は誰もが本当に幸せそうで、道に並ぶ屋台からは食べ物の良い香りが漂ってきました」

 アグラダはブゾーニ司祭の話を黙って聞いていた。

 ブゾーニ司祭は昔の出来事を懐かしそうに話している。

「わたくしは暗い路地から、山に沈み行く夕日や、屋台に明かりが灯り、道を楽しげに行きかう人々の様子を眺めていました。お金もなく、心も暗かったわたくしは、とてもその人垣に入っていくことはできませんでした。ただ暗い路地から、そのまぶしいほどに幸せそうな光景を、黙って見ていることしかできませんでした。そんな時、あなたが目の前に現れたのです。あなたは暗い顔で立っていたわたくしに、声をかけてくださいました。そんな暗い顔をしてどうしたんだ? 腹でも減っているのか? と」

 ブゾーニ司祭は目を閉じる。

「その時のことは、六十年以上経った今でも忘れません。純白の法衣に身を包んだあなたを、幼いわたくしは天の使いか何かと勘違いしたのも無理はありません。わたくしはただただ立ち尽くしていました」

 アグラダはブゾーニ司祭の話を聞きながら、その時のことを思い出していた。

 あの時、その街の聖人の祭りを視察しに来たアグラダは、お供の目を盗んで逃げだし、街へと繰り出したのだった。

 とっさのことで法衣を着替える暇もなく、ブゾーニ少年に会って間もなく、お供の者に見つかり、連れ戻される結果となった。

 ――まさかその時会った相手が、ブゾーニ司祭だったとは。

 当のアグラダは、こうしてブゾーニ司祭に教えてもらうまで、軽い気持ちで小遣いをあげたその少年が後のブゾーニ司祭であることなど、さっぱり気付かなかった。

 ――いやはや、天空神ラスティエも、気まぐれなことをなさる。

 アグラダはこの不思議な巡りあわせに、苦笑いを浮かべる。

 千年近く生きているアグラダにも、未だに不思議に思う事柄は数知れなく存在する。

 幼い日のブゾーニ司祭との出会いもその一つだった。

 お祭りで小遣いをあげた少年がたまたまブゾーニ司祭で、それをきっかけとして将来聖職者を目指すことになるなど、その時のアグラダには思いもよらなかった。

 ブゾーニ司祭は椅子に深く座り、背中を曲げ、かすれた声で話し続ける。

「小遣いをくれたあなたは、わたくしの手を引いて、明るい路地へと導いて下さいました。祭りの行列の練り歩く街角や、食べ物の屋台のある方へと連れて行って下さいました。おいしそうな串焼きの屋台を見つけ、そこで二本の串焼きを買い、一本をわたくしに下さいました。あなたは、夕食はまだだろう? こんなお祭りの日だから、少しくらい買い食いをしてもきっと許されるだろう、と言って、わたくしに焼いたばかりの串焼きを下さいました。その時、少年であるわたくしがどれほどうれしかったか、あなたは恐らく知る由もなかったでしょう」

 ブゾーニ司祭の話を聞いていたアグラダは、何やら背中がむずがゆくなった。

 彼の話の中のアグラダは、あまりに美化され過ぎていて、まるで自分のことを話されている実感が沸かなかった。

 アグラダにとっては、街角に立っていた貧しい少年に小遣いをやって、一緒に屋台を回っただけのつもりだったのだが。

 ――これはあれだな。聖人劇での美化されたわたしを見ているのと同じ感覚だな。

 アグラダは黙ったまま、最後までブゾーニ司祭の話を聞いていた。

 ブゾーニ司祭は祭りで屋台を回ったことや、祭りの行列の様子などを細かく話してくれた。

 話し終えたブゾーニ司祭は、背中を丸め、小さく息を吐き出した。

「あれから、もう七十年も経ってしまったのですね。あなたはあの時と変わらずいつまでもお若い姿のままですね。あの時少年だったわたくしは、もうこんなに老いさらばえてしまいました」

 力なく笑う。

 アグラダはわずかにうつむき、目の前に座る年老いたブゾーニ司祭を黙って見つめていた。

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