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一目見た時から

作者: 小雨川蛙
掲載日:2026/06/17

 

 一目見た時からこの女が嫌いだった。

 なにせ、目を引くような美しさを台無しにする全てを諦めていますと言わんばかりの態度。


「子を孕み産む。それだけが役目です」


 貴族社会の常識を随分と真理のように語ってくれるものだ。

 こちらとて好いた女は居たのに家の都合で良く知りもしないこの女と結婚することになったと言うのに。


「あなたは妾を取れば良いでしょう。生まれた子供は私の子供とすればいい」


 あぁ、実に不愉快だ。

 この女は最適解を最短の距離で導き出す。

 仮に普通の出会い方をしたならば決して近づこうとは思わなかっただろう。


「世界は強者のものであり全ては強者に従うように出来ております。しかし、目に映らぬほど些細な弱者のことは強者は気にすることもありません。即ち、私達のような強者でもなく、弱者でもない人間こそが最も割を食うのが世界の摂理なのです」


 あぁ、その通りだとも。

 私たちが強者であったならば好きに生きていけたし、私たちが目に留まらないような弱者であったならば勝手に生きていけた。

 弱小貴族ほど惨めなものはない。

 些末な家柄を必死に守るためにこのように好きでもない相手と婚姻をするのだから。


「子を成しましょう。私達の役目ですから」


 不愉快な女との初夜は実に悲惨なものになった。

 まるで教師から出された宿題を淡々と行うようなもの。

 女は痛みで苦しみ喘ぐし、こちらは自身の行為が受け入れられず目を逸らす。

 終われば互いにねぎらいの言葉もなく背を向けて眠る。


 ――そのくせ。


「侍女から聞きました。この茶葉が好きだと」


 この不愉快な女は私の好きな茶葉を用意していた。

 最悪の中にとってつけたように好きなものが一つ落とされる。

 却って不快な心持だ。

 しかし――。


「ありがとう」


 感謝の意を述べると彼女は薄く笑う。

 昨夜の涙が嘘とするように。

 仮面をつけただけだとすぐに理解出来るほどに。

 ……だが、それが嬉しかった。


「これは?」


 食事を終えた後に出した安物の菓子に彼女は目を丸くする。

 当然だ。

 弱小とは言え貴族の家では到底出せるようなものではない質の悪い菓子だから。


「君の父から聞いた。この菓子が好きだと」

「はぁ。お父様ったら」


 顔を赤くして目を閉じた。

 その人間らしい反応に一瞬、安堵しながら問いかける。


「何故、この菓子が好きなんだ?」

「村の視察に行っていた際に小さな祭りが行われていて、そこで父にねだって買ってもらったんです」

「あまりにも気に入ったからその後もこっそりと侍女に買わせていたのか?」

「そんなことまで知っているんですか?」


 見開いた目が私を睨む。

 まるで親しい者に向けるように強く、そして頬を赤く染めながら。

 悪戯心が沸く。

 こちらも親しい者にするような気持ちになりながら言う。


「今度行ってみよう。二人で」

「何もないところですよ」

「菓子があるだろう?」

「もう」


 タイミングは中々来なかった。

 この日のやり取りが嘘のように言葉を短くしか交えない日もあった。

 嫌いな相手だ。

 それこそ一目見た時から。

 だが、仲が悪くなりたいわけではない。

 それは向こうも同じようで、だからこそ適切な距離間を互いに探っているのだと理解出来た。


「茶葉の他にはどのようなものが好みなのでしょうか?」

「馬駆りだ」

「馬」

「あぁ。馬を駆って風を受けていると窮屈な自分から解放されるようでな」

「それなら私も好きになれそうです」


 小さな歩み寄りが好ましかった。

 故に私は彼女を馬駆りに誘った。


「始めは共に乗ろう」

「はい。しかし、これは何と言いますか。大分に恐ろしいというか……」


 こちらにしがみ付く彼女に一瞬愛おしさを覚える。

 恐々と固まった体。

 私の胸に埋めた顔。

 おまけに目を閉じている。


「これでは景色などほとんど見れないだろう」

「笑わないでください。こっちは必死なんです」


 笑い声を聞いて彼女はしがみ付く指を奇妙に動かし私の皮膚を思い切り抓った。

 解放感はない。

 むしろ、却って窮屈感さえある。

 それでもこの時間は嫌ではない。

 彼女もそうだったようで共に馬を駆るようになるまであまり時間はかからなかった。


「確かに慣れれば随分と心地よいです」

「そうだろう?」


 共に馬に駆る。

 適切な距離を互いに見極めながら。

 時に歩幅を合わせて、時に少し離れ、時にまた近づく――。

 その繰り返しだ。


 互いの口からたどたどしさが消えた頃。

 私達はようやく彼女と共にかつて話していた祭りへ訪れた。


「貴族様の口に合うようなものでは――」

「気にするな。私も妻もこの味が好きなんだから」


 言いつつ菓子の袋を買う。

 店から離れ、少しして妻がいつの間にか袋を開けていた。


「おいおい。行儀が悪いぞ」

「別にいいじゃない? ここはただの村なんだから」


 あなたもそう思うでしょ?

 そう言いたげな視線と美味しそうに頬張り緩む口に負けて私もまた菓子をつまむ。

 口に広がる素朴な味。

 別に好きではない。

 だけど嫌いではない。

 その程度だが、別に一生口にすることになっても嫌ではない。


「あら」


 私より一足先に食べ終えた妻がくすりと笑う。


「どうした?」

「耳を澄ませて? 聞こえない? さっきのお店から」


 そう言われて踵を返して先ほどの店を見ると――。


「貴族様の舌も唸らせる菓子はいかがかい? 今日しか食べられないよ!!」


 思わず二人して笑う。

 商売魂たくましいものだ。


「連れてきてくれてありがと」


 妻が言う。


「大分遅くなってしまったがな」

「でも連れてきてくれたじゃない。約束通り」

「約束というものでもなかったと思うが」

「いいじゃない。細かい事なんて」


 一目見た時から嫌いだった女が愛おしく笑う。

 全てを諦めていますと言わんばかりの態度を見せなくなり随分と経つ。


 ――隠すのが上手くなっただけだろうか?

 それとも現在をただ受け入れているだけだろうか?

 そんなしょうもない事を考えてしまう。


 刹那。

 妻が馬の方に駆けだす。


「ねえ。馬に乗らない? 窮屈でしょう?」


 くだらなく、しょうもないことが霧散する。

 私は頷き、妻の待つ方へ駆けだした。

 速足ではきっとこの気持ちを表現できないから。


 心地良い風が強く吹き、人々の笑い声を彼方へ運んだ。

お読みいただきありがとうございました。

歩み寄り。

理解。

それこそが全てにおいて重要なものだと私は思います。

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