第4話:すれ違いの始まり
夏の終わりが近づく頃、涼の変化は誰の目にも明らかだった。
学校の制服は、男子用から完全に女子用へと切り替わり、肩まで伸びた髪は軽やかに揺れた。
透き通るような白い肌は光を受けて艶めき、歩く姿に目を奪われる男子生徒も少なくなかった。
廊下を通り過ぎるたび、視線が背中を走り抜ける。
けれど、涼の心は、外見の変化とは裏腹に揺らがなかった。
「俺」は、「俺」のままだ。
鏡の中に映る女性的な自分と、頭の中の自分――二つの姿の間で揺れる葛藤。
それでも、一人称は揺らがず「俺」のままだった。
放課後の昇降口。
涼は数少ない女子グループに囲まれていた。
「ねえ、本当に制度の被験者なんだ?」
「うそ、マジでかわいくなったよね。ずるい!」
「男だったのに、今じゃ女子の中でもトップクラスじゃん?」
涼は微笑みながら流した。
「ありがとう。でも、俺はただの涼だよ」
彼女たちの言葉は、表面上は褒め言葉でも、どこか自分が「違う存在」として扱われていることを痛感させる。
「男だったのに」というフレーズが、まるで自分の居場所を否定するように胸に刺さった。
見た目が女性であることは認められても、心が「男」であることは誰にも理解されない孤独。
そんな複雑な感情を抱えながらも、涼は笑顔を絶やさなかった。
だが、唯一変わらずにいてくれた存在があった。
幼馴染の悠真だ。
「お前、最近人気すげーな。男子から告白されたって?」
「うん、でも全部断った」
「なんで?」
「だって……俺は心が男だから」
涼は俯いてつぶやく。
「体が女になっても、男に惚れられるなんて嬉しくもないし、正直怖い」
悠真はしばらく考え、いつもの淡々とした口調で答えた。
「まあな、見た目だけじゃなく中身をちゃんと見てる奴もいるだろうな」
その言葉に、涼はふと立ち止まった。
「それ……誰の代弁?」
「俺の意見だ」
その瞬間、涼の心はざわついた。
何かが、これまでとは違う方向へ動き出しているのを感じた。
そんなある日。
妹の智恵が静かに訊ねてきた。
「お兄ちゃん、最近元気ないよね?」
答えたかった。
「大丈夫だよ」と。
でも、胸の奥に溜まった言葉はこぼれなかった。
変わりゆく体。
変わる周囲の目。
変わっていく自分。
誰にも打ち明けられない心の揺らぎ。
そして、一番大切な悠真にさえ、まだ言えない本当の気持ち。
「大丈夫だよ」
嘘でもそう言うしかなかった。
帰宅後。
風呂あがりの鏡の前。
濡れた髪をタオルで拭いながら、涼はふと長くなった前髪を耳にかけた。
鏡に映るのは、女性の顔だった。
微かな笑みを浮かべてみる。
だが、すぐに自己嫌悪が胸を締め付ける。
「……何やってんだよ、俺……」
この体は、家族を守るための「手段」だった。
けれど、本当の自分ではない。
そう自分に言い聞かせれば聞かせるほど、心と体の距離は広がっていった。
しかし、その心の奥底では、すでにある感情が芽生え始めていた。
まだ言葉にはできない、名も知らぬ感情。
それは、やがて涼の人生を大きく変えるものとなる――。
気づくには、もう少し時間が必要だった。