プロローグ
人の気持ちを感じる瞬間は日常のなかに沢山ある。
忙しそうな相手を手伝ったときは、ほっとした気持ちが空気に漂う。喧嘩している友達は、顔が見えなくても近寄りがたい雰囲気をかもし出している。
その感受性は多くの人が持っているように思う。そして、気持ちが分からない相手には親しみ難い。だから、感情表現は積極的に行うべきなのだろう。負の感情以外は、表に出したほうが良いはずだ。
しかし、それも一般的な範疇の話だ。宮城真琴のそれは少し極端だった。
彼女は感情の機微を表情に宿らせる。顔の筋肉が柔らかいのか、造形が特別なのか分からないが、普通より表現の幅が広いのを感じる。それは、何も言われずとも気持ちが分かると、見ている側が錯覚するほどだった。
そんな彼女だから周囲には自然と人が集まった。けれど、実際はほとんど取り繕った表情であり、素顔を見せることは少ないのだと、俺は最近気が付いた。
あまり自分のことを語らないので、俺が彼女について知っているのはそこまでだ。つまりは、とても表情が豊かな少女、と言えるだろうか。
けれど、それは良いことばかりとは限らない。
その美点は、ある疑惑と隣合わせになっている。時として自分を害することだってある。