第9.5話:名前を呼ぶ声が、胸を撃ち抜いた(悠真サイド)
最近の涼は、どこか様子がおかしかった。
ふと目を逸らす。会話を切り上げる。
「ごめん、今ちょっと」「またあとで」――
そんな言葉を何度も聞いた。
前の涼なら、言いたいことは言うやつだった。
機嫌が悪ければ「なんかムカつく」ってそのまま言ってきたし、照れてるときは耳まで真っ赤にして「うるせぇ」ってそっぽを向いた。
嘘も隠し事も苦手で、そういうまっすぐなところが、悠真は好きだった。
だが、最近は違う。
“避けられてる”――そう感じる瞬間が増えていた。
声をかければ笑顔を返してはくれる。けれどその笑顔は、どこか空っぽで、心ここにあらずだった。
(俺、なんかしたか……?)
何度も考えた。
でも思い当たることがない。むしろ、自分は涼の変化をちゃんと受け止めようと努めてきた。
“女になった”とか、そんな表面的なことよりも、涼という人間がそこにいることが大事だったから。
けれど、たぶん涼自身が、まだその変化を受け止めきれていないんだ。
手術後、初めて登校してきたあの日の顔。
みんなの視線に耐えながら、それでも涼は背筋を伸ばして歩いていた。
強がってる。けど、脆い。
見ていられなかった。
(俺が、守らなきゃ)
その日の放課後、涼を見送ったあと、悠真は家に帰らず、こっそり涼の後を追っていた。
──心配だった。それだけだった。
でも、それだけじゃなかった。
その日、涼はいつもの帰り道ではなく、住宅街の裏手にある旧道を歩いていた。
中学の頃、よく一緒に近道して通った、寂れた商店街の裏手。
人通りが少なく、今では滅多に使われないその道を、涼はなぜか選んだ。
(あいつ、あの道通る時って、決まってひとりで考え込んでる時だ)
胸騒ぎがした。
だから、自然と足がそっちへ向かっていた。
しばらくして、細い路地の向こうから、かすかな声が聞こえた。
「……ゆうま……」
その瞬間、鼓膜が焼けついた。
誰よりも、何よりも大切な声だった。
声の大きさなんて関係ない。
“涼が自分を呼んだ”――それだけで、心臓が撃ち抜かれた。
そして、叫び。
「ゆうまぁぁぁぁぁ!!」
その声が、全身を貫いた。
思考が止まり、身体が勝手に動いていた。
気づけば、走っていた。どこで足を蹴ったかも覚えていない。
路地に飛び込んだ瞬間、視界が真っ赤に染まった。
涼が、見知らぬ男に肩を押さえつけられていた。
その顔が恐怖に歪んでいて、唇が震えていた。
男の腕を掴み、力任せに引き剥がす。
頭の中ではすでに拳を叩き込む衝動が駆け巡っていた。
けれど、涼がそばにいる――それだけで、ぎりぎりで踏みとどまることができた。
「てめぇ……俺の大事なダチに、何してやがる……」
怒鳴りつけた声が、自分のものじゃないように思えた。
それでも、男が怯えて逃げ出していくのを見届けると、ようやく涼のそばに膝をついた。
涼の肩が、小刻みに震えていた。
涙が止まらず、しゃがみ込んで、声も出せないほどに泣いていた。
そっと、抱き寄せる。
「……ごめん、俺……やっぱ怖い……怖かったんだ……」
震える声が、胸に染み込んできた。
自分が間に合わなければ、どうなっていたのか――考えただけで、喉の奥が苦しくなる。
「大丈夫。もう大丈夫だ。俺がいるから」
髪を優しく撫でながら、囁いた。
あのとき、涼が名前を呼んでくれたこと。
それが、何よりの証だった。
彼が、自分を――必要としてくれた。
だから、悠真は誓った。
「絶対に、離さない。もう、二度と……」
涼が女になっても、心が男のままでも、どちらでもいい。
涼が涼である限り、自分はいつだって味方でいる。
それが、自分の役目だ。
そう思えた夜だった。




