第1話 「落ちていたノート」
だいぶ昔に書いておいていたものです。
この作品は登場人物が全員モブです。必ずモブ顔で想像してください。
昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前の教室は、いつも少しだけざわついている。
友達同士で笑い合う声、机を移動させる音、プリントを探す紙の擦れる音。
そのどれにも混ざらず、高杉 壮真は自分の席に静かに座っていた。
彼は目立たない。
悪目立ちもしないし、特別に優秀というわけでもない。
ただ、誰かに話しかけられれば普通に笑って返すし、困っている人がいれば自然と手を貸す。
そんな“クラスの背景に溶け込むタイプ”の高校一年生だ。
ふと、前の席の足元に何かが落ちているのが目に入った。
「・・・ノート?」
拾い上げて表紙を見る。
淡いクリーム色の表紙に、小さく“Mach i”と書かれている。
(田辺さんの・・・?)
同じくクラスで目立たない存在の女子、田辺 真智。
彼女もまた、誰かと積極的に話すタイプではないが、いつも穏やかな雰囲気をまとっている。
壮真は彼女と特別仲が良いわけではない。
ただ、何となく気になる存在ではあった。
(落としたのかな・・・渡さないと)
そう思ってノートを閉じようとしたとき、ページの端からカラフルなイラストがちらりと見えた。
(・・・料理?)
ほんの出来心だった。
見てはいけない、と頭では思った。
でも、ページの隙間から覗いた色彩が、どうしても気になってしまった。
壮真はそっとページを開いた。
「・・・すごい。」
思わず声が漏れた。
そこには、丁寧な線で描かれた料理のイラストが並んでいた。
ふわふわのオムライス、湯気の立つ味噌汁、照りのあるハンバーグ。
どれも美味しそうで、見ているだけでお腹が鳴りそうだ。
しかも、ただのイラストではない。
横には細かいレシピが書き込まれている。
材料の分量、火加減、調味料を入れるタイミング。
プロのレシピ本のような完成度だ。
(田辺さんって・・・料理、こんなに上手かったんですね)
壮真はページをめくる手を止められなかった。
次のページにはスイーツ。
その次にはパン。
さらにその次には、家庭料理から少し凝った洋食まで、幅広いレシピが並んでいる。
(これ・・・全部自分で描いたのでしょうか?)
驚きと感動で胸がいっぱいになったそのとき。
「・・・あの。」
背後から小さな声がした。
ビクッと肩が跳ねる。
振り返ると、そこには真智が立っていた。
頬がほんのり赤く、視線はノートに向けられている。
「それ・・・私のノート・・・。」
「あっ、ご、ごめんなさい!落ちていたので拾って・・・その・・・。」
言い訳を探すように口ごもる壮真。
真智はノートを胸の前で抱きしめるように受け取った。
「・・・見た、よね?」
「・・・はい。すみません。」
怒られると思った。
気持ち悪いと思われても仕方ない。
そう覚悟した瞬間。
「・・・どう、だった?」
真智は小さく、でも確かにそう尋ねた。
壮真は迷わず答えた。
「とても美味しそうでした。・・・すごいですね、田辺さん。」
その言葉に、真智の目が少しだけ丸くなる。
そして、ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
「・・・ありがとう。」
その一言は、教室のざわめきの中でも不思議とはっきり聞こえた。
その後何事もなく授業を受け・・・放課後。
帰り支度をしていると、真智がそっと近づいてきた。
「高杉くん・・・ちょっと、いい?」
「え、あ、はい。」
教室の隅に移動すると、真智はノートを抱えたまま言った。
「その・・・さっきのノートのことなんだけど。」
「本当にごめんなさい。勝手に見てしまって。」
「ううん。怒ってないよ。」
真智は首を横に振る。
「むしろ・・・嬉しかった。誰かに見てもらうの、初めてだったから。」
「え、そうなんですか?」
「うん。料理、好きなんだけど・・・誰かに食べてもらう機会もなくて。
いつか自分のお店を持つのが夢なんだけど・・・まだ誰にも言ったことなくて。」
その言葉に、壮真の胸が少し熱くなる。
「すごい夢だと思います。応援したくなる。」
「・・・ほんと?」
「ほんとうです。」
真智は少しだけ俯き、そして意を決したように顔を上げた。
「ねぇ、高杉くん。
もし・・・よかったらなんだけど・・・。」
「?」
「私の料理・・・食べてみない?」
壮真の返事は、迷う余地もなかった。
「食べたいです! すごくすごく食べたい!」
その勢いに、真智は思わず笑ってしまう。
「・・・ふふ。じゃあ、今度作ってくるね。」
その真智の笑顔を見た瞬間、壮真の心の中で何かが弾けた。
(・・・これ、もしかして・・・)
モブ同士の、静かな青春。
誰にも気づかれない場所で始まる、小さな物語。
その第一歩が、今、確かに踏み出された。




