第10.5話:君の名前を忘れない(悠真サイド)
その日、悠真は学校帰りの広場で、ふと足を止めた。
何か人だかりができていた。
普段なら、こんなときは気にも留めずに通り過ぎるところだったが――
なぜだろう。今日は少し、気分が沈んでいた。
(涼……なんで、目を逸らすんだよ……)
声をかけても、避けられる。
昔のように、くだらない話で笑い合うこともなくなっていた。
変わったのは、見た目だけじゃなかった。
心の距離まで、遠ざかっている気がして、胸の奥がざわついていた。
ほんの気まぐれだった。
気晴らしのつもりで、その人だかりの中をのぞきこんだ。
――どうやら、雑誌か何かの撮影らしい。
スタッフたちがバタバタと動き回り、照明と反射板がセットされていた。
そのわりに、どこか空気がピリついている。何かトラブルがあったのだろうか。
立ち止まったまま、耳を澄ませてみると――
「え?まだ来ない?撮影時間、もう30分過ぎてるんだけど」
「男優側、完全に音信不通です。電話も出ません」
「ふざけんなよ……今日逃したら、次のスケジュールいつ取れると思ってんだ」
スタッフたちが焦りと苛立ちを露わにする中で、
ただひとり、冷静に彼らを気遣っていたのは――主演の女優だった。
(……あの人、テレビで見たことある)
芸能に詳しくない悠真でも知っている、有名な女優だった。
その気遣いのある佇まいと落ち着いた雰囲気は、スクリーンの中で見るそれ以上に人間味があり、印象的だった。
そんな様子をぼんやり見ていた悠真に、いきなり声が飛んできた。
「あらぁ!そこの貴方!いいわねぇ!」
驚いて声のする方を振り返ると、そこにいたのは――
「あんた、モデルに興味ない?」
オネエ口調の、派手なファッションの人物。どうやら監督らしい。
「え?……は?俺、ですか?」
「ええ、そうよあなた!そのバランス、目線、立ち姿!完璧よ!
あのド畜生の男優なんかより、よっぽど私のイメージに合ってるわ!」
最後の言葉に毒を混ぜながらも、勢いは止まらない。
「貴方、今日の撮影にちょっとだけ協力してもらえない?
お願い、助けると思って!もちろん、報酬は出すわよ」
「……え、俺なんかでいいんですか?」
「いいのよ!っていうか、もう決定!さぁ、こっち来て!」
まるで流されるように、悠真は撮影に参加することになっていた。
最初は緊張でガチガチだったが、監督もスタッフも、みんな優しかった。
服の着こなしや表情の作り方、立ち位置まで細かく教えてくれる。
特に、女優は丁寧だった。
撮影が進む中でも、悠真が萎縮しないように気を配り、何度も笑いかけてくれた。
(……なるほどな。この人が人気なの、分かる気がする)
穏やかで、優しくて――
そして誰よりも、プロフェッショナルだった。
撮影が無事終わったとき、現場に温かな拍手が起きた。
監督が駆け寄ってきて、満面の笑みで言う。
「ありがとう、悠真ちゃん!ホント助かったわ!」
「いえ……俺なんかでよかったんですか」
「十分すぎるくらいよ!正式な契約じゃないから、現金は渡せないけど……代わりにこれ」
そう言って、監督はちょっと高そうな商品券や、詰め合わせの食材、ドリンク券などを手渡してくれた。
「それからね……悠真ちゃん、私アンタのこと気に入っちゃったの。
アイドルとかモデルとか、もし興味あったら、いつでも連絡して。名刺、入れとくから」
冗談混じりの口調に、悠真は思わず苦笑した。
その後、現場は撤収作業に入った。
女優も自ら照明器具のコードを巻いたり、備品の片付けを手伝っている。
本来そんなこと、彼女の立場でやる必要なんてないのに。
(やっぱすげぇ人だな……)
悠真もできる範囲で手伝った。
やがてひと段落つき、全体の空気が緩んだころ――
「いきなりごめんね?……ちょっと、いいかな。悠真くん」
女優がそっと声をかけてきた。
「はい……なんでしょうか?」
彼女は一瞬だけ息を整え、そしてまっすぐに――真剣な瞳で言った。
「……私、あなたに一目惚れしちゃった。
よかったら……私と、付き合ってくれない?」
まるで芝居のような告白。でも、それはまぎれもない“本音”の響きを持っていた。
一瞬、思考が止まった。
現実味がなくて、どう反応していいのか分からなかった。
女性が少ないこの時代において、女性側から告白されるなど滅多に無いことだ。
女優は、少し不安そうに視線を落とす。
「……だめ、かな?」
悠真は深呼吸をして、少し考えてから答えた。
「……ごめんなさい。気持ちは……本当に、嬉しいです。
でも、お受けできません」
正直に、真摯に、言葉を選びながら。
女優はふっと目を伏せ、寂しそうに微笑んだ。
「そっか……振られちゃったか。残念だな」
その笑顔は、未練ではなく――潔さだった。
告白して、振られて、それでも笑える強さがそこにあった。
「ねえ、悠真くん。……好きな人、いるの?」
悠真は、ほんの一瞬だけ間を置いたあとで――まっすぐに頷いた。
「……はい。ずっと、大切に思っている人がいます」
その言葉を聞いて、彼女は微かに眉を下げて、それでもやさしく笑った。
「……うん。君が好きになった子なら、きっととても素敵な子なんだろうね」
「幸せになってね」
そう言って、軽やかに手を振って去っていった。
凛とした後ろ姿が、春の風に揺れて消えていく。
そのとき――
「……ガサッ……」
背後から、わずかに草木の揺れる音がした。
(ん……?)
振り返ると、街路樹の影から、誰かが離れていくのが見えた。
背丈、髪の長さ、歩き方――
「……涼……? いや…まさかな…」
悠真はそれ以上言葉にしなかった。




