第3話:変化の始まり
女性化処置の初日。
涼は、国の指定する特別区画にある医療施設へと向かった。
外観は近未来的な無機質さを漂わせ、冷たい白い壁が無限に続く廊下はまるで研究所のようだった。
清潔だが感情のない照明の下、行き交うスタッフや同じく被験者たちの視線が、涼の胸の奥を強く締め付けた。
「ここが、俺の新しい場所なんだ」
覚悟を決めたつもりでも、心臓は早鐘のように鳴り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
処置は、段階的に進行する。
まずはホルモン調整から。
体内の男性ホルモン、テストステロンの分泌を徹底的に抑制し、代わりに女性ホルモン(エストロゲン)が少しずつ投与される。
次の段階では遺伝子レベルでの改変が予定されている。
時間をかけて骨格や筋肉の付き方、肌質、さらには声帯までもが変わっていくのだ。
細胞の成長方向を女性化に誘導し、万が一の免疫拒絶を抑制しながら、体は新たな姿へと進化を遂げていく。
最終段階である万能細胞を用いた内性器の再構築・移植は、最も高度で繊細な技術を要する。
ここまで到達すれば、人工的な妊娠・出産が可能になるという。
すべては、「完全な女性化」を実現するために設計されていた。
病室の鏡の前。
涼はゆっくりと顔を上げ、自分自身の変化を見つめた。
最初の数日はささいな変化しか感じなかったが、日を追うごとに輪郭が少しずつ柔らかくなり、皮膚は滑らかに艶めいていく。
まつげは長く、目元に陰影が差し込み、肩幅は確実に狭まった。
骨盤は徐々に広がり始め、男性特有の筋肉質だった腕や胸筋はしなやかな曲線を描く女性のそれへと変わっていく。
だが――心の奥底は、まだ「俺」のままだった。
戸惑い、恐れ、そしてどこかで未来への希望も交錯する複雑な感情。
そんな中で、母・美佐子の心情は耐え難いものだった。
日々の労働に疲弊しながらも、涼の変化に目を背けることはできなかった。
食卓に並んだ食事を、涼の少し細くなった手が器を持つたびに胸が痛んだ。
「ごめんね……涼……お母さんがもっと強ければ……こんな思いをさせずに済んだのに……」
夜中、誰にも見られぬようにひとり泣くその背中を、涼は知らなかった。
涼の妹・智恵もまた、兄の変化に戸惑いながらも精一杯笑顔を作っていた。
「お兄ちゃん、大丈夫だよ。私、応援してるから」
言葉は少なくても、その瞳には強い決意が宿っていた。
涼は、そんな家族の思いを糧に、日々の苦痛を乗り越えていた。
ある日の病院の休憩スペース。
涼は窓の外を眺めていた。
そこへ、幼馴染の悠真がやってきた。
「よお」
「……悠真」
涼の声はかすれていたが、そこに安堵の色も混じっていた。
「顔、変わったな」
涼は少し苦笑し、答えた。
「……気持ち悪いか?」
悠真は首を横に振る。
「いや。ちゃんと……涼だよ。声や雰囲気は変わっても、目だけは変わらない。そこに、お前の“らしさ”が残ってるって感じたんだ」
涼は驚きと共に目を見開き、しばらく目を伏せた。
「そっか……」
悠真は隣に腰を下ろし、無言で自動販売機のコーヒーを飲む。
その静かな優しさが、涼の胸を温めた。
街を歩けば、すれ違う人々の視線が痛い。
特に男性の視線は、涼の体を舐めるようで、背筋に冷たい震えが走った。
「俺は、もう男じゃないんだ……戻れない……」
そんな恐怖が時折、心を支配する。
だが、その度に思い返す。
「――守るって決めたんだ」
妹の未来を、母の安らぎを、そして何より、自分自身の尊厳を。
新しい自分を誇りに思い、堂々と歩くために。
涼は今日も、一歩を踏み出していた。