本質
佐々木が祖父からもらった4枚のカードを手に町役場へと向かっていた。町役場の目前の公園で泣いている子どもの姿が目にとまった。佐々木は一旦は無視して通り過ぎたのだが、考えを改め、その少女のもとに走り寄った。少女の姿が両親を事故で亡くし1人ぼっちで泣いていた頃の自分と重なったのだ。
「こんなところでどうしたんだ?」
拓哉はしゃがんで少女と目線を合わせ、できるだけ優しい声で尋ねた。少女は泣きながらも語り出した。
「お母さんに捨てられたの。さっきまで一緒に居たのに。美緒のね、カードをね、ちょっと見せてって言ってね、美緒が見せたら、そのカードをとって町役場に走って行っちゃったの。」
少女はそのことを鮮明に思い出したのか、再び大声で泣き出した。なんて親だ。子どものカードを奪って自分だけ生き延びようとするなんて。
「それで、君のお母さんは町役場に入って行ったのか?」
「ううん。そこで別の男の人とケンカしてね。カード取られて、そしたらじっと美緒の方見てから町の方に走って行ったの。」
佐々木は何も言えなかった。娘を置いて母親一体どこへ向かったのだろう。いや、もはやこの際母親は関係ない。佐々木はこの少女を助けたいと思っていた。かつての自分のように孤独になってしまったこの少女を。しかし、この少女を助けるためには自分が死ななければならない。どうする、どうする?佐々木は考えた末、少女に尋ねた。
「なあ、君はまだ生きたいか?」
少女は大きな瞳を潤ませながらも、首を縦に振った。
「・・・・生きたい!」
「じゃあ、おいで。」
そう言うと佐々木は少女に手を差し伸べ、町役場のまで連れて行った。そして、担当の職員に話を通し、少女に自分が持っていた5枚のカードを手渡した。
「世の中、辛いことばかりかも知れない。でもな、生きてたらそのうち良いこともきっとあるから。しっかり生きてな。」
そう言うと、佐々木は少女がシェルターの入口に入って行くのを見届け、自分は公園と戻った。
「予想外の展開になりましたね。」
薄暗い会議室の中、50人ほどの人間がいる。その中の1人がモニターの中の佐々木の行動を見て言った。
「ああ、№137で864人目だ。まさかここまで『善』のほうに偏るとはな。」
ここは、アメリカのハーバード大学の人間行動学科の第1会議室である。その中には、世界中の大学の権威ある教授たちが集まってきている。会議のテーマは『人の本質』である。各大学が相当のお金を出し合い、今回の実験が成立した。実験の内容は極限状態に置かれた人間がどのような行動をとるか。世界42カ国の首都にて同時に実験は行われた。対象は無作為に抽出された1000人の人間。それらの人間以外は皆仕掛け人である。佐々木に与えられたテーマは、「祖父母が自分にカードを託してくれたが、それは実は、隣人を殺害して得たものだった。それに気付いたうえで、どのような行動をとるか。」というものである。しかし、佐々木は隣人の異変に気付かなかったため、急きょ「孤独な少女のために自分の命を捨てれられるか」に変更されたのだ。実験前は、圧倒的多数が性悪説を支持していたが、現在、実験終了した864人中830人が性善説に近い結果を残した。34人の被験者は世界が終るという恐怖の前に自殺や、精神崩壊した。
「どうやら、人の本質は善で決まりのようですな。」
そう言った者の意見に会場の皆が同意した。なにしろ、結果が得られたものは皆『善』の行動をしたのである。会場ではすでに談笑が始まっていた。どう、論文にするか、共同研究ということにしようなどといった話がメインだ。しかし、その中でまだ30代程にも見える若い教授が恐る恐るといった感じで発言した。
「しかし、このような多くの人的被害を出す実験を行ったわれわれはどちらかというと『悪』ではないでしょうか。」
会場にいた教授たちは皆ハッとした表情になった。