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2 聖痕の消失、そして異変

「一体どういうことだ!?」



 怒鳴り込んできた父親が、ベッドの上の私を目にしてますます声を荒げる。



「ラルウェン! お前、一体何をした!? なぜ聖痕が消えている!? しかもその髪はなんだ!?」

「父上、少し落ち着いてください」



 どこか突き放すような口調の兄は私のほうへと向き直り、心配そうに眉根を寄せる。



「ラルウェン、どこか具合の悪いところとか、痛いところはないか?」

「べ、別に……」

「手は? 痛みはないのか?」

「特には……」



 兄であり、この家の嫡子であるティリオンが私の左手を一瞥する。聖痕がなくなっていることに気づいても、狼狽える素振りはない。



「もう一度聞くが、朝起きたらなぜか聖痕が消えていて、髪の色も真っ白になっていたんだな?」

「……はい」

「お前が何かしたわけでも、誰かに何かされたわけでもないんだな?」

「恐らく……」



 私は曖昧に答えることしかできない。



 確かに、昨夜眠りにつく直前、聖痕なんかなくなればいい、とは思った。もう何もかも投げ出したいと思い、『聖痕持ち』である自分自身を呪った。



 でもそれくらいのことで、本当に聖痕がなくなったりするだろうか。いや、あり得ない。生まれたときから刻まれていたアザが、一夜にして消失するなんて。



「父上。すぐに神殿に連絡し、神官様に来てもらいましょう」



 どこまでも冷静な兄様(にいさま)は立ち上がり、混乱を抱えたままの父様(とうさま)に提案する。



「ラルウェンの聖痕が消え、髪の色まで色素ごと抜け落ちたように真っ白になるなんてただごとではありません。今すぐ神官様に来てもらい、きちんと診てもらう必要があるのでは」

「それは、そうだが……」



 どういうわけか、父様の反応は鈍い。



 ――――聖痕の消失。それが一体、何を意味するのか。



 有り体に言えば、私が『聖痕持ち』ではなくなったということ。つまり、女神の生まれ変わりと呼ばれる資格を失った可能性を示唆する。



 神官様が来て、聖痕の消失を確認するだけならまだいい。万が一、私の体内に宿る膨大な魔力までもが喪失していたとしたら。



 そうなったら確実に、私を女神の生まれ変わりとみなす理由がなくなってしまう。



 父様も馬鹿ではない。頭の中では最悪の事態を想定しているはず。だからこそ、二の足を踏んでいるのだ。



「父上。迷っている場合ではありません。早急に神殿に連絡を」

「いや、しかし、一時的な消失ということもある。もうしばらく様子を見てからでも――」

「しばらく様子を見ても聖痕が元に戻らなかったらどうするのです? 聖痕が失われたことを隠していたと知られたら、かえって立場が危うくなるのでは?」



 「う……」と言葉を失う父様。兄様の言うことは、もっともである。



 反論を試みようとした父様はしばらく逡巡し、結局は諦めたらしい。神殿に連絡を取るべく、渋々部屋をあとにする。



 兄様は部屋を出る前に再び私のほうを振り返り、



「ラルウェン、何も心配しなくていいからな」 



 硬い表情を心なしか緩めて、侍女に声をかけてから足早に去っていく。



 その姿を見送って、私はもう一度左手の甲をまじまじと見つめた。




 …………とんでもないことになったわね。





 跡形もない、聖痕。アザがあったなんて思えないほど、つるりとした左手の甲。



 無意識にさすると、真っ白な髪がさらりと落ちる。



「ラルウェン様」



 軽やかな声に顔を上げると、侍女のジーナがにこやかに微笑んでいた。



「神官様がいらっしゃる前に、着替えてしまいましょう」

「……ジーナは」



 言いかけると、子どものように無邪気な目をして私を見返すジーナ。



「全然驚かないのね」

「え、普通に驚きましたけど」

「そう? あまり動じてないように見えるけれど」



 真っ白になった髪をひと房取り、間近で眺めてみる。濃いめのピンクブラウンだった髪色は、まるで色素が全部抜けてしまったかのように、白い。



「最初に見たときは一瞬別人かと思いましたよ。でもよく見たらラルウェン様でしたし、その髪色もなかなかおしゃれで可愛らしいかと」

「は? 何よそれ」

「髪の色がどんなだろうが、聖痕があろうがなかろうが、ラルウェン様はラルウェン様ですので」



 そう言って、ジーナはゆったりと笑う。



 七歳年上のジーナは、私が十二歳の頃、専属侍女として雇われることになった。早くに母親を亡くした私にとって、ジーナは姉のような母のような存在である。



 『聖痕持ち』という奇跡の存在に臆することなく、かと言って無駄に崇拝するわけでもない。ただ淡々と自然体で接しながらも、私という人間をそのまま受け止めてくれる唯一の味方。



「……そういえば、兄様もあまり動じていなかったわね」

「ティリオン様はラルウェン様のことが心配なだけですから」

「どういう意味?」

「そのままの意味ですよ」



 二つ年上の兄様は、よくわからない不思議な人である。仲が悪いわけではないけど、いいわけでもない。いつも不機嫌そうな顔をして私を見ているけれど、攻撃的なセリフを吐くわけでもない。



 でも時々、思い出したように「無理はするなよ」なんて優しいことを言ってくれたりする。だからよくわからない。



 そんな兄様のさっきの態度を思い出して、物思いに耽ってしまう。父様のように、聖痕がなくなったことを責める様子はなかったけれど。



 まるで私を心配しているかのような物言いは、なんだかとても、想定外だった。






◇◆◇◆◇






 神殿からやってきたのは、大神官の一人、オルファ様だった。



 私が生まれてすぐに手のアザを聖痕と見定め、魔力の確認をしてくれたオルファ様。



 この世界では、魔法を使える人間はさほど珍しくない。高位貴族ほど魔力を有すると言われているし、学園でも魔法や魔力に関する授業がある。



 ただ、生活に必要な魔道具はそれなりに発達していることもあって、魔法が必要とされる場面はそう多くはないというのも実情である。



 神殿の大神官は魔法適性が高く、魔力の感知や判定の能力に秀でた者が選ばれる。女神信仰の教えを説く聖職者であると同時に、魔法や魔力に関する専門家でもある。



 生まれてすぐの聖痕判定以来、オルファ様は顔を合わせるたびにさりげなく声をかけてくれる一風変わった人だった。とはいえ神殿で大神官を務めるオルファ様と私との間に、さほど接点はないのだけれど。



 目を閉じながら私の頭に手をかざし、左手の甲を確認し、幾つかやり取りを重ねたオルファ様は、ふう、と大きく息を吐く。



「確かに、聖痕は跡形もなく消えていますね」

「はい」

「髪の色が変わったのも、恐らくその影響でしょう。とはいえどういう仕組みでこうなったのか、理由はまったくわかりませんが」

「わからないのですか?」

「ええ、わかりません。『聖痕持ち』の聖痕が一夜にしてなくなったとか、髪色が真っ白になったとか、そんな話は聞いたこともありませんから。というか、そもそも『聖痕持ち』に関しては伝承自体が少ないので」



 困ったように苦笑するオルファ様は、もう四十代だというのにだいぶ若々しく見える。



「『聖痕持ち』については帝国のほうが文献も研究者も多いですし、伝手があるので調べてみましょう。何かわかるかもしれません」

「オ、オルファ殿!」



 突然切羽詰まったような声を上げる父様に、オルファ様が首を傾げる。



「ラルウェンの魔力はどうなのですか? 『聖痕持ち』として、膨大な魔力を秘めていると言われていましたが……」



 期待と不安の入り混じったなんとも言えない表情で、父様がオルファ様の答えを待つ。



 オルファ様は「ああ、そうですね」と言いながら、尖った顎先をゆっくりと撫でた。



「ラルウェン様の体内に宿っていた膨大な魔力の存在は、辛うじて確認できます。ただどういうわけか、現在は完全に封印された状態と言いますか……」

「封印された状態?」

「どういうことですか?」



 思わずといった様子で、兄様も口を挟む。



 オルファ様は弱り切った表情をしながら、丁寧に言葉を選びつつ説明を続ける。



「……ラルウェン様の中に宿る膨大な魔力が失われていないことは感じるのです。でも言うなれば、体内のどこか奥深くに厳重に隠されてしまっていて……。『ない』わけではありませんが、使える状態にないというか……」

「使える状態にない?」

「はい。ですからこれまで使えていた簡単な治癒魔法ですら、現状使うことができないと思います」



 簡単な治癒魔法ですら使えない。



 それはまさに、私が『聖痕持ち』ではなくなったという宣告に等しかった。













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