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映画館の無いまち  作者: 恵梨奈孝彦
7/8

ダンサー・インザダーク

「ねえ祐介、昨日変な夢を見たんだけと…」

 その日の公民館の喫茶店で、昨日の夢について話した。夢を他人に話すなんて、気持ち悪いと思われるだろう。だけど…。

「なんだか今こうしていても、これが現実なのか夢なのか、よくわからなくて…」

「今は夢の中なんかじゃないよ。おまえの目の前にいるのは、まぎれもなく現実のおれだよ」

 そう言われても、信じられない。

祐介はボールペンを出して紙ナプキンを取り出し、「正木敬之」「若林鏡太郎」「呉一郎」「呉青秀」「呉千世子」「呉八代子」「呉モヨ子」と書いた。「ドグラ・マグラ」の登場人物だ。

「おまえは小説の方は読んだことが無いって言ってたよな」

 確かに読んだことがない。

「もし、『ドグラ・マグラ』を観て、おれとここで話したことが夢だとしたら、おまえの夢の中のおれが、登場人物の名前を漢字で書けるわけがない。漢字は小説でしかわからない。映画では口頭でしか呼び合わないわけだし。おまえが知らないことを、夢の中のおれが知ってるわけがない。つまり、あれは夢ではなく現実だったんだ」

 そうだろうか。

「『紅い眼鏡』で、室戸文明が北の将軍様に似ているって話をしたな。それについておまえは『わけがわからない』って言ってたけど、あれも、おまえが知らないことを、おまえの夢の中のおれが知っているわけがない。つまりその時のおれは、おまえの夢とは関係がない、独立したおれだってことになる」

 それについては、今ならわかる。「室戸文明」が、北朝鮮の最初の指導者の金日成に似ているということだろう。

「だいたい、ここがいくら小さな町で、映画館が無いからって、公民館で上映する映画で町民を洗脳するだなんて、陰謀論にしてもひどすぎるよ」

 そう言われると、そんな気もしてきた。

「それよりも、今日観た『ダンサー・インザダーク』の話をしよう」

 わたしが祐介に夢の話をしたのは、もしかしたら、この映画について語りたくなかったということもあったのかもしれない。

「ジョーカー」以上に救いがなかった。

 アメリカのある町でプレス工場で働き、夜は内職をして生計を立てているセルマは、息子ジーンと二人暮らしをしている。

 セルマは先天性の病気によってやがて失明する運命にある。彼女は自分の眼のことはあきらめていたが、同じ病気を持つジーンの手術代を出すために、必死に貯金していた。そんなセルマのたった一つの趣味はミュージカル。つらいことがあっても、稽古にはげみ、仕事中でも、歌い、踊っている自分を夢想し、働き続けてきた。しかし、今までセルマによくしてきてくれた隣人のビルは、妻の浪費のために借金を抱えていたあまり、セルマの貯金を盗んでしまった。セルマはビルに「金を返してほしい」と懇願するが、話し合いがもつれ、揉み合いになるうちに銃が暴発し、ビルに当たる。ビルはセルマを挑発し、混乱したセルマはビルを拳銃で撃ち、金庫で殴打して金を取り戻した。セルマはそのまま眼科医に金を預け、ジーンが来たら手術をしてくれるように頼む。そしてミュージカルの稽古場に行き、自分が歌い踊っている場面を夢想しているところで逮捕される。その後、セルマの友人キャシーが、腕の良い弁護士を雇うことをすすめるが、そのためにはジーンの手術代を使わなければならないことを知り、セルマは拒否する。共産主義国チェコからの移民だったことも不利になり、金を取り返すために金庫でビルを何度も殴りつけたことも残虐さの現れとされ、セルマは死刑を言いつけられる。執行の時、セルマは取り乱して暴れ、担架のような板に拘束される。それでも暴れようとするセルマに、立会人としてこの場にいたキャシーはジーンの眼鏡を握らせ、「手術が成功してジーンの眼が治った。その証拠に、眼鏡が必要なくなった」と言う。未練のなくなったセルマは、ジーンが救われた喜びを歌う。突然落とし穴が開き、板を背負ったセルマは蓑虫のようにぶら下がる。刑務官が立会人の前でカーテンを閉じ、スタッフロールが流れる。

「なんだか、まだ鬱な気分だよ。ここまで救いの無い映画ってないんじゃないかな」

 「ドグラ・マグラ」や「紅い眼鏡」のような荒唐無稽な世界観があるならまだいい。「ジョーカー」もまた、後半のあのシュールな映像に救われた。しかしこの映画は、一貫して重苦しくてリアルだ。

「唯一の救いは、ジーンの眼が治ったことだよね」

「本当にそうか」

「ほかに、救いがあったっていうの?」

あの、ミュージカルのシーンはセルマの夢想であることがはっきりしすぎていて、「救い」の役割を果たしていない。

「本当にジーンの眼は治ったんだろうか」

「は? 何言ってるの! ちゃんと、キャシーがそう言ってたじゃん!」

「そうだ。『キャシーが言っていた』のを聞いただけだ。おれたちは、ジーンが治ったシーンを見せられたわけじゃない」

「それは、最後のシーンで観客に伝えた方が盛り上がるっていうだけのことでしょ」

「それは監督の映画作法の問題だ。観客であるおれたちには関係が無い。キャシーはギリギリまでジーンの眼が治ったことをセルマに伝えようとしなかった。なぜだ? セルマが暴れず、執行がすんなり行われたら、セルマはジーンの眼が治ったことを知らずに死ぬことになるんだぞ。ジーンの眼が治ったのなら、セルマに隠しておく理由が無い。だけど、ジーンの眼が治らなかったんだったら、キャシーがそれをセルマに隠しておこうとするのは自然だ。だけどセルマが取り乱して暴れたため、それを鎮めるために『治った』と嘘をついたと考えれば辻褄が合う」

「監督がジーンの手術が失敗するっていうス

トーリーにしようとしたけれど、セルマ役の女優のビョーク・グズムンスドッティルが猛反対して、『ジーンを失明させるんだったら映画を降りる』とまで脅迫して、今のストーリーにさせたって、パンフレットで読んだよ。ってことは、ビョークだけじゃなくて監督も『ジーンの眼が治った』って思ってるってことだよね!」

 たとえ何十人で撮っても、映画の作者は監督だって聞いたことがある。作者がそう考えているのなら「ジーンの眼は治った」はずだ。

「それは、作品の外の話だ。おれは、作品をどう観ることができるかって話をしてるんだ。反論したいのなら、作品の中から『ジーンの眼が治った』とわかる描写を示せばいい」

「初めからジーンの眼が治ったことをセルマに伝えたかったけれど、刑務官に静止されることがわかっていたから、キャシーは伝えにいけなかったんだ」

「最終的にキャシーが伝えにいったとき、刑務官は静止しなかった」

「アメリカではああいう時、立会人が死刑囚に近づくことを静止しないってこと!?」

「現実のアメリカじゃなくて、あの映画の世界観での話をしてるんだ」

「キャシーは、絞首刑を受けるセルマに、ジーンの眼鏡を握らせた。回収できる当てがない以上、ジーンの眼が治って、眼鏡がいらなくなったとしか、考えられない!」

「手術に失敗してジーンが失明したから、眼鏡がいらなくなったんだろう」

 何を言っているんだ。何を言ってるんだこいつは!

わたしは、のんきにコーヒーをすする男の、切れ長の、彫刻刀で彫ったような目じりの、恰好の良い眼をにらみつけた。

 比企祐介っていうのは、こんな男だったのか?

 こいつは、そんな男じゃない。わたしにケーキをおごっていながら、そうじゃないと言い張るような、わたしに負担も屈辱も与えないようにふるまう男じゃなかったのか!

 あの、哀れなセルマの、たった一つの希望を打ち砕いて平気な顔ができる男だったのか!?

 うそだ。信じられない。信じたくない。

 だけど、目の前の祐介の顔も、テーブルの上のショートケーキも、真っ白なテーブルクロスの上のサックスのミニチュアも、窓のない白い壁も、フローリングの床も、圧倒的な現実感を主張している。




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