第2話 屈辱の学園生活
【担当:慎也】
僕の日常がこれ以上壊れませんように……。
本編スタートです。
「――はい、そこまで! 筆記用具を置いて!」
鋭い号令と共に、部屋中にチャイムの音が鳴り響いた。
キースラインは、鉛のように重い瞼をこじ開け、周囲を見回した。
(……ここは、さっきの部屋か?)
無機質な白い壁。並べられた机。そして、奇妙な服を着て突っ伏している大量の若者たち。
手元には、薄い紙の束がある。そこには、見たこともない緻密な文字や記号――まるで古代語の魔法陣のようなもの――が、びっしりと書き込まれていた。
(これは……呪文の記述か? あの貧弱な男、これを書き終えてから俺と入れ替わったというのか)
「齋藤ー、回収するぞー。寝起きでボケてないでさっさと渡せ」
教師らしき男が、無遠慮にキースラインの手から紙を奪い取っていく。
「あ……貴様っ」
不敬だぞ、と怒鳴ろうとした瞬間、教師はすでに次の席へと移動していた。
無視された。この俺が。閃光の覇者が。
ワナワナと拳を震わせていると、横から気安い声がかかった。
「よお、慎也。お疲れ」
振り返ると、ニヤついた顔の男が立っていた。茶色く染めた髪、崩した制服。いかにも軽薄そうな同年代の男だ。
男はあろうことか、キースラインの肩に親しげに腕を回してきた。
「お前、最後の数学も余裕って顔して寝てたなー。すげーわ。どうせ満点だろ?」
……不快だ。
勇者である自分に、許可なく触れるなど万死に値する。しかも、この馴れ馴れしい口調。
キースラインの中で、長年培われた「傲慢」が鎌首をもたげた。
「おい、下郎」
キースラインは、肩に置かれた男の手を払いのけ、冷徹な視線で射抜いた。
「気安く触るな。その汚い手を切り落とされたいのか?」
教室の空気が、一瞬で凍りついた。
話しかけてきた友人は、目を丸くして固まっている。
「は……? え、なに、慎也? 怒ってんの?」
「慎也ではない。俺の前から消えろと言って――」
――『コラ』
その時、脳内に直接、あの忌々しい神の声が響いた。
同時に、コメカミに強烈なデコピンを食らったような衝撃が走る。
「ぐあっ!?」
(人間関係、壊さないでねって言ったよね? 今、親友のタカシ君をドン引きさせてるけど、このまま彼を失ったらアウト判定だよ?)
神の言葉に、キースラインは周囲を見渡した。
友人のタカシは引きつった笑いを浮かべ、他のクラスメイトたちも遠巻きにこちらを窺っている。
(……これが、アウトだと?)
(そう。彼に嫌われたら、お前は一生その貧弱ボディで、日本の受験戦争を戦い抜くことになるわよ。一生ね)
「……っ!!」
それは困る。戦場の高揚感も、美女からの称賛もない世界など、地獄に等しい。
キースラインはギリリと奥歯を噛み締め、屈辱に身を震わせながら、目の前のタカシに向き直った。
「……あー、すまない」
棒読みだった。
「寝起きで、機嫌が……悪かったようだ。その、許せ……タカシ、とやら」
「え、あ、ああ。びっくりしたー。お前、寝ぼけてキャラ変わってたぞ? 『下郎』ってなんだよ、時代劇か?」
タカシはバンバンと背中を叩いて笑った。その一撃一撃が、勇者のプライドを削っていく。
「さて、帰ろうぜ。今日こそ駅前のゲーセン寄ってこうず……あ、慎也は塾か?」
タカシの言葉に、キースラインは固まった。
塾? ゲーセン? 謎の単語の羅列もそうだが、最大の問題はそこではない。
(……俺は、どこに帰ればいいのだ?)
住処がわからない。この体の記憶というやつは引き継がれていないらしい。
「お、おい」
キースラインは、背を向けかけたタカシの袖を掴んだ。
「な、なんだよ?」
「俺は……その、頭が痛い。記憶が混濁しているようだ」
「マジかよ、熱あんのか?」
「うむ。だから……俺の家まで案内しろ」
「はあ? お前んち、駅の反対側じゃんか。俺のチャリじゃ二人乗りできねーし」
タカシは呆れた顔をしたが、それでも心配そうに覗き込んできた。
「まあ、駅までは一緒に行ってやるよ。電車乗ればすぐだろ」
電車。その単語も聞き覚えがないが、おそらく移動手段だろう。
キースラインは机の横にかけられた鞄を手に取った。
「ぐっ……!?」
持ち上げた瞬間、体がよろめいた。
重い。あまりにも重い。
中には紙の束が綴じられた「教科書」と呼ばれる物体が大量に入っていた。
(な、なんだこの重量は……! 鉄塊でも入っているのか!? この世界の人間は、こんな負荷を背負って生きているというのか!)
かつて竜殺しの大剣を軽々と振り回していた腕は、いまや鞄一つに悲鳴を上げている。
「おいおい、大丈夫かよ優等生。フラついてんぞ」
「さ、触るな! これしき……!」
キースラインは脂汗を流しながら鞄を背負い、よろよろと歩き出した。
廊下を行き交う生徒たちの喧騒。窓の外に見える、高い建物群。
魔物もいない、剣も魔法もない、退屈で平和な世界。
しかし、この世界で生きていくことが、ドラゴンを倒すよりも困難であることを、元勇者はまだ知らなかった。
【事後分析報告】
読んでくれてありがとうございます。慎也です。
また僕の体が物理法則を無視した動きをしていたようですが……楽しんでいただけたでしょうか?
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