第26話 熱力学は嘘をつかない
【担当:キース】
脆弱な頭脳で我が肉体を使いこなせるかな?
開戦だ。
次なる難所は、霧の立ち込める湖畔だった。
そこで一行を待ち受けていたのは、優雅にテーブルにつき、ティータイムを楽しんでいる紳士的な魔族だった。
「ようこそ、筋肉自慢の勇者一行。私は魔将軍メフィスト。粗野なベルグとは違い、知的な遊戯を好む者です」
メフィストは細い指で眼鏡(片眼鏡)の位置を直した。
彼の背後には魔王軍の軍勢はない。ただ、テーブルの上に5つのグラスが置かれているだけだ。
「ここを通る条件は一つ。私との『賭け』に勝つことです」
メフィストが指を鳴らすと、グラスに紫色の液体が満たされた。
「この5つのグラスのうち、4つは即効性の猛毒。正解の1つだけが無害な美酒です。……さあ、貴方の『勇者の強運』で、正解を引き当ててごらんなさい」
典型的なロシアンルーレット。
ガルドが吠えた。
「ふざけるな! そんな運任せの勝負、受けるわけねぇだろ! 叩き斬ってやる!」
「おやおや。野蛮ですねぇ」
メフィストは冷笑した。
「私を殺しても構いませんが、この霧には特殊な結界が張ってありましてね。私が解除しない限り、貴方たちは永遠にこの湖を彷徨うことになりますよ?」
交渉の余地はない。
だが、慎也はテーブルの前に進み出た。
「……受けましょう。ただし、条件があります」
「ほう?」
「僕が勝ったら、結界の解除だけでなく、魔王城までの最短ルートの地図も提供していただきたい」
メフィストは目を丸くし、クスクスと笑った。
(言語が通じる……? しかも、この状況で更なる要求だと? 虚勢を張るのが上手い子供だ)
「いいでしょう。どうせ死ぬのですから、安いものです」
契約成立。
メフィストは、マントを翻してグラスを隠し、目にも止まらぬ速さでシャッフルした。
魔法による超高速移動。動体視力で追うことは不可能だ。
「さあ、選びたまえ。確率は5分の1。神に祈る時間はあげますよ?」
慎也は、並べられた5つのグラスをじっと見つめた。
ガルドとエリスが固唾を飲んで見守る。
どれも同じグラス。同じ量の液体。同じ色。
一見すれば、完全に運任せのギャンブルだ。
――だが、慎也の目(物理アイ)には、答えがはっきりと見えていた。
(……観察終了。答えは出ている)
慎也は迷わず、右から二番目のグラスに手を伸ばした。
「これだ」
「……ほう?」
メフィストの眉がピクリと動いた。
「早かったですね。本当にそれでいいのですか? もし間違っていたら……」
「無駄話はいい。乾杯しましょう」
慎也はグラスを掲げ、一気に飲み干した。
ゴクリ。
喉が鳴る音が、静寂の湖畔に響く。
……数秒後。
慎也は「ぷはっ」と息を吐き、空になったグラスを置いた。
「……少し甘すぎる。ブドウジュースですか?」
「なっ……!?」
メフィストが椅子を蹴倒して立ち上がった。
「馬鹿な! 偶然だ! 5分の1の確率を一発で……!」
「偶然?」
慎也は眼鏡を上げる仕草をして、冷ややかに笑った。
「いいえ、必然です。貴方は『運』と言いましたが、ヒントはそこら中に落ちていましたよ」
「ヒントだと……?」
「『気化熱』と『結露』です」
慎也は、他の4つのグラスを指差した。
「貴方の用意した猛毒、おそらく魔法薬の一種でしょうが……揮発性が高いようですね。グラスの縁からわずかに蒸気が上がっていました」
「そ、そんな微細なものを……!」
「ええ。そして液体が蒸発する際、熱を奪う(気化熱)。結果、毒入りのグラスの表面温度は下がり、周囲の水蒸気が冷やされて、微細な水滴(結露)が付着していました」
慎也は、自分が選んだグラスを指差した。
「これだけは、結露していなかった。つまり、常温で安定した液体――ただのジュースだ」
「…………」
メフィストは絶句した。
シャッフルによる撹乱など無意味だった。
こいつは、グラスが止まったその瞬間の「温度変化」という、魔法使いが見落とす物理現象だけで正解を導き出したのだ。
「それに」
慎也は畳み掛けた。
「貴方はシャッフルする直前、僕にこう言いましたね。『私の用意した至高の毒を味わえ』と」
「それがどうし……」
「神の翻訳を通して聞こえた貴方の言葉には、嘘特有のノイズが混じっていなかった。つまり、貴方は本気で毒を自慢していた。……ならば、毒そのものの性質(揮発性)を隠すはずがない」
物理的な観察と、言語的な心理分析。
二つのロジックが、メフィストの「運ゲー」を完全に攻略していた。
「……熱力学は嘘をつかない。そして、言葉もまた、僕には嘘をつけない」
慎也は手を差し出した。
「さあ、約束通り地図をいただきましょうか。魔将軍メフィスト殿」
メフィストはガクリと膝をついた。
力でもなく、魔力でもなく、純粋な「知性」で敗北した屈辱。
「……化け物め。貴様のような勇者は、聞いたことがない……」
震える手で地図を差し出すメフィスト。
それを受け取る慎也の背中を見て、ガルドはポツリと漏らした。
「……なあエリス様。あいつ、いよいよ俺たちにも理解できない領域に行ってねぇか?」
「……ええ。ですが、頼もしい背中です。……少し怖いですけれど」
運命すら計算でねじ伏せる。
慎也の「インテリ無双」は、魔王軍にとって恐怖の象徴となりつつあった。
【総統通達】
読者諸君。我だ。
あの優男(慎也)め、相変わらず理屈っぽい戦い方をしていたな。我ならば一撃で粉砕していただろうに。
まあよい。今回の話に少しでも心が動いたならば、【ブックマーク】および、下部の【★★★★★】にて、我への忠誠を示せ。
良い評価は、次なる戦い(執筆)への糧となる。期待しているぞ。




