第二話 まじないの先生
真っ白な外壁のアパート。その二階に、男は住んでいた。
名前は長澤達也。俺は「タツさん」と呼んでいる。なかなかの美形だが、休みの日はいつも寝癖をほったらかしてジャージを着ているせいで、会うたびに冴えない印象を受けた。
「今日はどしたの?」
突然の訪問者である俺に、用向きを尋ねてくるタツさん。口調は眠そうで起きたばかりのようだった。
「あの薬草スープがさ、明日いるんだ。もう殆ど完成していたよな」
タツさんは少し思案し、やがて合点がいったように『ああ』と頷く。
彼は俺の呪いの先生だ。例の薬はこの人と話し合って調合している。
「明日か? なるほど、まぁ中で話そう」
俺は彼に招き入れられ、手狭な部屋へと通される。そこには様々な動物の肉片やら、とりどりの薬草が所せましと置かれていた。
動物の肉は海外のサイトで取り寄せた。水に漬けてあり、どれが何の動物かは判別できないので、他人に見られたら殺人犯が遺体を解体したように映るだろうか。
薬草は取り寄せたものもあるが、ほとんどは休日に二人で採りに行った。近場の山に始まり、ハンドブックを片手に秘境を訪れた。ここにある草に危険性はないはずだ。
「まぁ、もう完成していると言ってもいいんだが」
頭をポリポリ掻きながら、冷蔵庫から小瓶を取り出す。磨りガラスの向こうに濃厚な緑色の液体が見える。かつて茶道の体験会で振舞われた抹茶にそっくりだ。
キャップの上にラップが何周も巻かれている。この厳重さには匂いを周囲に漏らさない、効果をできるだけ保持するという意図がある。
「できればだけど、何か、その子と結び付けられるような決め手があれば」
「ああ、分かってる。ちょっと俺に考えがあるんだ」
最後の材料には、彼女が絵を描いているときに思い至った。
大丈夫、きっと上手くいく。
「それならいいけど、ほい」
男からスープの小瓶を受け取り、手持ちのポーチに仕舞う。
俺は唯一の空きスペースである赤いソファーに腰掛ける。タツさんはベッドに胡坐をかいて座る。
二人が定位置に着くと、普段の気安い空気にもどる。最近の共通の趣味である洋画について話し出す。
「前に言ってた映画さ、テンポよくて楽しかった」
「だよね! あの監督が作った中では一番だと思う」
タツさんとは、トレーディングカードに夢中だった時期に、カードショップで知り合った。
当時、友達二人と通っていたので、必ず一人は対戦できない状態だった。そこに居合わせた彼と対戦して、話が合うことが多くて仲良くなった。
今はカードゲームの熱は冷めているが、こうして変わらず頻繁に会っている。なんといっても、共に奇妙な呪いをする仲になったのだ。歳は離れているが親友だと思っている。
「今日もFPSするか? あ、平日の方がいいんだっけ」
「ううん、夜ならいつでもいいよ」
オンラインで世界中の人とつながり、銃撃戦をするゲームだ。タツさんと電話で喋りながらプレイするのが今の日課になっている。
正直言って、かなり変な人だ。俺みたいな子供と仲良くして、呪いを趣味にしている。
そして、極めつけは学生時代に、ある疑惑を抱き続けたこと。
「あの、タツさんが前に言ってた、変な意識なんだけど」
「え…ああ、まいったな」
頬を緩め、頭を掻きだす。
この話題を出すと、いつも恥ずかしそうにする。彼にとってはあまり掘り返されたくない過去なのだ。
「知っている奴が、同じような目に遭っているみたいで、何とかしてやりたいんだ」
「そっか…。それ本人から聞いたのかい?」
「えっと…」
予想外の問いに言いよどむ。
真琴の言動から疑っているだけで、彼女自身に聞いたわけではなかった。
「いや、あるときのタツさんと言動が同じだったから」
「なるほどね。それなら気にしない方がいい。下手に聞いて違ったら、変な奴と思われるからね」
それはそうだが、もし当たっていたら…。
「でも…」
「それに本当に同じ意識があるとして、他の人にできることはあまり無い。自分がそれにどう向き合うか考えるのが大事なんだ」
タツさんの意見を聞いて、返す言葉がなくなった。その主張は正しいように思えたし、俺がそれに詳しいわけではない。
「わかった。とりあえず様子を見ることにする」
「それがいい。ところで、あの映画って続編があったよね。面白かった?」
他の話に切り替わり、そのままタツさんの家で少し遊ばせてもらった。
*
翌日、俺たちは約束通り動物園に集った。
真琴には学校でしか会わないため、休日の私服姿は新鮮に感じる。グレーのブラウスにピンクブラウンのズボンで、なんてことはない、子供らしい服装だ。それなのに、昨日のフードを取り払った姿を目にした途端、眩しさに息を吞んだ。
癖のある髪はウェーブが掛かっているようで、何だか大人っぽい。
「遠足で来て以来だよ」
「私も。あのときは大変だったなぁ」
一年前に遠足で来た際は、徒歩で片道二時間もかかった。途中で何度か休憩を挟んだが、二時間も歩けば疲労感で気が遠くなってくる。
「今年の四年生は電車使ったらしいな」
「私も聞いた。なんでも保護者から文句が出たんだってね」
対照的ともいえる扱いの差だ。反省して見直されると、余計に俺たちが貧乏くじを引いた気分になる。
「まぁ、ここでの時間は楽しかったから良いけど」
動物の種類が豊富で、友達と回るのは退屈しなかった。
真琴は頷いて共感を示した。そうでなければ再び来ることはなかっただろう。
話が終わると他のメンバーと園のゲートを通った。貰ったパンフレットを見ながら、どこに行くか話し合った。
結果、全員で端から回ることになった。まずは入り口近くのペンギンの展示場で、一行は足を止めた。
「あ、こっち見た! 可愛い!」
女子たちはスマホを掲げてペンギンを追っている。もちろんその中には真琴の姿もあった。何に対しても醒めた印象だったので新鮮だった。彼女が前に、どこか動物に似た表情を見せたことを思い出す。きっと親近感が湧くのだろう。
ガラス越しにプールの中も見えて、泳ぐ姿も陸で歩く姿も観察できた。長椅子が整然と並び、座って休めるようにもなっている。
真琴はペンギンから視線を外すと、どこか醒めた表情になった。いつものことだ。彼女はたまに、こういう顔をする。俺と話しているときも何度か見せる。
「……」
はっきり言えば、俺に興味はないのだ。それは俺だけではなく、そもそも他人に興味が薄いようだった。
けれど諦める気はない。なんなら今日は、それを変えるために来た。
「楽しそうでいいな。俺はそんな乗り気じゃなかったが」
手持ち無沙汰そうな丈が隣に座る。
「まぁ、たまにはいいだろ。気持ちはわかるけど」
「ええ、お前は楽しそうじゃん」
共感したのだが、謎の言いがかりを付けられる。確かに真琴の方を見ていたが、見惚れていたのではない。この鼓動の高鳴りは発表会の前に近いものだ。
腰につけたポーチに触れる。運が良ければ今日、やることになる。
「俺は爬虫類を観たいよ。ここのヘビ、種類が豊富なんだ!」
丈の隣に座った隆史が話に入ってくる。今まで女子たちと一緒に最前列で写真を撮っていたようだ。こいつは本当に楽しそうで羨ましい。
「動物好きだよな。隆史は」
この中で一番楽しんでいるのは彼かもしれない。確か、将来は動物に関わる仕事に就きたいと言っていた。
「自分でも飼ってたっけ、ヘビとかトカゲとか」
「うん! 可愛いよー。啓二もどう?」
前に見せてもらったとき、魅力をさんざん語ってくれた。だが、同時に聞いた世話の話を思い出すと、自分で飼うのには抵抗がある。
「俺はいいよ。面倒くさがりだし」
本当は別の理由もある。俺は動物と直接的に触れ合うのが苦手だった。檻の外から見るぶんには問題ないが、自分で飼うのは難しい。
「そっか。気が変わったら教えてよ。何でもレクチャーするから」
隆史にはさして落胆したそぶりもなかった。俺の答えを予想していたようだ。
「次は爬虫類を見に行こうか。ここから近いし」
爬虫類は入り口から近くの建物にまとめて展示されている。中は全体的に暗く、ガラス越しの生き物がいる空間にのみ証明が当てられている。
もちろん隆史は目を輝かせて見入っていた。その姿は、スポットライトに当たる演者に魅せられているようだった。
しばらく歩くと開けた場所に出た。そこは打って変わって証明が強く、少しだけ目が眩んだ。
目が慣れて展示場の中を見回すと、その場の半分を占める、とりわけ大きな檻があった。
「ん? うわっ」
その中央で黒々と光る物体が生き物だとは、すぐには分からなかった。それは体長2メートルほどのワニだった。いきなりその威容が現れ、思わず声を上げていた。
「なにビビってんだよ。前も見ただろ」
丈に突っ込まれる。
「いや、すごい迫力でさ」
「んー?」
丈は訝しげに目を細める。何か言いたいようだった。
「…お前、何か企んでるだろ?」
「えぇ!?」
胸中を見透かされ、間抜けな声を上げてしまう。丈は、そんな俺を呆れ顔で見返してくる。
「いつもそうだろ。カードで遊ぶときも、良いカードを引くと上の空だったし」
付き合いが古いだけあって、完全に見抜かれていた。自分が気付いていない癖を看破されたのは何だか恥ずかしい。
「まぁな。危険な賭けだから、巻き込みたくないんだ」
そもそも後は俺一人で事足りる。
「そっか、終わったら話聞かせろよ」
「ああ、わかった」
約束を交わし、決意を新たにする。このやりとりだけで力を貸してもらえた気がする。
それからは各々が行きたいところを順に回った。動物園を出るのは昼過ぎになった。